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閻魔庁現世監査官  作者:
夏 悪女の帰還
7/30

第七審

 鼻孔をくすぐる甘く柔らかい香り。肺一杯に息を吸うと何とも言えない幸福感に満たされる。

 そして温かく心地のいい物に体を包まれていてとても気持ちがいい。心行くまで眠れたお陰と瞼の向こう側が明るくて自然と目が覚めた。

 だが意識がはっきりとしてきて真知子はどっと冷や汗をかいた。

 視線の先は見た事も無い天井が広がっていた。

 ゆっくりと起き上がって周りを見渡しても部屋に見覚えは全くない。真知子の部屋と違って物が少なくモデルルームの様だ。

 できれば同姓の先輩か同僚の家であってほしいと願うが、残念ながらクローゼットの前に掛かっているハンガーには男物のスーツが掛かっている。

 幸いというべきか真知子の服装は昨日着ていたものだ。恐らく間違いは起きていないのだろうが状況証拠は限りなく黒に近いグレーだ。

 ベッドの上で頭を抱えていたらドアの向こうから破裂音が聞こえてきて、真知子は思わず反射で顔を上げる。

 真知子は恐る恐る抜き足でドアに近付いてそっとドアを開ける。

 「だーかーらー、朝飯は真知子が起きてからにしようぜ。そしてお前はそろそろ諦めろ」

 「いやー、諦めるのはまだ早いと思うんだよね」

 ドアの向こうから聞こえて来たのは最近聞き慣れた声で、真知子はほっと胸を撫で下ろした。

「………お、おはようございます」

 髪を手櫛で整えながらリビングに出て行く。

 リビングに面したキッチンでは部屋着姿の征将と少し離れたソファの上でお座りをしている田中さんがいた。

 「おはよう真知子ちゃん。気分悪く無い?」

 朝から爽やかな笑顔は完璧だ。

 「気分は全然大丈夫です。あの、でも昨日のこと途中から覚えて無くって……」

 おずおずと真知子が征将を見上げると征将はいつもの笑顔を浮かべて答えてくれた。

 「ここは俺の家。昨日真知子ちゃん深酒しちゃって家まで保ちそうになかったから俺の家に連れて帰ったんだよ」

 あまり酒で失敗したことが無かったので昨日の醜態を聞くべきか非常に迷う。しかしそんな悩みは無用だった様で、頼みもしていないのに田中さんがぺらぺらと説明してくれる。

 「お前飲み過ぎてその場から動けなくなって、動かそうもんなら吐いて凄かったぞ。しかも昔の男の愚痴を延々繰り返すし」

 「ひぃっ!!?」

 またもや全身から血の気が引いた。一縷の望みを賭けて征将の方へ視線を向けるが征将は珍しく苦笑を浮かべている。

 「何事も溜め込むのは良く無いよ」

 征将のフォローが痛い。思わず右手で額を覆った。

 どうやら胃の中も元彼への罵詈雑言も全て吐き出してしまったらしい。

 「落ち込むのも良いが、まず一宿の恩義を果たせよ真知子」

 「何をすればよろしいでしょうか……」

 軽やかにソファから田中さんが降り立ちキッチンの方へ向かう。

 「征将のテロを阻止しろ」

 視線をキッチンの方へ向けると口を開けた電子レンジの中が目に入り、真知子は戦慄した。

 電子レンジの中は黄色と白の物体が三百六十度派手に飛び散っている。

 キッチンは洗練されたデザインを冒涜しているかのように汚かった。何をしようとしたのか理解に苦しむが、夥しい数の卵の殻の残骸が転がっているのでおそらく卵料理をしようとしていたのだろう。だが、フライパンには真っ黒な炭素と化した謎の物体が煙を上げており、水を張った行平鍋には割れた卵が中身を垂れ流しながら漂っている。

