表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
閻魔庁現世監査官  作者:
春 終わりと始まりの季節
5/30

第五審

 小春を家まで送り届けて真知子と征将は帰路に着く。

 「小春ちゃん大丈夫でしょうか……」

 「一応三郎を小春ちゃんの家の前に置いて来たから、何かあったらすぐに知らせてくれるよ」

 「え」

 振り返ると小春の家の前に見覚えのある骸骨が夕焼けの中こちらに手を振っていた。その光景に背筋が粟立ったのは言うまでもない。

 「このまま閻魔大王と菊田さんに報告しに行こうか。菊田さんに聞けば男の正体が分かるかもしれないし」

 「そうですね」

 今日の調査は一旦切り上げ、二人は閻魔大王に報告するため六道珍皇寺へ向かった。


 「それは恐らく私の甥です」

 閻魔庁に出勤して今日見聞きしたことを閻魔大王と菊田に報告すると謎の男の正体は菊田によってあっさりと分かった。

 菊田は眉間に深い皺を刻み、事の次第を語り始めた。

 「甥の順也じゅんやは定職に就かず家に引きこもり、酒と博打に明け暮れて膨大な借金を抱えています……彼の母親である私の妹は心を病み、自殺しました。順也が目を覚まして自らの足で自分の運命と向き合ってくれることを私は望んでいましたが、順也は只管金の無心をするばかりでした。小春ちゃんに付きまとっているのも私の遺産が目当てなのでしょう」

 金は人類最大の災いの元である。莫大な金は権力を呼び、果ては戦を呼び込む。しかし、金は飢えを救い、文化を築く礎となり人の心を豊かにすることもできる。バランスが非常に難しいものである。太古の昔から人を、運命を狂わせる。

 「私の遺産は弁護士に託した遺言通り慈善団体へ寄付された筈です。探しても、もうどこにも無いんです」

 菊田にとっても苦渋の決断であっただろう。

 彼に遺産を遺してやったとしても結局はその場凌ぎでしかない。彼が気付かない限り金を用意しても意味が無い。

 菊田は彼に金を遺すのでは無くこれを機に自分の足で立ち向かってくれることに賭けたのだろうが賭けは失敗に終わってしまった。それどころか奥さんと大切に慈しんで成長を見守って来た小春に危害が及ぼうとしている。

