天狗と姫8
[壁]_・)チラッ
「僕、ここを出るよ。」
最初に聞こえたのは、よく通る低い声だった。
聯は、再び森の中にいた。
しかし、辺りは真っ暗だ。夜のようだった。
「・・・もう慣れましたから・・・・・・っ。びびってませんから・・・・・・っっ。」
なんとなく秋莢に見られているような気がして、言い訳がましく呟く。
「・・・・・・牛若・・・・・・・・・。」
その秋莢の声がしたので、蓮はビクッと体を震わせて、会話に耳を澄ました。
というか、あの低い声は牛若丸なのか。ということは、先ほどの幻より数年経過しているのではないか。
「ああ、ごめん、違うんだ。ここが嫌になったとか、そういうことじゃあなくて。」
「それじゃあ、どういうこと?・・・・・・開耶様がお聞きになったら、どれほど悲しまれるか・・・・・・。」
木の間からのぞく月明かりに照らされた牛若丸が一瞬寂しげな表情をする。
相変わらず女性のような顔だった。それでもかなり背が伸びて、容貌も大人びている。
「・・・・・・兄上が、挙兵したんだ。」
「兄って・・・前に話してた?」
「うん。李延僧正から文が届いたんだ。さっき、烏天狗が届けてくれた・・・。」
「・・・・・・・・・助けてあげたいのね?」
「・・・・・・うん。」
牛若丸は、決意に満ちた表情をしている。
秋莢の表情は聯からは見えないが、何となく、とても優しい、温かい表情をしているような気がした。
「・・・・・・開耶様には、自分で言うのよ?」
彼女のその言葉を聞いて、牛若丸は犬を飼うことを許された子供のように表情を綻ばせる。
「うん。ありがとう。」
その時ちょうど、どこかに行っていたのだろう開耶が帰ってきた。空から。
牛若丸は背がかなり伸び、声も低くなっているが、開耶と秋莢は全くと言っていいほど変わっていない。この幻から“現在”まで、どれほどの時間が経過しているのだろう。
「ただいまー。・・・って、どしたの?二人とも。」
「お帰りなさいませ、開耶様。牛若丸が、大事な話があるそうで。」
「話?」
「・・・・・・牛若、私は出かけてくるわね。」
秋莢が体を牛若丸に寄せ、彼にだけ聞こえるように囁く。それほど小さい声のはずなのに、聯には聞こえているのだから不思議だ。
「ごめん。ありがと。」
牛若丸の言葉に笑みを返すと、彼女はその背に夜闇より暗い漆黒の翼を広げ、どこかへ飛び去って行った。
「・・・牛若?なあに、話って・・・・・・。」
何事かと訝る開耶が問いかける。
「あのね、開耶・・・・・・。僕、ここを出るよ。」
「・・・・・・どうして、急に・・・・・・?」
彼女が目に見えて狼狽していた。
「ここが、嫌になった?人が恋しくなった?私たちが嫌い?それとも愛する人ができたの?」
開耶が矢継ぎ早にまくしたてる。
けれど、牛若丸は凪いだ瞳で真っ直ぐに彼女を見つめ、一言一言噛みほぐすように言葉を重ねる。
「・・・・・・違う、違うよ、そうじゃない。開耶のことも秋莢のことも大好きだ。それに、ここでの11年は僕の宝物だよ。ずっとここにいてもいいと思ってた。」
「・・・・・・じゃあ、どうして・・・・・・。」
「やりたいことが、やらなきゃいけないことが、できた。血を分けた兄弟を、兄上を、助けてあげたいんだ。今じゃなきゃ出来ない。僕にしか、できない。・・・・・・だから。」
「・・・・・・・・・。」
開耶の頬を、滴が伝った。きゅっと唇を引き結び、流れた涙を拭おうともせず牛若丸を見つめる。
牛若丸は、困ったようにふわりと笑い、彼女の涙を右手でそっと拭った。その右手をそのまま開耶の耳の辺りに持っていき、少し癖のある綺麗な髪を優しく撫でる。
「はは、弱ったな・・・・・・・・・泣かないで?・・・なにも今生の別れじゃないんだ。僕まだ22歳だよ?人生50年。少し落ち着いたらまた何度でも会いに来られるよ。」
開耶は牛若丸を愛おしそうに見つめ、どれほどそうしていただろう、やがて静かに頷いた。
「・・・わかった。また、会いに来て。約束よ?」
「・・・うん、ありがとう。」
そこで彼女は、ふと何かに気づいたような表情をする。
「・・・・・・いつのまに、背、抜かれていたのかしら・・・・・・11年なんてあっという間なのね・・・・・・。」
「あぁ、そういえば。初めてここに来たときは、11歳だったから。」
「そりゃあ大きくもなるわよね。」
開耶は楽しそうに破顔して、牛若丸の頭上を軽々と飛び越える。
牛若丸が驚いて振り向くとそこには、妖艶に、可憐に、優しく微笑む鞍馬の大天狗がいた。
「ねぇ、牛若。貴方はさっき、私のことも秋莢のことも大好きだといったわよね?」
