「手よ!!」
~~~新堂助~~~
俺は走っていた。
エーテルを全開にして、身体機能をギリギリまで上げて走っていた。
高速で景色が後ろへすっ飛んでいく。
大佐から盗んだエーテル運法のおかげで、明かりがなくても坑道の中はよく見えた。
(この先! もうじきだ! 果て無く深い穴がある!)
アデルが鋭い声で警告を発してくれる。
「見えるのか!?」
(見える! 毒虫どもの棲まう地獄の穴だ! ……今落ちた!)
「──位置は!?」
(真下だ! だがもう無理だ! 間に合わぬ!)
どうやって「見て」いるのかは知らない。
だけどアデルは、確信をもって否定してくる。
わかるわかる。
それが常識、正論、大人の意見。
だけど残念、まだまだ俺のことをわかってない。
やるなって言われるとやりたくなる。
絶対やるなって言われるとさらにやりたくなる。
それが俺。
まあ一応、策もあるしな……。
「へっ……悪いなお師匠様! 地獄の底までつき合ってもらうぜ!?」
(……なんだとっ!? おい、やめ──)
「レエエエエエエエエッツ!」
穴の縁が見えた。
俺は迷わず跳んだ。
前宙し、逆さになった瞬間──天井を踏みつけるようにして加速をつけた。
「バンジイイイイイイーッ!」
ただし紐は無い。
(あああああああああーっ!?)
アデルの悲鳴をよそに、真っ逆さまに降下していく。
ゼシカさんとアリア姉さんのいる位置は、50メートルぐらい下だろうか。
ふたり、抱き合うような格好で落ちている。
(本気で飛び降りおった!? バカな! バカか!? この高さだぞ!? ぬしとて悪くすれば……!)
焦燥に満ち満ちたアデルの声。
「はっはっはーあ! なあお師匠様! 俺の名前の由来、知ってるか!? タスクってんだ! 助けるって書くんだよ! そいつが助けないでどうするよ! 助けられっぱなしでどうするよ! ここで借りを返せなきゃ、死んでも死にきれねえんだよ!」
俺は精神を集中した。
ピンと張り詰めた糸のように研ぎ澄ました。
こんな状況でも集中できるのは、修行の賜物だ。
伸ばした右手にエーテルを集中した。
転の応用だ。
たとえば光帯剣を創るように。
たとえば直槍を創るように。
欲しいものを想像した。
それは手だ。
ずっと思ってたんだ。
昔から。もっとずっと、小さな頃から。
もっとたくさん手が欲しいなって思ってた。
大きくて、強くて、温かい手があればいいなって。
そいつはどこまでも伸びるんだ。
どんなに遠く離れていても、自分の大切な人たちを守れるんだ。
ひとりも、余すところなく。
それさえあれば──
「全部救えるんだ! もう二度とっ! あんな思いをしなくて済むんだっ! だから手よ! 伸びろおおおおおおっ!」
ズ……ズズ……ッ!
右手に纏ったエーテルに、変化が起きた。
手の先から、光る巨大な「手」が生えた。ずるりと伸びた。
それはどんどん伸びていった。
何メートルも何十メートルも。
徐々に速度を増した。
やがて弾丸のような速度になった。
「うあああああああああああ!」
ふたりの体を握った。
全身を「手」の平で包んだ。
「捕まえたああああああぁっ!」
(ホ……ホントにやった!? だがどうする!? このままではぬしもろとも落ちるぞ!?)
アデルの言う通りだ。
底までは、もうほとんど距離がない。
エーテルで外傷は防げても、衝撃までは殺せない。
このままだと3人とも死ぬ。
「知ってるか!? お師匠様ぁっ!」
体の前面からエーテルを放出した。
スラスターを噴かすように、横向きのベクトルを加えた。
「俺の国にゃ前回り受け身って技術があるんだよ!」
あれだ、柔道の授業とかでやるだろ?
前方への転倒を前転運動に変え、ダメージを押さえる技術だ。
「お袋は言ってたよ! 極めれば3階建ての校舎から落ちたって傷なんか負いやしないって! そこまではいかねえけど、俺も何度も高いところからぶん投げられたよ! ぽーん、ぽーんってなあああああっ!」
ふたりが「手」、俺が「本体」。
自分たちをいびつな形の巨人に見立てて、受け身をして凌ごうってわけだ。
(バ……バカだ!)
俺の思惑に気づいたアデルが絶叫した。
(毎度思うが! ぬしも! ぬしの母御も頭がおかしい!)
