5.罪に咲く花
「なんだ? 食事は済ませてきたのか」
骨付き肉に食いつきながら、当代の国王ティルラット・ローンダイトはつまらなさそうに言った。
王宮の広間に豪勢な食事と――太陽もまだ高いのに酒を用意して。
お気に入りの臣下と放蕩を重ねるのがローンダイトのいつもの日常である。
膝をついたクリフォードは頭を垂れる。
「申し訳ございません」
「まぁ、よい。仕事はできるのに、お前に面白みがないのはいつものことだ」
ローンダイトはくすんだ茶髪を弄る。
先王の急死から即位して、5年ほど。
ローンダイトはあらゆる物事を変えて、放蕩してきた。
広間にはアデス公爵もおり、国王とともに高い酒を楽しんでいる。
赤ら顔のアデス公爵がクリフォードに問う。
「娘の様子はどうであった?」
「……気丈に振る舞っております」
クリフォードは見えないところで拳を握りしめた。爪が肉に食い込む。
この父が。大公家に娘を差し出したこの父が……。
ローンダイトが公爵を見やる。
「昨夜は、そうか。お前の長女が大公家に行った日か。意外と自害などせぬものだな」
「あの娘にそのような気概などありますまい。人の言いなりにしか生きられぬ娘ゆえ」
「そう仕向けて育てたのは、貴公だろうに。やれやれ、お前は余の父と似たところがある」
「おお……なんと恐れ多い」
首をすくめるアデス公爵が、そう言えば――と広間を見渡す。
「大公閣下はいずこに? さっきから姿が見えませんな。息子殿も来ておられるというのに」
「大公は今、余が他国から買ってきたメイドとお楽しみ中だ」
「なんとお盛んな。孕ませでもしたら……」
「その時は買い取ってもらう。……なんだ、父の所業に不満か」
王から問われ、クリフォードが目を伏せた。
「王宮内で節度ある振る舞いではないかと」
「いまさら大公の子が増えても、貴君が嫡子から外されることはあるまい。まぁ……あの好色な男がこの一年で何人の王宮メイドに手をつけるか、賭けをしておるのよ」
くっくくとローンダイトが笑う。アデス公爵が指折り数えて、ローンダイトへ答える。
「私は6人に賭けましたが。うーむ、陛下の選んだメイドの質からすると、甘く見積もりすぎたかも」
「はは、ちゃんと金を用意しておけよ」
「それはもう、陛下との真剣勝負でございますから」
手を揉んで答えるアデス公爵。
退廃しきった王宮の空気を吸い続けると、頭がおかしくなりそうだった。
その一角に自分と父がいるのも耐えられない。
「……それでは、私はこれで」
「うむ、貴公はつまらんが仕事には真面目だ。励めよ」
酔ったローンダイトに言われても何の感慨も生まれない。
クリフォードは広間を辞して、大廊下を歩く。
「…………」
廊下の先に見えたのは、キャロルであった。
父の付き添いで王宮に来たのか。
クリフォードを見つけるや、キャロルは甲高い歓声を上げた。
「まぁ! クリフォード様!」
「……キャロル」
「王宮に来られると聞いて、お待ちしておりましたわ。少しお話しして行かれませんか?」
胸元の開いたドレスに身をまとい、気持ち悪いほどの笑みを張り付かせるキャロル。
そのままキャロルはクリフォードに腕を絡ませようとする。
「北部での任務、本当にお疲れ様です。しばらくは王都に?」
「そのようです」
こんな女でもキャロルは次期公爵。粗略に扱うわけにはいかないと理性が叫ぶ。
そうでなければ突き飛ばしたかった。
「んふふ……じゃあ、そろそろなのでは?」
引っ張るようにクリフォードを連れて行こうとするキャロル。
クリフォードはそれに見えないよう抵抗する。
「そろそろ?」
「クリフォード様も身を固める時期なのでは、と。だから寂しい北から呼び戻されたのではないかしら。18歳ならば、まさにそうなのではなくて?」
「…………」
答えずに黙していると、キャロルはそれを自分勝手に解釈して話を進める。
「クリフォード様は女性を遠ざけておられると聞いておりますけれど……もったいないことだと思いますわ。こんなにクリフォード様は美しく、輝かしいのに」
「ありがとうございます……」
