表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。
この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

歴史物や時代劇創作集

お梅の首

作者: 開運満足 
掲載日:2026/08/16

 幕末の京で起きた新選組局長芹沢鴨暗殺事件のお梅に焦点をあてて小説を書いてみました。


 参考にしたのは「八木為三郎老人壬生はなし」昭和三年十一月と新撰組遺文(子母澤寛)です。

お楽しみください。

 芹沢は背が高く、でっぷりと太っていました。色白で目は小さく、いつも大酒を飲んでいる。そんな印象で覚えております。いま(昭和三年)なら男前の相撲取りと言ったところでしょう。京都の町の人たちが身震いするほど怖がっていたのは承知しておりますが、私ども八木家の家族にとっては、それほど怖くも乱暴な人でもありませんでした。

 芹沢の躰からは、朝だというのに酒の匂いがして、二日酔いでない朝があったかどうか、本人にも覚えがないことで御座いましょう。

 はい、芹沢鴨というお人の思い出です。

 

 その事件があったころ、芹沢は三十四五と言ったぐらいでしょう。木綿の細かい縞模様の着物を着て、袴も小倉の縞袴の白地の多いもの。羽二重の大きく開いた扇紋のついた紋付を好んで着ていた記憶があります。着るものについては伊達者といってよい人でした。

 その芹沢が、両手を内懐に入れて、隊士をぞろぞろ連れて歩いているところなんぞは、大そう立派に見えたもんです。

 水戸様の家来だと言って、私どもの八木家を訪ねて来た時には、子供ながらその風采から匂い立つような威厳というものを感じたもので御座います。


 その頃、私の家の、私の小さな弟、そう父母から聞いたのですが、私には記憶がありません、その子が病死したのでございますが、芹沢は大そう気の毒がって、私の父に悔みを言って、

 「拙者は無骨者ゆえ、役に立てるかどうか、分からぬのですが」

 と近藤を誘ってふたりで一緒に玄関の帳場に座って、香典やなにやら弔問客の応接をして下さったそうです。

 もうそれはお武家様のことで御座いますから、父も

 「さすがに芹沢に近藤、このふたり、挨拶も応対も礼も立派なものだった」

 と後々までも褒めておりました。有難かったのだと思います。


 事件のあったその日は、日の暮れる前に菱屋のお梅がやって来ました。


 この人は四条堀川の太物問屋の女房と呼ばれることも多いのですが、実際は女房ではなくて妾なので御座います。二十二三の目を見張るような別嬪さんで御座いまして、子供の私から見ても目元がきりりとして口元が閉まり、鼻の形も良く、それはそれはきれいなお(ひと)と見とれたくらいです。

 なんでも島原のお茶屋にいたこともあって垢抜けしていたと父母が申しておりました。


 はい、あの時代の島原()と言えば、薩長土肥の勤王志士の方々も足しげく通ったと聞く、日本最古()公許()花街()お茶屋でございます。華やかで、置屋と揚屋の派遣を受けて太夫や芸妓をもてなし、商人や職人、町人たちもが出入りし、世の中の縮図、「花街」で、何がはやり、何がすたり、話題となっている噂は何か、そんな世間を探るにはお茶屋で話を聞くのが良いという時代でした。垢抜けしているのも納得できるというものです。


 さて、このお梅、別嬪で垢抜けしてる上に、飛びぬけて愛嬌がいいのです。

 芹沢を荒神や悪鬼のように畏れ怖がる隊士たちですら

 「あのくらいに、別嬪で愛嬌がいいと、局長のいい(ひと)でも惚れたくなるな」

 と陰で申していたぐらいです。


 そのお梅と芹沢のご縁はと言いますと。

 新選組が、芹沢の名で太物問屋(ふとものどんや)「菱屋」から着物やなんやらを()うて、なかなか金を払わない。

 芹沢に、菱屋から番頭を何度も差し向けたのですが、芹沢は、それでも払わない。

 とまあ、そう言う事が御座いましたそうで。

 菱屋の主人、太兵衛(たへい)が、

 「このうえやかましく支払いの催促をすると、あの芹沢や、いつ怒らせてしもうかわからん。怒らせたら、バッサリと()られてまうかもしれへん。こんごはお手柔らかに、根気よう売掛金を少しづつでも回収したろう」

