表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
閻魔庁現世監査官  作者:
春 終わりと始まりの季節
3/30

第三審

 耳元で携帯のアラームがけたたましく鳴り響く。

 「………」

 眉間に深い皺を刻んだ真知子がアラームを止める。目を擦りながらのそりと起き上がり、暫くベッドの上で正座する。

 結局家に帰ったのは深夜の三時だった。

 昨日の記憶をなぞってみるがどう考えても夢オチだ。お酒飲み過ぎた……と真知子は背を丸め、土下座の様な格好になる。

 「お前はいつまで寝るつもりだ。さすがに腹減ったぞ」

 なんだか聞いた事のある声が聞こえて来てがばりと起き上がった。

 きょろきょろと周囲を見渡すと、田中さんがソファに寝そべって欠伸をしている。

 「ちょ、どこから入ったんですか!?」

 「猫舐めんな。ドアからに決まってんだろーが」

 「世の中ではそれを不法侵入と言うんではないでしょうか!」

 「バカヤロー。お前の身辺警護だ。征将の命令なんだよ」

 ベッドから立ち上がって田中さんを抱き上げ目線を合わせる。見た目通り重量感たっぷりだ。

 「いや、だからってうら若き乙女の部屋に無断で侵入するのは如何なものかと」

 「うら若き乙女は布団ふっとばさねぇよ。お前寝相悪過ぎだぞ」

 「…………」

 ぐぅの音も出ないとはまさにこのことである。

 「真知子ー?あんた起きてんのー?」

 「げっ」

 田中さんとの言い合いに夢中になるあまり、部屋に近付く母親の気配に気付けなかった。問答無用で部屋の扉を開けられる。

 「うわ!?あんた何その猫!でかっ!」

 部屋に入るなり田中さんを見た母が大声を上げて後ずさる。『仕事人』とプリントされた突っ込みどころ満載なTシャツを着ているが今はそれどころではない。

 「あんた酔っぱらって猫拾って帰って来たの!?どうせ拾って来るなら男拾ってきなさいよ!」

 「そっちの方がやばいでしょ!?」

 自分の親ながら言っている事がひど過ぎる。

 「とりあえず朝ご飯食べちゃいなさい。いつまでも片付かないんだから」

 母は言いたい事だけを言ってぴしゃりと部屋の扉を一方的に閉めた。

 日常と非日常に挟まれて、なんだかとても疲れる。


 リビングに降りると真知子の分の朝食だけラップを掛けて食卓に残されており、食卓の横の床には田中さんに用意したらしいねこまんまが置かれていた。

 「本当に大きい猫ねー。あんたこんな大きな猫抱えて帰って来るとかどれだけご機嫌だったのよ」

 「違うから。朝起きたら勝手に入って来てただけだから」

 床に置いたねこまんまを普通の猫の様に食べている田中さんを見つめながら母がしみじみと呟く。味噌汁を啜りながら真知子が否定するが多分聞いていない。

 「皆出掛けたの?」

 「そうよ。お父さんはバッティングセンターでおじいちゃんは筍掘り、おばあちゃんは牧田さんと遊びに行って、孝之は本屋さんに行ってる」

 母の話を聞きながら窓越しに見える良く晴れた空を見つめる。

 今住んでいる家は元は祖父母の家で、真知子達は父の仕事の都合で千葉に住んでいたのだが真知子が高校三年の時京都へ転勤命令が出た為家族揃って京都の祖父母の家へ越して来た。

 六人で住むには少し手狭だがよく使い込まれ、手入れの行き届いた祖父母の家が真知子は好きだった。

 玄関の扉が開く音がして足音がリビングに向かって来る。

 「ただいまー……って、なにその猫!でかっ!」

 近所の本屋のビニール袋を手にした弟の孝之が田中さんを見た途端に声を上げる。

 田中さんを見た時の第一声で嫌でも血の繋がりを感じさせられた。

 「真知子が酔っぱらって連れて帰ってきちゃったのよ」

 「ないわー。姉ちゃんないわー」

 「だから違うって」

 そろそろ否定するのが面倒になって来て適当に否定しておく。

 祖母が漬けた胡瓜のつけものをぽりぽりと齧っていると机の上に置いたスマートフォンが震える。着信用のランプが点滅しており、相手を確認すると昨日電話番号を交換した征将からだった。

