貴方は私の想う人
白い霧の海から、一本の大きな樹木が天へ向かって伸びている。足元は温かく、かさかさと花が肌をくすぐる。大きな樹木からは鳥の鳴き声が響き、ここへ来たことがあると遠い記憶を辿る。
(前にも…夢で)
いつか赤い花で眠ってしまった時も、この場所に来たことを思い出す。大きな樹木は蕾が膨らみ今にも開きそうだ。
「ーもう、こちらへこない?」
前にも聞いたことがある、透き通った優しい声が風に乗って耳に届く。
「貴方は、ここにいれば幸せよ」
「あ、貴方は…だれ?」
風が送る声に見えない正体。でも感じる。きっと樹木が話している。私は一歩一歩と近づく。
身近にいると思ったが、近づいても中々目の前に辿り着かない。そればかりか樹木が迫力を増す。
「貴方は私の想う人…貴方も私を想う人」
「おもう、ひと?」
「ええ、約束したの。ずっと一緒にいるって」
大きくなる樹木に首がどんどん上にあがり立ち止まる。少し近づいた樹木をよく見ると見覚えのある蔓が幹に巻き付いてる。驚き思わず声を出す。
「あ、貴方が!たすけて、くれたの?」
しばらくすると足元から蔓が伸びて足をくすぐる。
「貴方に私の加護を渡しただけ…自然に愛されているのは貴方自身よ」
「…ありがとう、本当にありがとう」
感謝を伝え自然に零れた笑みをそのままにすると、風が強くなる。広大に広がっている花が揺れ頬に花びらが輪郭を辿った。
「ああ…美しい。やはりこのままここで共に生きよう」
掌の上に青い花がいくつも落ちる。見たことのある花。前世にも有名な花だ。
(勿忘草だ…)
「でも…戻らないと」
「…どこへ?なんのために?」
「…」
確かに、私は今世での温かな思い出がほとんどない。辛く痛く悲しいことばかりだ。ここは温かくて居心地がいい。それでも…
「ふ、フィリアに…お礼を言わ、ないと」
(フィリアにもう一度会いたい。私の過去も知りたい)
このまま温かな場所にいればいいのかもしれない。でもここには大好きなリリィも優しいフィリアもいない。また会いたい。助けてくれた時の全身の緊張が緩んでホッとして嬉しかった。
「ああ…美しい想う人よ、約束は守ろう…どうか残りの時間、幸せに」
「のこり、時間?何か…そう!私は!十六歳で死ぬの?しってる?」
「…人にとって死とは終わること、私達にとっては始まること…」
「?」
「約束…忘れないで、思い出して…想い人よ」
その言葉を残して霧が濃くなり視界が真っ白に包まれる。風が大きく髪を揺らし体が浮く感覚になる。
(どうしよう、何も聞けなかった)
きっと樹木は知っている。私が何者なのか。十六歳で死ぬことも。その理由も。
「ま、って」
私の声は風にかき消されて届かなかった。
▽▼▽
ひやりと額に冷たい感覚で意識が現実へ引き戻される。重い瞼をゆっくり上げる。何度か見た天井が視界に入る。
「あ、気付かれましたか?」
そばかすの丸い眼鏡をした栗色の髪を二つに三つ編みしている女性が視界に入る。
(リリィ…久しぶりに見た気がする)
瞼を上げた私に寄り添うように膝をつき、右手を握ってくれる手は少し冷たい。
(良かった!!二週間も眠っていたからようやく目覚めてくれて…)
手から伝わる声に自分は長い時間眠っていたのだと理解した。それでも体はどこも痛くない。起き上がろうと、上半身を起こそうとすると、すかさずリリィは支えてくれて隙間に支えのクッションを挟んでくれる。
「体の傷は回復しております。ですが、長い時間栄養もとれず心身共に疲労はまだ残っていますので、無理はなさらないでください」
真剣な眼差しに、小さく頷く。すると、ばさりと額から布が落ちる。冷たい感覚の正体はこれかと、額の形に折りたたまれた布を触る。
「あ、少しでも気分的にすっきりすればと当てていました」
(最近気温も上がってもう直ぐ夏が近いから…)
目尻を下げて言うリリィは相変わらず心の中も温かい。
「ありがとう」
「いえ、フィリア様を呼んできます」
そう付け加えると部屋を後にする。一人になり部屋を見渡す。
(あれ?前の部屋じゃない…綺麗)
掛布は何度かみていた一面咲き誇る花の刺繡。四本の柱から垂れ下がるレースも銀糸で花が咲き乱れ庭園の中にいるようなベッド。ただ、部屋の中が変わっている。奥の壁一面彫刻が施された木枠が棚の縁を飾り本がびっしり並んでいる。大きな窓に日差しがたくさん入って薄絹のカーテンが、花影を床に落としている。窓枠に置かれたたくさんの花から香る匂いが心地よく、近くで眺めたくてベッドから滑るように落ちると
「あ、」
随分足で体重を支えていなかったせいで、着地時に力が入らずそのままぺたんと座ってしまった。
(筋力がなさすぎる…)
「ニア!大丈夫ですか?」
軽いノックの後に開いた扉から慌てた様子でフィリアが入ってきた。私の様子をみて駆け足で近づき、軽々持ち上げる。
「あ、だ、大丈夫」
「何かほしいものはありますか?今リリィがスープを持て来ますから」
片腕に私を横で抱え、大きな手が頭を撫で、綺麗な藍色の瞳が私を見つめる。とても心配させたのだと瞳の下にあるクマを見れば直ぐに分かる。
「あ、ちがうの…お花みたく、て」
窓際を指さすと、その指を辿る視線は優しく目尻に皺をつくる。
「よかった、気に入ってくれましたか」
ゆっくり歩き、窓際まで運ばれる。
「きれい」
私が眺めていると
「ニアは花が好きですから、季節の花を飾っているんです。あとこちらは本を」
「すごい、素敵な部屋」
「ここはニアの部屋ですよ」
「え、わたしの?」
「ええ」
日差しの反射を受けて光る藍色の瞳は私を捕らえて離さない。頭を撫でられて
(ニアの好きな物で飾った部屋で安心して過ごしてほしい)
そんな言葉を口に出さず、表情は和やかでフィリアが安心しているように感じた。こんなに自分を大切に思って救ってくれたフィリアに心臓がとくんと小さく脈を打つ。
「ありがとう」
「いえ…よかった目覚めて」
すりっと私の額に自分の頬を合わせるのがくすぐったくて心地よかった。
(帰ってこれたんだ…)