 と自分の妾のお梅やったら、人あしらいが上手(うま)いさかいと

 「掛け取り引きに使ったれ」

 と芹沢のもとに行かせたと聞いてます。


 しかし、借金取りとして行かせたのは、子供の目にも綺麗で、芹沢を怖がる隊士たちですら惚れたくなるような別嬪さんで御座います。

 芹沢も二度は玄関前で追い返したが、三度目のとき

 「お梅よ、金を返して欲しければ・・・、魚心あれば・・・」

 と思ってか、思わずか、それは分かりませんが、私共の家、八木家の母屋に上げて、お梅が

 「承知したか、しないか」

 そんなことは、構わず、知らず、

 とうとう物にしてしまったというのです。


 いえいえ、今言った心のつぶやきは父か母か、あるいは他の当時の大人から聞いたことです。

 当時は子供でして、私が覚えているその当時のお梅と芹沢は

 「局長はん、代金をいつ返してくれるんどすか。うちも子供の使いとちがうさかいに、お返事くらい下さらはんと困ります」

 そんな感じのお梅と

 「そのうちと言ったら、そのうちだ。その方の主人に『そのうち』と返事しとけばよい。武士の言葉は熊野の誓詞より重いのだから」

 言葉と裏腹に、催促されてちょっと嬉しそうにも見える芹沢です。


 最初はどうあれ、そのうちに、お梅は菱屋の主人太兵衛の目を盗んでも、芹沢のもとへ通うようになってしまったようで御座います。


 お梅は、その日も水戸組と言われるお仲間を引き連れて芹沢は角屋へ向かったと聞いて、当家に来たのでしょう。台所に入って私どもの家の女中どもと何やかやと話をしているのを見たのをありありと覚えています。いつも芹沢が帰って来るのを待つときに、そうしながら待っているのです。

 でも、その日はいつになく朗らかな笑い声が聞こえておりました。今思えば、芹沢に会えるのをよほど心待ちにしていたのでしょう。


 日が暮れて、父もいない。母も女中衆も隊士の世話で忙しい。

 私も子供であったし、その日の昼間は若い隊士らと、かくれんぼやら追いかけっこをして、遊んでもらったのでーーー新選組の隊士たちは、皆、子供好きだったのですよーーー、遊び疲れていました。

 それで、弟と二人で

 「眠とうなってきた。もう寝よか」

 ということで、玄関のすぐ横にあったいつもの寝部屋に行くと、真っ暗の部屋の中、私と弟の寝床のまん中に()()()()()()()()()()()()()のです。誰もいないと思っていた私と弟は、それはもうびっくりして、母のもとに、わぁっと逃げて行きました。


 それそれと告げると、母は

 「あれはな、幽霊とちゃう、たぶん島原の芸伎や、また、隊士の誰かに会いに来て、待ってるんやろう。困ったもんや。せやったら、こっちに布団を敷かすさかい、こっちで寝たらええ」

 といって、私たちの手習いの机の有る八畳の間に縁側に足を向けて布団を敷いてくれた。

 「女の人が隊士を訪ねてきて黙って家に上がるようなことはしょっちゅうやったんや」

 と母は良く()うておりました。

 そうして、弟と私は、寝間を敷いてもらった寝床で並んでぐっすり寝込んでしまいました。


 ()()()は、寝ていて全く気が付きませんでした。


 気が付いたときには、母が怖い顔で気が狂ったように、なんやら叫んでいました。母は大声を出してるようでしたが、それでも寝ぼけた私は目が完全には冷めていませんでした。何を()うてるのかも分からず、まるで母は夢の中で叫んでいるようでした。