 そして甥の順也は無いものを追い求めて人の一線を越えようとしている。何と虚しい事だろう。

 正しい答えなんて誰にも分からない。出した答えの正しさが分かるのは思った以上に先だ。それでも今自分が信じた道を行くしか無い。

  やることはもう決まっている。

 「……私たちの仕事はケンタの心残りをなくしてここに連れて来ることです」

 重たい沈黙の中、静かに真知子が小さく口を開いた。

 三人の視線が真知子に集まる。

 「その為にも、必ず小春ちゃんを護ります。」

 どうか菊田が選んだ答えが、自分が選んだ答えが、自分達にとって正しいと思える様にと真知子は一つの決意を決めた。


 「………」

 「真知子ー?あんた今日休みなのー?」

 月曜日の朝、真知子はベッドの上で固まったまま大量の冷や汗をかいていた。

 自分がいつも出勤している時間に目が覚めたからだ。もちろん今日は祝日でも無く有給でも無い。普通の出勤日だ。

 「わああああああ!!!」

 布団を蹴飛ばしてこれまでに無いほどの反射神経で起き上がる。

 「何で起こしてくれなかったんですかー!!」

 窓際で朝の光を浴びながらくありと大きく欠伸をしている田中さんに八つ当たりをする。

 「携帯のアラーム三回も鳴ってたのに全部止めてたじゃねーか」

 「うそっ!」

 「嘘言ってどーすんだよ」

 大急ぎで最低限の身形を整えて急いで仕事へ向かう。

 普段ならバスで職場に行くのだが、バスでは到底間に合わないので車で職場へ向かう。

 職場は中京区にある。職員用の駐車場は無い為コインパーキングに停めることになるがこの際仕方無い。


 なんとか始業三分前にデスクに辿り着いた。職業的に日を跨ぐ様な残業も珍しく無い為時間に厳しい会社では無いが、遅刻で職場での信頼を落としたくは無い。

 椅子に座って息を整えながら今日の仕事の段取りを考える。

 「あのぅー小野さん……」

 「はい?……ぎゃあああああ!!?」

 名前を呼ばれて振り返った真知子は叫び声を上げて椅子から転げ落ちた。周りの人達が真知子の叫び声に驚いて目を丸くさせてこちらを伺っている。

 真知子を呼んだのは三郎であった。まだまだ不意打ちで現れると驚いてしまう。

 「お、小野ちゃん、大丈夫……?」

 「あ、はい!大丈夫です!座り方が悪かったみたいで!」

 恐る恐る真知子を心配してくれるが苦し紛れに笑って誤魔化す。

 「驚かせてしまって申し訳ありません……」

 「いえ、こっちこそ慣れなくてすみません……」

 表情は全く分からないが、漂う雰囲気と語調から察するに恐らく落ち込んでいるであろう三郎に小声で謝る。

 「あの、他の人には……」

 「はい。他の方に私の姿は見えていませんよ。小野さんだけに見えるように調整しています」

 「そうですか……」

 そこまで配慮してくれたのならもっと自分が驚かない様な配慮をして欲しい……と真知子は自分勝手に思った。

 「それでどうしたんですか?三郎さん小春ちゃんに着いてくれてた筈じゃ……」

 「いえね、話しだと男は夜だけ様子を伺っていた筈なんですが、どうやら朝から小春さんを付け回している様で」

 「ええ!?」

 また大声を上げてしまい、再び視線を集めてしまう。

 しかし事は急を要する。幸か不幸か今日は車で出勤している為最短時間で小春の元へ駆けつけられる。

 真知子は意を決して立ち上がった。

 「木之下部長!」

 「お、おう!?」

 真知子の様子を伺っていた部長のデスクの前に行き、勢い良く腰を九十度に折る。その動作だけで部長は驚いて肩を跳ねさせた。

 「すみません!体調が優れないので病院に行って来てもいいですか!?」

 はっきり元気良く言い切った所でもっと体調が悪そうに言うべきだったと気付いたが、部長はぶんぶんと首が取れそうな勢いで了承してくれた。

 「うんうん!早く病院に行った方が良いよ!何なら今日は休んでも大丈夫だよ!?」

 「大丈夫です!ではすみませんが行ってきます!」

 鞄を引っ掴んでオフィスを飛び出す。

 「……僕、小野さん働かせ過ぎたのかなぁ……」

 木之下部長が不安げな表情で呟いたことを真知子は知らない。


 車の助手席に三郎を乗せ、真知子は出来る限り車を飛ばした。

 「いた!!」

 小春の家へ向かう途中に、小春と昨日定食屋で見かけた痩せこけた男がいた。

 順也は小春の目線に合わせてしゃがんで小春の腕を掴んで何かを問いつめている様子だった。小春はしきりに首を振っている。小春の横ではケンタが物凄い勢いで吠え立てているが、霊魂のケンタの声は小春にも順也にも聞こえていない。

 法定速度ギリギリで走っていた車を急停止させた。

 「あががが!!」

 肋骨にシートベルトが食い込んでしまったらしく助手席の三郎が奇声を上げている。

 奇声を上げる三郎を無視して真知子は二人、否、順也に向かって全速力で駆けて行く。

 「どおりゃあ!!!!」

 「ごふっ!!?」

 全身の体重を掛けて順也に体当たりを食らわせる。派手に真知子と順也が道路に倒れ込んだ。

 先に起き上がったのは真知子の方で、起き上がったと同時に急いで小春の元へ向かう。

 できるだけ順也から距離を取り、小春を背の後ろに庇う。

 「ってェ……何すんだこのアマァ!!」

 腹の底からの怒声にびくりと体が竦む。しかし退く訳には行かない。できるだけ眼力を込めて順也を睨みつける。

 「そのガキこっちに寄越せ!!」

 「寄越す訳ないでしょ!?」

 「テメェ!!」

 順也が拳を振り上げ、真知子はぎゅっと目を瞑って歯を食いしばる。

 だが、想像していた衝撃を真知子が襲う事は無く、代わりに風が頬を撫でた。

 「ぐぅっ!!?」

 順也のうめき声が聞こえ、そろりと目を開けると目の前にいた筈の順也は征将に押さえ込まれていた。技が余程綺麗に決まっているのか、順也はびくとも動いていない。

 「暴れると骨折れますよ?」

 「っ!!?」

 いつもの甘ったるい声からは想像もつかないほど低く冷淡な声音で忠告する。

 「真知子ちゃん、警察に連絡入れてもらえる?」

 「は、はいっ!」

 自分にしがみついて震えている小春を宥めながら警察に電話を入れると程なくして二人組の警察官が駆けつけてくれた。その間も小春は真知子から離れず、ケンタも心配そうに小春に寄り添っている。

