「オチル」
~~~アリア~~~
地上での戦いのことなど知らないアリアは、ひとりトロッコに乗り、鉱山の深部を目指していた。
鉱山の構造はシンプルだ。
何百メートルもの大きな立坑がまずあり、そこから無数の枝道が伸びている。
それぞれの枝道には第何鉱区何番道何番枝と番号が振ってあり、番号さえ間違わなければ必ず目的の場所へたどり着ける仕組みになっている。
アリアは突き当りまで立坑を進むと、枝道を辿った。
ジョオウサソリのいる第0鉱区2番道3番枝は、中でも最も深い場所にある。
採掘中止となった鉱区だけあって、ライトは点検に必要な最小限を残してほとんどが撤収されていた。
トロッコの前照灯だけでは光量は充分でなく、薄暗がりの中、脱輪しないよう慎重にハンドルを操作する必要があった。
「まったく冗談じゃないってのよね……。こんな若い娘が、何が悲しくてたったひとりでじめじめ薄暗い鉱山の奥まで乗り込んで、でっかいサソリに会わなきゃいけないのよ」
不安なのだろう。
独り言にしては大きな声で、アリアはつぶやいた。
朱書きで「危険! 特定指定生物棲息中!」と記された板を目にすると、トロッコのエンジンを切った。
「まったく……冗談じゃないってのよ……」
周囲を警戒しながら、そろりそろりとトロッコを降りた。
ここから先はレールがない、つまり徒歩だ。
荷物は釘抜き一本と電子カンテラ、ジョオウサソリを誘き出すための発炎筒が2本のみ。
武器になるようなものは一切ない。
「目的地に着くまでにちびっこサソリが出て来たらどうするってのよ。釘抜きで叩くの? それとも蹴っ飛ばせって? バカじゃないの? マジでバカじゃないの?」
アリア言うところのちびっこサソリ──オウカンサソリは、ジョオウサソリと共に最深部に閉じ込められているはずだ。
だがもしかしたら、一匹や二匹はこの辺まで這い出てきているかもしれないと思った。
だから極力、声のトーンを絞った。
努めて足音を殺して歩いた。
音や震動に敏感に反応する、かの生物の本能について思いを巡らせたからだ。
「なんであたしがこんなこと……もう逃げちゃえばいいんじゃないの? こんだけ枝道があれば、探そうったって探せないでしょ。ほとぼりが覚めるまで待って、こそこそ出てけばバレないんじゃないの? そうよね、あたしって頭イイー。秀才っ、天才っ、アリア様っ。イエーイ」
小さくつぶやき、小さくガッツポーズをして……むなしくなって、唇を尖らせた。
「……わかってるってーの、逃げられないって。あたしが戻って来なけりゃクロエが同じことさせられるだけなんでしょ? あのコが上手いこと逃げられるとは思えないもんね。ホント、運動音痴なんだから、クロエって。だから──」
あたしが、上手くやんないとね。
口には出さなかった。
口にする代わりに、唇を強く噛んだ。
黙々と、足を運んだ。
やがて、行き止まりにたどり着いた。
最深部へと通じる道は、危険生物を封じ込めるためだろう頑丈なバリケードに覆われていた。
土嚢の入った木箱を積み重ね、さらに頑丈な柱を2本打ち込み、下から上まで分厚い板を打ち付けている。
板には朱書きで、「この先にいるのは神ではない」と記されている。
「……なんで最後だけ上手いこと言おうとしてんのよ。しかも全然上手くないし。出来の悪いホラーゲームみたいになってるし。神ではない、悪魔だ、とかいうんでしょ? センス無っ」
アリアはハアとため息をついた。
「つうか何よ。釘抜きってここのためのものなの? そんな地道な作業なの? 待つ方もいいかげん気ぃ長すぎるでしょ。爆薬ぐらい持たせときなさいよ。もっと派手にぱあーっとさ。そしたら向こうもすぐに気づくでしょ。発煙筒なんていらないぐらいよ」
ぶつくさ言いながらも、アリアは一からバリケードを撤去する作業に移った。
木箱の中に入っている土嚢をどかし、木箱をどかした。
次は柱から板を剥がす作業だ。
何十本も打たれている釘を、地道に1本ずつ抜いていく。
「……ホント、あたしってばなんでこんな手の込んだ自殺してんのかしら」
自分が助からないだろうことは予期していた。
この先へ進んで、上手いことジョオウサソリを誘き出せたとして。
さらに絶妙に事が運んで、地上へ出られたとしても。
アリアが助かる見込みは万が一にもない。
「ちくしょうっ。次生まれてくる時はっ、今度こそお姫様として生まれてきてやるっ」
汗みずくになりながら、釘抜きを動かした。
一枚板を剥がすたび、小さな達成感を感じた。
だけど一枚進むほど、喜びは小さくなっていった。
「もう誰にもいい様に扱われたりしないっ。ファラッドもブラーテも奴隷にしてっ、ズールを番犬代わりに小屋につないでっ。タスクのやつはしょうがないから執事として使ってやってっ。クロエは……っ」
最後の1枚を剥がし終わると、アリアは大きなため息をついた。
「……クロエとは、生まれ変わっても恋人ね」
確認するようにつぶやくと、土嚢の土や釘抜きの錆で汚れた手を、パンパンと勢いよく払った。頑固な汚れは全然落ちてくれなかったけど。
構わず、乱れたツインテールを結び直した。
「……よしっ、行くわよアリアっ」
自らを鼓舞するようにうなずくと、釘抜きを武器みたいにして構えた。
一歩一歩、確かめるような足取りで奥へと進んだ。
「ふっふっふ……ぶっちゃけ、倒してしまってもいいんでしょ? そうすりゃ同じことなんだもん。アリア様の名前はサソリスレイヤーとして後世に語り継がれてって……」
アリアの足が止まったのは、道が途中で途切れていたからだ。
「嘘でしょ……なによこのあり得ないロケーションは……」
足元から震えが生じた。それはすぐさま頭頂まで伝わった。
冷や汗が顎を伝って落ちた。それは靴の爪先に当たり、跳ねて落ちた。
──どこまでも。
──どこまでも。
アリアの視線の先にあるのは、暗闇である。
道の先に突如現れた、大きな穴だ。
深すぎて、底は見えない。
落ちた水滴の音すら聞こえない。
電子カンテラの明かりだって届かない。
代わりに聞こえてくるのは、足音だ。
穴の底からカチャカチャと、陶器の食器を擦り合わせるような音が聞こえてくる。
それが何千となく、何万となく聞こえてくる。
「じょ……冗談でしょ……っ?」
この下がどういう状態になっているのか、想像した瞬間に腰がひけた。
反射的に後ずさろうとした。
同時に──ドオンと、大きな震動が鉱山全体を震わせた。
地上での戦いの震動なのだが、アリアにはわからない。
ただ突然の揺れに足をとられ、転んだ。
地下水のせいで滑らかになっていた穴の縁で、お尻が滑った。
「ひっ……」
そのまま、ずるりと──
暗闇へと、アリアは落ちていった。
音の数だけ棲息する、オウカンサソリの巣の中に。