 「いくら子供で、疲れてた()うても、あまりにひどいもんや。こっちは、恐ろしゅうて恐ろしゅうて近くにもよう行けんし、()()()()()は、いーひんし、()()()()()はほんまに気ぃ狂いそうやったで」

 と母が生きている間中(あいだじゅう)、ずいぶん言われたもので御座います。


 しばらくして、私と弟が()()()()()()()()血まみれの布団の下から引っ張り出されて、ようやく目が開いた時には、刺客の斬り手の人たちは誰もいませんでした。ただ平間重助が下帯一枚で抜き身の刀を下げて家の中を走り回っていたのを覚えています。


 「どこ行った!どこへ行ったんだ!」

 と大きな声で叫びながら。


 私は平間が何をしているのかと思った記憶はありますが、怖さは感じませんでした。

 この平間重助、そのあと、皮肉なことに本人自身が「どこに行った」のやら、行方不明になってしまいました。


 あとからその日のことを思い出すと、その夜は大きな音がして、それで目が開いて、芹沢が、障子を開け放しにしてある私と弟が寝ている部屋に来たのを夢うつつで、まるで影絵のように見とったようにも思えます。まあ、金縛りのような塩梅で。

 もうこの頃には、というのは私たちの部屋に来る前に、という意味ですが、幾太刀も幾太刀も斬られて、転んでは起きてまた斬られて、転んでは起きてまた斬られてをした後だったんでしょう、私たちの部屋に来た時、芹沢は、敷居際にあった私たちの手習いの机に向う脛をしたたかに打ち当てて、力尽きてしもたというように()()()()と倒れたのです。

 それを追いかけて来た斬り手たちが、また、そこで、ずたずたに切り刻んだので御座います。

 斬り手の顔は暗くて見えません。覆面をしていたかもしれません。

 不思議なことに、人の立てる音も、手習いの机に向う脛を打ち付ける音も、芹沢の声も、何にも聞こえんかったんで、金縛りにあって目えだけ開いてるような、そんな感じで見とったのでしょう。見たとすれば、そうとしか思えないのです。


 芹沢が倒れ込んだのが、私と弟が寝ている蒲団の上なんです。


 ()()()()()()()()布団から引っ張り出されて、ようやく、意識が目覚めて、やっと本当に目が開いた私は、今度は怖いもの見たさで芹沢の死体を見ると、下帯も付けない真裸で、全身をどこがどう斬られているのか分からないぐらいに滅多斬りにされて、血だらけになって私たちの布団にうつ伏せに倒れているのです。刀は持っていませんでした。


 血の海という言葉そのものでした。


 八木家は大騒ぎでした。みんなが騒いでいるので、子供である私も大人と一緒に、多分新選組の若い隊士についていく形で、芹沢の寝ていた部屋に行くと、芹沢の刀は鞘に入ったまま、抜かれもせんで、床の間の隅に放り出されていて、刀掛けは掛け布団に半分埋もれて倒れていました。

 芹沢は刀に手をかける暇もなく斬られたんやなと子供なりに思いました。隊士の誰かが()()しゃべってはったんのを覚えていただけかもしれません。


 そして、お梅が、首から上の、顔も髪も血まみれで、刀掛けが半分埋もれたその布団の上に、倒れて死んでいます。部屋の奥の方に向いたお梅の死骸は縁側からでは遠くて、最初は人のようには見えんかったのです。お梅とも分からんかったけれど、倒れてるのがお梅やとわかって、初めてうつ伏せに死んでるのが人で、女の人やと分かったように思います。

 どこをどう斬られたら、あんなふうに女の長い髪の付いた頭が、ゴタゴタに血で覆われるのでしょうか、私には直ぐには分かりませんでした。とにかく顔か頭か、それが血だらけでした。