今は見る影もないが、レインドット大公も若かりし頃は王国でも指折りの美少年だったとか。
その血を継いでクリフォードも女性を魅了する美貌を備えていた。
それだけでなく、クリフォードも魔力を持っている。
「あなたが王都に戻られると聞いて、国中の乙女が騒いでいるのよ。本当に罪な人」
キャロルがクリフォードの腕に顔を寄せて、うっとりとする。
これこそがクリフォードの持つ魔法。
『芳香』の魔法だ。
クリフォードの魔法は自身の匂いを変化させ、他人の匂いを捕捉する。
(……半分は呪いのようなものだが)
困ったことにクリフォードの魔法はある程度、自動的に働く。
いわば天然のフェロモンだ。これにより、黙っていても異性が寄ってくる。
そんなことは望んでいなくても。
また、クリフォードは集中すれば遠く離れた人の匂いを感知できる。
おかげでどれだけ敵が隠密行動をしようと、クリフォードを騙すことはできない。
他人が感じられない匂いまで、離れていても魔法で感知する――これが軍事的にどれほど有用か。
ゆえにクリフォードは王国一の騎士として名を馳せたのだ。
「私は特に何もしておりませんよ」
「……そう? なら、自然な魅力がクリフォード様にはあるのよ」
甘く囁くキャロルにクリフォードの心は冷えるばかりであった。
この女は所詮、クリフォードに寄ってたかる虫でしかない。
「ねぇ、今度父の主催で夜会があるの。クリフォード様もいかがかしら?」
「アデス公爵の……」
「きらびやかで、うんと贅沢しますわ。ふふっ……私たちのこともお披露目する、いい機会ですわ」
「お披露目……?」
「あっ、これはまだ内密だったかしら。でも、構わないわ。両家では話がもうできているんですから」
歌うように喋り続けるキャロル。
嫌な予感がクリフォードの背筋を這う。
「私とクリフォード様の婚約、ですわ」
「……っ!」
公爵家と大公家。
家柄や関係的に不審な点はない、ないが……。
さらに身体を押し付けてくるキャロルにクリフォードは嫌悪感でどうにかなりそうだった。
なんとか喉から絞り出したのは――イリスのことだった。
「……キャロル。イリスのことは君も知っているんだろう?」
キャロルとイリスの関係はクリフォードも知っている。
それでもキャロルにはイリスを心配して欲しかった。自分の姉が、どうなったと思っているのか。
それは願いのようで。
だが、キャロルはそんなクリフォードの言葉を無下に蹴り飛ばした。
「あんな女のことなんか、どうでもいいでしょう?」
それが本心からのようで、クリフォードは震えた。人はここまで残酷に、利己的になれるのか。
やはり王都は魔の巣窟だ。
腐りきって、救いようがない。
「キャロル、やはり君はそういう人なんだな」
「……え?」
クリフォードはキャロルの腕を取って、狭い廊下に入る。
周囲に人がいないのは確認していた。多分、キャロルが事前に仕向けたのだろうが。
そのままキャロルを壁へと押し付ける。情熱的に見えるように。
「まぁ、クリフォード様……っ!」
キャロルは嬉しそうに身体をくねらせる。
愚かで救いようのない女。クリフォードは心の底からこのような人間を憎む。
ローンダイト王もレインドット大公もアデス公爵も、キャロルも同じだ。
「眠れ」
「……あっ?」
クリフォードは囁き、魔法を発動させる。
芳香の魔法には様々な効果がある。その中には人体に強烈な作用を及ぼすものも少なくない。
もっとも、使い所は相当に限定されるが。屋内ですぐ近くにいないと効果がない。
その上、多少の時間もかかる。
捕虜の尋問やこのような時でもないと……。
「えっ、あっ……がっ……!!」
「高濃度の芳香は人体を永久に狂わせる――魔法の効果は長くなくても、神経が焼き切れるんだ」
キャロルが喉を抑えて、手足をばたつかせる。彼女の筋肉が痙攣して、全身が青白く変わっていった。
もう聞こえていないだろうキャロルにクリフォードは言葉を続ける。
「死ぬまでには至らない。でも数か月は目を覚まさないよ。俺のことも覚えていない」
北での任務はクリフォードを変えた。
もう純朴な人間ではない。クリフォードは何人も殺して、壊してきた。