「はっはっはー! 俺もそう思う!」
俺は笑った。
笑いながら、「手」であるふたりを地面に着いた。
すかさず「手首」を丸め、内側へと押し込んだ。
長く伸びた「腕」を、前腕、肘、二の腕の順に地面に着いた。
「本体」である俺は、一番最後だ。
接地の直前──顎を引き、背中を丸めた。
力の流れに逆らわぬよう心掛けた。
ぐるんっと回り──バン、と逆側の手で地面を叩いた。
「うえええ……っ!?」
だが止まらなかった。
そもそもの落下速度と、長く伸びた「手」にふたり分の体重がかかっているせいもあってか、勢いを殺しきれない。
どうしようもなく前転を続けた。
「うわあああああ!?」
「きゃあああああ!?」
「手」は、反動で何十メートルも上に行った。
「本体」が激しく前転しているせいで制御が効かず、「腕」はぐるぐるとこんがらがった。
「やっべ……!」
前転が止まったと同時。
仰向けになった俺の上に、「手」は真っ逆さまに落ちてきた。
「な……ん・と・か……っ!」
もう一本、今度は左から「手」を出した。
「なれえええええええ!」
落ちて来る「右手」を下から支えた。
鼻先辺りで、なんとか落下を止めることに成功した。
「ま、ま、ま、間に合ったああああ……っ」
ふううー……と大きくため息をついた。
あまりのことに硬直しているふたりに、声をかけた。
「よーう姉さん、助けに来たぜ?」
「ば……っ」
さぞや感謝感激してくれるだろうと思ったが、アリア姉さんはなぜか顔を真っ赤にして怒り出した。
「バっカじゃないのあんた!? 助けるにしたってもっとマシな助け方があるでしょ!? 何よ今のぐるぐるは! 体操してんじゃないのよ!?」
「いやあまあ……状況に応じた結果と言いますか……。あの……も少し感謝してくれてもいいんじゃないでしょうか? ここまで来るの、けっこう大変だったんですけど……」
「ううっ……? か、感謝はしてるわよ! ただちょっと物申したいことがあっただけでっ! あ……ありがと! ほらっ、これでいいでしょ!? ……もう! にやにやしてないでとっとと降ろしなさいよ! いつまでこのままでいるつもりよ!」
「いやあ……なんかさ、いい眺めだと思って。しばらくこのままでもいいかなって」
「いい眺め……は?」
ふたりは俺の真上で抱き合うような格好になっている。
それだけなら心ぴょんぴょんして終わりなのだが、どうやら「手」で包んだ時にアリア姉さんのスカートがめくれ上がってしまったようなのだ。
形の良いヒップが目の前で浮いてるって状況は、そりゃあもう健全な青少年には無視出来るものではなく……。
「金髪ツインテの人ってどこの世界線でもやっぱ縞パンなんだなあと思ってさ。しみじみ感じ入ってたとこなんだわ」
「あっ……ああああああああー!?」
アリア姉さんは真っ赤になって叫んだが、「手」のせいで体の自由は効かない。
「あんた! あんた! あんた! この変態! 離しなさい! 今すぐこの手を離しなさい!」
「……あれ? なんか『手』にぬるっとした感触が……なんだこれ……温かい……水?」
「──今すぐ離さないと、今後一生口きいてやんないわよ?」
あ、これマジなやつだ。
「わかったよ、わかったって」
ふたりを降ろしたが、「手」自体は離さなかった。
拘束力を緩め、ある程度自由に動ける余地を与えただけだ。
アリア姉さんはいそいそとスカートを直し、何が気になるのか、自分のお尻にそっと触れたりしている。
ゼシカさんはそんなアリア姉さんの肩をぽんぽん慰めるように叩いている。
ふたりが何を気にしているのかはわからないけど……。
「でもわかってくれよな。この状況だ、完全に離すわけにはいかないんだ」
立ち上がった俺の足元に、無数のオウカンサソリが群がって来た。
そいつらは同時に、ふたりにも襲い掛かっていく。
チクチクカリカリ、エーテルの表面を突ついたり引っかいたりしている。
直接的な脅威ではないものの、気味の悪い生き物が大群でわちゃわちゃ纏わりついてくるのは、精神衛生上決していい光景ではない。
「うう……気持ち悪っ」
「タスク様……これちょっと……」
身を寄せ合うようにして怯えるふたり。
「……ん、ちょっとごめんね、ゼシカさん」
ゼシカさんの腰から電子カンテラを取ると、俺はそれを暗闇の向こうへ放り投げた。
「……え?」
「はあ? いったい何やってんのあんた?」
ふたりは俺の視線を追い、硬直した。
深い深い穴の底。
暗き闇の向こうにうずくまるようにして、そいつはいた。
そいつ──オウカンサソリの群体のボス。グレートマザーであるジョオウサソリが。
「……ヒュウ、こいつはすげえや。聞きしに勝るってやつだ」
せいぜい体長10センチ程度のオウカンサソリに比べ、明らかに大きい。10メートル、下手したらもっとあるかもしれない。
ハサミも脚も尻尾も、比例して太くデカい。
複眼も一対ではなく二対ある。
子を成すためだろう、腹部は大きく膨れ上がっている。
頭のギザギザも縦に長く、まさしく女王の冠といった風情。
カチカチと顎を盛んに打ち合わせているのは、突然の闖入者に対する威嚇のためだろうか。
「まさにモンスターパニックもの……さらに……」
後ろに、ふたり以外の誰かの気配を感じた。
振り返ると、そこにいたのは大佐だ。
顔面からとめどなく血をこぼしながら、「ごひゅーっ、ごひゅーっ」と息を荒げてこちらを見つめている。
「不死身の殺人鬼もの……ってか?」
こりゃ本気で、首でも落とさねえかぎりは止まらねえなこの人……。
「大盤振る舞いでけっこうなこった。だが残念。これって最後に俺が勝つ、ヒーローものなんだよね」
俺は苦笑しながら腰を落とし、身構えた。