「・・・え、あ、うん。」
「・・・・・・それじゃ、嫌よ。“大好き”じゃ、嫌。会いに来るのではなくて、逢いに来て?」
彼女が笑みをいっそう深くする。
「愛してるわ、牛若。」
「・・・・・・え・・・・・・・・・」
真っ直ぐな言葉を向けられた牛若丸は、見る見る顔を赤くして、目をそらして頭を掻いている。
「・・・・・・・・・・・・ヘタレ。」
「うっ・・・るさいよ!」
彼は反論しつつ真っ赤になった顔を上げ、どこか嬉しそうに微笑む。
「僕なんて、ただの子供としか思われてないと思ってた。」
そう言って、数歩離れた位置にいる開耶に歩み寄り、彼女を包み込むように抱き締めた。
「・・・・・・僕もだよ、開耶・・・・・・。」
黙って牛若丸の言葉に耳を傾けていた開耶は、彼の決して厚くはない胸板に頬を摺り寄せながら口を開く。
「・・・秋莢と二人でね、貴方に名前をあげようって話をしてたの。」
「名前?」
牛若丸が驚いたように体を離す。
開耶は名残惜しそうにしつつも、言葉を次いだ。
「そう。天狗は、子供が元服するときに名前をあげるしきたりがあるんだそうよ。私は元々人だから、知らなかったんだけど。」
「へぇ・・・・・・それで、どんな名前をくれるんだい?」
牛若丸は目をキラキラ輝かせながら待っている。
開耶は苦笑して、自らの言の葉に霊を宿らせた。
「・・・・・・・・・遮那王」
「・・・・・・しゃなおう。・・・・・・かっこよすぎない?」
「いいじゃない。名乗ってくれとは言ってないんだから。・・・私と秋莢の言霊が、汝の守護とならんことを。」
牛若丸は、遮那王は、照れくさそうに笑った。
「有難う。」
と、いうのを、外野で見ている少年が一人。
「あわわわわわわわわわわっ。」
恋愛というものに全く耐性の無い聯は、途中で完全に彫像と化し、遮那王あたりで脳が容量を超えた。
見られていると知ったらあの二人はどんな顔をするのだろうか。いや、厳密には過去の出来事なのか。
「もう何でもいいからここから出たい・・・・・・。」
半ば祈るように呟く。すると願いが通じたのだろうか。先ほどのような視界の暗転が襲う。
ザァァァァァァァァァ--------------・・・。
「・・・・・・慣れって怖い。」
幻から現実へ戻ることに慣れるというのも貴重な体験だろう。
「ふふ、どうだった?」
先ほどより幾分楽しそうに尋ねてきた秋莢に、聯は仏頂面を返す。
「・・・・・・どうもこうも、あんな幸せ満開場面見せて何のつもりですか。」
聯の尤もな反応に、けれども秋莢は悲しそうに微笑んだ。
「・・・・・・でも結局、牛若は帰ってこなかった。」
「・・・・・・・・・え・・・・・・。」
思わぬ返答に、知らず呟きが漏れる。
「本当のことはわからない。私たちは人界の情報に疎いから。・・・・・・だけど、350年前の人間がまだ生きているわけがないってことくらい、私にだってわかるわ。」
「そんなに、昔の・・・・・・?」
秋莢は表情の憂いを濃くする。
「ええ。・・・・・・そして主は、狂ってしまった。妖の約束は、人間にとってのそれよりもはるかに重いものだから。」
聯は訝しげな表情でずっと気になっていたことを恐る恐る聞いた。
「貴女は、僕に・・・いえ、僕たちに、何をして欲しいんですか?」
当の女天狗は、驚いたように目を瞬かせる。
「貴方を攫ってきたのは、正解だったかしら。聡いのね。」
「貴女の行動が始終不可解だから・・・・・・。」
敵に自らの過去を見せるのも、何も危害を加えないことも、すべてが始めからおかしいのだ。
「・・・・・・それもそうね。」
呟いて、秋莢はふいに震える声を絞り出す。
「・・・・・・主を・・・・・・止めて、ほしい・・・・・・。」
それは、誰かに仕える者として、決して口に出してはいけない言霊。
「私は、開耶様に忠誠を誓っているわ。何があっても裏切らないのが、私の誇りよ。・・・・・・だけど、だから、誰かに私たちを止めて欲しかった。」
意を決したように言う秋莢を見て、聯は眉間のしわをさらに濃くした。
「どうして、僕たちなんです?」
「たまたまよ。妖と人間両方に理解のある者なら誰でもよかった。」
そこまで言うと、彼女は背に漆黒の翼を生やす。
「来たわね・・・・・・それじゃ、考えておいて?と言っても、神隠し事件そ止めるには、私たちを止めるしかないけれど。」
辺りの薄暗がりにヒビが生じ始め、微かに光が漏れてきた。
「ふふ、すごい霊力。・・・・・・鞍馬山で、待ってるわ。」
そう言い残すと、秋莢は溶ける様に闇に消えた。
高校生って。
落ち着かないんですね。w