剣で、魔法で。
騎士は国を守る者。
そして冷徹に剣を振るう者でもある。
力をなくしたキャロルが白目を剥いて、床に倒れる。浅い呼吸音が聞こえるので、生きてはいる。
このような魔法が使えることをクリフォードは極一部の人間以外に秘密にしていた。父である大公も国王陛下も知らないのだ。
「……俺に向ける感情の、せめて半分でもイリスに向けていたら」
このようなことをしなかっただろう。
だが、どうしても怒りを抑えきれなかった。
何度も使える手ではないが、許せなかった。
クリフォードがその場を立ち去った後、キャロルは王宮のメイドに発見される。
調査の結果、急な貧血で転倒して、頭を打ったのではないかと言うことになった。
クリフォードが原因であると誰も考えなかった。
◆
王都の郊外。閑静な屋敷が並ぶ一角に、クリフォードは立ち寄っていた。
「まぁ、綺麗なゼラニウムね」
ベッドに横になった金髪の女性が、イリスの魔法を宿した鉢植えを愛おしそうに見つめる。
彼女はクリフォードの母、アシャである。
「うん、イリスが用意してくれたんだ」
「イリス? 誰かしら」
「俺の幼馴染だよ」
言って、クリフォードは窓際のゼラニウムの位置を調整する。
「……ごめんなさい、覚えていないわ」
「いいんだ。気にしないで」
アシャはぼんやりとゼラニウムを見つめる。
「とても、とても良い香りだわ」
彼女が部屋に置かれたいくつもの鉢をベッドから見渡す。
そのすべてが生き生きとして、花を宿していた。この部屋だけでなく、母の屋敷は植物だらけであった。
「気に入った?」
「ええ、落ち着くわ。ところであなた、前も花を届けてくれなかった?」
アシャは小首を傾げて、クリフォードを見つめる。
その瞳には演技はない。本当に覚えていないのだ――クリフォードの、息子のことを。
「うん……そうだよ」
「ごめんなさい。人の顔を覚えられなくて」
「いいんだ」
この屋敷にあるすべての花、植物はイリスが用意してくれたものだ。
かつてアシャはレインドット大公から相当に手酷く扱われ、心を壊してしまった。
今もアシャは屋敷を出られず、花を愛でる以外のことができない。
クリフォードのことさえ、わからない。
そんなアシャを穏やかにさせてくれるのが、イリスの花なのだ。
他の花ではダメで、イリスの花だけが母を現実に繋ぎ止めてくれる。
だから、イリスはクリフォードに会うと花をくれる。アシャのために。
多くは語らなくてもイリスは絶対に花をクリフォードにもたせるのだ。
「今夜はよく眠れそう」
アシャの言葉にクリフォードは微笑む。
それ以外に何ができるだろうか?
「よかった。また来るよ。いい花が見つかったら」
「そうね、また花が見つかったら……」
アシャはそう言って、ベッドの上で目を閉じた。
罪、罰。
アシャの壊れた心の果てにクリフォードは生まれた。
だからクリフォードは父のレインドット大公を憎悪する。
この国の腐敗したすべてを憎む。
「イリス……」
クリフォードはゼラニウムの愛らしいピンクの花に目を落とす。
自分も大きな罪を抱えたとクリフォードは自覚していた。汚れた国の汚れた血筋。
身体に流れる血をすべて大地にぶちまけ、入れ替えたい。
クリフォードは叫びたくなった。
昨夜、イリスを抱いたのはレインドット大公ではない。
クリフォードだ。
女を遠ざけるクリフォードに懸念を持った父に強要され、用意されてあのような夜を演出した。
それを多分、イリスは知らない。
何もわからないはずだから。そのようにした。せざるを得なかった。
罪人の列にクリフォードも加わったのだ。
どう言い訳しようとそれは変わらない。
クリフォードが懐から封筒を取り出す。差出人の名前はない。
だが、誰がクリフォードに書いてよこしたかは知っている。
王弟殿下――聡明な外務大臣の彼が、呼んでいる。この腐った国を変えるためにクリフォードを呼んでいるのだ。
これにて第1章終了です!
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