 「うっ!ごほっ!?」

 食べていた胡瓜が誤って気管に入ってしまい盛大に咽せた。お茶で胡瓜を無理矢理流し込み、スマートフォンを引っ掴んで自室へ駆け上がる。

 「ごほっ、はい、お、小野です!」

 『おはよう。大丈夫?』

 「大丈夫ですっ!」

 まるで見透かされているかの様に電話口の向こうでくすくすと笑われる。

 『真知子ちゃん今日のご予定は?』

 「とくにありません!」

 『良かった。じゃあちょっと説明したいことあるし、午後から出て来れる?』

 「はい!」

 集合時間と集合場所を簡単に決めて電話を切る。

 会って間もない人と電話をするのは神経を使う。ただでさえ電話は苦手だというのに。

 はぁ、と溜め息をついて突然決まった外出に着ていく服をどうしようかと考え始めた。


 結局アイボリーのシャツワンピースにライムグリーンのカーディガンを合わせた。靴はバックリボンのパンプスだ。

 出掛ける時に格好を見た母と弟がデートかと聞いて来たのは余談だ。

 田中さんにも征将と出掛けると言ったのだが、「征将に食われない様に気をつけろよ」との助言を受けた。一応征将が主だろうにこの信用の無さはどうなのかと思う。

 征将が指定した店は真知子の家の近所にあるカフェが併設されている本屋だ。真知子の家からだと徒歩十分もかからない。店に到着して店内を見渡すと雑誌を立ち読みしている征将を見つけた。

 昨日のスーツ姿ではなくラフな私服姿だ。白のコットンシャツにカーディガン、ベージュのチノパンという非常にシンプルな装いだが、素材が優れている為そのシンプルさも彼の容姿を引き立たせる。

 現に周りの女性客や女性店員がちらちらと征将を気にしている。

 「あ、あの」

 小さな声で征将に声を掛けるとくるりと征将が振り向いた。真知子の身長は一五十センチだ。いくらヒールのある靴を履いていても成人男性のしかも長身の部類に入る男に見下ろされたら首が痛い。

 「こんにちは。ごめんね、いきなり外出て来てもらって」

 「いえ、何も無かったんで大丈夫です」

 征将は手にしていた雑誌を棚に戻し、カフェのスペースへと向かう。

 カフェはセルフサービスになっておりカウンターで征将はコーヒーを、真知子は紅茶を頼んで店内で比較的隅の方の席を選んで座る。

 「田中さん大人しくしてる?」

 「元気に猫まんま食べてましたよ」

 げんなりとした顔で真知子が答えると征将が小さく吹き出した。

 「お陰様で私、酔っぱらって大猫抱えて帰って来た娘という非常に不名誉な認識をされているんですが」

 真知子はじとりと恨めしそうな目で征将を見据えた。

 恐らく一週間後には面白おかしくご近所さんにまで知れ渡っていると思われる。

 「真知子ちゃん冥界の役人になっちゃったし、一人だと昼間はともかく夜は昨日みたいに襲われちゃうよ?」

 まるで今日の天気の話しをしているかの様な声のトーンで征将が物騒なことをさらりと言う。しかも綺麗な顔で穏やかな笑みを浮かべているのが怖さを増長させる。顔が良いから余計だ。

 「特別な権力を持つ人間っていうのは業界の人からしたら御馳走なんだよ。あ、業界の人っていうのは妖怪とかってことね」

 「……昨日のあれって妖怪だったんですか?」

 「そうだよ」

 目まぐるしい展開のお陰で今の今まで忘れていたが、改めて恐ろしい状況を淡々と説明されると全身の血の気が引いた。

 「力を持つ人間を食べる事で大きな力を得ることができるから昔からその手の事件はよく起きてる。未解決の神隠しとかは大体妖怪の仕業だよ」

 自分の知らない所で得体の知れない物が蠢いていたと知らされた時の衝撃は計り知れない。人生のどこかでもしも何かの選択を間違えていたら今この場にいれなかったかもしれないと思うと、体の震えが止まらない。

