2話:勇者と王子(下)
『馬鹿な…!』
『魔力も介さず…化物か…!』
豚人達が、地魔法で作った足場の上で驚愕の声をあげる中、響く拍手。
それは、勇者が飛び降りた崖の上から聞こえて来る。
「っ!何者ですか!? 貴殿達も、これはどういう事ですか!!」
アークシエルは、剣を支えに宙吊りの状態で必死に体勢を整える。
突然の配下の暴挙。
危険に晒された兎人。
変に頭の悪い勇者。
謎の拍手。
一度に襲ってきた出来事に、声が自然と荒くなる。
彼の周囲には魔力が満ち、それに反応したのか、精霊がふわりふわりと浮かんでいる。
「落ち着かんか馬鹿者。今魔力を開放すれば、危うい地盤が完全に崩れるぞ」
ノアに指摘され、アークシエルはハッとする。
たしかに、今の状態で魔法を使えばこの地盤が耐えられない。
まさか、自分よりも酷い状況の勇者に指摘されるとは……彼は頭を振って、冷静になろうと努めた。
しかし、無情にも場は進む。
「素晴らしい、この状況で他者の心配とは。二人共立派な人格者ですな」
崖の上から聞こえる拍手の、主が現れた。
それは、ローブを目深にかぶった老人だ。
種族は、おそらく人間だろう。
「おぉ、バーン。バーン宮廷魔術師」
ノアが、緊張感のない声で名を呼ぶ。
バーンと呼ばれたその老人は、唯一見えるシワだらけの口元を、ニヤリと歪ませた。
「えぇ、バーンにございますとも、勇者様。落ち行く馬車を、握力と腕力のみで支えるそのお力。感服にございます」
「世辞はいい。助けてくれ」
「なにを言ってるんです!? 見るからに彼がこの事態の黒幕じゃないですか!?」
「? そうなのか…」
イマイチ空気を読んでいない勇者に、バーンと名乗った老人は愉快そうな笑い声をあげる。
「宙吊りのままに馬車を支えながら、よくもまぁそのように呑気でいられるものでございますなぁ」
「っ、これはどういう事です! 何なんですか貴方は!」
「何、と申しますと……このバーンが、大陸を掌握する為の計画の一端と申しましょうか」
その老人は、事も無げに宣う。
その横には、崖を登ってきた2人の豚人がつき、跪く。
奴隷商の男は、その内の1人に担がれていた。
その顔に、生気はもはやない。一連の事態の中で、殺されてしまっていた。
「な、んですかそれは! どういう事ですか!?」
「ほほ……いやなに、簡単ですとも、貴方がたを抹殺し、時間をかけて人々と魔族の不信を育むのですよ」
「っ!?」
バーンは、愉快そうに計画を語る。
それは、単純にして長く、時を要する話であった。
つまりこうだ。人々の希望である勇者と、魔族のブレーキである王子を、この場で抹殺する。
そして、国家転覆を目論む魔族と強力しあい、両勢力に少しずつ少しずつ不信と不安を植え付けていくのだという。
後は、戦争が起こる時を待つのみ。
その後、自分たちが消耗した両軍を滅ぼす、という物だった。
「なんて……悍ましい! 貴方は人間の中でも特に醜悪です!」
「ほほ…褒め言葉として受け取っておきましょう」
怒りを露わにしながら、叫ぶアークシエル。しかし、バーンは動じない。
既に両者の動きは封じているのだ。
「……王子よ」
「なんです!? 落ち着けって言うなら無理な話しで―――」
「腹が減ってきた」
「馬鹿じゃないですか!?」
神経を疑ってしまうが、彼女の肩に5人の兎人の命がかかっている今、何も言えない。
しかし、馬鹿くらい言ってもバチは当たらないと思う。
「それにしても、だ。バーンよ、私の命は『想いの水晶』とリンクしている。死に絶えたら水晶は曇り、砕けてしまうと聞くが?」
「ご安心を、勇者様……神話級のマジックアイテムとはいえ、騙す事はできます」
「そうか。まぁ、大方私の肉体でも禁呪で作ったか」
バーンは、答えない。
ニヤニヤと、笑うのみ。
「さて……そろそろ幕切れと致しましょう」
その手に、魔力が灯る。
人間の身であれほどの魔力を宿すなど、ありえない事だ。
魔力が空気中に浮かぶ精霊を介し、自然的な現象を引き起こしていく。
今回は、炎。
爆発を司る魔法、『火球爆破』だ。
「おさらばです、勇者様、王子殿」
その魔法が、放たれる。
致死の爆発が、2人に迫り……
「すまんな、お前ら」
その瞬間、ノアが動いた。
馬車を左右に、振り子の様に振り始める。
より強い悲鳴が上がるが、止まらない。
「よっと」
次の瞬間ノアは、自分で岩から手を離した。
馬車の振り子の勢いを利用して、アークシエルの元まで飛来する。
「ぅえ!?」
「痛いかもしれんぞ」
そしてそのまま、アークシエルの首根っこを掴み、自分の下に体を移した。
瞬間、爆発が起こる。
「ゆう、しゃ…!?」
「っ……」
爆発を、一身に受けるノア。
アークシエルからは見えないが、背中は大きく焼け爛れている。
「さて、と…」
爆発の勢いで、落下が加速する。
しかしノアは、そのまま体を反転させ、自分が下になる。
アークシエルを守る様に。
馬車を壊さないように。
そのまま、暗い暗い穴の中に落下して行ったのだった……
◆ ◆ ◆
「…………」
バーンは、勇者たちが落下した穴を、じっと見つめていた。
この森は、ウライン渓谷にほど近い場所にある。
そして渓谷は大きく、横穴は多岐に渡って広がっているのだ。
ここは、その地下空洞に繋がる場所。
その高さは計り知れず、落ちればただではすまない。
『……ふん』
『弱者を守るような馬鹿をするからだ』
豚人は、つまらなそうに呟く。
そこには、嘲笑が含まれていた。
「さて、ではお前たち。この事は彼に伝えておきなさい」
バーンは、豚人に命令を下す。
協力者に、勇者と王子が死んだと伝えるように、と。
「私は…自分のいるべき場所に戻りますからの…」
『『かしこまりました』』
豚人は、強者にこそ従う。
バーンの魔法は、人間とは思えぬ程のものだ。
故に、彼らがバーンに逆らう事はない。
力があれど、弱者を守ろうなどという理念を持つアークシエルよりも、よほど従う価値があるのだ。
「さぁ、後は待つのみ…一年か、二年か…遠からず、世界は我が手中に収まる…!」
その日、森に狂った老人の笑い声が響く。
そして、この日から……勇者と、魔族の王子が行方不明となる、絶望の一年が幕を開けたのだ。