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閻魔庁現世監査官  作者:
秋 鬼になった女
19/30

第十九審

 「真知子ちゃん。真知子ちゃん」

 「ん……?」

 体を揺さぶられて意識が覚醒した。

 いつの間にか寝てしまっていたらしい。妙に体の右側が暖かいと思ったら、思い切り征将に凭れ掛かってしまっていた。

 「うわー!?」

 「真知子ちゃん!?」

 「ぐえっ!」

 驚いた拍子に階段から転げ落ち、真知子の膝の上に乗っていた田中さんも落ちた。

 「大丈夫!?」

 「な、なんとか……」

 征将が階段を降りて土埃の付いた服を払いながら真知子を起き上がらせる。

 「日の出の時間だよ」

 征将の言葉にはっと気がつき、鳥居の方へ目を向ける。

 鳥居の向こうにいる鬼女は日の光が当たると砂の様にさらさらと崩れる様に消えて行く。

 これで今回の任務は完了だ。

 だが、災いが消えていくというのに真知子はなぜか物悲しい気持ちになった。

 自分と鬼女、そして冬子を重ねて見ているからかもしれない。

 殺したい程人を愛したことが無いだけかもしれないし、今手にしている物を手放したくないだけの臆病者かもしれない。

 冬子と真知子は違う人間だが、一歩間違えればあの鬼女を生み出したのは真知子かもしれないという想いがずっと頭の中で巡り続けた。


 全てが片付いて三郎と落ち合ったのだが、鬼女に金槌で殴られて肋骨が数本折れてしまった様で征将にアロンアルファを買ってくれと頼んでいた。

 結局真知子は溜まっていた代休を翌日にもあてて一日中寝ていた。

 日が落ちれば報告の為に閻魔庁に出勤する予定だ。

 休みの真知子は良いが、征将の事が気がかりだった。夜が明けて家まで送ってもらった時に出勤かと尋ねれば苦笑を浮かべて、まぁ、と頷いた。いくら征将でも完徹の後の仕事は堪えるだろう。

 六道珍皇寺で待ち合わせた征将の目の下には隈ができており、心無しかふらふらとしている。

 いくら代休とはいえ一人だけ寝ていたのが大変申し訳なく思って来た。

 「あの、大丈夫ですか?」

 「うん。大した仕事も無かったし、大丈夫だよ」

 ここまで来て弱味を見せないのも流石と言うべきなのか。やはり真知子には営業職は無理だと思った。

 いつも通り閻魔大王の執務室に通されると机から顔を上げた閻魔大王が二人を見てぎょっとした。正確には征将の顔を見て、だ。

 「そうか……いや、本当に良くやってくれた」

 今回の件の報告を終えると閻魔大王は不覚溜め息をつきながら二人を労う。

 大して何もしていない真知子はいえ、とも、そうですね、とも言えず、いつも通りへらへらと笑って会話を流した。

 「柏木冬子は衆合地獄に行くことが決定した。結局彼女は死んでから一言も話さず地獄に堕ちたよ」

 胸の奥に大きな重りが沈み込む心地がした。

 結局彼女の口から何一つ語られることは無かった。

 冬子が呪詛を行った事は確かな事実であるが、何故そうしなければならなかったのかは永遠に分からないままだ。

 「……すみません、ちょっとお手洗いお借りしても良いですか?」

 重苦しい部屋の雰囲気に耐えきれず、行きたくも無いトイレに立つ真知子。

 護衛の癖が付いてしまった田中さんと長い長い廊下を歩いているとぼそぼそと部屋の中から話し声が聞こえて来た。

 「聞いた?昨日地獄行きが決まった女の話」

 「あー、えっと、柏木冬子、だっけ?」

 「そうそう。あんなひどい事されたら呪い殺したくもなるよ。それなのに地獄行きとか切ないわー」

 立ち聞きするつもりは毛頭も無かった。

 しかし、冬子の名前が出て来て思わず立ち止まってしまう。

 「本妻との間に子供が出来なくて愛人の柏木冬子が産んだ子供を引き取ろうとしたんだっけ?柏木冬子がそれを拒んだから、子供を手に入れる為に人に頼んで交通事故に偽装して柏木冬子を殺したって」