 事実と脚色を上手に織り交ぜながら征将が事情を説明し、順也を引き渡す。

 「あの、順也さん」

 両脇を警察官に固められ、パトカーに乗ろうとしていた順也に真知子が声を掛ける。

 「菊田さんの遺産は慈善団体に寄付されたそうです」

 「そんなわけあるか。絶対どこかに隠してるに決まっている」

 「あの人がお金を隠す様な人に見えますか?甥であるあなたならよくご存知でしょう」

 「…………」

 順也が押し黙る。

 老いても尚曲がらぬ背筋や芯の通った声と力強い瞳が菊田良久という人物をよく現していた。あの老人が、金銭を隠す様な人物には見えなかった。ましてや極楽に行ける様な人だ。真知子だけでなく、閻魔大王並びに十王達のお墨付きである。

 「今お金を遺しても遠く無い未来にあなたはまたお金に困るでしょう。そんなことを繰り返して欲しくないから、菊田さんはあえてあなたに遺産を遺さなかったそうです」

 菊田の思いが、真知子の言葉が、彼に届くかどうかは分からない。

 だが、どうか届いて欲しい。

 釈然としない表情を浮かべながらも順也は大人しくパトカーに乗り込んだ。

 「小春ちゃん大丈夫?何もされてない?」

 小春の目線に合わせて真知子がしゃがむと、小春は未だに不安そうな表情を浮かべながらもこくりと小さく頷いた。真知子と征将はここでやっと安堵の息をついた。

 「大事に至らなくて良かった。ケンタに感謝だね」

 征将が大きな手で小春の頭を撫でる。

 「ケンタ?」

 涙で潤んでいた大きな瞳が征将を見上げると、征将はにこりと笑って小春の目線にしゃがみ手を翳す。

 そっと翳していた手を外した征将はたおやかなな所作でケンタの方を指し示し、小春の視線を導く。

 きょとんとした表情で小春は征将の手を追ってその手の先にいるケンタを見つけた瞬間、瞳を大きく見開いた。

 ケンタを見つけた瞬間の小春の表情はまるで大輪の花が一気に綻ぶ様だと真知子は思った。

 「ケンタ!!」

 小春はケンタに抱きつき、やっと小春に見つけてもらえた嬉しさからか、ケンタはぶんぶんと千切れそうなくらいに尻尾を振っている。

 「ケンタは菊田さんと一緒に事故で亡くなったけど、小春ちゃんが心配で亡くなってからもずっと小春ちゃんの傍にいてくれたんだよ」

 小春の瞳からぼろぼろと大粒の涙が流れる。

 「……っ、ありがとぉ」

 亡くなっても尚小春を思い続けたケンタ。

 拾ってくれた恩に報いたい気持ちと、主人が大切に守って来た子供を守りたいという強い思いを抱いて現世に留まり、その思いを遂げてケンタは小春を守った。

 思いを遂げることのできたケンタは心残りが無くなったお陰か、空気に溶けるように姿を消した。

 小春はずっと泣きじゃくりながらありがとぉ、と繰り返していた。

 初めて担当した仕事がこの件で本当に良かったと真知子は思った。

 純粋な互いを思い合う気持ちに触れ、失恋でささくれだっていた心がほんの少しだけ満たされた気がした。


 事態が粗方収まり、昼から職場に戻って仕事をしているとメールを受信した。差出人は閻魔庁からで今日の日没後出勤して欲しいという旨だった。その数分後に征将からのメールを受信し、一緒に六道珍皇寺まで行こうという内容であった。まだ一人で出勤するのは心もとなかったので、よろしくお願いします、と返信した。


 十九時過ぎに閻魔庁に出勤すると、閻魔大王の執務室には菊田とケンタがいた。

 「ケンタ!」

 今朝会ったばかりなのにケンタの姿がひどく懐かしく感じた。

 真知子の顔を覚えたのか尻尾を振って真知子の元へ駆けて来る。

 それと同時にソファに腰掛けていた菊田が立ち上がって二人に頭を下げる。

 「小野さん、滝さん、この度は本当にありがとうございました。」

 「いえ、とんでもないです!」

 ケンタを撫でていた手を左右に振る真知子。

 「全て閻魔様から聞きました。ケンタのことも、小春ちゃんのことも、そして順也のことも、どれだけお礼を言っても足りません」

 菊田の声が少し震えていた。


 そして菊田とケンタは極楽浄土へと旅立ち、菊田の妻との再会を果たしたと後日閻魔大王から聞かされた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