第二十六審
いつも通り過ぎていた閻魔庁の入り口が閻魔庁の中枢である大法廷なのだと真知子は初めて知った。
昼間は裁判を待つ人間でごった返しているそうなのだが、真知子達が閻魔庁を訪れるのはいつも夕方で裁判が終わった後だったので人一人おらず、まさかいつも出入りしている場所が死後裁判の中枢とは思いもしなかった。
藤乃に案内されて静まり返った大法廷に足を踏み入れると、いつも遠目から見ていた最奥の一段上がった所に鎮座している朱色の机の前だった。
「小野監査官は中央の椅子へ。滝事務官は小野監査官の左手にある椅子を使って」
真知子が座る様指定された椅子はいつも閻魔大王が座っている場所なのだろう。そして征将が指定された椅子は恐らく藤乃が座っている場所と思われる。真知子と征将が指定された椅子の横に立った。
一段下がった所には刑務官の様な人に両脇を固められた慎也が正座で座っており、真知子達が大法廷に足を踏み入れた瞬間、刑務官に立たされた。
全員で一礼し、いよいよ裁判が始まる。
「えー、では、被告人は氏名、生年月日を答えて下さい」
真知子達は椅子に腰掛け、真知子は藤乃から渡された裁判の進行表のカンペを盗み見ながらたどたどしく裁判を進行させる。漢字の横にふりがなが振ってあるのは親切心だと思いたい。
「如月慎也、平成八年十二月二十八日生まれです」
光を失った瞳がぼんやりと真知子を捉えたまますらすらと機械的に答える。
「本日はあなたの生前の行いについて問いただす死後裁判の第五審となります。しょ、諸事により閻魔大王ではなく現世監査官の私小野真知子があなたの死後裁判第五審の裁判長を務めます。くれぐれも嘘ぉ、偽りを言わぬ様にして下さい。事実と異なる事をこの場で言えばあなたの罪が重くなってしまいます」
少し噛んでしまったりイントネーションがおかしくなってしまったのだが慎也はぴくりとも反応しない。征将はそわそわしており、まるで我が子の発表会を見ている母親の様だ。
起こった事実は既に把握されている。それでも本人に直接問いただすのは極限の状態に置かれた時に取る行動を見る為と本人の心理を聞く為だ。
追いつめられた人間は奥底にしまい込んだ本性を現す。閻魔大王はこの裁判で目の前にいる人間を形作るものは果たして善なのか悪なのかを見定める。そして今回閻魔大王の代わりを務める真知子も見定めなければならない。
如月慎也を突き動かした感情が何なのか。
「今年の十一月七日、あなたは父親である如月良彦を、じ、自宅にあった包丁で刺して殺害したと報告が上がっていますが、この内容に相違はありますか」
「間違いありません」
一刻も早くこの裁判を終わらせたいのか真知子の言葉尻に被せる様に慎也が罪を認めた。
自分の裁判だというのにまるでどうでも良いテレビのニュースを流し見しているかの様だ。
真知子は小さく息をつく。
「冥界の法では父母の殺害の罪は最も重く、地獄の最下層である阿鼻地獄へ行くことを定められています」
地獄は全部で八層に分かれており、最下層に行く程罪が重い。第一層の等活地獄で行われている拷問でさえ既に身の毛もよだつもので、拷問が気の遠くなるような年月を通して行われる。
そんな場所へ赴くことを素直に受け入れても、父親のことに関しては決して語ろうとしない。父親の存在が彼にとってそれほど忌まわしいものなのか思い知らされる。
「動機を聞いてもいいですか?」
真知子の問いにほんの僅かだが慎也は目元を動かした。
「……全部知ってるんでしょう。今更そんなこと聞いてどうするんですか」
弁明することさえも煩わしいらしい。投げ捨てるように言葉を吐き出して必要の無い事は一切口にしようとしない。
「あなたが如月良彦を殺した事実は知っているけど、何故父親を殺してしまったのかは私も知らないよ」
