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閻魔庁現世監査官  作者:
夏 悪女の帰還
10/30

第十審

 そしてお盆本番の八月十三日の夕方、真知子は征将と一緒に日野富子の墓所がある上京区の華開院という寺院にやってきていた。田中さんと三郎も着いて来ている。

 寺に参拝して入り口に戻ると征将が持って来ていた紙袋の中からがさごそと何かを取り出す。

 「よし、迎え火をしようか」

 畳んでいた提灯を伸ばし、電球をセットしてスイッチを入れると提灯が淡い光を灯す。

 すると、数分もしないうちに暗がりにぼんやりと白衣を着た女性が浮かび上がる。

 「……ほぅ、今年はそなたか」

 「よろしくお願いします。富子様」

 征将が女に向かって頭を下げ、真知子もそれに倣って頭を下げる。

 暗がりから現れた女は妖艶な笑みがこの上なく似合う人であった。強そうな黒く大きな瞳がとても印象的で、黒い滝の様な髪を右の鎖骨の辺りで白い布でゆるく一つにまとめている。

 征将の横に並べばさぞかし絵になることだろう。

 「富子様、紹介が遅れました。今年から現世監査官に着任した小野真知子監査官です」

 「よ、よろしくお願いします!」

 どうやら征将と富子は顔見知りの様で、初対面の真知子の紹介をしてくれる。

 ぺたぺたと富子が真知子に近付き、顎を掴んで持ち上げる。

 「なんとまぁ華のない顔じゃなぁ。大金も小金も持っていなさそうじゃ。金にも幸にも縁が薄い。良いカモにもなりそうに無いのぅ」

 噂に名高き守銭奴。金の匂いを感知するのも一流の様だ。

 「小野、というと小野篁の子孫か」

 「は、はひ……」

 富子はうっそりと目を細めて征将に目を向ける。

 「そしてそなたは相変わらず食えぬ男のようじゃ。妾と同じ、カモを食い物にする側の人間じゃ」

 真知子の顔の輪郭をなぞって富子は踵を返した。ぴりぴりと彼女が触れた所が電気を帯びているみたいだった。

 颯爽と歩を進める富子の後を追う征将は呆気に取られていた真知子をそれとなく促し、気付いた真知子は先を行っていた二人に合流した。


 近くでタクシーを捕まえて征将が運転手に告げた行き先は京都御苑の中立売御門だった。

 門の近くでタクシーを降りて数分歩くと煉瓦造りの大きな建物が姿を現す。様々な色を組み合わせた煉瓦の壁に緑鮮やかなアイビーはなかなか乙女心をくすぐる外観である。

 「………こんなホテルなんてありましたっけ?」

 自分の記憶を掘り起こしながら真知子が問う。真知子の職場はこの近くにある。こんなに目立つ外観のホテルがあればかなりの噂になっている筈だ。

 「ここは閻魔庁の直轄地でお盆期間の要人滞在に使われてるんだ。結界が張ってあるから一般人はここに気付くことはできない。少ない人員で警護するには限界があるから宿泊先は地区ごとにまとまってるんだ」

 重厚な玄関の扉からは煌々と光が溢れ、それに集まるかの様に白衣を着た人間やスーツ姿の人間が扉に吸い込まれて行く。その流れに沿って真知子達もホテルの中へ入る。

 エントランスには天井から豪奢なシャンデリアが吊るされきらきらと瞬く光を永遠に反射させている。足下は毛足の長い真紅の絨毯が敷かれ、家財道具は艶やかな飴色に輝く木材で統一されている。

 高級な雰囲気にそぐわないのは主役である筈の白衣の人々である。風景の中で異様な雰囲気を放っている。

 「そなた、あの男とは何も無いのか」

 滞在手続きを征将が取っている間、真知子と富子はエントランスのソファに腰掛けて征将を待っていた。すると暇潰しの為か富子が話し掛けて来た。

 「特に何もありませんが……」

 「何じゃ、面白うない。まぁ、あの男の器量だとそなたごときには手に余るか」

 あけすけない物言いにあはは……と笑って流す。自分でも充分理解しているが人に言われると腹が立つものである。

 「閻魔大王もそなたの様なよく言えば素朴な娘じゃからあの男の監査官に据えたのだろうな。並み以上の女子であれば一ヶ月で泥沼じゃ」

 「お部屋は七○五だそうです」

 真知子の堪忍袋の緒がキリキリと音を立てて張りつめていたその時、タイミングを見計らった様に金色の鍵を持った征将が富子と真知子の所へ戻って来た。後ろにはきっちりと制服を着込んだボーイが着いて来ている。どうやら部屋まで案内してくれるらしい。