 若い隊士がどこかの部屋から行燈を持ってきて、蝋燭を持った隊士から火をもらって、お梅の死体を改めてました。

 「気を付けろ、首がもげそうだ。ちょっと待て、動かすのは首を持ってからだ」

 「まだ動かすな。首の皮が捻じれてる。戻すから、待て、そっちじゃない、その逆さの方にゆっくり首を動かすんだ」

 と話をしてましたから、首を斬られたんやと分かったんです。

 ただの一太刀で首の皮一枚を残すように斬られていて、そんなふうになったと知ったのは、だいぶ後になってからです。

 今(老人になった昭和三年になって)考えると、最初見た時に顔と髪の区別がつかないくらい血にまみれて見えたのは、下から上へと吹き出すように血が飛び出たせいで、頭のように見えていたのは顔や頭ではなく首の切り口だったからかもしれません。はっきりとその場でそれと分かったんは髪の毛だけです。どこに顔が付いてたのか・・・。上も下も分からへん有様で・・・。


 お梅も湯文字一枚の真裸でした。体に傷はなかったように思えます。


 血だらけの躰と布団でしたが、血に濡れてない肌の部分だけが、行燈の明かりに照らされて、淡く、白く、空中に浮いてるように見えました。


 「お梅さんが浮いている」


 と呟いたとたん、目の前の出来事が『ホンマに起きたことや、ホンマのことなんや』と、ここでやっと気が付いたんでしょう、急に恐しなってきて、ブルブル、ブルブル、ブルブルと体が震え始めました。

 それまでは何ともなかったのに不思議なことで御座います。いまでも『これだけは思い出すまい、思い出したらあかん』と念じても、心に浮かんでしまう恐ろしい光景は、()()()()()()()()()()、淡く白く宙に浮く()()()()()()()()お梅なのです。


 あと、他で、死んだんは、平山五郎、あの人も胸に大きな斬り傷ひとつだけがあって、首が胴から離れていました。眠っているときに斬られ、そのまま息絶えたのでしょう。布団の中で死んでいました。


 こうしてお話をすれば長い話ですが、これらのことは、ほんの短い間に起きた事です。


 その日、その後、私と弟は母に連れられて、近くの親類の家に連れていかれました。未だ夜が明けていませんし、子供には寝る場所と時が必要です。その夜は何時から雨が降り出したのか、道は泥濘で、おまけに雨が途中で大雨になってしまいました。その時は「お梅の恨み雨」だなんて少しも思ってませんでしたが、大人たちが「これはお梅の恨み雨やで」と言ってたらしいのは後から聞いた話です。


 親戚の家に着くと、皆、足がどろどろで、たらいを出してもらって足を洗いますと、弟が

 「痛い、痛い、痛いよー」

 と泣きながら訴えます。見ると右足が斬られています。今まで痛いと騒がなかったのは、怖い目にあって怖いものを見て、緊張していたからだろうと思います。私から見ても「なかなかに深い傷」で血がたらいの水にさらさらと流れ出ていくのを、その時もまだブルブル震えながら、呆然と見ていました。


 わたしらの部屋で倒れた芹沢に、斬り手の刺客たちが、真っ暗闇の中で滅多斬りに斬り付けた刀が当たったのでしょう。当たり所を間違えたら危ない所でした。


 さて、お梅の首の取れかかった死骸です。新選組では引き取らないというのです。


 お互い好きあった芹沢と一緒に埋めてやればどうだと、父か親戚の叔父か、誰か家の者が言ったそうですが

 「芹沢先生は新選組の局長です。時運あれば大名公卿の貴女をも妻となすべき身分であった、お梅などと言う氏素性も知れぬ女と埋葬など、出来かねる」

 と近藤勇が言う。


 四条の菱屋へ掛け合えば

 「あれはいかにも当家主人が養い置きたる女ではありますが、『新選組の芹沢局長の奥方になりますので、暇を戴きたい』と言われ、すでに当家では暇を出しております」

 と妾であることも認めずに断られる。


 それで、菱屋と八木家の間に新選組の隊士が入って、お互いの家にお百度を踏むほど話し合った末に、お梅の里が西陣にあって、その家に、ようやくのこと死骸を引き取ってもらったそうで御座います。