 「さいってー。本妻はそれ知ってんの?」

 「それが殺害計画を主導したのは本妻なんだってさ。よっぽど子供が欲しかったんだろうね」

 血の気が一気に引いた。

 目の前が真っ暗になって手が震え、ぐらぐらと視界が揺れる。

 「おい、真知子……」

 気遣う様に田中さんが恐る恐る真知子に声を掛けるが、返事を返す余裕すらない。自分の体を支える力さえ無くなってしまってその場に座り込んでしまった。

 確かに冬子は息子を産んでいた。

 そして今田家にも小さな赤ん坊がいた。

 あの時今田家の玄関先で聞いた赤ん坊の泣き声は冬子の息子だったのだろうか。

 「真知子ちゃん!?」

 帰りが遅い真知子の様子を見に来た征将が廊下に力無く座り込んでいる真知子を見て血相を変えた。

 「大丈夫!?」

 駆け寄って来た征将がしゃがんで真知子の顔を覗き込む。

 ゆっくりと顔を上げて征将の顔を見た真知子は、絞り出す様に声を発した。

 「知って、たんですか」

 「え?」

 突然の真知子の問いに征将は眉根を寄せて首を傾げる。

 「柏木冬子は、殺されたって。彼女の産んだ子供を、奪う為に」

 真知子の言葉に征将の表情が凍り付いた。

 浄玻璃の鏡によってまとめられた書類は読み手によって解釈が異なる様な事は書かれていない。

 だが、感情が交わる物以外の情報は全て記載されている筈だ。

 こんな重要なことが抜け落ちるとは到底思えない。

 それに真知子が読んだ資料には冬子は「事故死」と書かれていた。真知子に渡された資料は意図的に改竄されている。

 細い糸の様な希望を望み、半ば縋る様な気持ちで征将を見上げるが、征将がきつく目を閉じた瞬間天秤が傾くのが分かった。

 「……ああ、知ってた」

 重々しく征将が口を開き肯定を口にした。

 頭を鈍器で殴られた様な衝撃を受ける。

 「なんで……っ!!」

 悲しみと怒りが激しく渦を巻き、溢れ出て言葉にならない。

 裏切られた、というのはあまりにも傲慢だ。征将に頼ってばかりで自分では何もしなかったのだから。

 責めるべきは違和感を感じながらも何もしなかった自分の筈なのに、彼らを責める気持ちが止められない。

 ここで泣いたらだめだと頭では理解しているのに、声を発すれば涙が零れそうになる。

 征将の上着をきつく握りしめ、唇を噛み締めて涙を懸命に堪える。

 「真実を知った所でやる事は何一つ変わらない。柏木冬子が地獄に行く事も、柏木冬子を殺した今田夫妻を呪詛から守る事も」

 淡々と征将が言葉を紡ぐ。

 冬子のあの瞳と同じだ。決して揺るがない意思の元に自分の答えを持つ者の瞳。

 「真実を知れば君は柏木冬子の心を想い、永遠に報われない悲しみを抱える。君が抱えなくていい想いを君はどうしても抱えてしまう。そのことで悩んで自分を責める人間だ。君は」

 対して真知子は征将の言う通り様々な立場の人間の建前と自分の仕事に対しての責務の間でぐらぐらと揺れている。

 もう何が正しいのか、分からない。

 「真実を知ってもやることが変わらないのなら、せめて傷付いてほしく無かった」

 確かに真知子が真実を知っていた所で結果は変わらない。

 だが、例え選ぶ道が同じだとしても真実を知って決められた道を選ぶのと知らずに道を選ぶのとでは訳が違う。

 信じて貰えなかった自分の不甲斐なさを悔やめばいいのか、真実を隠した征将を責めればいいのか、今の真知子には全く分からなかった。

 「……ごめん」

 最後に短い謝罪の言葉を言って征将は真知子を残し、この場を後にした。

 征将についていた三郎は気遣わしげに真知子を気にしながらも主人の背中を追いかけ、真知子の隣では田中さんが静かに座って寄り添っていた。


 この日、真知子は監査官になって初めて征将と別々に帰宅した。


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