 寝起きの身にはこの光景は刺激的すぎる。

 「なにこれ」

 「征将のわくわくテロリズムキッチンだ」

 テロと聞いて先程は何の事だと思ったが、これは紛う事無きテロである。

 「こいつは大抵のことは器用にこなすが体育以外の技能教科の実技が昔から壊滅的でな。料理をすればキッチンは爆心地と化し、絵を描けば絵の中のものは狂気の沙汰だ」

 「失礼な。ちょっと人類の先を行き過ぎただけだよ」

 「お前は先を行き過ぎて崖から落ちてんだよ」

 惨状が分かっていたのに何故彼を止めなかった……と絶望的な眼差しを田中さんに向ける。田中さんはふすぅ、と鼻で大きく息を吐く。

 「諦めるのはまだ早いと言って聞かねぇんだよ。それ言い出して何年経つんだか」

 周りの人の為にも早く諦めて欲しいものだ。

 朝の起き抜けにこの惨状の後片付けに加え朝食を作るのは非常に辛いものがあった。

 壊滅的な料理の腕だとしても彼の顔面偏差値ならばあばたもえくぼなのだろう。寧ろ、ちょっと不器用な所に乙女心とはくすぐられるものだ。イケメン恐るべし。

 大きく溜め息をついて真知子は気合いを入れる。

 頭が痛いのは二日酔いのせいなのかどうか真知子には分からなかった。

 しかし意を決して台所に足を踏み入れた瞬間、玄関の鍵を開ける音がして次いで扉を開ける音がした。

 「おっ、お客さん……?」

 征将と田中さんの方へ向くと征将は両手で顔を覆い、田中さんは急にふいと明後日の方向を見つめるので何となくこの先の展開が読めてしまった。

 とたとたと軽やかな足音が近付いて来てそれに比例する様に真知子の心臓のリズムが大きくなる。

 「ゆきくーん?どーして電話に出てく、れ、ない……の……」

 リビングに入って来たのは茶髪のセミロングを内巻きにした女の子だった。くりっとした茶色い大きな目にふっくらとした唇と可愛らしい鼻が行儀良く小さな顔の中に収まった西洋のお人形の様な女の子だ。

 そんな彼女がリビングに入って来て真知子と征将の姿を見ると笑顔のまま固まってしまい、持って来ていた食料が入っていると思しき袋がどしゃあ!と足下に落ちた。

 「えーっと……あの、」

 重苦しい雰囲気に耐えかねた真知子が声を掛けると女の子の顔はみるみるうちに怒りで真っ赤に染まる。

 つかつかと真知子の方へ無言で歩いて来て逃げようとしても蛇に睨まれた蛙の様に動く事が出来ない。

 「信っじられない!!サイッテー!!!」

 「ぶっ!?」

 「真知子ちゃん!」

 女の子は大きく振りかぶって真知子の左頬を思いっきり張り倒した。

 べちーん!と身震いする様な音が室内に響き、女の子はふんっ、と荒く鼻で息を吐くと握っていた鍵を物凄い勢いで征将の方へ投げるが、征将は難なく避けて鍵はソファに着地した。

 「地獄に堕ちろ!」

 最後にドスの効いた声で捨て台詞を吐き、くるりと踵を返して部屋を出て行った。

 「……どちら様でしょうか」

 「取りあえずほっぺた冷やすのが先だよ!」

 血相を変えた征将が爆心地の様な台所に駆け込んで手早く氷水の袋を作った。

 タオルで包んで渡された氷水を頬に当てると熱を持った頬の痛みが若干引いた気がした。

 「半年前くらいに付き合ってた元カノなんだけどあっちが浮気して別れたんだ。でも最近浮気相手と上手くいってないみたいで」

 浮気相手と上手くいっていないから元サヤに収まりたいということか。

 征将にとっても真知子にとっても迷惑な話である。

 「巻き込んじゃってごめんね」

 しかし顔面偏差値がすこぶる高い征将に眉をハの字にして謝られてしまえば呆気なく許してしまう真知子は自分のことを実に安上がりな女だと再認識した。

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