リアル過ぎる獣人に泣きたい
「はっ!」
意識を取り戻した俺は体を起こし茫然となった。
「え……俺、死んで、ない?」
体中を触りまくり、何処も怪我をしていないか確認。頭を打った覚えはあるのに、血はおろかたんこぶも出来ていない。まるっきり無傷だ。どうなってんだ?
まあ、死んでないならいいか。これでゲームが……って、なんだこれ!?
パーカーを着ていたはずがボロ服を着ている。しかも、持っていたはずの荷物が何処にもない! 俺の夜食がっ!
そこで漸く気付く。俺がいる場所は、あの工事をしていた場所じゃないことに。薄暗く、冷たい壁に挟まれ、背後にはゴミの臭いがする箱がいくつも積まれている。
立ち上がり恐る恐る壁を伝いながら、光指す方へと歩く。眩しい日差しに目をしかめながら、俺の視界に写ったのは……
「な、なんだよこれ……」
石や木で出来た家。土埃が舞うガタガタ道を走る馬車。賑やかなコスプレイヤー達。
え、なんかのイベントかこれ? 俺はなんでこんな所にいるんだ?
茫然と佇む俺に見向きもせず、目の前で行き交うコスプレイヤーの人達の中に、作り物にしてはよく出来たモンスターもいた。
猫耳の可愛い女の子だったらよかったんだが、顔が猫そのものでリアル過ぎて怖い。犬というより狼みたいな奴もいて、よく出来てるなと感心してしまう。そんな人込みの中に、一際目立つ存在がいた。
硬そうな鱗の肌。耳? まで裂けた大きな口と2本の角。長い尻尾を引きずって歩く二足歩行のトカゲっぽい奴は、黒の鎧を身に纏い見るからに強そうだ。
これは何かのイベントか何かか? そうじゃなきゃこんなコスプレしてる奴が出歩く訳ないよな。
最初は戸惑って茫然となっていたが、コスプレイヤーが集まるイベントだとわかれば少しは落ち着くもので。道の端を歩きながら、改めてイベント会場を見渡す。
コンクリートではなく、石がそこら辺に転がっている土の道。建物も土を固めた物で作っているのか、どこか脆く感じる。窓ガラスがない窓からは、中の様子が丸見えでプライバシーもあったもんじゃない。どの家も似たような作りで、四角い箱形の家ばかり。色も土と同じ色しかなく、殺風景な町並みだ。
いくらファンタジー感を出したいからってやりすぎじゃないか?
イベントの為に作った建物だと思うとドン引きだ。取り敢えず家に帰ろうと、食べ物を売っているおばさんに声を掛けてみた。
「すいません。駅の場所を教えて欲しいんですが」
「駅? なんだいそれは」
「え」
駅を知らない? そんな馬鹿な。いくら田舎であろうと駅ぐらいあるだろ。
「此処は何県ですか? ××県に帰りたいんですが……」
「あんたが何を言ってるのかわかんないよ」
俺はあんたが何を言ってるのかわかんないよ。
イベントの雰囲気を出す為にわざと言っているのかと思ったが、おばさんの顔を見る限りそんな雰囲気はない。
嫌な汗が背中を伝う。
「あんた顔色悪いけど大丈夫かい?」
落ち着け、落ち着け。今は現状を把握するんだ。
「……この町の名前を教えて貰ってもいいですか?」
「此処はエグパーニャさ」
そんな地名、日本にない。せめて最後に市を付けて欲しかった。
混乱でふらつきそうになった時、斜め前の店から派手な音がした。それと同時に黒い何かが店の入り口から吹っ飛んできた。
「テメーもういっぺん言ってみろ!」
「また酔っぱらいかい。最近よくあるんだよ。あんたも気をつけな」
家の壁に飛ばした男の胸ぐらを掴み、殴り掛かるのを周りの男達が止め、唾を吐き捨てて酔っぱらいは立ち去った。昼間から治安悪すぎだろ。