 仏さまは、仰向けにして、首の皮のよじれを直して西に向けて、できるだけ血を拭ってやり、綺麗にして、送ってやったということですが、残暑が酷いときでもあり、お百度を踏むほど()っとかれたせいでしょう、妙な()()()がしていたことを今でもはっきり覚えております。



 今(昭和三年)でも、芹沢が斬られた十畳の間の鴨居の内側と、私と弟が寝ていた部屋の鴨居の外側に、七つ八つ、刀で斬り付けた痕が残っています。


 これから()うことは、わたくしが思ったことであって、見たり聞いたりしたことでは御座いません。

 真っ暗な闇の中では、こんな風に()が運んだのでは御座いませんでしょうか。

 それは八木家に残された刀痕から、わたしが勝手に思い描いた()()で御座います。



+++八木伊三郎老人が思い描いた芹沢鴨暗殺事件+++


 刺客は、まず平山五郎の部屋に入り、泥酔して寝ている平山の首を斬る。それに気付かず寝たままの女はそのまま置いておく。


 平間重助の部屋に入ると厠に行ったのか、本人が見当たらない。寝ている女はそのまま置いて置く。


 次に芹沢鴨の部屋に入る。ここで手違いが起きた。

 

 お梅が侵入者に気付いて起きたのだ。


 それで、泥酔した芹沢を斬るのは、お梅の後回しになった。


 侵入者に気付いて、半ば裸体を布団で巻くように中腰で起き上がったお梅は、

 「(だれ)」とも「(なん)や」とも、  ーーお梅は尋ねたかったと思いますーー

 口を開く前に、刺客に首の皮一枚を残して斬られた。

 その際に ざざっと鮮血がほとばしった。

 その熱い血の驟雨を芹沢が、まともに顔に浴びる。

 したたかに泥酔して、半ば意識を失っている芹沢すら、

 「変事が起きたらしい」

 と目を覚ます。


 やむを得ず、まず、お梅の首を斬らざるをえなかった刺客たちは慌てた。


 醜くも裸で寝ていた芹沢が、何が起きたかわからぬが、刀を取ろうと刀掛けに手を伸ばすが、刀掛けはあるが刀はない。

 刺客の一人が、一瞬早く刀掛けにあった刀を蹴り上げ、芹沢の手から遠のけたのだ。

 刀は床の間の方へ飛んだ。

 