食い下がる真知子に慎也は眉根を寄せて心底面倒臭そうな表情を浮かべている。
「全部知っててそういうこと聞くんですか。大人って馬鹿なんですか?」
ぴしり、と法廷内の空気が凍り付いた。ちらりと両隣を見れば藤乃と征将が口元を引きつらせている。
真知子とて今の発言には眉根を寄せそうになるが、一触即発の両隣の方が怖くてそれどころではない。
調書を見れば大体のことは想像がつくし、何より佳代の証言で本当の動機も見当はついている。だが、それはあくまで第三者の想像でしかない。
真知子は彼の口から彼の言葉で彼の本当の気持ちを知って彼の行く先を決めたかった。
しかし慎也の方からすれば思い出したくも無い話を根掘り葉掘り聞かれて悪態の一つもつきたくなるだろう。恐らく人生で最悪の経験をしたあの日のことを思い出したくないから早々に罪を認めてこの件を早く終わらせようとしているのかもしれない。
「……そうだね、大人って馬鹿だよね」
小さくため息をついて苦笑を浮かべながら真知子が肯定すると慎也だけでなく藤乃と征将も目を丸くして真知子を見つめる。
「自分に関係が無ければ平気で見て見ぬ振りをする」
他人の家庭というものはお互い不可侵の領域だ。家庭ごとに価値観が存在し、親しい間柄だとしても口を出すのは憚られる。
時にはそれを踏み越えて守らなければならないものがあるというのに。
親が子供を守ることが当たり前の様に、親以外の大人が子供を守る事も当たり前だ。
しかし大人と称される人間は例え善良な常識を持っていたとしても自分の身に被害が及ばなければ平気で見て見ぬ振りをする。
慎也も佳代も、父親だけでなく世間の大人が我が身可愛さに見て見ぬ振りをした結果犠牲になってしまった。
「やり方は間違っていたけど、守るべきものがちゃんと分かっていた君は大人よりよっぽど立派だと私は思うよ」
家族という存在は真知子にとっても大きいものだ。
しかし、もし真知子が慎也と同じ様な立場になったとして家族を守る為に自分を犠牲にできるかは正直分からない。
慎也の行動は決して褒められたものじゃないが、佳代を守った事実だけは立派だと真知子は思った。
「……そんなんじゃ、ない」
慎也は顔を伏せてぽつりと否定の言葉を零した。
「ただ俺が親父を殺したかっただけだ。佳代の為とかじゃ、ない」
この言葉も嘘では無いのだろう。
長年暴力を受けて積もった憎悪があの日あの瞬間箍が外れてしまった。
押さえられなくなった衝動。刃を手にしたのは自分自身の為でもあり、真知子がそうあって欲しいと願うように佳代の為でもあったのだろう。
どれもが真実に違いない。どの真実を信じるかは人次第だ。
そして真知子は今日、数ある真実からただ一つ選び取らねばならない。
「佳代ちゃんは、自分の方が先に父親を殺そうとしてそれに気付いたあなたが先に動いたと言ってたよ」
真知子が佳代の名前を出した途端、慎也の目の色が変わった。
一気に目に感情の色が宿る。
「……違う。勝手に良い話にすり替えようとすんな」
唸る様な低い声が真知子に向かって放たれる。
これでは是と言っているものだが、佳代に害が及ぶのを怖れるあまり慎也はそれに気付いていない。
「すり替えてなんか無い。佳代ちゃんに聞いたままだよ」
「っ、」
自分の岐路に立たされているというのに、慎也が思うのはひたすら佳代のことだけだ。
慎也だって誰かに守って欲しかっただろうに彼は必死で妹を守ろうとしている。
お世辞にも慎也や佳代が育って来た環境は良い環境とは言えない。それでも彼らがこんなにも人のことを思いやれる人間に育ったのは奇跡以外の何ものでもない。
自分の中では既に答えは決まっているが、果たしてこの答えが最善かどうかは分からない。