 「明日は九時にはここを出る。それまでは下がって良い」

 「承知致しました」

 部屋に辿り着き、ボーイが扉を開けると富子は颯爽と部屋へ入って行く。

 「では明日九時十分前にこちらへ参ります」

 「ああ」

 ぱたん、とドアが閉まって征将と真知子は頭を上げた。




 真知子は翌日の目覚ましは六時にセットしていた。しかしそれよりもかなり早い午前四時に携帯の着信音に叩き起こされた。

 「……はい、おのれす……」

 画面を確認しようとしたがどうしても目が開かないので眉間に深い皺を刻んで画面のロックを解除して真知子は電話に出た。

 『真知子、妾は今こんびにすいーつが食べたい』

 起き抜けの頭で一生懸命情報を処理する。

 「……ほてるのるーむさーびすたのんでください……」

 『ほてるのものではない。このてれびに映っておる物が食べたいのじゃ』

 女王様とは融通が効かないらしい。

 十数分押し問答をしていたが、結局真知子が折れてコンビニスイーツを調達してくることになった。


 「これでは無い」

 急いで準備をしてぶぅぶぅ文句を言う田中さんを宥めすかし、ホテルの近くにあったコンビニで適当に甘い物を調達して富子の部屋に来たのだが、袋の中を見た富子はそのまま真知子に袋を突き返した。

 「いや、これがコンビニスイーツですよ」

 「妾がテレビで見た物はこれでは無い」

 どうやらCMで流れていた商品をご所望の様だ。

 「……その商品の特徴を教えて下さい」

 言い合っていても仕方無い。結局は真知子が折れるしかないのだ。答えが決まっているのならその商品をさっさと買って来る方が一番早く問題を解決できる。


 近場のコンビニを回れるだけ回ってめぼしいものを片っ端から買い漁った。

 これだけあれば当たりがあるだろうと思い、車のドアに手を掛けようとした瞬間、横から物凄い衝撃に吹っ飛ばされた。

 「うおっ!!?」

 「真知子!!」

 買い物袋は高く宙を舞い、無様な音を立てて地面に叩き付けられた。

 真知子は地面に叩き付けられる衝撃を覚悟したが、柔らかい何かに背中から突っ込んだ。

 「大丈夫か」

 「た、田中さん!?」

 柔らかいものの正体は本来の姿に戻った田中さんだった。変化して横っ腹で真知子を受け止めてくれたらしい。

 田中さんが鋭い目つきで前方を睨みつけている。

 「なに……?」

 闇の中に目を凝らせば、ぼんやりと浮かぶ人影が確認できた。纏った白衣でその人物がこの世の人ではないのだと分かる。

 白衣は擦り切れて汚れ、髪や髭はぼさぼさで伸びたい放題。落窪んだ目だけが爛々と光っている。

 「貴様、この御方を閻魔大王直属の現世監査官と知っての狼藉か」

 普段聞き慣れない格式張った口調に真知子は目を丸くさせている。

 『あ……お……す…………た』

 男はぶつぶつと呟きながらゆらゆらと真知子達の方へ歩いて来る。

 『いえも、ちちも、ははも、つまも、むすめも。すべて、あのおんながうばった……』

 ぽたぽたと男の足下に水の様な物が落ちる。よく見ればそれは血だった。男の目から流れる血が筋を作って地面に落ちて行く。

 恐怖のあまり息を呑んで後ずさる真知子。

 「今なら目を瞑る。退け」

 毅然とした態度で歩を進め、田中さんは真知子の前に出た。

 しかし、男は歩みを止めない。

 『あのおんながあのおんながあのおんながあのおんながああああああ!!』

 血の涙を流し、奇声を上げながら男が田中さんに飛びかかる。

 田中さんは小さく舌打ちをして前足を大きく払った。

 「っ!!?」

 風が巻き起こり、断末魔の絶叫が耳を突く。

 「ったく」

 元の大きさに戻った田中さんは二股の尾をゆらゆらと左右に振ってその場に座る。

 「いない……」

 先程まで男がいた所には誰もいない。

 「追い払っただけだ。恐らく富子の霊気を辿って来たんだろう」

 田中さんは目を眇めて息を付く。

 「何せ応仁の乱を起こした張本人だからな。あの女は恨みを方々に買ってるぞ。さっきの男も応仁の乱の戦没者だろう」

 応仁の乱。それは真知子にも覚えがあった。学生時代の薄らとした記憶の中と最近読んだ富子に関する資料でだ。

 十年の長きに亘る戦乱で京都は荒廃してしまった。その大乱の引き金を引いたうちの一人が日野富子だ。自分の息子に将軍職を継がせたくてお家騒動を勃発させ、その火種が戦となり日本全土に戦火をまき散らした。

 そして、彼女が悪女と呼ばれる最大の理由は彼女が戦争を利用して金儲けをしたことにある。

 直接的に手を下していないとはいえ、彼女の強過ぎる願望が災厄を呼び、数えきれない人々を死に追いやった。

 千年以上も経った今、彼女はその罪を償う為に地獄の最下層で罪の業火に身を灼かれているのだ。

 このあと部屋に戻ると富子はベッドに横になってテレビを見ていた。富子は夏に売り出しているフローズンドリンクをご所望だったらしい。多少衝撃を与えても崩れないもので良かった。と真知子は心から思った。

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