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閻魔庁現世監査官  作者:
夏 悪女の帰還
13/30

第十三審

 ホテルに戻り征将がフロントから借りて来た救急箱で真知子の腕の手当てをし、一行はホテル最上階のレストランで少し遅い夕食を取ることになった。

 当初の予定とは違うが、ホテルのレストランもなかなかのものだった。エントランスと同じで深い赤と金色を基調にした内装と琥珀色に輝く木の家財。

 ゆったりとしたピアノの音がどこからともなく聞こえてきて落ち着いた雰囲気と相まって心地よい気分にさせられる。

 「久しぶりに動くと疲れますねぇ」

 「全くだ」

 田中さんと三郎は疲れた様子でしみじみと呟いている。

 まるで仕事に疲れたお父さんの様だ。

 「しかしよく退けてくれた。並みの者ではどうなっていたか分からなんだ。礼を言う」

 「とんでもありません」

 きらきらと輝くシャンパンをグラスの中で揺らしながら満足そうに富子が笑う。

 あの亡者達からすれば富子は奪う側の人間だった。立場が違えば互いの思いを理解することは難しい。彼らの嘆きを彼女が理解することは永遠にない。

 だが、一ヶ月前、奪われた立場の真知子はどうしても奪われた者の気持ちに肩入れしてしまう。

 「真知子」

 静かに富子がシャンパングラスを置き、真知子を見据える。

 「何やら言いたい事がある様だな」

 「いえ……」

 「構わん。申してみよ」

 言ってはいけないことだと分かってはいる。だが、言わずにはいれなかった。

 汗ばむ手をぎゅっと握りこんで震える声で言葉を紡ぐ。

 「……あの人達にも色んな理由があったでしょうに、一方的に悪いと決めつけてしまって良かったのでしょうか」

 これはただの独り善がりだ。彼らの言葉を代弁しているつもりで、奪った側の富子に奈緒の姿を重ねて自分の無念を晴らそうとしているに過ぎない。

 「あの者達にも信じる正義があり、妾にも信じる正義がある。そしてそなたにも。誰の正義も間違ってはおらぬ」

 やり場の無い感情が未だに胸の奥底に燻って、時々勢いを増してこの身を灼く。富子に奈緒を重ねて責めても何もならない。

 ここで何を言っても過去の自分は救われないのに何をやっているんだろうと自分の発言が一気に恥ずかしくなった。

 何より一番恥ずかしいのは恐らく富子が真知子のくだらない発言の理由が見透かされている様に思えたからだ。

 「……他者から見た自分が例え間違いであったとしても自分にとって自分は正しい。せめて自分が選んだ道を自分だけは間違いだったと思わぬ様に道を選ぶしか無い」

 目を伏せた富子が淡々と言葉を紡ぐ。言葉の一音一音が胸に重く沈んで行く。

 今の真知子が一番欲しかった言葉だった。

 唇を噛み締めて必死で涙を堪える。

 悪女と名高い日野富子が政治の中心に君臨できたのは彼女が金銭を扱うのと同じくらい人の心の機微を読む事に長けていたからかもしれない。


 富子を部屋に送り届け、征将の運転で家まで送ってもらっていた。

 「……諸説あるけど、日野富子築いた巨万の富は幕府の運営や焼失してしまった御所の修復費用に使っていたそうだよ」

 「え……」

 「集め方に大きな問題はあっただろうし、そこに何かしらの策略はあった筈だけど」

 征将が苦笑を浮かべた。

 「彼女は政権を掌握する為にそれ以外の全てを捨てた。でも、彼女の手元には何も残らなかったらしい。お金も、政権も、家族も」

 自分の全てを賭けても一番欲しい物は結局手に入らなかった。それどころか死後は地獄に堕ちて罪の業火に身を灼かれている。

 それでも富子が後悔の色を一片たりとも残していないのは自分が悩んだ末に選んだ道だからだろう。

 何を選んだとしても結局は傷付き、後悔が残る。

 真知子に残された道は精一杯悩んで答えを出す事だけだ。


 その日の深夜、真知子は再び携帯のけたたましい着信音に叩き起こされた。

 「はひ、おのれす……」

