誠、またしても寅美に叱られる
「小林誠……私は、情けなくて涙が出てくるよ」
寅美は、完全に呆れた表情で溜息混じりに言った。
昨日、誠は三時の休憩中に近所のコンビニへと行った……が、そこでとんでもないバカをやらかす。スケキヨマスクを被り、衆人環視の中で暴れたのだ。
しかも、それをヤクザに見つかり殴られ、鼻血を出したのだ。
その上、警察がわざわざ工場にまで現れ、被害届を出すかどうかでいろいろ時間を食ったのである。
それから一日経った今、寅美は改めて誠を説教しているのだ。
しかし、誠のペースは全く変わっていなかった。
「はあ、情けなくて涙出てきますか。申し訳ないです。そういえば、女の涙はアクセサリーだ、みたいな話を聞いたことがありますが、班長の涙は四十八カラットのダイヤモンドですか?」
そんなことを言った途端、寅美の表情が変わる。怒りゆえか、あるいは別の感情ゆえか、頬が僅かに赤く染まっている。
「お前、ふざけてるのか? 四十八カラットのダイヤモンドなど、あるわけなかろうが」
「いえ、ふざけてません。寅美班長の涙なら、そのくらいの価値が……」
そこで、誠は口を閉じた。寅美の目が完全に据わっている。これ以上続けたら、確実に殺されると判断したのだ。
一方、寅美はハァと溜息を吐いた。
「とにかく、もう外ではバカをやるな。わかったな?」
聞いた時、誠の目が輝く。
「えっ? 今、外ではって言いましたよね? てことは、工場内ならいくらでもバカやっていいということですか?」
その瞬間、寅美の目が吊り上がる。
「いいわけないだろうが、このバカ者がぁ!」
この後、誠はたっぷりと説教されたのであった。
その後、休憩時間になると、誠は外国人バイト相手に昨日の件について語っていた。
スケキヨマスクを被った誠の暴れっぷりは、既にSNSに投稿されている。バズる、とまではいっていないが、そこそこ話題になっていたのは確かである。
「誠、もうあの辺には行かない方がいいよ。またヤクザに絡まれるよ」
フィリピン人バイトのマリアが、真顔で忠告した。しかし、誠は聞く耳をもたない。
「いや、駄目だ。ヤクザもムカつくが、それよりムカつく奴がいるんだよ」
「誰だ?」
タイ人バイトのソムチャイが聞くと、誠は真剣な表情で語り出す。
「三馬鹿トリオのギャルだ。あいつら、俺のことをおじさんと言いやがった。俺はまだ二十五なんだぞ。絶対に許さん、一泡ふかせてキリキリ舞させてギャフンと言わせて、尻尾巻いて退散させてやる」
「誠……その言い方がおっさんぽいよ」
マリアが呆れ顔で言ったが、誠の闘志は消える気配がない。
「ちくしょう、今度会ったら俺の猫拳で涙の海を渡らせてやる」
「涙の海だ? それは何だ?」
尋ねたソムチャイに、誠は胸を張って答える。
「もちろん、奴らを泣かして流れ出た涙が海になるんだよ。この猫拳で……あれ?」
そこで、誠は首をかしげる。
少しの間を置き、皆の顔を見回す。
「そう言えばさ、あのビルの周りに、不思議な黒猫がいるの知ってる? 誰か見たことない?」
「黒猫? 知らないよ」
「見たことないだ」
マリアとソムチャイが即答した。他の者たちも、知らねえなあ……とでも言いたげな表情である。
誠は首を傾げた。あれだけ目立つ特徴のある黒猫を、誰も見ていないというのはおかしな話である。
「おかしいな。俺は後藤ビルの近くで三回も見たぞ。綺麗な毛並みでさ、目はエメラルドグリーンで、尻尾が二本生えてたぜ。本当に見たことないのか?」
「そんなの見たことないよ」
「ないだ」
またしても、マリアとソムチャイが即答する。他のバイトたちも、ウンウンと頷いた。
「そうなのか……」
またしても頭をひねる誠。すると、マリアが何かを思いついたような表情で口を開く。
「そう言えば、うちのお婆ちゃん言ってたよ。黒猫は守り神だって言ったよ」
「えっ、そうなの?」
