第九審
田中さんと三郎は大広間で会議が終わるのを待つらしい。他の従者達も大広間で待つ様だ。
監査官と事務官は女性に先導されて女性が出て来た扉をくぐる。扉の先は赤絨毯が敷かれた一本の真っ直ぐな廊下があった。左右が窓ガラスになっており、立派な日本庭園が見渡せる。まるで水族館の水中ドームの様だ。
廊下の先は観音開きの重厚な扉になっており、装飾は黒漆の地に螺鈿細工で桐と鳳凰が描かれている。
扉の先には絶景が広がっていた。赤と金を基調とした室内。部屋全体を桐の花が覆い、左右の壁には一匹ずつ大きな鳳凰が描かれている。圧倒的な色とモチーフのインパクトに目を奪われる。
会議らしく大きな長机がロの字型に据えられており、机は木材で出来ているのに琥珀の様な輝きを放っている。机の脚や揃いの椅子にも桐の花の彫刻が施されていてあまりの素晴らしさに溜め息が零れる。
机の上には等間隔に書類が並べられており、指定の席に着いて表紙を読むと『お盆期間の業務にあたって』と書かれていた。
「皆、忙しい中集まってもらって申し訳ない」
最後に閻魔大王が部屋に入って来ると全員が立ち上がる。閻魔大王が一際立派な椅子に腰掛けたのを確認してもう一度席に着く。閻魔大王の両脇には黒い箱が四個ずつ並べられている。
「さて、今年もお盆の時期がやってきた訳だが現世監査官、監査事務官の皆には特別任務の為にもお盆期間中も働いてもらうことになる。その代わりといっては何だが特別手当ては弾むつもりなので心置きなく任務に臨んでくれ」
特別手当てが出るのなら休日返上でもあまり苦にはならない。
自分は無償で物事に取り組める程人の善い人間ではないと真知子は自覚しているつもりだ。
対価があるのならそれに見合った働きをしようと思える。
「毎年説明しているが君達に依頼する任務は歴史的偉人達の護衛及び監視だ」
歴史に疎い真知子には偉人と言われてあまりピンと来ない。
「あ、あの、歴史上の偉人って例えば……」
「んー、有名どころだと織田信長とか」
「おっ……!?あんな強そうな人に護衛なんて要りますか!?」
日本人なら誰でも知っている有名人の名前に驚愕する。歴史に疎い真知子でさえもテストに出れば必ず答えられるくらいの偉人だ。しかも気性が荒い事でも有名な戦国武将。そんな人物に征将はともかく真知子の様な人間の小娘の助けが必要だとは思えなかった。
「偉大なことをやり遂げた人達だからその分色んな恨みも買っているからね。人の正義というものは立場でいくらでも変わるから」
成し遂げる物事の大きさに比例して犠牲も大きくなるものだ。犠牲が小さければ小さい程賢君と讃えられるが、どれほどの賢君といえども人の生涯に犠牲は付き物だろう。
「では各自配布した書類を各々よく読んで確認しておく様に。これより各支部ごとに偉人警護の抽選会に移る。北海道、東北地方から行くぞー」
用意されていた書類を皆手早く鞄に仕舞って、数人が立ち上がって閻魔大王の元へ向かう。
「毎年警護対象はくじ引きで決めてるんだ。近畿地方が呼ばれた時は真知子ちゃんもくじを引きに行ってね。くじを引くのは監査官の役目だから」
「……私、貧乏くじ引くのは得意なんですけど大丈夫てしょうか」
「………」
真知子の自己申告に流石の征将も顔を引きつらせた。
自慢ではないがここぞと言うときの運の悪さには自信がある。
じゃんけんはいつも一人負けだし、くじ引きをすれば大抵はずれの類を引き当ててしまう。
「次ー近畿地方ー」
「と、とりあえず引いておいで」
大きな不安を抱えながらも征将に背を押されて前に出る。
真知子の他にも十人ほど前に出て来る。
「引く順番は新人からだ。じゃあ、真知子ちゃん最初に引こうか」
こういう時も一番最初に当てられるのが真知子である。
