「ねえ、アリア」
~~~クロエ~~~
ジャンゴでも有数の精晶石の埋蔵量を誇るメフィオ鉱山は、上から見ると大きな「C」の字形をしている。
「C」の内側──カウンターと呼ばれる──には採掘所や精錬所、各種管理施設が建ち並んでいる。
「C」の両先端──テールトップと呼ばれる──の中央を貫くようにして、『天国への道』がメフィオから伸びて来ている。
終端にはステーションを兼ねた荷上場があり、精晶石や物資、人の輸送はすべてそこで行われる。
山はそれほど高くないが急峻で、とても人馬が越えられるようなものではない。
「C」には他に開口部はなく、今までに何度かあったクルルカ族の襲撃も、すべて真正面のテールトップから行われてきた。
当然今回も同じであろうと思われた。
単純な地形ゆえに、ファラッド側の守備は万全だ。
テールトップの内側に小さな「C」の形でバリケードを築き、ジャンゴ中から集めた荒くれどもを配置している。
カウンター内には4つの防御塔が築かれ、高所からの射撃を可能にしている。
無理やり押し通ろうとする者は、十字砲火どころではない多角的な一斉射を浴び、粉微塵に打ち砕かれることになるだろう。
そして──
「見ろよ、威風堂々ってやつだ」
荒くれどものひとりが、手庇して空を見上げた。
視線の先にいるのは、3隻の宇宙船だ。
ファラッドがツテを頼って呼び寄せたという傭兵たちの乗る船──実際には海賊だが──が、鉱山上空に浮き砲台のように浮揚している。
「野蛮人どもどころか、首都星の軍隊が攻め寄せて来たって落とせるもんか。楽勝だ」
「どこから来ようが、空からの一撃で木っ端みじん。オレたちゃ残りもんを美味しくいただけばいいってわけだ」
「ひとり殺るごとに金貨5枚、族長なら30枚だってよ」
「族長を生け捕りにすりゃ、さらに70枚だって? まだネンネだって話なのに、ファラッドの旦那も好きもんだねえ」
「いいじゃねえか。おかげでオレたちがこうして美味しい目にあえるんだから。居残り組みの連中には悪いけどな」
「……」
ゲハハと、野卑な笑い声を上げる荒くれたちを、クロエは冷徹な目で見ていた。
「おお? なんだクロエ。変な目ぇして」
隣にいた荒くれが、クロエの目つきに気がついた。
「……別に、どうもしてませんけど?」
ぷいっと、クロエはそっぽを向いた。
「はあぁー? 別にじゃねえだろうがー。そんな冷てえ目ぇしてよぉー? ああ、オレをナメてんのかぁあ? バカにしてんだろぉお?」
荒くれはこめかみに青筋を浮かべ、クロエの細い顎を掴んだ。ぐいっと力任せに引き、無理やり自分のほうを向かせる。
「いっ……?」
痛い、と悲鳴が出かけたが、すんでのところで堪えた。
荒くれどもの言いなりになるのは癪だから、代わりに、さらに冷たい一瞥をくれた。
「ちっ……生意気なメスガキめ。親の教育が足りてねえんだったら、オレが今からしてやろうかあー?」
「……ふん、そんな粗末なものを誇示してなんだというんですか? 返って自分の矮小さをひけらかすだけですよ?」
「このアマぁ……! 言わしておけば……!」
「おいおいやめとけよ。おまえは加減を知らねえんだからよう。事の前に殺しちまったらどうすんだ。それこそ旦那に殺されちまう」
拳を振り上げたのを、他の荒くれが止めた。
「だってよう……」
荒くれは唇を尖らせた。
「いいじゃねえか。最後のあがきってやつよ。そんな格好でこんな状況で、そいつに出来ることなんてのはもう、やせ我慢することしかねえんだから。ちっとは大目に見てやんな」
「……ま、それもそうか」
荒くれは拳を下ろすと、にやにや笑いながらクロエから身を離した。
「そんな格好でってのは、たしかにその通りだわな」
じろじろと、いやらしい目でクロエを眺める。
荒くれどもに捕まった時に手荒く扱われたせいで、クロエのメイド服は乱れに乱れていた。
白いキャップはすでになく、エプロンもない。
ロングドレスの胸元のボタンはすべて飛び、意外と豊満な胸が、下着と一緒に覗けている。
