第十五審
翌日はなんとか仕事を抜けることができて閻魔庁へ出勤した。
出勤するといつも通り閻魔大王の執務室に通された。重厚な木材で造られた執務机の上に何十枚もの書類を並べ、気難しそうに睨んでいた閻魔大王が顔を上げた。
「現世の仕事が忙しいのにすまないね」
そう言いながら閻魔大王は執務机を離れて応接用のソファに座り、真知子達にも座る様に促す。
「今回君達には亡者が現世の人間に掛けた呪詛を阻止して欲しい」
このご時世に呪いなんて非科学的ものが存在していたのかと思ったが現に妖怪や地獄を目の当たりにしている身で今更ちょっとやそっとのことでは動じない真知子である。
「死後の行いは現世への過干渉とみなされる。本人の罪が重くなるだけでなく、死者の管理責任の問題にもなってくる」
死者と生者、此岸と彼岸、それぞれの世界は神代の時代に分かたれ秩序を保っている。
かつては二つの世界の境界が少し曖昧だったらしいが昨今では生者が死そのものを忌み嫌う為境界の管理が厳しくなっている。
以前は「ハレの日」というのは非日常のことを指し、慶事も弔事も等しくハレの日として扱われて来た。慶事である結婚式で花嫁の着る白無垢と弔事である葬式で死者の死装束の色が一緒なのも、生と死は表裏一体で元を辿れば同じ性質の物だと説く人も居る。
だが時が移り変わり弔事は穢れたもので出来うる限り避けるものと考えられる様になった。
「死者が呪詛を掛けるとなると代償は本人でなく周囲に及ぶ。現世に影響を及ぼさない様に君達には何としても呪詛を阻止して欲しい」
「はぁ……」
といっても真知子は呪詛、つまり呪いのことについて全くの素人である。
監査官の権限は事務官より上らしいが今は完全に征将におんぶに抱っこ状態だ。今回も恐らくそうなると思われ、何とも情けない気持ちになった。
「呪詛を掛けた人物の資料はこちらにまとめてあるが直接会って話しを聞くか?」
「その方が良いですね」
「分かった。すぐに手配する。日時はいつが良い?」
現在は征将より真知子が予定を合わせる方が困難なので征将が首を傾げて都合の良い日時を問う。
「えっと、日曜日なら確実なんですが……」
「では日曜日に面会予定を入れておこう」
本当なら今週の土曜日は休みの予定だったのだが、ここまで仕事が立て込んで来ると休日返上も視野に入れておかなければならない。
スケジュール調整が難しいのもダブルワークの辛い所である。
そして約束の日曜日。
予想通り土曜日は休日出勤になり、そのお陰もあってか辛うじて日曜日は出勤にならずに済んだ。
日曜日は目が覚めたら午後のティータイムの時間を軽く過ぎていた。あと数時間もすれば日曜が終わってしまう。なんとも儚い休日であった。
日没後、寝過ぎて怠い体を引きずりながら閻魔庁に出勤する。
いつもなら閻魔大王の執務室に通されるのだが今日は来た事の無い地下室へ通された。木の階段を一段一段降りる毎に闇が深みを増してひやりとした冷気が肌を撫でて行く。
階段を降りた先には木の格子がずらりと両脇に並んでおり、時代劇でよく見る座敷牢の様な造りになっていた。
座敷牢には人が居たり居なかったりしたが、飛びかかってくる訳でも無いのに猛獣に両脇から睨まれている様な感覚で体がぴりぴりと緊張している。
「こちらです」
先導していた案内役のスーツ姿の女性がとある座敷牢の前で立ち止まった。
牢の中には白衣を着た女が正座をして虚ろな瞳でただ只管壁を見つめている。
もう既に亡くなっている人だが浮世離れした美しい人だと真知子は思った。
切れ長の少しつり上がった目はまるで冬の湖面の様に揺らがない。肌はそれこそ雪の様に白く、清冽でぴんと張りつめた雰囲気を纏っている。彼女を形作る全ての物に無駄が無く、それが故にこの上なく美しい。
予想以上に静かで美しい光景に喉が鳴った。
「柏木冬子さんですね?」
征将の問いかけに冬子はぴくりとも反応しない。
真知子も征将も冬子の態度に今回の案件は骨が折れそうだと早々に悟った。
女の決意というものはダイヤモンドよりも固い。
つまりこの世の中で最も固く、何人にも揺るがす事の出来ない物だ。
彼女からはその強い決意が見て取れた。
「あなたはとある人物に呪詛を掛けたそうですね」
「…………」
「これからあなたは死後裁判を受ける事になりますが、死後とはいえもちろん呪詛の件も罪に加算されます。こちらとしては死者が現世に介入するのはできるだけ防ぎたいんです。呪詛の詳細を教えて頂けたら減刑も考慮すると閻魔大王も申しております」
「…………」
