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閻魔庁現世監査官  作者:
冬 あなたが誰よりも幸福である様に
24/30

第二十四審

 翌日、仕事は何事も無く定時に終わり、藤乃の指示に従い喪服に着替えるために一旦家に帰る。

 「くれぐれも気をつけてね」

 家を出る前に仏間に寄って顔を見せると未だに熱が高い征将は潤んだ瞳で心配そうに真知子を見上げた。

 「はい。いってきます」

 本音を言ってしまえば不安で仕方無いが精一杯の虚勢を張る。征将にはバレてしまっているかもしれないが、しないよりもマシだと自分自身を奮い立たせる。

 田中さんを伴って真知子はもう一度如月佳代が入院している病院へと向かった。


 病院の近くにあるコンビニのトイレで喪服に着替えて病院へ向かう。

 真知子が持っている喪服は黒のシンプルなワンピースだ。上から厚手のコートを着込んでいるとはいえ黒のストッキングにパンプスという防寒する気ゼロの足下から寒気が這い上がって来る。

 黒い喪服を着て大きな猫を連れている様はまるで西洋の魔女の様だろう。

 「こんばんは」

 病院の看板の前では黒のスーツ姿の藤乃がひらひらと手を振っている。藤乃の姿を見つけた真知子はかじかんだ足を動かして藤乃の元へ小走りで向かう。

 「お、遅くなってすみません!」

 「十分前じゃない。私が早く着いちゃっただけだから気にしないで。さぁ、行きましょうか」

 真知子と田中さんが到着するなりくるりと綺麗に踵を返して藤乃はどこかへ行こうとしている。

 「あの、すみません、どこに行くのでしょうか」

 昨日から考えても結局答えは出なかったので正直に藤乃に問う。

 行く先を知っていた方が心の準備ができる。征将と初めて出会った時の様なハリウッド映画もびっくりするくらいのスリリングな経験は御免である。

 「もちろん如月佳代に会いに行くのよ」

 人気の失せた病院の敷地内に迷い無く足を踏み入れながら何でも無い事の様に藤乃が言う。

 「でも面会時間終わってますよ?」

 「いやぁね、分かってるわよ」

 力強くハイヒールで院内の廊下を闊歩する藤乃の後ろを抜き足差し足の真知子が追いかけ、二人の後ろを田中さんがマイペースに後を追いかける。

 こんなに堂々と歩いていて見回り中の看護士と出くわさないかとびくびくしながら藤乃の後を着いて行く。だが不思議と誰ともすれ違わない。

 「時間も無いし今回ばかりは真正面から行った方がいいわ。こちらの身分を明かして如月佳代から話しを聞くのよ」

 直球ドストレートの作戦。捻りなど一ミリたりとも無い。あまりの潔さに漢らしささえ感じられる。

 「身分バラしちゃって大丈夫なんですか?というかまず信じてもらえないかと……」

 「必要時には身分の開示も認められているわ。でもただ馬鹿正直に言うだけじゃ駄目でしょうね」

 藤乃は前を見つめたまま続ける。

 「人間という生き物は雰囲気に大きく左右されるものでしょう?自分達に有利な雰囲気の中で告げれば信じてしまうのよ」

 だから冥界や閻魔大王のイメージに合わせた喪服を着て来いと言ったのか。

 昼間では無く深夜を選んだのもその為なのだろう。

 確かにただ告げるより雰囲気は出るだろうが、果たしてこんな簡単な作戦で佳代は話してくれるのだろうか。

 「お膳立てはここまでよ。後はあなたが如月佳代から聞き出せるかどうか」

 薄く微笑んだ藤乃が追いかけて来る真知子に視線を向ける。追いかけながら真知子は掌を握りしめた。田中さんが心配そうに足下から真知子の顔を見上げる。

 自分の言葉で道を切り開かねばならない。

 柏木冬子の一件で征将や閻魔大王に信じて貰えなかったとショックを受けた。しかし、征将が戦線を離脱して初めて自分が信用に足るような仕事を何もしていなかったことをひどく思い知らされた。