 「本来なら俺が付いていてあげるのが一番良いんだけど、俺も現世での仕事があるしそうもいかないから」

 「こちらでのお仕事って何をされてるんですか?」

 単純に謎だったので素直に聞いてみると、征将は非の打ち所の無い笑顔を浮かべる。恐らく営業用だ。

 「ジュエリーの営業をさせてもらってます」

 ああ、成る程。と納得してしまう。パズルのピースが上手に嵌る様な心地がした。

 彼の笑顔なら向かう所敵無しだろう。自分の長所を効率良く生かせる職業選択だなぁと感心してしまう。

 「真知子ちゃんはグラフィックデザイナーだよね?」

 征将に問われて思わずびくりと肩が跳ねてしまった。

 「へ、あ、はい。そうですけど……よくご存知ですね。」

 暗にどこで自分に関する情報を知ったかを探る真知子。名前と良い職業と良い、真知子は一言も自分の情報を言った覚えは無い。自分に関する情報が自分の知らない所で出回っているとなると心穏やかでは無い。

 「監査官を選定する時に閻魔大王が浄玻璃の鏡で候補者の行いを見て決めたんだ。無断で申し訳ないけど現世にいる君を探す為に俺も名前と現職を教えてもらって顔写真を見せてもらった。まぁ一方的に知ってるっていうのはフェアじゃないよね」

 征将が苦笑を浮かべながら種明かしをする。

 「代わりと言っては何だけど本当に何でも聞いて。あ、プライベートなことでも全然大丈夫だから」

 「…………」

 これか。これが田中さんが言っていたことか。と真知子は思わずドン引きしてしまった。

 もしも征将の顔面偏差値が普通以下だったら女子の総スカンを食らっていたことであろう。この発言は自分の顔面偏差値を正しく理解した上での発言だ。尚更タチが悪い。

 「いや、今は特に無いのでおいおいで……」

 「そう?」

 今までの真知子の人生でこんな人種に関わったことなど皆無だ。真知子にとって新人種みたいなこの男とこれからやっていけるのだろうかと早速不安になったのは言うまでもない。

 真知子が小さく溜め息を付いた時征将がごそごそと動き出した。ズボンのポケットに手を突っ込んで取り出したのはスマートフォンで、断続的に震えながらランプが点滅しているのを見るとどうやら着信中らしい。

 「ちょっとごめんね」

 「お気になさらず」

 征将が手で拝みながら片目を瞑る。女の真知子より可愛らしさというものを理解し実戦している男だ。

 「もしもし。久しぶりだねー。うん元気元気」

 飲みかけの紅茶に口をつけながら窓の外の大通りに目を向けるが、いかんせん距離が近い為聞くつもりは無くても会話は自ずと聞こえてしまう。

 「え?月曜日?別にいいよー。え?彼氏に振られちゃったの?あははー。いいよいいよ優しい征将さんが慰めて上げるから」

 「ぶほっ!」

 勝手に聞こえて来た会話の内容を聞いてしまい思わず飲んでいた紅茶で咽せた。征将はきょとんとした表情を浮かべている。

 「あ、うん。分かった。明日ね。ばいばーい」

 げほげほと真知子が咽せている間に話がまとまったらしく、征将が電話を切る。

 「真知子ちゃん大丈夫?」

 「はっ、はいっ……ごほっ」

 言葉の綾なのかそのままの意味なのか怖くて聞けない。

 ようやく咳がおさまってきた時、次は征将と真知子のスマートフォンが震える。

 メールマガジンかと思って画面を開くと、昨日登録したばかりの閻魔庁からのメールだった。

 『小野真知子監査官殿 調査をお願いしたい案件がありますので、本日日没後六道珍皇寺より閻魔庁に出勤してください。 閻魔庁』

 という内容のメールが来た。

 「休日出勤はダブルワーカーの辛いところだよね」

 スマートフォンの画面を閉じて征将が肩をすくめた。


 あの後一旦征将と別れて午後六時、征将と六道珍皇寺近くのコンビニで待ち合わせをした。

 閻魔庁からの呼び出しがあったと田中さんに言うと一緒に付いて行くと言う。真知子の家から六道珍皇寺までは少々距離があるためバスで行くつもりだった。タクシーで行くかと田中さんに問うと田中さんは、