あまりの美しさと静けさに見ている光景はまるで西洋絵画の聖母マリアを鑑賞しているかのような錯覚にさえ陥る。息をしているのかどうかも疑問に思えて来る程だ。
結局冬子は一言も喋らないどころか微動だにもせず、さすがの征将も有益な情報を何一つ聞けなかった。
冥界から帰って来て個室の居酒屋で閻魔大王からもらった資料を広げながら冬子の人間関係に目を通す。
浄玻璃の鏡のお陰で起こった事実は全て書き留められている。
冬子の生涯についてまとめられた書類を読んだ真知子は物悲しい気持ちになった。
彼女は婚外子で父親は冬子の母親とは別の家庭を持っていた。
母親は五年前に亡くしており、母方の親戚とも疎遠。彼女自身人と関わるのもあまり好きではない様で友人関係も希薄だと書かれている。父親の名前は記載されているが生きている間彼女は父親に会った事が無く、父親の名前も知らないと書かれていた。
そして彼女も家庭を持つ男性と関係を持ち、子供を授かって息子を出産している。
冬子の死因は事故死で、雨の日に信号待ちをしていた所に車が突っ込んで来て即死。
生前の記録はそこで終わり、書類は残り一枚。つまりはこの件で最も重要な死後の行いが書かれているのだろう。
恐らく、呪詛を掛けた相手の名前が。
書かれていなくても大体想像はつくが……と思いながら最後の一枚に目を通す。
「え………」
だが死後のページには「京都の貴船神社で呪詛を掛け、同神社の境内から出て来た所を捕縛」とだけ書かれ、肝心な部分が全く書かれていなかった。
「神社仏閣の境内は言うなれば神様仏様の私有地だから勝手に覗けないんだよ。いくら閻魔大王でもね」
呆然としている真知子に征将が説明を加える。
となるとまずは呪詛を掛けた相手を探す所から始まることになる。その先の段階からスタートできるものだと思っていた為、先走っていた気持ちの分だけ疲れてしまった。
「でも、ここまで材料が揃ってたら答えに辿り着くのは近いよ」
確かに世の名探偵がこの調査書を毎回閻魔大王から貰えることができたら未解決事件はこの世から抹殺されるだろう。
しかし真知子は名探偵ではない。それどころかサスペンスドラマの類は自分で犯人を考えず、主人公が謎を解き明かすのを見ながら「ああ、そうだったんだ」と呑気に納得する人種だ。
名探偵とはほど遠い真知子にはどうやったら答えに辿り着けるのか想像できない。
はてなマークを頭の上に浮かべている真知子に征将は答え合わせをする。
「貴船の神様に話しを聞けば早い」
平日の真知子が早く帰れそうな時間に行こうということになり、比較的早く帰れた水曜日に征将に電話をすると仕事帰りの征将が車で迎えに来て夜の貴船神社へ向かう。
京都市北部に連なる山奥に座する貴船神社。神社は鴨川の水源に位置し、水を司る高淤加美神を祭っている。
川床料理と紅葉、縁結びで有名な神社であるが、古くから丑の刻参りで有名な神社である。
つまり呪詛を掛けるには持って来いのパワースポットだ。
「寒い……」
駐車場に車を停めて御本宮まで歩いて行く。
秋の始めとはいえ山奥の川沿いともなればよく冷える為、カイロ代わりに田中さんを抱えて歩く真知子。カイロにしては重いが背に腹は代えられない。
「真知子さーん私にも田中さん貸してもらえませんかー」
ガチガチと噛み合ない顎を派手に鳴らしながら三郎が頼んで来る。脂肪が0%なので寒さを凌ぐことも出来ないのだろう。
「いいよー。はい」
「三郎は骨が刺さるから嫌だ」
「まぁまぁそう言わずに」
田中さんを三郎に渡し、少し先を歩いていた征将の隣に並ぶ。
空を覆う程の豊かな木々。夜だからか生き物の気配はほとんど無い。暗闇にごうごうと水の流れる音が絶え間なく響いているこの空間は少し冥界の雰囲気に似ている気がした。
雑誌でもよく見る赤灯籠が並ぶ階段を上り、本殿が姿を現す。
征将は本殿へと続く石段を上り真知子もそれに続く。石段を上り切ると本殿の賽銭箱の前に座る人影が見えた。
その人物は高校生くらいの女の子に見えたが、容姿が人間離れしていたので真知子でも彼女が人間でないことが分かった。
彼女は白銀に輝く長い髪を持ち、透ける様な白藍色の布を幾重にも重ねた裾の長いワンピースを着ている。階段の一番上に座っているのに、長い髪とワンピースの裾は階段下まで続いている。まるで流れ落ちる水の流れの様に見えた。
青い宝石の様な瞳が真知子と征将をじっと見つめている。
「久しぶり、征ちゃん。隣の人は新しい監査官さん?」
にこりと微笑みながら問われ、真知子は一瞬で心を撃ち抜かれた。可愛い。可愛過ぎる。まるで天使じゃないかと心の中で絶賛する。
