第十一審
「真知子ちゃん!?どうしたの!?」
「ふぉっ!?」
翌日朝九時前、征将の声で真知子は飛び起きた。
「あ、滝さんおはようございます……」
「そうじゃなくって……!」
結局帰って支度するのにも微妙な時間になってしまったのでそのまま富子の部屋に泊まって行った。
しかしお前が寝る所など無いとすげなく言われ、玄関前の廊下で田中さんと一緒に丸まって眠った。絨毯がふかふかだったのと体に掛けるバスタオルだけは貸してもらえたのが幸いだった。
「夜更けに呼び出してしもうたからな。妾の寝所を使えと申したのじゃが、畏れ多いと言うて聞かなんだ」
「…………」
息をする様に嘘を付く富子。言い返すのも疲れてしまってしたいようにさせておく。富子は朝から風呂に入っていた様で濡れた髪にバスローブ姿で玄関のドアを開けていた。
征将にまだ準備ができていないから待つ様に言い、真知子と征将は部屋の窓際に置かれたソファに座って富子の準備が整うのを待った。
ガラス一枚しか隔てていないというのに、室内は暑くも無く寒くも無い快適な温度に保たれている。 今日一日この中を行動すると思うと遠い目になってしまう。
全身毛皮の田中さんは連日のこの暑さに参っており、誰よりもいち早く涼しい場所に避難している。今は冷房の風が直接あたるソファの前を陣取っている。一方の三郎は見た目通り暑さはあまり堪えていない様だ。
「おはよう」
颯爽と洗面所から出て来た富子の服装に真知子は大層な衝撃を受けた。
富子は白衣姿から一変、目映い真っ白なスーツを纏って登場した。足下を飾る靴はシャンパンゴールドのハイヒール。華奢なネックレスもゴールドだ。化粧を一切していなかった昨日も美しかったが一分の隙もなく化粧が施された今はより一層艶やかだ。
しかし真っ白な穢れない服を着ているというのに装飾品の合わせ方もあり、悪女のオーラに凄みが増している。
ベッドの端にどっかりと腰掛け、タイトスカートから伸びたすらりとした足を優雅に組む。
「今日のご予定は如何なさいますか」
「午前中は買い物。午後は寺社の参拝だ」
「承知致しました。では早速参りましょうか」
何故こんなにも扱いが違う。と心の中で文句を言うが、口に出す勇気は無い。
まずやってきたのは京都の繁華街にある有名百貨店だ。
真知子が自分の買い物をするには敷居が高くて脛をぶつけるどころでの話しではない価格設定だ。
しかし富子は一度目に止めた物は余す事無く真知子と征将に持たせて店内を一周して会計を済ませる。提示される金額は真知子の一ヶ月分の給料に近い。
「このお金、どこから出てるんですか……?」
「富子様へのお布施が主だね。生前のものはあの世に持って来れないから」
百貨店を出る頃には征将も真知子も両手にショップバックをいくつも抱えている。
「疲れたのぅ」
駐車場まで向かう道すがら、手に持っていたクラッチバックを真知子が抱えている荷物の上に投げ入れる。絶妙なバランスで保っていた荷物が大きく揺れて真知子は慌ててバランスを取り直す。
「昼はまだかえ」
迷惑を被る立場の人間にとってはたまったものではないが、本能の赴くままに、自分の思うままに行動しても許されてしまうのだから顔が良い者は本当に得である。そうやって絆されてしまう真知子は例に漏れず一般人なのである。
昼食は富子が鴨川の川床で懐石料理を食べたいと言うのでなんとか予約を取って席を確保したらしい。真知子や征将の食事代も経費で落ちるのでこういう時は役得である。
去年社会人になった記念に、と雅也と食べに来たのを思い出した。見慣れない料理に真知子は目を輝かせたが、雅也は料理が来る度に犬や猫の様に警戒心を剥き出しにしていた。
口にすればそのおいしさに顔が綻び、そのギャップが可笑しかったのを今でも覚えている。
「なんだ真知子、魚食わねぇんなら貰うぞ」
「へ?ああ!田中さんひどいっ!」
物思いに耽っていると食い意地の張った田中さんに焼き魚をかっさらわれてしまった。
「珍しく神妙な顔してどうした」
「いや、ちょっと……」
あまり進んで話したい内容では無いので何とか話を濁そうと試みるが、こういう時に上手くいった試しが無い。
「その様子じゃと昔の男か」
美しい箸遣いで豆腐を食べる富子がずばりと言い当ててしまった。
否定したい所だが上手い嘘も思い浮かばず、否定も肯定もせず曖昧に笑っておく。
「寝取られ男の事なんて早く忘れちまえ。引きずった所で腹の足しにもならん」
「何だ他の女に盗られたのか。情けない」
田中さんと富子の強烈すぎるタッグに真知子はノックアウト寸前である。
「美しかった思い出を後生大事に抱えて泣き寝入り、か。完全な負け犬だな」
ふん、と鼻で笑う富子。
腹は立つが彼女の言う通りだ。自分でも分かっている。
自分を蹴落とした二人に毒を吐いたとしても惨めだ。しかし、惨めになるからと口を噤んでいる今も惨めに変わりない。
「……やり返して、何になるんですか。もっと惨めになるだけじゃなですか」
空気をこれ以上悪くしたくなかったが、何も知らないのに一方的にバカにされていることに腹が立った。
これ以上惨めにならない様に我慢してきた。必死に感情を押し殺して他に目を向けようと頑張って来た。
なのに、何も知らないのに、何でバカにされなくちゃいけない。
「やられっぱなしで何が面白いのか妾にはさっぱり分からぬ」
やられっぱなしどころか言われっぱなしも許さない富子。まさかさも当たり前の様に言い返されると思っていなかった真知子はぽかんとしてしまう。
「自分の持つ駒を使って最善の一手を考えよ。自分が傷付かず、相手に絶大かつ致命的な一矢を報いる一手を」
真知子とは対極に位置する考え方。己の誇りを守る為最善をつくし、人を傷つける痛みを覚悟した者の生き方。
しかし、それができるのは強い人間だけだ。
今も真知子は唇を噛み締めて悔しさを堪えることしかできなかった。