倒れた男の手当てをしようと、通り掛かった白いローブを被った人が男の膝の傷に手を当てる。するとどうだ。手を当てた場所から白く輝く光が出て、傷が見る見る治っていく。
ソンナアホナ。
傷が治った事により男は立ち上がり、ローブの人にお礼を言って頭を下げる。誰も今の現象を見て驚かない。なんでだ。普通驚くだろ。なんだこれ、おかしいだろ。あり得ないだろ。
血の気が引いていく。頭を抱え必死に冷静になれと自分に言い聞かそうとしても、さっきの出来事と視線に入るコスプレイヤーがそれを許さない。極めつけは、
「いらっしゃいいらっしゃいっ! 今朝獲れたてのムーヴァニクスの肉だよ!」
最初に見たトカゲの用な奴と似たような感じのトカゲが、串に刺した肉を掲げ肉を焼く。口から火を出して。
大道芸っすか。本格的過ぎて泣けます。
焼いた串焼きからは、肉の焼けた旨そうな匂いが。それに刺激されたかのように、俺の腹の虫が鳴る。
「あんた本当に顔色悪いね。ちゃんと食べてるかい? これでもお食べよ」
店の商品から1つ手に持ち俺に渡す。見たこともない物体。野菜か? 果物か? 手のひらに収まるサイズの丸いぷよぷよしたそれは、赤く新鮮そうだ。だが見たこともない物を口にするのに、躊躇してしまうのは仕方のない事であり……
「あの」
「代金は気にしないでいいさね。あたしの奢りさ」
なんとも人の良さそうな笑顔。これで断るなんて事、俺には出来ない。恐る恐るそのぷにっとした物体をかじると……
「……バナナだ」
「ん、なんだい? それはフニアだよ」
フニアと呼ばれたその物体は、見た目が全く違うが間違いなくバナナの味だった。味が知っている物だとわかると、腹ペコだった俺はそのフニアと呼ばれた果実をペロッと食べてしまった。
「ははは、よっぽど腹が減ってたんだねあんた。見たところ……物取りにでもあったのかい?」
俺の姿を見て哀れみを向ける眼差しに、他の人から見ても酷い格好だと知る。今すぐにでも着替えたいが、此処が何処だかもわからない上に鞄も財布もない。文無しだ。
「………………」
「役所に行きな。事情を説明したら世話してくれるから」
「……はぁ」
役所に行けば少なくとも何か情報が掴めるかもしれない。最悪地図だけでも見られれば儲けもんだ。
役所までの場所を教えてもらい、時々店の人に訪ねつつ着いた役所。普通の住宅とは違い、赤土で出来た建物。形が箱形なのは同じだが。玄関は開放されていて、恐る恐る中を覗き込むと色んな人達でそこそこ賑わっていた。
端から見たら不振人物。挙動不審になりながらも俺は、役所内を見回しながら中に入る。すると入り口付近に立っていたお姉さんが話し掛けてきた。
「こんにちは。本日はどのようなご用件でしょうか?」
片側にみつあみをした、落ち着きのある雰囲気をした大人の女性。左側の目元にあるホクロがなんかエロい。
「あの、家に帰りたくて……地図はありますか?」
「道に迷われた方ですか。それは大変でしたでしょう。どうぞこちらに」
導かれて連れていかれたのは、額縁に飾られた地図の前。かなり大雑把に描かれたもので、川の流れと森林、町のような場所が二ヶ所。それに境界線のように続く壁。なんだこれ。
問題はもう一つ。文字だ。日本語でも英語でもないミミズ文字。なんて書いてあるか全然わかんねー。
やばい、泣けてきた。
「この町の名前はエグパーニャ。この場所がそうです。街道を通ってこちらに行けばローベルトへ。こちらに下がればカナル村に行けます。どちらに行かれる予定でしたか?」
その二択しかないんすか。そうですか。
「世界地図とかありませんか?」
俺が知らないだけで、実際にこの町は地球上の何処かにあるのかもしれない。そうだ、まだ希望は捨てるな俺!