 信じて欲しいのならば信じるに見合う働きをしなければならない。

 今がその時だ。

 征将と肩を並べたい。足手まといじゃなくて、仕事をする仲間として。

 緊張で飛び跳ねる心臓を押さえるように真知子は一瞬瞳を閉じ、決意を固めて静かに前を見据えた。

 先日征将と一緒に来た如月佳代の病室の前に到着する。

 自分の心臓の音が分かる程跳ねており、必死に鼓動を宥めようとする。だが、藤乃は何食わぬ顔で病室の扉を開ける。

 「えええええ!?」

 心の準備ができていないのに後ろから背中を押されてスタートを切らされたような気分だ。

 藤乃は今まで高らかにヒールを鳴らしながら歩いていたのに、今はまるで忍者の様に足音は無音だ。

 普段ヒールの靴を履き慣れていない真知子は妙な体勢になりながら藤乃の後に続く。

 「誰……?」

 ベッドの上には少女が座っていた。

 黒髪は鎖骨の辺りでざんばらに切られており、パジャマから伸びる腕は年頃の少女にしては肉付きが薄く儚げだ。

 今にも夜に溶けて消えてしまいそうだと真知子は思った。

 突然病室に入って来た真知子と藤乃に驚く様子も無い。何もかも諦めた様な目をしている。

 彼女の兄、如月慎也と同じ目だ。

 「め、冥府の閻魔大王の部下です」

 先に部屋に入った藤乃は真知子の背中をぐいと押して自分の前に立たせるので、真知子は先に身分を明かす。

 藤乃は田中さんと一緒に真知子の一歩後ろに下がっており、静観の体勢を取っている。

 きっかけは作ったので後は自分の力でどうにかしろということだろう。ここに来ても征将に頼りっぱなしだったことを思い出して悔しくなる。

 できるだけ淡々と声が震えぬ様に細心の注意を払って言葉を紡ぐ。

 いつも征将がしていた様に、自分の考えを誤ることなく相手に伝えることのできる最も的確な言葉を必死に探しながら。

 「私死ぬんですか」

 自分のことだと言うのにさして興味が無さそうな様子で佳代が問う。

 しかしなんとか信じてくれた様で少しほっとした。

 「いえ。今晩は亡くなったあなたのお兄さんの件でお聞きしたいことがあってここへ来ました」

 真知子がここへ来た理由を告げると、佳代は初めて反応を見せた。

 「お兄ちゃんの?」

 「はい。お兄さんが何故父親を殺さねばならなかったのか、妹である佳代さんの考えをお聞きしたいんです」

 暫く静かに真知子を見つめていた佳代はふと目を伏せる。

 第五審までもう時間は残されていない。

 佳代が話してくれないとなると今ある事実と証言のみで裁くことになる。

 また、動機を含む感情に関しての証言は真偽が確かめられないので嘘かどうかはさして問題ではないが、起こった事象に対して佳代が虚偽の証言を言えば佳代に罪が加算されてしまう。

