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閻魔庁現世監査官  作者:
冬 あなたが誰よりも幸福である様に
27/30

第二十七審

 閻魔庁に来る前、征将に自分の考えを話したらやはり反対された。

 「真知子ちゃんが悩んだ末に選んだ答えだって分かってる。だけど、俺はその選択が正しいとはどうしても思えないし、君がリスクを背負う義務も無い」

 征将の言葉は真知子とて予想はしていたが面と向かって言われるとどうしても怯んでしまう。

 それでも退く訳にはいかない。

 「私が背負うべきものじゃないかもしれない。でも、もう見て見ぬ振りはしたく無い。見て見ぬ振りをするくらいなら貧乏くじを引いて罰を受けた方がマシです」

 自分でもバカだと、愚かだと、分かっているのに自分を曲げられない。

 我が身可愛さに見て見ぬ振りをした方が傷付く。我ながら面倒臭い性格だと嫌になる。

 暫く二人は睨み合い、やがて征将が根負けして深々と溜め息を吐いた。

 「……何で真知子ちゃんは人の事になるとこんなに頑固なのかなぁ。もっと自分のことにも頑固になってよ」

 溜め息をつきながら征将がその場にしゃがみ込んだ。征将のつむじを眺めながら真知子は言葉を返す。

 「ただの偽善者だからです」

 「偽善者もそこまで行けば本物だと思うけど」

 「嫌味にしか聞こえませんけど」

 「嫌味だから」

 「…………」

 征将が正々堂々悪態をつくなんてよっぽどだ。しかし今の状況はなんだか拗ねている様にしか見えない。

 「昔の滝さんも生前の如月慎也も救えなかったから、せめて今の私にできることをしたいんです」

 少し恩着せがましい言い方かもしれないがこれは真知子の確かな本心だった。

 大真面目な顔をして言う真知子を征将は珍しくぽかんと口を開けた間抜けな顔で真知子を見上げている。

 真知子が首を傾げると征将は俯いてあーだのうーだの唸り始めた。

 「……分かった。真知子ちゃんの判断に従う。でも、もし君の判断が今後罰を受けるに値すると判断された場合は俺も君と一緒に罰を受ける」

 「でも」

 「これ以上は譲歩しないよ」

 揺るがない瞳で征将は真知子を見据えた。征将が譲歩したのだから次は真知子が譲歩するべきだろう。

 「分かりました」


 何度も何度も自分に問いかけて答えを探すが、結局行き着く答えはいつも一緒だった。

 この答え以外考えられないのなら、恐らくこれが今の自分に出せる最善の答えだ。

 真知子は目を閉じて深く深呼吸をしゆっくりと目を開いた。

 「父親を殺したのは紛れも無いあなたの罪です」

 顔を伏せていた慎也が顔を上げて真知子を見つめる。

 声が震えぬ様、視線が揺れない様、真知子は細心の注意を払って一言一言自分の言葉を紡ぐ。自分の言葉が真っ直ぐ誤ることなく慎也に届く様に。

 「でも、あなたにその道を選ばせてしまったのは私たち大人の罪です」

 慎也が更に眉根を寄せて真知子を見つめる。

 「よって私はあなたの罪に対する処罰は『人間界』への転生が妥当だと考えます」

 征将は微動だにせず静かに次第を見守り、藤乃は目丸くさせて驚いている。

 仏教の思想においてこの世界は天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道の六種類の世界に分類され、それを六道と呼ぶ。生きとし生けるものはその命を終えると死後裁判に掛けられ、生前の行いによって次に転生する世界を決められる。

 どの世界も生きる苦しみを味わうものに変わりはないのだが先に名を挙げた順から治安が良いとされ、六道の中でも地獄道は大罪人が行き着く先である。

 この件を担当するにあたって過去の似た判例も調べたがどの件も地獄行きは変わらず、地獄の中での階層が変わるくらいだ。

 前例に倣うのならば慎也は地獄道に行く筈であるが真知子は慎也の転生先に地獄道ではなく人間道を選んだ。

 「ざっけんな!!」

 突然響いた怒号に情けなくも真知子はびくりと小さく飛び上がってしまった。

 獄卒達が慎也を押さえ込むが、慎也はそれでも止まらない。もがきながら声を張り上げる。

 「自分より可哀想な人間に手を差し伸べて正義のヒーロー気取りかよ!!そういうのが一番胸くそ悪ぃんだよ!!都合の良いときだけ優しくして、都合が悪くなったら知らん振りするんだろ!?」