 『前に見たどらまの続きを見るのを忘れておった。今すぐ見たい』

 前回同様、一切悪びれた様子は無く、開口一番に用件を述べる富子。

 「……わかりました……」

 電話口で問答しても仕方無いのですぐに電話を切って枕に顔を埋めた。


 「……富子様、深夜の呼び出しは真知子ちゃんじゃなくて俺にして下さいとお願いした筈ですが」

 翌日、打ち合わせ通りの時間にやってきた征将は昨日と同じく廊下で田中さんと丸まって寝ている真知子を見て溜め息混じりに苦言を呈した。

 一方富子はというと穏やかな笑みを浮かべ寝起きの気怠げな雰囲気を纏い壁に凭れている。

 「そなたに言うても顔色一つ変えずそつなくこなしてしもうて何も面白くないであろう。真知子は良い。見ていて飽きぬ」

 深夜に叩き起こされてぶつぶつ文句を言う田中さんを引き連れて真知子は富子の部屋を訪れた。

 題名が分からないという富子から根気強くドラマの内容を聞き出し、一番近くにあるレンタルビデオ店へ走った。

 店員に富子から聞いた内容を伝え、そこでタイトルは突き止められたものの生憎と借りられてしまっていたので別の店に走って漸く借りることができた。

 結局今回も帰宅するには微妙な時間になってしまったので廊下で田中さんと眠りこけている。

 「そんな理由で女性を深夜に呼びつけないで下さい。しかもまた廊下で寝させて……」

 「まこと過保護な事務官よのぅ」

 眠っている真知子を起こさない様に征将は丁寧に真知子を持ち上げ、ベッドへ運ぶ。よく寝入っていてちょっとやそっと動かしても起きる様子が無い。真知子を運んだ後、ついでに田中さんもベッドへ運ぶ。

 「……この娘に人の世はさぞかし生きにくいであろう。人を傷つけることを怖がっていては何も手に入らぬ。他の人間は平気で他者を蹴落として行くというのに」

 「ええ」

 臆病で体裁ばかり気にしているから欲しい欲しいと心が叫んでいるのに手に入れる事ができない

 「でも、そんな彼女の不器用な生き方に憧れるのでしょう?」

 征将が深い笑みを浮かべて富子を見つめると、富子は綺麗に整えた眉を寄せて苦笑を浮かべた。

 「だからお前は嫌いじゃ」


 富子の支度が整うと同時に真知子を起こすと、富子のベッドを占領していたことに驚いてすぐに飛び起きた。

 今日も一日飽きもせずに寺社に寄進の品を届けて回った。

 ただ、昨日は京都でも指折りの有名な寺社が多かったのに対して今日は比較的小さな寺社が多かった。

 そして一行は夕方になり迎え火の時と同様に簡易提灯を花開院にやってきた。

 「三日だけなど貧乏臭いことを言わず三百日くらい骨休めが欲しいものじゃ」

 漆黒が支配する空間の中、淡く優しい光が提灯に灯る。

 幻想的な提灯の灯りに染まりながら物憂げな表情で溜め息をつく富子は息を呑む程に色っぽいが、呟いた内容は強欲そのものだ。真知子も征将も思わず笑ってしまった。

 「今年の盆はそなた達のお陰でまこと愉快であった。礼を言う」

 先程の物憂げな表情から一片、大輪の牡丹が一気に花開いたかのように富子が満面の笑みを浮かべて礼を述べた。同姓の真知子でさえも目を奪われる。

 「いえ、こちらこそ良い勉強をさせて頂きました」

 「そなたが言うと嫌味にしか聞こえんが」

 「嫌だなぁ、本心から言ってますよ」

 「…………」

 その言葉と営業スマイルが嘘っぽく見えるなど真知子は口が裂けても言えない。まだ命は惜しい。

 「……これでまた罪の業火に耐えることができる」

 犯した罪は決して消えない。

 たとえ犯したその罪の先に輝かしい結果を残したとしても。

 「真知子、征将、この先そなた達がどんな道を選ぶのか、あの世からとくと見せてもらうぞ」

 やがて夜に溶ける様に富子の体が消えた。

 これからまた富子は地獄で罪を償い続ける。

 永遠に等しい時間、終わりの無い苦しみに苛まれたとしても彼女は自分の選んだ道を悔やみはしないのだろう。



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