 真知子は祈る様な気持ちで佳代の言葉を待った。

 「……あの家を、」

 風の音に紛れてしまいそうな程小さく囁く様な声で佳代がぽつりぽつりと呟く。

 「出て行く為にお兄ちゃんと秘かに貯めていたお金にあの男が気付いて、取り上げたんです」

 漸く知りたかった事の核心を佳代が告げ、真知子は目を丸くさせた。

 所々で声が震え、細い指がシーツをきつく握りしめている。

 できるだけ淡々と言葉を紡いでいるが必死に泣くまいとする佳代の姿に胸が締め付けられた。

 あの日の事は佳代にとって思い出したくないことだろう。

 だが、それと相反する気持ちも存在した筈だ。

 誰かに自分の気持ちを吐露して知って欲しい、分かって欲しい、という人なら当たり前の欲求が。

 そして夜という不思議な空気が彼女の心を開く。どうしようもない孤独感を感じ、寄り添ってくれる誰かに心情を思わず吐き出したくなる。

 例え自分がよく知らない相手だとしても。否、よく知らない相手だから話せるのかもしれない。

 「あの男にバレないようにお兄ちゃんと必死に二人で働いて、もう少しで家を出られるくらいまでになりました。……それを手にする寸前で、取り上げられました」

 先の無い暗闇をひたすら歩いて行くような日々。

 そんな絶望の中で漸く見つけた光。その光に近付く為に文字通り血反吐を吐く様な想いで二人は日々を過ごして来たのだろう。

 だが、光に手が届きそうになった瞬間、それを理不尽に取り上げられる絶望は計り知れない。

 彼らの殺人衝動に火を付けるには充分な理由だ。

 「……あのとき、私もあの男を殺そうとしました。でも、それに気付いたお兄ちゃんが私が包丁を手にするよりも先にお兄ちゃんが包丁を取ってあの男を刺しました」

 報告書には慎也が近くにあった包丁を手にし部屋を出ようとしていた父親の背後を刺した。そしてもみ合いになるうちに二人は階段から転げ落ち、父親は慎也に刺された傷が致命傷となり死亡。慎也も階段から落ちた際に頭を強く打ち付け、脳挫傷を起こして死亡したと書かれてあった。

 佳代の証言を信じるとしても慎也の殺人衝動が佳代よりも強かったのか、佳代が父親を殺そうとしたのを見た慎也が妹の手を汚すまいと自分の手を汚したのかは当人以外誰にも分からない。

 だが、先程と違った意味での可能性が生まれたことも確かだ。

 「正直、ほっとしました。あの男から解放されることと、自分の手を汚さずに済んだ事を……最低ですよね」

 どうしようもないあらがえない人間の本心。例え口に出して言葉にしなかったとしても、思ってしまったことに酷い罪悪感を感じてしまったのだろう。

 それを一人で背負うにはこの少女はまだ幼過ぎる。

 真知子はベッドに近付き、膝をついて佳代の顔を覗き込んだ。

 俯いていた佳代は真知子の顔を捉え、その瞳は涙が覆って風を受けた水面の様に揺れている。

 「最低なんかじゃない。誰もが目を背けたくなる感情と真正面から向き合えるあなたは、すごいと思う」

 佳代の瞳からすっと涙が流れ落ちた。最初の一つを皮切りに次から次へと零れていく。

 頼りだった兄を失い、たった一人で唯一の支えを失った悲しみと、自分自身の感情と戦うことは佳代の心をひどく疲弊させただろう。

 後ろめたい感情を見なかった事にして生きる人間はごまんといる。気付かない振りをして生きるその選択も間違いでは無い。

 佳代の様な生き方は人として辛く苦しい生き方だ。それでも、自分自身と向き合うことはそれまでの自分を越えて行く事を意味する。

 誰にも必要なことでは無いがあえて茨の道を進む事にも確かな意味が存在する。

 「悩むことは辛いし苦しい。でも、辛く苦しい想いをすることは決して無駄なんかじゃない。何にも変えることのできないあなたの力に、あなた自身を守る最大の力となる」

 真知子もこんなことをして何になるのかと思ったことは山ほどある。

 だが、どれだけ無駄で遠回りなことだとしてもそれは確かに自分の糧となるのだ。

 「だからどうか前に進む事を諦めないで」

 この言葉は佳代へ、そしてかつての自分に向けた言葉だ。

 いつこの想いが報われるか真知子にも分からない。永遠に報われないかもしれない。

 報われて欲しいと想うのは真知子自身の勝手な希望だ。

 それでも信じないよりはマシだと言える。

 この希望も何も無い酷い現実の先に、もがき苦しんで歩んだ道の先に、望んだ形では無いにしろ何かがあるのだと思って前に進んで行く事が。

 真知子の言葉はただの綺麗ごとにしか聞こえず、佳代を余計に傷つけるだけもしれない。

 それでも同じ様な悩みを抱えて生きている人間がここにいるのだと、一人じゃないと、知って欲しかった。

 「……はいっ」

 誰かの想いに自分の想いを重ねることができる。

 それができるだけでも今まで真知子が歩んで来た道は無駄ではないと信じることができた。

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