第四審
真知子も征将もそれぞれ仕事があるので冥界の仕事は自ずと土日か現世の仕事が終わってからになってしまう。今回は特に締め切りを切られていないのが幸いだ。
翌日の日曜日はとりあえず丸一日を調査に回すことになった。
菊田の生前の住所は上賀茂の方だった。
「おはようございます」
「おはよ」
日曜日の朝十時に征将が迎えに来るというので真知子は少し早めに外に出て征将を待っていた。
家族に征将と一緒の所を見られてしまったらどう言い訳すればいか分からないからだ。家から少し離れた所で征将を待ち構えていると、待ち合わせの時間の五分前に征将がやって来たので征将の方へ歩いてできるだけ家から遠ざける。
ちなみに田中さんは昼日中で征将もいるので小野家の警備(と言う名の自宅警備)をするそうだ。
今日の移動手段はバスだ。車を使ってもいいのだが交通の便が悪い所でもないのでバスの方がいいだろうということになった。
最寄りのバス停へと向かいながら京都市内の地図を広げる。
「とりあえずご自宅の周辺で聞き込みをしてみようか。人間と妖怪両方に聞いた方が良いね」
「えっ」
思わず心の声が漏れてしまって慌てて手で口を塞ぐがもう遅い。征将が苦笑を浮かべた。
「真知子ちゃん怖いの嫌いだもんね」
既にビビりだということがバレていて恥ずかしい。
昔から人一倍怖がりでホラー映画や心霊スポットはもちろんのこと、暗い所やトイレも苦手だった。情けないことに未だに眠る時も豆電球をつけている。
「妖怪っていっても人間と一緒で悪い奴ばかりじゃないからさ。それに俺も一緒だし大丈夫だよ」
悪い奴ばかりじゃないのも分かっているつもりだが理解していても心はなかなか追いつかないものである。
真知子の家からバスで三十分、生前菊田が住んでいた家に辿り着いた。昔ながらの和風の一戸建ての家屋。家の垣根になっている金木犀が青々と茂っており、玄関の上には矍鑠とした文字で「菊田良久 文子」と書かれた表札が掛かっている。
今は家主がいない所為か家の雨戸は全て締め切られていた。
「まずはケンタの生死確認だね」
もしかしたらケンタが生きているという可能性もある。
門扉を開けて玄関脇に置かれた犬小屋を確認するがケンタは見当たらない。庭の方に回ってみると庭の奥に小さな土饅頭が作られ、その前にタンポポとシロツメクサで作られた小さな花束と燃え残った線香が置かれていた。土饅頭に立て掛ける様にして置かれた板には『ケンタのおはか』と書かれている。
「ケンタやっぱり菊田さんと一緒に亡くなってたんだ……」
飼い主と一緒に逝けて幸せなのかもしれないが、真知子としてはやっぱり生きていて欲しかった。
ケンタの墓の前で真知子と征将は膝をついて静かに手を合わせる。
菊田の家を出て近所を歩いていると買い物帰りの年配の女性がいた。
「あの、すみません」
女性に声を掛けると面倒くさそうな表情をして振り返ったのも束の間、征将を見た途端頬を赤らめる。
「な、何かしらっ?」
「私たち菊田良久の親戚の者なんですけれども、ちょっとお伺いしたい事がありまして……今お時間よろしいでしょうか?」
「ええ!」
眉をハの字に下げ、少しだけ首を傾げるあざとさ。顔の良さに加えそんな技を繰り出されてしまったら一般人はたまったものではない。案の定女性は快く質問に応じてくれる。
「叔父の飼い犬のケンタの墓前に誰か参りに来て下さっている方がいる様でしてその方にできればお礼を言いたいんですが、どなたかご存知ではありませんか?」
「ああ、それなら小春ちゃんよ。菊田さんの二軒隣の吉野さんところのお子さん。子供のいない菊田さんと奥さんがとても可愛がっていて、小春ちゃんもよく懐いてたわ。ケンタを拾ってきたのも小春ちゃんで、お父さんが動物アレルギーで飼えなくて困っていたら菊田さん夫妻が引き取ってくれたのよ」