 芹沢は体を起こす。

 その起き抜けで低い姿勢の芹沢を、刀を蹴飛ばした刺客が無言で斬る。

 深手だが、致命傷を与えられない。

 「ああっ!」 ーーこの声、母が覚えているそうですーー

 という絶叫が芹沢の口からでるが、よろめきながら、物にぶつかりながら音をたてて逃げようとする。

 そうなったのは、芹沢が思ったより早く体を起こしたためでもあり、刀を蹴飛ばして刺客自身の体勢が崩れたせいでもある。

 たが、相手は酔っ払いだ。

 襲っているのは、数人でひとりを取り囲む集団戦が得意な集団で、訓練が行き届いている斬り手たちだ。手筈通り落ち着いて、無言を貫く。

 次の一瞬間、刺客たち三四人が横並びで、首の皮一枚でつながったお梅の死体を踏み越えて芹沢に迫る。

 どどどと、大きな音が八木家に響いたのはこの時だ。 ーーこの音は屋敷中に響いたそうですーー

 芹沢の前にひとり味方がいるなかで芹沢に迫るのだ。

 暗闇の中、同士討ちを避けるため、前に刀を突き出しも出来ず、横に刀を薙ぐことも出来ない。

 刀を上にあげたまま、振りかぶった姿勢からの斬り落としの一手のみで斬るしかない。

 暗闇の中の動く標的は、斬り手中の斬り手を揃えたその集団の精鋭でも、難しく、何度も刀を振り下げ斬り付けるが、動きを止めるような傷を与えられない。


 ここまでが芹沢とお梅が寝ていた部屋で起きた「数瞬間」のできごとだ。現在の時間で五秒といったところだろう。


 芹沢が部屋から逃げ、四五人で追いかけて行く際も、同士討ちを避けて刀を上にあげたままで走る。しかも無言で走らねばならない。声を出せば八木家の者、新選組隊士の者に、正体がばれてしまう。


 無言で迫り、追いついたら上段からの真っ向斬り落としで斬るしかない。袈裟にも切れないし、横にも薙げない、突きで前に出るのも後ろの味方に斬られるおそれがある。侍同士の斬り合いで突きを使える猛者などそういない、京でも限られてるほどなので、下手人が分かってしまう。


 子供らが寝ていた八畳の間で手習いの机に向う脛を打ち付けて倒れたので、やっと(とど)めがさせた。

+++以上、八木伊三郎老人の思い描いた芹沢鴨暗殺事件+++


 そのように思えるので御座います。


 お梅の首は、芹沢鴨に最後の奮闘をさせ、大音声を出す機会を与えました。

 二人の女と平間重助を逃がす効果もあったようで御座います。

 暗殺者たちの繰り出す技を狭め、危うく芹沢鴨を逃すほどまで、その使命を危険にさらさせたのです。


 いまでも、八木邸を訪れ、刀痕を見る人の中には、霊感が強く、部屋にお入りになったその瞬間から、震えが止まらなくなるお方が少なからずいらっしゃいます。

 事件や歴史を知っている方々なら分かるのですが、歴史好きのお連れ様の付き添いで見学に来て、

 「事件など、こちらで説明を聞くまで知らなかった」

 のに、訳も分からずに悪寒に震える人が

 「首から背中にかけて冷たいものを当てられたようで、何かを尋ねたいけど、それが分からない」

 と言い出すのです。

 そういう人には、たまに男性もいますが、やはり女性が多いのです。

 感受性もあるかも知れませんし、霊感というものかもしれません。


 私は、

 「その日、お梅は芹沢の奥様になれると、それを伝えようと、幸福な心持でやって来たのに・・・。さぞ無念だったのであろうな」

 とそう思うので御座います。


  合掌

 

 (了)


 暗殺事件のあった八木邸には2009年に行ったのですが、作者の妻が部屋に入った途端に悪寒に襲われブルブルと震えていました。八木邸の説明者に聞くとたまにそういう人がいるとの事。妻は読書をするとおなかが痛くなるほどで、歴史は高校時代に日本史を縄文時代までやっただけと豪語するほどの歴史音痴自慢な人なので、幕末維新の話に興味はなく、八木邸で起きた不幸な事件も、全く何も知らなかったのです。

 作者は「霊感がある人」の存在など未だに信じていないのですが、一家で旅行中に妻が「隣で火事があったような気がする」と、突然何の脈絡もなく言い出したこともあったのですが、この時も家に帰ったら、既に火は消防隊によって消されていましたが、隣家が全焼で、延焼のおそれがあった我が家の「誰にも連絡が取れない」と消防隊が騒いでいたようなことがありました。家の中は煤だらけでした。もう一度そんな不可思議なことがあったら、三度目の正直という事で「霊感」なるものを信じてやろうと思っています。


というわけで、八木邸での私的な思い出もあって、芹沢鴨の暗殺に巻き込まれたお梅の不幸に心を向ける題材で書いてみようと思った次第です。今後は、同じように混乱に巻き込まれただけの無名の市井の人々がいた事実を小説にとりあげてみるのも一つの方向かなと思っています。


 幕末維新の荒波に消えて行った全ての魂、特に知られずに散っていた魂に敬意をこめて、その鎮魂を願います。


合掌。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