少女の笑顔に見とれていた真知子は征将に小さく名を呼ばれて慌てて頭を下げる。
「現世監査官京都地区担当の小野真知子と申します……!」
「真知子ちゃんか。よろしくね。」
笑顔を向けられ、またもや心臓が大きく飛び跳ねた。つくづく自分は単純な一般市民である。
「で?今回の用件は?また妖術を教えて欲しいの?」
だが、可愛らしい容姿とは裏腹に口から紡がれる言葉はやけに物騒だ。
「……また?」
真知子が言葉の意味を測りかねて首を傾げると三郎に抱きかかえ荒れた田中さんが説明してくれる。
「征将のご先祖と言われる滝夜叉姫は戦で父の平将門を始め一族を滅ぼされ、その怨念を晴らすためこの貴船の地で高淤加美神に妖術を授けてもらったという伝承がある。かつて先祖が妖術を駆使する力を得た為から子孫のこいつも妖術を使えるんだよ」
噂では呪詛で有名な神社だと知っていたが人々が勝手にこじつけていた都市伝説のような物だと思っていた。
まさか呪詛の話が真実で、しかも身近な人間がそれに深く関わっていたとは思ってもいなかった。
「今回は別件でお聞きしたいことがあって参りました」
そう言うと征将は手に持っていた紙袋を取り出す。
「こちらはほんの気持ちですが受け取って下さい」
こてん、と首を傾げて高淤加美神は紙袋を受け取り、その中身を覗き込む。すると彼女の頬がみるみるうちに紅潮した。
「これ貰っていいの!?」
「ええ」
「ありがとう!!」
一気に見た目相応の反応を見せる。
「あの紙袋って何が入ってるんですか?」
高淤加美神の表情を一変させた何かがあの紙袋の中に入っていると思うと気になる。限定スイーツか何かだろうかと思っていたが、返って来た征将の言葉は意外過ぎるものだった。
「最近流行ってるアニメのグッズ」
「え!?」
「高淤加美神は自他共に認めるオタクだから」
神様がアニメオタクというのにも驚いたが、神様に献上するためとはいえアニメグッズを征将が買いに行ったというのにも驚いた。
ただでさえ目立つ容姿をしているというのにアニメグッズ売り場ではさぞかし注目を集めたことだろう。
「で、聞きたいことってなぁに?」
紙袋を自分の隣に置いてにこにこしながら高淤加美神が質問を促す。
征将といい高淤加美神といい、容姿に恵まれた人は自分の容姿が良いことを自覚した上で行動しているのか真知子は非常に気になった。
「一週間前、こちらに柏木冬子という女性が呪詛を掛けに来たと思うのですが心当たりはありませんか」
「あるよ?」
間髪入れずにあっさりと高淤加美神が答え、真知子は思わずずっこけそうになった。
「珍しく死んだ人間だったから覚えてるよ。どうしても殺したい相手がいるんだって言ってた。なんだか面白そうだったし、手伝っちゃった」
人の生死が関わっているというのに、まるで明日天気について話しているかのような声のトーンだ。
神様というのは面白いか否かで行動する。気まぐれで、人間の都合など考えない生き物だ。
「その呪詛を阻止するのが我々の任務です。呪詛の解き方を教えては頂けませんか」
征将の問いに高淤加美神はきょとんとした表情を浮かべる。
「そんなのないよ。征ちゃんも知ってるでしょ?」
まさかの解答の連続に真知子の視線は征将と高淤加美神の間を忙しなく行ったり来たりしている。
「ええ。ですが、呪詛神として名高いあなたなら何か知っているのでは無いかと思いまして」
人智を越える神ならば何らかの解決の糸口を知っているのでは無いか、という淡い期待を込めて真知子は高淤加美神をじぃっと見つめる。
んー、と顎に手を当てて何も無い頭上を見上げる高淤加美神。
「ないない。そんなに世の中甘く無いよ。返品ができるのは人間の世界だけだって」
満面の笑みを浮かべながら顔の前で手を左右に振る。
「一度心を決めて成し遂げようとしたことを心変わりしたから止めますって何様なの?って感じだよ。勝手にも程があるもん」
一切邪気の無い笑顔で正論を言われ、グゥの音も出ないとはまさにこのことだ。
何かを成し遂げるにはそれ相応の代償を支払わなければならない。
それは努力だったり時間だったり、場合によって様々だが、呪詛の場合は「人を呪わば穴二つ」という言葉がある様に代償は命なのだろう。
「まぁ、今回は献上品に免じて裏技教えてあげる」
「本当ですか!?」
なんだやっぱり裏技とかあるんじゃん!と三回目の浮上をした真知子を、悪気の無い高淤加美神の笑顔が叩き潰す。
「別の人になすりつけちゃえばいいんだよ!」
「………」
回答の内容云々より美少女になすりつけるという単語はあまり言って欲しく無いなと真知子は思った。