ご近所付き合いが希薄になってきている昨今でなんとも心温まる話ではないかと真知子は涙腺が緩みそうになっているのを必死で堪えた。
「いつも朝と夕方にお墓参りに来てる様だけど……」
「そうですか。ではこの辺りで少し待ってみます。お時間を取らせてしまって申し訳ありませんでした」
「いいのよいいのよ。気にしないで!」
聞き取り調査で真知子が得た情報はケンタが菊田と一緒に死んでいることと吉野小春という少女の存在、そして美形は人類最強の人種だということだ。
小春の帰りを待つ間、近所にいる妖怪への聞き取り調査を行うことになった。
「妖怪って夜じゃなくてもいるんですか……?」
「いるいる」
「…………」
できれば否定して欲しかったのにあっさりと肯定されてしまった。
「まぁ活発には動けないから場所は選ぶけど」
そう言いながら征将は何故か賀茂川の遊歩道に降りて行く。
賀茂川は高野川と交わってかの有名な鴨川となる。鴨川といえばカップルが等間隔で並んでいちゃつく聖地として有名だが、それは鴨川の中でも三条から四条の間が主である。三条より北に行くと四季折々の自然を楽しむ為の親子連れやランニング、ウォーキングに勤しむ人達が多くなる。上賀茂まで北に行けば自然が色濃くて人波もまばらになってくる。
征将は遊歩道に降りて北へ向かって歩く。暫くすると橋が見えてきて遊歩道は橋の下をくぐるようになっている。元々暗い所が苦手だからかどうかは分からないが好んで通りたいと思う所ではない。
「ちょっと失礼」
「へっ?」
橋の下に入ると短く前置きをして征将が真知子の背丈に合わせて屈んで手を真知子の眼前に翳す。
ぶつぶつと良く聞こえないが何かを小さく唱え終わると翳した手が外れる。
「何をしたんですか?」
「真知子ちゃん妖怪見えないから妖怪見えるように術かけたんだ。手を繋いだりしてても良いんだけど、いざというとき手が使えないのは不便だしね。一日経つと効果は切れるから」
妖怪は見えなくてもいいが、征将と手を繋ぐとあらゆる年代の女性から敵視されそうなのでありがたい。
「おーう征将、昼間っからこんな所で女連れて何してんだー?」
「うわあああ!!?」
いきなり足下から声が聞こえて反射で足下を見ると全身緑色で皿を頭に載せ、短い嘴を持った生き物がいた。驚いた真知子は目にも止まらぬ速さで飛び退き、征将の背中に隠れる。
「元気な嬢ちゃんだなぁ。征将の新しいカノジョか?」
「違うよ。俺の新しい上司。先日着任された小野真知子監査官だ」
背中に隠れた真知子に苦笑を浮かべながら征将が訂正を加える。
「真知子ちゃん、こちらは河童の喜一郎さん」
「ど、どうも……」
征将の背中からいかにも怖々な様子で真知子が頭を下げると、喜一郎は呵々と笑う。
「気をつけろよ嬢ちゃん。本当に怖いのは俺ら妖怪なんかよりこの色男だぞ」
「職場の仲間に手を出す程バカじゃないよ」
「…………」
田中さんや三郎だけでなくそこら辺の妖怪にまでこの言われ様。一体何をしてきたんだと思いはするが、聞いて普通に接する自信が無いため真知子はあえて聞かない。
「で、地獄の監査官殿と事務官殿は何調べてんだ?」
どうやら喜一郎は本題が気になっていた様で世間話も適当に切り上げてにやつきながら本題を切り出してきた。
「閻魔庁の仕事で犬の霊を探しているんだ。最近見かけてないかな」
「犬の霊?それなら見たぞ」
「ほ、本当ですか!?」
まさかの有力情報に真知子が身を乗り出す。
「ああ。犬の霊っていうのは珍しいから印象に残っててな。多分お前さん達が探している犬だろうよ」