 「昔のアニメの映画にもあっただろ。公共交通機関に猫が乗車してても案外世間様は頓着してないものなんだよ」

 と言い切り、実際真知子と同じバスに何食わぬ顔で乗り込み何食わぬ顔で降車した。

 「なんでバレないんですか」

 猫、しかもこんな大きな猫がバスに乗り込んだら一目で分かりそうなのに、乗客達は田中さんの存在を気にするどころか気付いてもいないようだった。

 「気配の一つや二つ消せなくて四百年も生きれるかよ」

 「映画関係ないじゃん」

 征将と待ち合わせた場所へ田中さんと並んで向かう。人の波の中を田中さんはするりするりと軽快に避けて歩いている。

 待ち合わせたコンビニの前には既に征将が到着しており、真知子と田中さんを視界に捉えるといつもの無敵笑顔を浮かべてひらひらと手を振っている。征将の後ろでは暗闇にぼやっと浮かび上がった三郎がぺこりと頭を下げる。その表紙に頭部が外れてがちゃん!と地面に落ちた。

 「ひぃっ!?」

 「いつものことだ。気にすんな」

 真知子が驚いて飛び上がるが田中さんは言葉通りいつものことで慣れているのかしれっとしている。

 田中さんは見た目は普通の猫だが、三郎の見た目は滅多にお目にかからない骨格標本だ。非日常の外見は一般人の真知子にとってとても心臓に悪い。

 「す、すみません、遅くなりました」

 「いや、俺も今来たばかりだから。じゃあ行こうか」

 征将と真知子が横に並び、田中さんと三郎が二人を先導する様に先を歩いている。

 昨日征将に手を引かれて走った道を辿り再び六道珍皇寺へやって来た。

 やっぱり夜のお寺の雰囲気にはどうも慣れない。それに三郎がいることである意味昨日より雰囲気がありすぎる。

 昨日と同じ様にお堂の横から寺の庭に入り、征将が先に井戸に入る。

 「俺が先に降りるからゆっくり降りておいで。落ちてもちゃんと受け止めるから」

 井戸から降りることを考えてシャツワンピースの下にショートパンツを履いて来ていたので問題無い。

 なんとか落ちる事無く自力で井戸の底に降りることができ閻魔大王の執務室へと向かう。

 「お疲れ。早速仕事を頼んでしまって悪いね。とりあえず掛けて」

 閻魔大王は執務机に座り、昨日真知子達が座っていた執務机の前のソファには白装束を着た一人の老人が座っていた。

 老人はにこにこと笑っており、目尻に刻まれた笑い皺が人の良さを滲ませている。少し寂しい頭部の産毛がふわふわ揺れていて何故か心を和ませた。

 「彼は菊田良久きくたよしひささん。先日死後裁判を受けて極楽行きが決まった方だ」

 ぺこりと老人が頭を下げる。

 「だが、菊田さんは極楽にはまだ行けないとおっしゃる。その理由を君達に解決してもらいたい」

 閻魔大王が視線を菊田に向けると、意図を受け取った菊田はゆっくりと口を開いた。

 「私は飼っていた犬の散歩の途中で事故に遭って死にました。しかし黄泉に来たのは私だけで、犬のケンタの姿が見当たらないんです。私と一緒に事故に遭って亡骸もあったのに、魂だけが見当たらない」

 菊田は節くれ立った手で白装束を握りしめる。

 「ケンタは先立った妻がとても可愛がっていたので一緒に連れて行ってやりたいんです。それに、一人でどこかを彷徨っていると思うと居たたまれない。ケンタが見つかるまで、私は極楽に行くつもりはありません」

 優しそうな目をしているがそこに宿る光は決して優しいだけでなく、強い意思が伺えた。

 「極楽行きが決まった人に手荒なことはできないし、かといってここでずっと待たせる訳にもいかない。そこで君達にケンタ君の行方を探して来てもらいたい」

 「わ、分かりました」

 初仕事がペット探し。普通のペット探しとは違うのは相手が死んでいるかどうかというところか。

 現世監査官という大仰な役職名をもらっておきながらペット探しを任されると言うのが自分らしいと真知子は苦笑を浮かべた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