「世界、地図ですか。そのような大きな地図は大きな街にある図書館にいかないとありませんね。一般の方は使わないので」
マジかよ。どんなけ田舎なんだ此処は。いくらなんでも世界地図ぐらいあるだろ、役所なんだから。
頭が痛くなってきた所で、一つ疑問だった事を聞いてみる。
「この壁みたいなのはなんですか?」
「国境です」
「こ、国境っ!? あっちの国はなんて名前ですか?」
国境があるという事は、大きな大陸に違いない。他の国の名前が有名ならば、どこら辺にいるのか少しはわかるかも。
しかし俺の希望は呆気なく粉砕される。
「彼方の国の名はアジェルニャ。キャットシーの国です」
「キャット、しー?」
「……猫人族の事です」
周りに聞こえないよう、囁くように呟いたお姉さんの口から聞き慣れない言葉が出た。キャットはわかるが、なんだ猫人族って。
困惑する俺に、視線だけ動かし教えてくれた。
「貴方の右後ろにいる方がキャットシーです。本人の前でくれぐれも、猫人族と言ってはいけませんよ」
真剣な表情で教えてくれるのは有り難いが、チラリと振り向いた先にいたキャットシーと呼ばれた人……? を見て目が点になった。
目に入ったのは役所に来る前に見た、リアルすぎる猫のコスプレをした人。長い尻尾をふりふりさせ、楽しそうに笑う時は髭が揺れ動く。毛並みは日本猫特有のトラ柄。可愛い、小型だったら。身長は俺と同じぐらいありそうで、どう見てもデカすぎるキャットシーは、作り物とは思えない程にリアルだった。
「キャットシーの方は人懐っこい方と人見知りな方と、極端な性格で分かれていまして。キャットシーという種族に誇りを持ち、猫人族と言われると八つ裂きにされてしまいますので、ご注意を」
なにそれ笑えないよ。
キャットシーなんて種族いるか。現実にいたら即ニュース。そんなもんはファンタジーの世界にしか…………………ファンタジー?
その言葉を思い出して、また血の気が引いていく。
俺は確かに工事現場にいた。こんな所に連れて来られるとかありえない。誘拐か? と考えたが、誘拐なら監視役がいるはずだ。そんな奴見掛けもしないからな誘拐じゃない。俺の家金持ちじゃねーし。
思い出せるのは鉄骨が落ちてきた場面。死んだと思った。だけど目が覚めたら見知らぬ場所。おまけにありえないコスプレイヤーが溢れてる。
知らない場所、知らない土地、知らない種族。手をかざすだけで傷が治る魔法みたいなもの。口から火を吐いて肉を焼くトカゲ。
まるでファンタジー。いや、まるでじゃない。此処は、此処は……
「町長さんはいるか?」
役所の入り口から音と振動を立てて入ってきたのは、黄金に輝く鬣を逆立てた勇ましいライオン。二メートルはあるのかと思えるぐらいの巨体。鎧の下に隠されていてもわかってしまう、ムキムキの筋肉が勇ましい事この上ない。
手ぶくろだったら女子に人気に出るであろう、ふさふさの手からは鋭く光る爪。口から見える牙は、噛まれたら一貫の終わりだろうなと、簡単に想像出来てしまう。
そのライオンが、俺の隣にいたお姉さんを視界に捉え近付く。目付きが完全に肉食獣のそれで、ヤバイと直感した。
「キャットシーのクバイエズさん」
キャットしー? なんだそれ。さっき言ってたよな? 忘れちまった。確かあれだ。お姉さんが言ってた……
「猫人族!」
言った瞬間、隣にいたお姉さんの息をのむ声がした。そして目の前にいるライオンから、のし掛かるような威圧感が俺を襲う。
その威圧感が恐ろしくて顔を上げられず、目線だけを上げれば、
「………小僧ぉおおっ!! 今なんて言ったぁぁぁああああ!!」
吠えるように叫び、剥き出しに見えた牙がギラリと光ったと思ったら、俺の視界がぐにゃりと歪んだ。
「きゃああああっ!」
左頬に強い衝撃と足下が中に浮く浮遊感を感じたと思ったら、頭や全身にも強い衝撃が。
霞む視界に、ヒラヒラと枚散る紙。身体中に響く衝撃の痛みでピクリとも動かない俺に、役所の人が大丈夫かと呼び掛ける。答える事が出来ず、受付のカウンターから見えるライオンが雄叫びを上げるように叫んだ。
「俺はキャットシーだぁあぁああああっ!!」
……ああ、そういえば猫人族って言われると八つ裂きにされるだっけ? もっと早く思い出せ俺の脳みそ。
薄れ行く意識の中で、どうか八つ裂きにしないでください、悪気はなかったんです、見逃してくださいと、心の中で謝罪していた。