扇情的な格好の上、両手両足には金属製の手錠がされている。
殴られたせいで頬には青あざがあり、唇の端には乾いた血がこびりついている。
その状態でなお、クロエは気丈に荒くれどもを睨みつけている。
その様は凄絶であり、またどこか淫靡でもあった。
「こんな状況でってのも忘れんなよ? 一番はそこだからな?」
クロエがいるのは、鉱山奥へと続くトロッコ軌道の始発点付近だ。
幌を収納した四輪駆動車の後部座席に座らされている。
荒くれどもの監視は3人。
前にふたりいて、隣にひとりいる。
彼女の役目はひとつだ。
鉱山地下に生息するジョオウサソリをおびき寄せに行ったアリアが、途中でおかしなことを考えないようにするための人質として留め置かれている。
「上手いことジョオウサソリをおびき出すのに成功しても、トロッコが端まで行きゃそれ以上は逃げられねえ。走って逃げても追いつかれるし、まして上空からの一斉射に巻き込まれりゃあ間違いなく死ぬ。こいつは目の前で親友が死ぬのを見なきゃならねえわけだ」
「あらら、悲しいねぇー」
「いっそこいつも蹴落として、ふたり仲良く死なせてやろうか?」
「ばぁか、そんなもったいないことするかよ。女なんだ、どうあれ使い道はある」
「違えねえ」
ゲハハ、荒くれたちの笑い声が響く。
「……るって」
クロエは唇を震わせた。
「あ?」
「……ジョオウサソリを上手く誘い出したらふたりとも助けてくれるって、旦那様は言ってました……」
「どうやってだよ。おまえはともかく、向こうは無理だろ」
「わかりません……けど、この車でアリアを拾ってくれれば……」
「なんだぁ? そんな話聞いてねえぞぉ?」
荒くれどもは不思議そうに顔を見合わせる。
「だって……っ」
「ああー……おまえそりゃあ、騙されたんだよ」
「そうだよ、いっぱい食わされたんだ」
「だな。旦那のやりそうなこった」
「そんな……っ?」
クロエはショックのあまり目を見開き、口元を押さえた。
「あの人そういうの上手いからなあー。人に希望持たせてやる気にさせんの。なあ、わかるだろ? 死ぬってわかっててやるより、生き残れるかもって思ってやるほうが上手くいくってこった」
「だな。つうかおまえ、頭良さそうなナリなのに案外バカなのな。そんな口約束信じるなよ」
「しょうがねえだろ。いつも旦那のアレしゃぶるぐらいのことしかしてねえんだから」
「頭の中も口の中も、アレでいっぱーい。ってか?」
「うへえ……旦那のアレとか想像させんなよ。さすがに醜悪だわ」
「……」
荒くれどもが好き勝手に盛り上がる中、クロエはひとり傷ついていた。
(……やっぱり嘘だったのね)
もともと半信半疑ではあった。
荒くれどもに指摘されるまでもなく、胡散臭い話だとは思っていた。
だが、それしかすがるものがないのも事実だったのだ。
力も頼るべきものもないアリアとクロエには、敵のかけてくれる嘘や欺瞞ですら、神の託宣と思って聞くしかなかった。
身を委ね、目を閉じるしかなかった。
だけど今、こうして荒くれどもの口から改めて聞かされて、完膚なきまでに希望が打ち砕かれるのをクロエは感じた。
アリアは死ぬ。
荒くれどもの言ったように、ジョオウサソリに捕食されるか上空からの射撃に巻き込まれるか、ふたつにひとつ。
その瞬間、自分には何が出来るだろう。
考えたけれど、何も思いつかなかった。
手足は鎖で繋がれ、武器もない。
荒くれどもに掴みかかったとして、非力なクロエでは軽くひねられておしまいだろう。
(じゃあ……しょうがないか……)
小さくため息をついた。
(わたしも死のう)
胸中で、ぽつりとつぶやいた。
アリアが地上に出て来たら、車から降りよう。
幸いにも幌は収納されているから、ドアを乗り越えて飛び降りるぐらいなら出来るはずだ。
そして、ぴょんぴょん飛び跳ねてでもアリアの元へ向かう。
(最後にアリアと一緒にいられれば、それでいいものね?)
