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新編 妖の園 Episode6  作者: 不死鳥ふっちょ
最終部
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第三十四章第一節<闇を臨む者>

 一筋の煙が、僅かにたなびきながら頭上へと昇っていく。


 果ては知れず、紫の闇の中に消えていく。


 星は見えず、かといって渦を巻く不気味な雲海もここからは見えぬ。まるで東の空から紫色をした太陽が次第に上ってくるかのような、黒と群青、そして紫の色彩の混濁。


 月も星もこの異界にはないと見え、方角すら定かではない。


 人気のないその場所は、まるで遠い過去の異国の街の中心部であるようだった。


 緩やかな傾斜には、階段と呼ぶにはいささか段差のあるすぎる傾斜が弧を描いてぐるりと円形に囲んでいる。その一角は既に崩れ、まるで門のようになってはいるが、かつてはこの場所は何に使われていたのだろうか。


 これだけの広さを持つこの場所は、只中にいるだけで異常なまでの圧迫感を強いられる場所であるのに。


 火を炊いている場所は、その傾斜に囲まれた円形の地面の中心に近いところであった。


 じっと炎を見つめている顔に髪が落ちかかり、それを綾瀬は手櫛で掻き揚げた。


 既に皇城で降っていた雨に濡れた躰は乾き、紺色の着流しはあちこちが破れている。


 田安門で激戦を演じた相手、紀藤宗盛。


 その男は今、綾瀬のすぐ目の前で炎を挟んで座っていた。


 もう、戦意は消えている。宗盛を復讐の鬼に駆り立てていた、あの身を縛り魂を食らう邪念も、とうに消えている。短く刈った髪が与える無骨な印象をそのままに、こうしてじっと座っているとまるで彫像を前にしているような雰囲気に囚われる。


 だが、宗盛はじっと身を屈めたまま、揺れる炎を見つめていた。


 数刻、そして数刻、さらに数刻。


 息を殺し、座っていた宗盛は、やがて口を開いた。






「つくづく、不思議な男だ」


 宗盛の言葉に、綾瀬は苦笑を漏らしてみせる。


「なンだよ、いきなり」


 一度口を噤み、宗盛は視線を炎に落とす。


 黒船によって、半ば強制的な開国を強いられた日本国は、その後も恐るべき速度での変貌を成し遂げた。


 否、成し遂げさせられたのだ。


 外的な要因によって本来であれば数倍の歳月をかけて変わっていく欧米化と、廃れていく自国の文化。まるでそれまでの日本文化を侵食していくかのように次々と流入してくる舶来の文化は、人々の心に陰りを落とした。


 そうした、一見華やかな舞台の裏の、狂気を孕んだ闇の濃さを宗盛は知っていた。


 歴史の表舞台には決して出ることのない、怨念の声を聞いていた。


 だんだんと狂気に蝕まれていく己の精神の中では、近いうちに必ずや破綻を来たすことは、自分でも分かっていた。


 しかし外の世界に目を向ければ、まるでそれは幻のように華やかな、美しい、楽しげな世界であった。笑いさざめくその街路は、宗盛の心に安らぎをもたらすことは決してなかった。


 緩慢に狂っていく宗盛の胸中を、鈍い刃でさらに抉るだけであった。


 華やかな帝都の姿は、さらに宗盛の怨念を増加させるだけであった。


「痛みは、傷を負った者にしか分からぬという、お前の言葉、しかと受け止めた」


 押し殺したような、低い声で呟く宗盛に、綾瀬は頭を掻いてみせた。


「照れるじゃねえか、褒めたって何も出やしねえぜ?」


 それに、綾瀬には言葉には出来ぬ感情があった。


 俺は特務を背負うとはいえ、警視庁の川路直属の隠密部隊。それはすなわち、国家というものを背景に持つ職務。


 本来ならば、お前が真っ先に斬り伏せるであろう、相手だということを。


 口を閉ざしている理由は、斬られるかも知れぬという懸念、護身のためではない。今は、この異界を一刻でも早く脱しなければならぬという目的があるのだ。


「お前には、人を惹きつける力があるのだろう」


「そんな大層なコト、考えたこともねえよ」


「いや、それ故のことよ」


 意識せずとも、人の心に響く言葉を投げることが出来る。それこそを才能と言わずして何というか。


「しかし、俺は許せぬ」


 まるで激情を限界まで抑圧し、吐露しているかのような、凄まじい圧力をもった言葉が、宗盛の唇を割って滴った。


 綾瀬の顔が、ふっと陰る。


「妻が、そして胎の中で冷たき羊水と共に朽ちた我が子が俺を鬼にしたいと思ってはおらぬであろうことは……しかし、それでは、俺は」


「やり切れねえってか」


 数刻の沈黙ののち、宗盛の拳が地に叩きつけられた。


 内側から肉を炙る炎は、消えるどころか一層激しく燃え盛っているのだ。


「もし、ここから戻ることが出来たとして……俺は、間違いなく、政府の役人どもを斬る」


 その言葉に対する返答を、綾瀬は思いつかなかった。宗盛もまた、返答を期待した言葉ではなかったのだろう。


「その時には、もしかすると、お前は俺の前に立ち塞がるのかも知れんな」


 ぐいと顔を上げ、宗盛は綾瀬をひたと見据えた。


「……俺の職業を、知ってやがったのかよ」


「警視庁の隠密に、震えが来るほどに腕の立つ侍がいると聞いていた……その者が鬼をも斬る太刀を刷くとは噂かと思っていたが」


 綾瀬は宗盛の視線を振り切るように立ち上がった。


「わからねえよ」


「……わからぬ、とは?」


「俺だって、政府に腹黒いことが一切ねえとは思ってねえ。そこまでガキじゃねえよ、国を支えるってことは、それだけ裏もありやがる」


 すっくと立ち上がった綾瀬を、宗盛は黙って見上げている。


「もしかすると、今回俺たちがこうしてる背景にも、政府の奴らの裏手引きがあるんじゃねえかってことさ。もしそうだとしたら」


 綾瀬は宗盛を見下ろし、そして笑ってみせた。


「俺はてめえの前には立たねえ。それだけは約束するぜ?」

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