くじが入っているらしい箱を閻魔大王が左右に振ってよく混ぜる。
おっかなびっくり箱に手を突っ込んでこれぞと思った物をゆっくりと引く。引いたくじを手に征将の元へ戻る。
「あけますよ……」
「うん」
真知子の後ろから征将も引いたくじの中を見つめる。
「日野……富子?」
くじに書かれていた名前は真知子が知らない名であった。後ろから覗き込んでいる征将に視線を向けると、征将はあー……と曖昧な表情を浮かべている。
「うん、まぁ、当たりと言えば当たりかな」
ということははずれか……と真知子はがっくりと肩を落とした。
全員がくじを引き終えて、引いたくじの内容を記録係に伝える。
「今日のメインはこれで終了だ。各々気をつけて帰ってくれ」
今日の会議およそ三十分で終了。コンパクトで良いが拍子抜けである。
早めに会議が終わったので勉強も兼ねて帰りにごはんでも食べて行こうということになり、早々に閻魔庁を後にする。帰り際に女性達に群がられた征将はどの誘いにも「また今度誘って下さい。」と笑顔で返す。断りもせず、次をちらつかせながら決定的な約束もしない。真知子は征将の言動を冷静に分析しながら、世の女性はこんな詐欺師まがいの男のどこが良いんだ。ああ、顔か。と冷めた自問自答をしていた。
現世に戻って個室の居酒屋に入り、席に通されるとお互いタッチパネルで適当に注文を入れる。時々田中さんの注文も入れる。
「ところで、日野富子って何をした人なんですか?」
注文が一段落ついた所でずっと聞きたかったことを聞く。征将はお手拭きを綺麗に畳んで横に置いて説明を始めた。
「日野富子は室町幕府五代目将軍足利義政の正妻で十年に渡る応仁の乱が起こるきっかけとなった人物の一人だよ。非常に金銭感覚に優れた人で戦の際にも敵味方関係無く貴族や武士相手に金貸しを行い、莫大な資産を築いた事でも有名だね。あとは自分の子供が死んだのを義政の乳母の所為だと言って流罪にしたり、義政の側室を追放したりとか。歴史好きの人達からは日本三代悪女の一人として数えられている」
「わー……」
しかしまだ気性が荒い武将とかを引くよりはマシだっただろうか……と真知子は何とか前向きに考えようとした。
「お盆期間は警護対象者が縁の土地なんかに挨拶に行くことが多いからこまめに水分を取る事と日焼け止め、日傘は忘れない様にね。結構動き回るからラフになり過ぎない程度に楽な格好をした方が良い。特に靴は履き慣れたものが良いと思うよ」
水分補給の心配だけではなく日焼けと靴の心配までする征将の女子力の高さに呆気に取られる。
「滝さんっていつから事務官の仕事をしているんですか」
大抵のことは征将に聞けば答えが返って来る。仕事の計画、遂行にも無駄が無い。それに立場的には上司になるが新米の真知子への説明も対応もスマートだ。元々能力が高いというのも大前提だが、それなりのキャリアを積まなければこんな対応は不可能だろう。
「俺が事務官にスカウトされたのは高校二年の時だよ。退職者が出た時その退職者が住んでいる地域から後任が選出されるんだけど、その時の適役が俺しかいなかったみたい。今年で二十七だから事務官の仕事は十年目だね」
「高校生の時からですか……」
去年社会人になった真知子は仕事を続けることの厳しさを理解しているつもりだ。職場の人間関係、仕事自体の向き不向き、様々な要素が絡み合った中でそれぞれの責任を負って仕事をこなすことの難しさを学んだ。
新卒は三年仕事を続けなければ次の仕事がなかなか見つからないと言われているが、それを知っていても真知子も半年は堪えた。
十年ものキャリアがあれば征将がこれほどまでに仕事ができるのも頷ける。
しかしやはり天はこの男に二物も三物も与え過ぎである。