「The pit」
~~~新堂助~~~
「『エイ・アール・ペイ・アール・マダラン。精霊よワダツミの底より来たれ……』」
黒いヴェールで顔を覆い、黒のドレスで全身を隙なく覆った5名の女性──アーキア・ヴェルトラの術士たち──の呪文詠唱が始まると、『ドーム』の端っこに変化が生じた。
光の膜に針のような穴が開いたかと思うと、一気に7メートル大に広がった。
それはすぐに拳大に縮まり、今度は6メートル大に広がった。
広がる、縮まる。広がる、縮まる。
繰り返すうちに穴の大きさは徐々に安定していく。
やがて3メートルと5メートルの間を行き来するようになった。
「ようっし、再確認するぞ?」
そろそろ頃合いかなといったところで、俺はみんなに声をかけた。
「まずは俺が龍花にこっそり接近する。目標点に到達次第連絡を入れるから、そしたらジーンは精霊銃で陽動射撃してくれ。龍花の注意を引きつけたかな、と思ったらすぐに脱出だ。その隙に俺もタバサ姉を拾って脱出するから。交戦は絶対禁止。間違っても戦おうなんて思うな。──おい、わかってるか? そこの戦闘狂。この辺は主におまえに向かって言ってるんだが」
「だ、誰が戦闘狂かっ!」
気色ばむウルリカ。
「言われずともこの戦いの意味はわかっている! 龍花と槍を交えるのが目的ではない! あくまで貴様の姉を助けるのが目的であって……目的であって……っ!」
「おーい、目が泳いでんぞー」
エフェメラ号の手綱をいじりながらぶつぶつ言ってるウルリカ。
力試しをしたくてしかたないのだろう。
「ったくこいつは……」
ため息をついていると……。
「大丈夫だよタスク。ボクがきちんと手綱を握るからさ」
ウルリカの後ろに乗っているジーンが、気楽な調子で請け負った。
「決して無茶はさせない。なんせ相手は多元世界最強の『嫁』だもの」
「おう、ありがとな。頼りにしてるぜ、ジーン」
礼を言うと、ジーンは「えへへへへ……」と嬉しそうに微笑んだ。
「んーじゃ、続けるぞ? 脱出点である開口部は東西南北の4か所にある。まずはここ、北のアルカンシオンゲート付近。東のロンフォール交差点と南のシンパハイウェイ第2側道合流点、西のキタミ商会第8倉庫直上にひとつずつ設置されてる。それぞれの座標は携帯端末を参照してくれ。連絡も同様に、携帯端末で行う」
「到着予想は突入してから100秒後だよね?」
「そうだ。よっぽどズレる場合は連絡を入れるが、基本ジャストで合わせるつもりだ」
「うん、わかった。あー、ちなみにさ……一応聞くんだけど、タスク、ホントに大丈夫なんだよね?」
ジーンはわずかに顔を曇らせた。
「ああ、体のほうな?」
ジーンの気持ちを察した俺は、にっこり笑ってみせた。
「全然大丈夫。いったん霊子レベルまで分解されたおかげだろうな、痛みも疲れもまったくねえよ。むしろリフレッシュされた感じだ」
合一化の儀式を経てシロの体のコントロールを得た俺は、さらに隷従の儀式でもって御子神を体内に取り入れた。
シロの小柄で敏捷な体に俺の武術とエーテル運法、御子神の剣術とエーテル運法までも併せ持った強キャラへと進化した。
だけど何よりの好材料は、それまで負っていた傷や疲れが消えたことだ。
絶対安静のミイラ男状態が、綺麗さっぱり消し飛んだ。
これで元に戻って何もなければ本気で医療業界に革命が起こせるんじゃないか……とは、さすがに言わなかったけども。
「だから心配すんな、ジーン」
「うん……わかった」
半信半疑といった調子ながらも、ジーンはうなずいてくれた。
「皆様。準備の方、整いました。いつでも通過できます」
術士たちの代表に声をかけられた。
振り向いて確認すると、突入口は4メートル幅で安定している。
「急ごしらえですので、幅が大きくとれませんでしたことをお詫び申し上げます」
「いえいえとんでもない。これだけあれば十分すぎるほどですよ。こちらの急な都合につき合っていただいて、本当にありがとうございます」
術士たちに礼を述べると、俺はジーンに近寄り、拳を打ち合わせた。
ウルリカとも打ち合わせ、エフェメラ号の首を撫でた。
最後に自らの拳と拳を打ちわせ、みんなに呼びかけた。
「おう、中に入ったらもう話す暇はねえからな。今のうちに言っとくぞ? ここから先は地獄だ。多元世界最強で最怖の理不尽な暴力が吹き荒れる、おっそろしいフィールドだ。自分たち以外の味方はいねえ。泣いてもわめいても誰も助けちゃくれねえ。捕まったら死あるのみだ」
脅すような俺の言葉に、誰かがごくりと唾を呑んだ。
「警戒を怠るな。一瞬たりとも気を抜くな。常に相手と自分の距離を考えて行動しろ。無理だと思ったらすぐ逃げろ」
俺はひたすら警戒の言葉を繰り返した。
みんなに緊張を強いた。
それは普段の俺のやり方とは違う。
緊張は決して、プラスにだけ働くものではないからだ。
怖がって縮こまって、マイナスに働くことだってあるからだ。
でも言わなければならいことだった。
これだけは、絶対に伝えなければならないことだった。
「真っ向からやり合って勝てる相手じゃないんだ。逃げるのは恥じゃない。安全に安全を重ねて行動しろ。──わかってるな? 俺たちは、絶対に生きて再会するんだ」
『おう!』
威勢の良いみんなの返事を聞きながら、俺は改めて突入口に向き直った。
頬を叩いて気合を入れた。
震えそうになった足をどやしつけようと、強く足踏みした。
巨大な『ドーム』の端っこの、4メートルばかりの開口部。
そうだこの先には──地獄が待ってる。