 慎也の言葉が容赦無く真知子の心を抉る。征将の時と同じで、予想していた言葉ではあったが実際言われると予想以上に堪えた。

 こんな風に言われると分かっていても真知子の答えは最初から最後まで変わる事はなかった。でも、心が痛む事に変わりはない。ぐっと唇を噛み締めて再び言葉を発する。

 「……あなたの言う通り、心の底から純粋に人の為を思って行動できる人ってそんなにいない。少なくとも私はそうじゃないよ」

 声を張り上げている慎也に対して、真知子は静かに淡々と言葉を紡ぐ。

 見返りを求めない純粋で美しい優しさもこの世界に確かに存在していることを知っている。

 しかしそれはごく限られたものでほとんどが人の為と言いながら自分の為のものだ。そのことを思い知らされる度に自分の底の浅さに嫌気が差す。

 「周りの人達に善い人って思って欲しくて、人に嫌われたく無くて、一生懸命人に優しくしてる……一応人間失格だなって自分でも分かってるけど」

 居たたまれずに真知子は思わず苦笑を浮かべる。

 「人間が善意だけでできている訳じゃないっていうのはあなたもよく知っているでしょう」

 真知子の持論に声を荒げていた慎也もいつの間にか静かになって聴き入っていた。

 「だから、これはあなたの為じゃなくて私の為の判断」

 愚かで傲慢で酷く偽善的だ。

 未だにこの選択が正しいのかは分からないがこの選択が真知子にとっての最良の選択であることだけは確かだった。

 「……俺も」

 今まで黙って話しを聞いていた征将が初めて口を開いた。

 「俺も、君と同じだったよ。父親から毎日の様に殴られて、当たり前の様に親に愛されている他の子が羨ましかった。そんな奴らが俺の事を可哀想とか言って優しくしようとすることにも無性に腹が立った。自分よりも可哀想な人間を見てそんな人間に優しくできる自分に酔ってる人間ばかりだと思ってた」

 この場で最も慎也の気持ちを理解できるのは征将の筈だ。そして真知子や藤乃が言うよりも征将の言葉は彼の心に響くだろう。

 以前は二人で道を誤った。それだからこそ次は二人で新しい道を探す。次は間違えない為に。

 「でもさ、結局は上辺だけ優しくされても見て見ぬ振りされても不満なままだ。俺達も周りの人間と同じで充分自分勝手なんだよ」

 やはり征将の言葉は慎也にとって重みが違う様で黙って聞いている。

 皆生きる事に必死で他人の事なんて構っていられない。

 人に優しくするのだって生きる術の一つだ。

 「大切なのは偽善かどうかじゃない。自分の思いが偽善かもしれないと理解しているかどうかだ」

 人が人に何かをするということはそこに何かのメリットを見出すものだ。無償の愛を謳う親子関係とて例外ではない。親が子供の面倒を見る理由を紐解けば血を分けた縁者という理由と自分に何かあった時の保険だ。

 人の優しさというものは種類は何であれひどく自分勝手なものだろう。

 「偽善だと思われても自分の為に人に優しくしたいと、傷付くことを覚悟した上で人に優しくしたいと想うのなら、その想いは誰にも責めることはできない」

 厭われることも分かった上で見返りを求めずただ自分の為にとすることは究極の自己満足でただただ愚かな行為なのかもしれないが、無償のそれよりも尊いものではないだろうか。

 どうしようもなく醜いこの世界は世界の総て余す事無く醜い。

 だが、世界がどんなに醜くとも目を背けずに自分の醜い部分すらひたむきに見つめ、それをも受け入れようとする人間は不格好だが最も強く美しい生き物であろう。

 征将は真知子に視線を向け、真知子は征将の視線の意味を理解し彼から話の主導権を受け取る。

 「正式な判決は七日後の第六審で決定されます。それまで時間があるので私の考えを不服とする場合は第六審を担当する変成王に異議を申し立てて下さい。恐らく変成王があなたの気持ちを汲み取ってくれるでしょう」

 あくまで真知子は選択肢を増やすだけ。後の道を選ぶのは慎也自身だ。道を押し付けてしまっては意味が無い。

 「……なんであんたは見ず知らずの俺にここまでしようとするんだよ。バカだろ」

 自分の手元を見つめながら唸る様な低い声で慎也が問う。詰る様な言葉にはもう覇気が無く、まるで拗ねた子供の様だった。

 今まで悪態をついて振り払った手前、それでも尚差し伸べられた手を素直に掴めないのだろう。

 初めて見せる年相応の態度に真知子は頬を弛めた。

 「お腹が減ったら何か食べたくなるでしょ?それと一緒。大層な理由なんて無いよ。だって私バカだからさ」

 真知子なりの皮肉を精一杯込めて慎也に言葉を返すと、慎也はバツの悪い表情を浮かべた。

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