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ゆびからこぼれたストーリー

作者: 山彦八里

「デートに行こうと思うんだ」


 がやがやと騒がしい昼食時の学食。

 僕は420円のカツカレーをパクつきながら、対面に座った頃末ころすえ少年――ハタチを過ぎても高校生に間違われる童顔なのでそう呼んでいる――のカミウングアウトを聞いた。


「デート」

「そう、デートだ」


 力強く復唱される聞き慣れない単語ごと僕はカレーを呑みこんだ。

 没個性的な学食のカレーは好みではないが、とにかく安い。あとカツが2枚ついている。お得だ。

 それはともあれデートか。

 うん、特に答えに迷うことはない。


「いいよ。いつ行く?」

「お前とじゃねえよ! いや、下見に付き合って欲しいんだけどさ」

「だから、いいって言ってるじゃん。いつ行く?」


 我ながら賞賛すべき先読みの良さに頃末少年は憮然とした表情をしたものの、しばらくして「今日」とだけ応えを返してきた。

 こっちの予定ガン無視じゃないか。……まあ、空いてますけど。


「わかった。どこ行けばいい?」

「三条大橋の、えっと……」

「土下座像前?」

「その呼び方やめようよ!」


 うん、そうだね。

 でも正式名称は自分の名前呼ぶみたいでいまいちしっくりこないんだよね。まわりにも通じないし。


「じゃあ、行こうかデート……の下見」

「おう、頼むわ」


 そういうことになった。



 ◇



 頃末少年のチョイスした店は三条大橋から少し西にいった木屋町近くの小洒落たバーだった。

 昼は喫茶店もしているらしく、落ち着いた雰囲気で、サンダルで来ても大丈夫なくらいには砕けているのも良い。

 店員もあまり干渉してこない。個人的には店員とおしゃべりしながら飲む方がいいのだけど、デートでそれされると困るだろう。

 あと、窓際の席なら夜の高瀬川がみえるというのも風情があって高評価だ。高瀬川は地味だが、等間隔の法則のせいで景観としてはちょっと異様で、時によっては騒がしい夜の鴨川よりも安牌なのだ。


 デート前で蓄財に励んでいる友人に奢らせるのも可哀想なので割り勘ということにして、皮装丁のメニューを開く。

 ワインは少なめ、カクテルの主要所は押さえている。珍しいのは紅茶やソフトドリンクが充実しているところか。

 食事はバルなどと比べると軽めだがスイーツ系は充実している。成程、デート向けだ。


 適当にツマミを頼み、僕はジンバック、彼はハイネケンを頼んでひとまず乾杯した。

 グラスに口をつけると、ジンジャー特有の喉に抜ける感触が心地よく抜けていった。やはりウィルキンソンは正義だ。


「それで誰誘うの? 憲法の狸屋橋まみやばし先生?」

「人妻子持ち37歳じゃねえか! いや、ゼミコンのあと誘って断られたけどさ」

「……君のその行動力はもっと違うことに使うべきだと思うよ」


 ゼミ追放されなかっただけでも温情じゃなかろうか。

 頃末少年のことだから、単純にサシで飲みたかっただけなのだろうけど、誤解されても仕方のないラインだ。


「と、まあ冗談はさておき、誘うのは周防先輩だろう?」

「……よくわかったな」

「店のチョイスをみればね」


 周防というのは、頃末少年も所属している狸屋橋ゼミの四回生だ。

 小柄で貧乳ながらスタイルもよく、また男相手でもはきはき喋る気持ちの良い人だ。頃末少年の好みど真ん中といっていい。

 趣味は筋トレ。あの引き締まった太ももの維持には苦労しているのだろう。

 僕も何度かコンパで一緒したことがあるが、体質的にお酒は飲めないし、かなり小食だ。

 頃末少年がこの店を選んだのはそこらへんを加味したからだろう。こういう気遣いができるところが彼がモテる秘訣なのかもしれない。


「アポはとれたの?」

「おう、ゼミの仲良い奴で今度飲むから、そのあとにってことで」


 四回生相手にはギリギリの時期だ。

 1月も下旬の今、追い出しコンパも終わって先輩がゼミに顔を出すことはあまりないだろう。

 特に周防先輩は前期で単位を取り終え、関東に就職を決めている。早い人はもう引っ越していてもおかしくない。


「先輩、2月には引っ越すんだってさ」

「ん、じゃあうまくいっても遠距離か」

「俺も関東で就職するから1年だけな」

「留年しなかったらね」

「しないから。怖いこと言うのやめてくれ……」


 うんざりした表情をする頃末少年だが、卒業できるか割とギリギリのラインをひた走っていることは仲間内では周知の事実だ。

 法学部は期末試験さえクリアできれば単位は取れるが、逆に言えば試験で点を取れないと他がどうあっても駄目ということだ。


「で、勝算の程は? 前に好み聞いたとき、たしか先輩『身長170センチ以上の筋肉モリモリ!』って言ってたよね。あれイケメンってつけなかったの温情だよね。ところで身長伸びた?」