トロッコ軌道の先を見た。
鉱山の奥深くの暗闇を。
アリアの金髪が、陽の下に飛び出てくるのを想像した。
きっと、最後までアリアはうるさいままだろう。
トロッコを操作しながら賑やかに叫んで、まっすぐに、自分のところに向かってやって来る。
あるいは、クロエを巻き込まないように遠ざかって行くかもしれない。
どっちでもよかった。
来れば迎えるし、逃げれば追う。
ただそれだけ。
「……なんだこいつ?」
「なに笑ってやがんだ?」
「とうとう気が触れたか……」
荒くれどもの嫌そうな声など、もはや耳に入らない。
ただただ自分の想像がおかしくて、クロエは笑った。
──クロエ姉さん。
唐突に、タスクの言葉を思い出した。
あの晩、馬上から自分に向かって放たれたその言葉を。
──アリア姉さんのこと、頼みます。この人けっこう、勢いだけのとこあるでしょ? 考えなしに突っ走っちゃって、あとで激しく後悔して泣きついてくるみたいな。
(あの時は、なんだ気安いやつめってムカついてたけど……今考えてみると、案外悪くないかもしれないわね……)
遠い世界から来た少年。
血のつながっていない弟。
アリアと自分の、共通の子分。
「……」
自分たちが死んだとしても、タスクは生きている。
そう認識した途端、身の内から、くすぐったいようなほっとするような感覚が湧き起こってきた。
(……ねえ、アリア。不思議ね。自分たちが死ぬのは全然嫌だけど、それでもあのコは生きていくんだって思えるのが、なんだか気持ちいいの。
……ねえ、アリア。今わたしね、あのコがケルンピアへ帰って、警察を連れて帰って来てくれるところを想像したの。ジーンちゃんと一緒にね、軍隊みたいな大軍を連れて来て、こいつらを一網打尽にしてくれてるところを想像したの。もちろんその頃にはわたしたちは死んじゃってるんだけど……。
でも……ねえ、アリア? それってすごく、痛快なことじゃない?)
もし余裕があったら、アリアにこのことを教えてあげようと、クロエは思った。
最後の瞬間に、ふたり抱き合いながら話そうと。
たとえこれから先、どれほどの痛みが待ち受けていたとしても。
そうすればきっと、怖くない。
ふたり笑顔で、死んでいける。
「……ふふ」
気分の良くなったクロエは、メフィオの方角に目を向けた。
メフィオの向こうにあるだろう、クルルカ族の村の方角に。
初めて出来た弟が来るだろう方角に。
「………………え?」
クロエの視界に、何かが映った。
広大な荒れ野の向こうから、土煙を上げて何かが向かって来る。
たくさんの馬と車、そして──
「来たぞ! 奴らだ!」
「迎撃準備だ! 早くしろ!」
カウンター内に怒号と、けたたましい警報が鳴り響いた。
「ようやくお出ましか……っておいっ、あれって……!?」
「船が2隻だと!? どういうことだ!」
荒くれどもが口々に疑問を叫ぶ。
濃い灰色の宇宙船は、ロキ・マグナスのハンマーヘッドだ。
それは当初から想定されていた敵戦力だが、もう1隻は計算外だ。
「そんな……っ、なんで……っ」
クロエは呻くように声を漏らした。
心臓がきゅっと縮こまるのを感じた。
全長30メートルくらいの、奇妙な形状の船だ。
先が細く、後ろにいくにつれて太い。全体的にずんぐり丸くて、カラーリングは赤地に白。
優雅に伸びる主翼や尾翼も相まって、どことなく魚を思わせる。
──そん時、俺の船も見せてやるよ。ガリオン号って名前でさ、見た目はリュウキン……俺の世界の観賞用の小魚に似てるんだけどさ。性能はバッチリで……。
タスクの言葉通りの船が、まっすぐこちらに向かってやって来る。
時間的にも、ケルンピアから戻って来たとは思えない。
ということは……。
「……なんで来たのよ!」
クロエは立ち上がり、全身で叫んだ。