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閻魔庁現世監査官  作者:
秋 鬼になった女
18/30

第十八審

 一行はもう一度貴船の地を訪れた。

 貴船神社に向かう途中、道から外れた山中に分け入って少し開けた場所に征将が拝借したネックレスとネクタイを置き、印を結んで何か小さく言葉を唱えた。

 「ネックレスとネクタイを対象者に見える様に術を掛けてるんですよ」

 田中さんを抱えた三郎がガチガチと顎を盛大に鳴らしながら教えてくれる。

 湯たんぽ代わりの田中さんはあまりの寒さにガチガチ震えている三郎に譲った。

 今回征将が提案した計画は身代わりのネックレスとネクタイに呪詛を掛けさせて呪詛を掛けさせられている人物に呪詛の代償が跳ね返る前に征将が封じるというものだ。

 術を掛け終えて貴船神社の境内にある一際立派な注連縄が巻かれた大木の所へやってきた。

 丑の刻参りは神社の御神木に藁人形を打ち付けるのが基本らしい。

 皆で近くの木の影に身を潜めて遠くから御神木を見守る。

 もしもこの状況を定点カメラで撮影されていたらとんでもなくシュールな光景なのだろうなと思った。

 「……やばい、凍える」

 体を動かしているのならまだしもじっとしているとなると体の芯から凍える。

 京都の地形は盆地で夏は暑く冬は寒いことで有名だ。冬に足を掛け始めている季節でただでさえ寒いのにそれに加えて山奥の川の近くだ。冬物のコートを着込んでくれば良かったと真知子は後悔した。

 近くにコンビニも無いので温かい食べ物や飲み物を買って体内から暖めることもできない。

 「手でも握る?」

 「いや、万が一その事実が知れたら世の女性達に血祭りにされるので遠慮します」

 「そっか」

 照れから遠慮したのではなく限り無く本心からの言葉である。

 薄手のコートの前を掻き合わせて手を呼気で暖める真知子。

 いつまでこの地味な戦いが続くのだろうと一向に進まない腕時計の針を度々見つめていると、突然背筋を悪寒が駆け抜けた。

 「来た」

 そっと木の影から御神木の方を伺うと大木の前に白装束を来た人影がいつのまにか立っていた。

 頭に五徳を乗せ、三本の火が灯された蝋燭がゆらゆらと燃えている。

 「あの女性はどちら様なんでしょうか……」

 「多分高淤加美神が作り出した式神だ」

 式神に呪詛の代行をさせて心願を成就させる。冬子は無論地獄堕ちだが、本来呪詛を掛けた冬子の身に跳ね返る筈だった呪詛の代償は行き場を失い、現世を漂い災いを引き起こす。