「ぶっ飛ばすぞ。……俺よりチビのくせに」

「ころす」

「待て、今のはおあいこだろう」


 たしかにこれは大人げない。

 反省しつつ、立ち上がりかけた身を渋々椅子に戻す。

 気持ちを切り替える意味で、僕はカルアミルクを頼んだ。

 ここはコーヒーにも力を入れているようだし、割と期待が持てそうだ。


「一応、ペアリングも買ったんだ」

「重い」

「いやいや、ここは覚悟のほどをみせるところだろ! 遠距離なんかに負けないって!」


 そういって自信満々に取り出されたのはシンプルな銀のペアリング。

 目利きには自信がないが、頃末少年の懐具合から察するに2点で5,6万といったところだろう。奮発したものだ。

 こういう風に決断の段になって、断られたときのことを投げ捨てられる頃末少年のことが羨ましい。

 なりたいとは、思わないが。


「……まあ、君がそう言うのなら。君の方が僕よりも先輩に詳しいだろうし」


 既に決断している以上、僕がとやかく言うことはない。

 だから、僕がやるべきはこうしてグラスを掲げることだけだ。


「頑張れ。特に何もできないけど、応援はしてるよ」

「おう」


 そうして、合わせたグラスからは季節外れの風鈴のような音がした。







 ――と、盛大にフラグを立てた張本人は、デート当日、夜の四条大橋で項垂れていた。


 23時過ぎに電話で叩き起こされ、おっとり刀で駆け付けた身としてはこれ以上ないくらいに反応に困る。


「いやあ四条も久しぶりだ。前に来たのは新年に飛び込んだ時だったかな」

「……武道系で集まったやつだっけ?」

「そうそう。道着って水に濡れても透けないんだよね。期待して損したよ」

「……9割男じゃねえか」

「まあね」


 どうやら軽口が叩ける程度には元気らしい。喜ばしいことかは不明だが。

 彼は欄干に身を預け、黒々とした深夜の鴨川をじっと見つめている。

 僕には清潔感のある白シャツに包まれた細マッチョな背中しかみえない。努力の跡が窺える背中だが……。


「…………駄目だった」

「そっか」


 それだけ言って再び項垂れる彼に、僕は何と声をかけるべきなのだろうか。

 正直、肩を叩いて適当な居酒屋に連行するのが一番早い気がするのだが、彼が手の中で弄んでいるペアリングの存在がその考えを邪魔している。


 何をしたいのかは見当がつく。

 正直、質屋にでも持って行った方が建設的じゃないかとも思う。あとオオサンショウオにも優しい。

 だが、やりたいのなら止められない。

 僕らはそういう関係だった。


 そして、立ち上がった彼は一度深呼吸すると、大きく振りかぶってペアリングを投げた。

 かつて甲子園目指して鍛えた肩は健在で、銀の輪は大きく美しい弧を描き、小さな水音と共に鴨川の中に沈んでいった。


「――ばっきゃろおおおおおお!!」


 彼は叫んだ。

 やりきれなさと後悔を振り捨てるように大声で叫んだ。


 深夜とはいえ、四条大橋はそれなりの人がたむろしている。

 クリスマスには烈士たちが正拳突きやらスクワットやらしているスポットだが、時期も外れた今はおおむね常人しか見当たらない。

 そんな中であれに声をかけるのは些か恥ずかしいし、そもそもなんて声かければいいかもわからない。


 ……よし、歌うか。


 何故その結論になったかは自分でもわからない。

 ただ、慰め役の友人面して声をかける気にはなれない以上、なにか違うアクションをとらねばならない。

 ほら、後先考えずに叫んだ背中が次どうすればいいんだろうって空気で固まっているし。

 そこで人目もはばからずに泣ける奴なら慰め甲斐もあるのに、変なところで意地っ張りだ。男の子め。


 さて、どうせだから失恋ソングを歌ってやろう。

 誰の曲がいいだろう。あとで振り返って笑えるような、とびきりのやつがいい。


 とりあえず思いついた曲を歌うことにする。

 下手にしんみり歌って鴨川飛び込まれても困るし、大声で、元気よく。

 振り返った彼はなんともいえない味わい深い表情をしている。

 僕を呼んでおいて、まさか慰めて貰えるなどと思ってはいなかっただろう。

 笑わば笑え。友達甲斐のない奴だと。

 僕らはそういう関係だ。


 そんなことをしているうちに深夜を回り、僕たちの1月は終わった。



 その後、頃末少年には屋台のたこ焼きを奢った。

 猫舌の彼は涙目になりながら頬張っていた。

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― 新着の感想 ―
[一言] 面白かった!! 学生時代のリアルを感じました。すっげ~、ノスタルジックな気持ちになりました。 いや、初デートでペアリングプレゼントは流石にないだろ、と思いましたが…… これ、土地勘があれ…
[一言] なろう作品はリアルな地名を使用しない傾向があると――赤井 紅介様の京都多種族安全機構のような例があるので零ではないですが――思うのですが、その点を恐れずに書かれているのが印象的でした。 何度…
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