「毒蛇のひと噛み」
~~~小山妙子~~~
──なんだなんだ? 何がどうしてこうなった?
──なんであいつ、いきなり座りやがったんだ?
──しかも両足を折り畳んで、あれじゃ急な動きが出来ねえだろうが。攻撃が来ても躱せねえってーか……。
──命乞いじゃねえか? もう勝てそうにないから、せめて殺さないでくださいって。
──にしたって唐突な……。
驚きが、戸惑いが、アルカンシオン西側広場に広がっていく。
そして同じようなやり取りが、おそらくは全多元世界のモニタの前で繰り広げられていることだろう。
それほどに状況は異様で、また謎めいていた。
何しろ、直立状態で臨戦態勢の龍花を前にしてサクラは──
刀を鞘に納めて左の腰に当て──
足を折り畳んで正座しているのだ──
「これは……」
あたしも束の間、言葉を失っていた。
「まさかあの……?」
以前タスクが得意げにひけらかしていたから、知識としては知っている。
居合いにはたしかに、着座からの術がある。
だが、まさかこの相手に……。
この局面で……?
「おいてめえ! 何やってんだ!」
呆然としているところに、横から声をかけられた。
誰かと思えばゼッカ大黒だ。
ピンクとイエローのまだらに染め上げられたツンツンヘアーの名物女性アナウンサーが、凄まじい勢いで詰め寄って来た。
「あんた……いったい……?」
こうならないようにと、アリアとクロエのふたり組みに抑えさせていたはずなのだが……。
「こ……こらっ、あんた止まりなさいよっ」
「──光線銃が見えないの?」
ちらりと目をやると──声を荒げて怒るアリアの銃口がゼッカの脇腹に、氷の如き視線で威圧するクロエの銃口がこめかみに当てられているのが見えた。
「うるせえ! 知ったことか! 殺れるもんなら殺ってみやがれ!」
しかしゼッカは、構わず顔を近づけてきた。
シルバーの五連リングを通した唇を上下させ、まくし立ててきた。
アナウンサー魂、とでも言うべきだろうか。
命の危険など顧みず、まっすぐに手を差し出してきた。
「他人様の飯の種をかっさらっておきながら何だその体たらくは! こんなオイシイ状況を前にだんまりで済ますつもりか!? ふざけんな! おら! 喋る気ないならとっととマイクをこっちに寄越しな!」
「ちっ……」
一瞬、渡してしまおうかと思った。
当初の目的はほとんど果たせているし、両者の戦いにはもはや、口で分け入る余地などない。
だったらもう、電波ジャックにこだわる必然性は……。
「いや……ある」
しばしの逡巡の後、あたしはゼッカの手を振り払った。
「まだある」
すうー……っ。
息を深く吸い込んだ。
深く深く吸い込み、腹の底に落とした。
「やれることはまだある」
あたしはシロじゃない。
御子神でもなく、サクラちゃんでもない。
ジーンやウルリカという女でもなく、つまりは直接タスクの戦力になってやることは出来ない。
でも、だからって無力なわけじゃない。
ヒーローを待つだけのか弱い女なんかには、なってやらない。
「──大人しく聞いてな」
言い捨てると、マイクを強く握った。
臍下丹田に力をこめた。
──ご説明いたします。まずは現状について。シロ、御子神の両選手と三身合一したタスク選手は、それでも及ばぬと見るや、さらなる合一化の相手に一本の剣を選びました。こちらの世界で言う精霊憑きであるその剣にはサクラちゃんという名の女性が憑いており、今現在はその女性が肉体の主たる制御を行っている状態です。
状況が気になっていたのだろう広場中の人間は、ぴたりと無駄話をやめた。
作業していた者は手を止め、こちらを見た。
──サクラちゃんは、剣神とでも呼ぶべき剣術の達人です。地球という星の日本という国の剣術の、中でも一等希少な、『居合い』という名の術の使い手です。依り代である武器の名は鏖花百雷、ご覧の通りの片刃の曲剣です。緩やかに湾曲したフォルムが特徴の、『刀』と呼ばれるものです。なぜそのような形状をしているのか、そこには様々な理由があります。
「ちっ……なんだよ、喋れるんじゃねえか」
ゼッカが悔し気に舌打ちするのを尻目に、あたしは続けた。
──鍛造技術の問題、剣自体の耐久力の問題、小人種であった日本人特有の人間工学的な問題。ですが一番は、地理的な問題でしょう。日本は狭い島国でした。国土の大半を山と森林が占めていた。住面積も狭く、家屋もまた狭かった。故に、直剣でなく曲剣のほうが戦時において取り回しやすかった。そういった理由により、『刀』は曲剣となった。そしてそこへ、政治的スパイスが振りかけられます。
『………………』
静寂の中に、あたしの声だけが響く。
──地方領主たちが覇を競った長い戦乱の時代の後、今度は長い長い平和な時代が続きました。実に300年にも渡って続いた政権による支配は、あるひとつの特徴的な施策により支えられていました。それは武装の制限です。
アナウンスは戦場であるドーム内にも届けられているので、もしかしたら中のふたりも同じように耳を傾けているかもしれない。
いや──少なくとも龍花は聞いているはずだ。
誰よりもサクラちゃんの体勢の意味を知りたいはずだ。
──有力諸侯の頭を抑える目的で課されたその制限は、武器の所持、携帯、使用に関する厳しいものでした。さらに政権の衰退と次世代の台頭というシチュエーションの変化が加わる中、その技術は急速な発展を遂げていきました。狭い家屋の中で、路地裏で、時に人ごみの中で。徹底して相手の意識の外から振るえるように術理が編み上げられていきました。その正体は……ここまで言えばもうおわかりでしょう、暗殺剣です。
その一言に、龍花の肩がぴくりと震えた。
ほら、やっぱりな。
──彼女が振るうのは、地球きっての暗殺剣です。人の意表を突き、殺すためだけに考えられた、忌まわしき術です。主たる理合いはわかりづらさです。納刀していることによる間合いのわかりづらさ、どこからでも飛んで来る斬線のわかりづらさ……。
『おお……っ!』
戦いの行く末を想像したのだろう、一部の観客がどよめいた。
──その一撃は、時に蛇に例えられます。深い深い穴の底から、鬱蒼たる茂みの中から、音も無く這い寄る毒蛇のひと噛みに。
『おおおおお……っ!』
どよめきは強まり、会場中へと広がった。
「……っ」
龍花は今や完全に動揺している。
両足に根が生えたように、その場で硬直している。
無理もない。
関節技で痛めつけられ、刀で傷つけられ、さらには暗殺剣だの毒蛇だのと恐ろしげな情報を囁かれ、頭の中は大混乱に陥っているはずだ。
さあ、受け取りなサクラちゃん。
精神の乱れに姿勢の崩れ。
あんたにとっては絶好の餌になるはずだろ?
──さあご覧ください。多元世界最強位、紅蓮世界シンの偉大なる皇帝龍驤の愛娘、龍花の勇姿を。彼女は今、かくも恐ろしき術の前に身を晒そうとしています。正々堂々と決着をつけるため、自ら間合いに飛び込もうとしています。不可視の絶対領域、そのただ中に。その勇気を称え、皆様どうか、暖かい声援をお送り下さい。
意地悪く笑いながら、あたしは言った。