古来より猫は霊的能力を持ち、きちんと供養しなければ祟ることで有名である。その為妖怪に転じたり悪霊となり人を祟るといった話しがそこらかしこに転がっている。
対して犬は個体差はあれど従順な性格が主だ。特に自分が主と認めたものには忠実である。運命という命の主に対しても犬は従順に従う。その為、犬の霊というのは珍しい。
「なんか人間の子供の近くをうろちょろしてたが」
思わず真知子と征将が顔を見合わせる。一日目にして予想外のスピード進展だ。
「ありがとう。また胡瓜差し入れに来るよ」
「たまには生きた人間を食べたいんだがな」
「今時の人間は良いもの食べてないから止めておいた方が良いって」
「…………」
その止め方は如何なものか。
まだ夕方まで時間がある為近くにあった定食屋に入って昼食を取る。普通の民家の一階を店舗にしたような造りで、内装もおしゃれとはほど遠く実用性重視である。客層は寝起きの男子学生か休日に暇を持て余した近所のおじさんがほとんどで真知子と征将はかなり浮いていた。
向かいの席に座る征将を見てこれほどまでに定食屋が似合わない男もなかなかいないだろうと真知子は思った。征将は料理を運んで来たおばちゃんにまで「お兄ちゃんイケメンだねぇ。」と褒められていた。
「でも何でケンタは小春ちゃんの所にいるんでしょうか」
トンカツ定食を頼んだ真知子は少々量が多いのも気にせずに大きな口でぱくぱくとテンポ良く食べて行く。甘くコクのあるソースと衣がサクサクのトンカツ、出汁のきいたおあげさんと豆腐とわかめの味噌汁、そしてほかほかの艶やかなごはんを頬張ればこの世はたちまち天国だ。ちなみにご飯の量は征将と同じ中盛りである。
身長は小さいが真知子はよく食べる。それだけ食べて横にも縦にも行かないなんて燃費悪過ぎじゃない?とさわちゃんに言われたこともある。
がっつりの真知子に対し征将は刺身定食を頼んでいた。料理を運んで来たおばちゃんが間違えたのは言うまでもない。
「小春ちゃんに対して何か強い心残りがあったんだろうね」
綺麗な箸遣いで刺身にわさびをのせる征将。
ケンタは心残りが消えない限りあの世へは行ってくれないんだろう。
相手は霊とはいえ犬なのでいくら征将と言えど意思の疎通は難しいだろう。もちろん真知子も犬と話せない。
トンカツを口一杯に頬張りながらどうしたものかと思案に耽っていると定食屋の扉が開いた。
店に入って来たのは青白い顔の男だった。目は窪んで頬は痩けており、お世辞にも人相が良いとは言えない。入り口を屈んで入るくらいに長身でそれに比例するように顔も足も手も長い。生気が全く感じられず、まるで異形の骸骨が歩いている様に感じた。だが、骸骨でも三郎の方が生気を感じるくらいに男は死の匂いを纏っていた。
できるだけ目を合わせない様に視界に入らないように小さくなって残りの定食を食べる。あれだけ美味しかったトンカツの味が全く分からなくなってしまった。
変に跳ねている心臓を宥めながらもう一度菊田の家へと向かう。
「顔色悪いけど大丈夫?」
隣を歩いていた征将が真知子の顔を覗き込んだ。
「へ、あ……はい」
覚束ない足を無理矢理動かして菊田の家への道を辿る。漸く菊田の家が見えて来た所で門から小さな人影が出て来た。
菊田の家から出て来たのは小さな女の子だった。白のブラウスにデニムのジャンパースカートを着ている。年の頃は小学校低学年といったところか。黒々とした日本人らしい髪を肩の辺りまで伸ばし、真っ直ぐに揃えた前髪の下からは意思の強そうな丸い瞳が光を宿して輝いている。肌は少し焼けているが子供にしては白い方だろう。将来美人になることを約束された様な少女だった。