 征将の考えた計画は呪詛をわざと発動させ、術を掛けたネックレスに呪詛を掛けさせる。そして呪いの代償を封じ込める。

 かーん、かーん、と鎮守の森に金属音が響き渡る。

 御神木に五寸釘が打ち込まれる音を聞く度に自分の心臓に直接釘を打ち込まれているかのような心地がした。

 隣では征将が手で印を結びながらぶつぶつと小さな声で何かを唱えている。

 固唾を呑みながら呪詛の様子を見つめていると、一際大きく釘を打ち付ける音が響く。

 それと同時に御神木からぶわりと黒い影の様なものが湧き出て南の方角へ飛んで行った。

 式神は空気に溶ける様に消え去り、その場に黒い靄の様なものだけが残る。

 「……リ……キリ・キャクウン!」

 空気を漂っていた靄がぴたりと動きを止めた。

 「え、もう終わったんですか?」

 余りの電光石火の解決に真知子はぽかんとしている。

 「あれを浄化したら任務完了かな」

 征将が印を結んだまま立ち上がって靄の元に向かう。征将の後を追って真知子も立ち上がるが、ずっとしゃがみこんでいた所為で足が痺れていて追いかけるのに苦労した。

 靄はまるで時間が止まった様に動かない。

 「ふぁっ……」

 寒さの所為で鼻がむずむずして顔を歪める真知子。

 「ぶえっくしょい!!」

 思いっきりくしゃみをした拍子に力が上手く入っていなかった足が崩れ、体が傾いだ。

 「ぎゃあっ!!」

 「うわ!?」

 前を歩いていた征将の背中に激突してしまい、それに驚いた征将は印を解いてしまった。

 「征将!」

 何とか征将のお陰で転倒は避けられたが、それ以上に悪い方へ転がってしまった様だ。

 黒い靄がざわざわと再び動き始め、人の形になる。

 「あわわわわ……」

 空気が一気に凍てついて行くのが分かった。

 自分のしでかしてしまった事に真知子は青ざめる。

 『おのれ……!!』

 鬼女の姿になった黒い靄は怒気を孕んだ低い声音で空気を震わせる。

 光の宿っていない目を見開き、金槌を振りかぶって真知子達に襲いかかって来る。

 「ひいいいい!!!」

 「三郎!!」

 征将が名を呼ぶと同時に突風が巻き起こり、大きながしゃどくろが鬼女と真知子達の間に立ち塞がり応戦する。

 「田中さん!」

 次いで田中さんが本来の姿に戻り、征将は足の痺れと恐怖でろくに立てない真知子を支えながらしゃがんだ田中さんの背中に乗る。

 「一条の晴明神社へ!」

 「分かった!」

 ぐんっ、と一度大きく沈み込み、反動を付けて空へ飛び上がる。

 「う、わ……!」

 後ろに征将が乗って支えてくれているので何とかずり落ちずに済んだ。

 「高い所が苦手だったら顔伏せておいた方が良い」

 「す、すみません……私の所為で……」

 何も出来ない癖に仕事の邪魔をして足手まといになって、本当に情けない。

 「失敗は誰にでもあるから大丈夫だよ」

 ぽんぽんと大きな手で頭を撫でられる。

 「おい、三郎やられたみたいだぞ」

 「え!?」

 背後に目をやると、黒い点の様な物がこちらに向かって猛スピードで迫って来ていた。

 「田中さん、スピード上げられる?」

 「バカ言え。大の大人二人も乗せてそんなスピード出るかよ」

 背後の鬼女はぐんぐん迫ってくる。

 一瞬とはいえ捕えられたのが余程気に入らなかったのか。

 「見えた!降りるぞ!」

 「ひょおっ!?」

 まるでジェットコースターだ。体中の血液が上半身に移動して気持ち悪い。肌を刺す様な凍てつく空気と打ち付ける風がごおごおとうなり声を上げながら通り過ぎて行く。

 どんっ、と重い着地の衝撃が田中さん越しに伝わり、息を整えようとしている間に征将に降ろされる。

 田中さんが降り立ったのは晴明神社の鳥居の前で、征将は真知子の手を引いて鳥居を潜ろうとするが、

 「っ!」

 思いっきり征将に手を引かれた刹那、先程までいた所に金槌が振り下ろされ、コンクリートがめり込み息を呑んだ。

 『ゆるさないゆるさないゆるさない!』

 ぶつぶつと同じ事を何度も繰り返す鬼女。

 「走って!」

 征将に手を引かれ、もつれそうになる足を懸命に動かす。

 鬼女も文字通り鬼の形相で二人を追いかけて来る。

 鬼女が手を伸ばすも髪一筋の差で逃げ切り、真知子達は晴明神社の境内に転がり込んだ。

 『がああああああ!!』

 鳥居を境にして鬼女は境内に入ることが出来ない様で、見えない壁に阻まれて怒り狂った鬼女は髪を振り乱して絶叫している。

 鬼女の凄まじさに圧倒され呆然と地面に転がっている真知子を征将が引き起こす。

 「ここは都の鬼門封じの役目も担っている神社だからああいう類のモノは踏み入ることができないから安心して」

 「そう、ですか……」

 そう言われても目と鼻の先で人の形をしたものが恐ろしい形相で狂った様に声を上げているのを見ているのは心臓に悪い。

 「日の出になれば消えるだろうから」

 この寒空の下ただ只管日の出を待つしか無い。

 時計を確認すればあと二時間はここにいなくてはならない様だ。

 恐ろしい鬼女に睨まれたまま生きた心地がしない状態で過ごさなくてはいけないのか。

 眠いのに寒くて眠れず、ただ時間を待つしか無いのはある種の拷問だ。

 「真知子、膝貸せ」

 拝殿の階段に座り込んだ真知子の所にいつもの大きさに戻った田中さんがやって来て答える前に真知子の膝に飛び乗る。

 「あ、田中さんズルい」

 「おめーがやると犯罪だろ。閻魔大王にチクるぞ」

 「それはいやだなぁ」

 そう言いながら少し離れた所に征将が腰を降ろす。

 二人と一匹が静かに並んで鳥居の向こうにいる鬼女の姿をじっと見つめている様はまたしてもシュールである。

 恐ろしい鬼女の姿を見つめながら真知子は一人思考に耽っていた。

 人の怨念が行き着いた先がこの鬼女の姿なのだとしたら、人間という生き物は生きながらにしてとんでもない化け物を身の内に飼っているのかもしれない。

 元々は愛が確かにそこにあった筈なのにそれがいつしか激しい憎しみに変わる。

 真知子は、裏切られても相手を呪うことさえできなかった。

 ただ悲劇のヒロインでいることを選んだ。人知れず泣いて、可哀想と只管自分の悲劇に浸る。

 それともそんな激しい思いを抱ける程の相手でもなかったのだろうか。

 答えの出ない問いかけをずっと繰り返しながら日の出を待った。

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