「そうだよ。だから、今度会ったら大事にしなきゃ駄目よ」
「ほう、あれは守り神だったのか。なるほど、言われてみれば普通の猫とは違うな」
誠は腕を組み、眉間に皺を寄せ考えた。
あれは、守り神だったのか。それにしては、最近ヤクザに殴られたりギャルにからかわれたりと、ロクなことがない。
ひょっとしたら、あの黒猫は別の誰かを守っているのではないだろうか……。
などと思った時、誠の頭にまた別の考えが浮かぶ。
「そう言えば、虎はどうなんだ?」
「トラ?」
きょとんとするマリアに、誠はリアクションつきで説明する。
「そう、虎だよ。あの縞々でガオー! って奴。あれも守り神かなんかなの?」
「知らないよ。だいたい、フィリピンに虎いないよ」
マリアが答えたが、そこでソムチャイが口を挟む。
「タイでは、虎は森の主だ。悪霊から守ってくれるという伝説があるだ」
「ほうほう、やはりな。となるとだ、虎すなわち寅美班長は工場の主なんだよ。悪霊から、俺たちを守ってくれてるんだよ。ヤクザだろうが悪霊だろうが妖怪だろうが、寅美班長にかかりゃイチコロだね」
得意げに語り出した誠だったが、その後ろには静かに近づいてくる者がいた。それに気づいた瞬間、外国人バイトたちは血相を変えて誠から離れていく。
「やっぱりさ、名は体を表すってのは本当だね。寅美班長なら、心霊すら倒せるんだよ。有名な心霊スポットに、寅美班長を送り込みたいところだね。寅美班長なら、霊が出ても正拳突き一発でKOだよ」
そこで、誠は何かを思いついたらしい。ポンと手を叩く。
「そうだ! いっそ、事故物件に寅美班長を住まわせればいいんだよ。あの人なら、霊の方が逃げ出していくからさ……」
「私が何だと言うんだ、小林誠?」
言葉の直後、肩に手を置かれた。言うまでもなく、寅美班長である。
誠は心臓が縮み上がるような恐怖を覚えたが、こうなった以上は開き直るしかない。
「い、いやぁ、寅美班長は強いということを、みんなに語って聞かせていたんですよ。寅美班長なら、悪霊も妖怪も怖くない。ドラキュラもフランケンも狼男もタイマン勝負で撃破できるでしょう」
言った途端、寅美は静かな口調で語り出す。
「まず、お前にひとつ教えてやる。フランケンというのは、フランケンシュタインのことだろうがな……フランケンシュタインというのは、怪物を作り出した人物の名前だ。お前がイメージしてる怪物の名前ではない」
「えっ? そうだったんですか? じゃあ、あの怪物はなんていう名前なんですか?」
「名前はないんだ。あの怪物はな、哀れな存在なんだよ。体が大きくて腕力がある。が、それがゆえに周りから避けられる。挙句、創造主から名前もつけてもらえなかったんだ」
淡々と語っていく寅美。一方、誠は不思議な感覚に襲われていた。あの真面目で怖い寅美から、こんな話が聞けるとは思わなかった。
「うわぁ、そりゃ可哀想ですね。それにしても、寅美班長がモンスターに詳しいとは意外でした。今度、ホラー映画でも観に行きませんか? 『十四日の土曜日 ジャクソン死体の後始末をする』ってホラー映画が公開されるらしいですよ」
そんなことを言った誠に、寅美はフゥと溜息を吐いた。
少しの間を置き、静かな口調で語り出す。
「なぁ小林誠、私のことも可哀想だと思わんか? おかしな部下が毎日のようにバカなことをやらかし、毎度毎度そのために偏頭痛に襲われる……なんと哀れなのだろうな」
「本当に、けしからん奴がいますね。そいつ連れてきてくださいよ。俺が、このハンマーで思い切り叩いてやりますから」
言いながら、誠は引き出しからピコピコハンマーを取り出す。机を、思い切り叩いた。
ピコン、という間抜けの音がした。途端に、寅美の表情も変わった。
「その部下とはな、お前だ。お前だよ。お前なんだよ……」
直後、凄まじい形相で睨みつける。
「さっさと仕事に戻れ!」