「あの子が小春ちゃんでしょうか?」
「だろうね」
征将が少女の方へ歩みを進めようとしたその刹那、
「っ!」
少女の背より現れた茶色い物体に行く先を阻まれた。よく見かける茶色の中型犬が少女を背にし、真知子と征将に向かって牙を剥いている。見た目は柴犬に近いが耳が垂れており、前足と後ろ足の先だけが白い靴下を履いた様になっている。閻魔大王から渡された資料の写真とそっくりだった。
「ケンタ!?」
少女と征将の間に躍り出た物体に思わず我を忘れて叫んでしまう真知子。少女は大きな目を丸くして真知子を見つめている。
「お姉ちゃんケンタを知ってるの?」
次は突然少女に話し掛けられて驚く真知子。
ここで肯定してしまっていいものか。あの世のことを無闇矢鱈に人に話すものではないとは真知子も理解している。しかし上手いごまかし方がすぐに浮かんで来ないし少女の純粋な瞳に見据えられるとどうも嘘をつくことに気が引ける。
真知子があたふたしていると征将がその場にしゃがんで少女と目線を合わせる。
「俺達は菊田のおじいちゃんの知り合いでケンタのお墓参りに来たんだ。庭に入っても大丈夫かな?」
少女は征将と真知子をゆっくりと見比べてこくりと小さく頷いた。慣れた手つきで菊田家の門扉を開けて征将と真知子を招き入れる。その間もケンタは少女の周りを護るように付いて歩いている。
「……あのケンタは霊なんですか?」
「うん。やっぱり彼女を何かから護っている様だね」
征将の術のお陰で霊の類が見える様になってはいるが見分けは付かない。
だが少女がまったくケンタに反応していないのを見る限り今側にいるケンタは幽霊だと分かる。
少女の後に付いて行って朝と同じ様にケンタの墓に手を合わせる。花が朝来た時と違い、菜の花とハルジオンが供えられている。
「君がケンタのお墓に毎日花を供えてくれてたんだね。ありがとう」
征将が穏やかに笑って少女に礼を言うが、少女は小さく頷くだけで警戒心の強い野生動物の様に征将の様子を伺っている。征将の無敵スマイルも子供には効きが悪いようである。
「お名前きいてもいいかな?」
「……知らない人には教えちゃだめ……」
美少女に掛かれば美形も不審者扱いになるらしい。それにしても律儀な子である。
「ああ、ごめんね。俺は滝征将。こっちのお姉ちゃんは小野真知子さん」
「……吉野小春」
こっちが一方的に名乗っても駄目だろう……と思っていたが、征将が名乗れば少女、小春はおずおずとしながらも自分の名を述べた。物事を額面通り受け取る子の様だ。ちょっと将来が不安になってしまう。
「小春ちゃん、最近小春ちゃんの周りで変な事起こってないかな」
小春の周囲で何か変化があったのならばそれがケンタが成仏しない理由である可能性が高い。
問われた小春は俯いて地面を見つめ、小さな両手をぎゅっと握り込んだ。
「…………こわい人がいる。夜になるとおうちを見てる」
小さな体がかたかたと震えている。小春の隣にいるケンタは不安そうに小春を見上げた。
夜中に自分の家を見つめているおじさんがいたらそれは恐怖であろう。
「どんな人か分かる?」
「背が高くて細いおじさん……ずっとこっち見てる」
真知子と征将が顔を見合わせる。その人物が恐らく原因だろうが、如何せん情報が少な過ぎる。
「お父さんやお母さんに言われてると思うけど、その人がどんな人か分かるまで一人で外出たりとかしないでね。何かあったら近くの大人に助けてって言うんだよ」
「うん……」
大きな征将の手が小春の頭を優しく撫でた。
一人で不安だろうが小春の隣にはぴったりとケンタが寄り添っている。ケンタが見えたら小春はどれほど心強かっただろうか。