4.花の魔法
イリスは嬉しく思いながらも、クリフォードを頼りたくはなかった。
彼は真面目で信用できる。
でも、彼は立場のある人間だ。
イリスのように生まれた時から――日の当たるところに立てない人間ではない。
イリスの夜色の髪は、顔も知らない母からの贈り物で。それゆえに、この国ではどれだけ美しくても評価されない。
でもクリフォードは違う。
大公の嫡男で、王国一の騎士。
放蕩王と呼ばれる今の国王陛下でさえ、クリフォードを頼りにしているという。
自分のような、大公の妾にならざるを得なかった公爵令嬢とは釣り合わない。
「――ありがとう。その言葉だけで、とても救われるわ」
「イリス……」
クリフォードは決して馬鹿な人間ではない。むしろ慎み深く、保守的だ。
それがイリスに対してだけは、感情的になる。でもそれだけでイリスは良かった。
「私は私で、大丈夫だから。自分のことは自分でなんとかする」
「……どうやって」
実はまだ、そこまでの計画はない。
とりあえずクリフォードを自分の事情に巻き込みたくないだけだ。
「レイリア、これから私に何かをしろとか……そんな話は大公様からある?」
「いいえ。敷地から出ない限りは、可能な限り自由にして良いと」
やっぱりか。
日中のイリスに任せるような仕事は、大公からは何もないようだ。
これはチャンスだ。時間はある。
どうにかして自立のメドをつければ、屋敷から逃げ出せる。
クリフォードの力を借りたのでは……一時的には良くても、どうなるかわからない。
仮にも相手は大公だ。正面から考えもなしに逃げ出せば、とてもマズいことになるだろう。
実家はあの調子だし……理想は隣国まで逃亡して、自活できること。
だが、それには計画と資金がいる。
イリスは今まで父やキャロルの言いなりで、反抗心というものが足りなかった。
自分一人で逃げ出す意志や覚悟がどうしても持てなかったのだ。
(でも今は違うわ。前世を思い出した私には、できることがきっとある)
他人の顔色を伺ってやれなかったこと。
16歳のイリスには思いつかなかったこと。
特に魔法について、イリスは今の自分なら色々なことができるのではと考えていた。
(植物、花を操作する私の魔法。確かに地味だけれど……でもこの世界では魔法はその人固有。私の魔法は誰にもマネされない)
魔法、奇跡の力。
炎の球体を出したりとか、派手な魔法はこの世界にはない。
もっと遥かに地味で、こじんまりとしたものがこの世界の標準的な魔法だ。
魔法はひとりひとつが原則。
さらに同じ時代に同じ魔法が使える人はほとんどいないとされ、実際にイリスの『花弄り』の魔法は世界で唯一とされる。
(……これを上手く使えれば)
きっと自立できるはず。
誰にも迷惑を――特にクリフォードへ迷惑をかけることもなく。
「意思は固いんだな」
「うん、私は私で。でもあなたが来てくれたことは嬉しいし、料理はすごく美味しかった」
「……無理はするなよ」
クリフォードが立ち上がろうとして、イリスははっとする。
そうだ、クリフォードに花を渡さなくては。
かつて子どもで幼馴染だった頃から、イリスはよく魔法で花を咲かせてはクリフォードに渡していた。
イリスの花はクリフォードの母にとって大切なのだ。
「そうだ、今日は種とか持ってないの?」
「……持ってきていない」
「レイリア、敷地内に良い香りの花はある?」
「この屋敷の花壇に枯れかけたゼラニウムがございます。取ってしまおうかというものですが……」
「それで大丈夫よ。鉢植えか、カットして持ってきてもらえる?」
「すぐに!」
レイリアがぱたぱたと飛び出していく。
これは大切なことだ。
イリスは自分が花を咲かせる魔法を持つ理由のいくつかは、クリフォードに渡すためだと思っていた。
ややあってレイリアが小さな鉢に移されたゼラニウムを持ってくる。
ゼラニウム自体は30センチほどの長さで、こじんまりとした灰色の葉がついた株だ。
しなっており、とても花を咲かせられるような状態ではない。
イリスはレイリアから枯れかけたゼラニウムの鉢を受け取る。
「ローズゼラニウムね。ありがとう」
これはゼラニウムの中でも香り高い品種だ。
名前はそのままバラの香りがするかららしい。
イリスはテーブルの上に鉢を置き、茎に手を寄せる。そのまま茎にゆっくりと意識を合わせてゆく。
呼吸を静かに、目を閉じて。
(どうか……)
魔法を使うのにルールはない。
少なくともこの世界の魔法は学校で習うようなものではないからだ。
だから、この魔法の使い方はイリスだけのものである。
ゆっくりと祈り、身体の奥から熱を移し変える。
イリスの熱に呼応して、ゼラニウムの葉が活力を取り戻す。
灰色の葉に緑の色が戻り、力強く持ち上がる。
それだけではない。
本来、ローズゼラニウムの開花時期は初夏。
今は秋であるが、イリスの魔法によって季節を越えてつぼみが成る。
もっと、もっと。命の息吹を。
イリスの細胞から発せられた奇跡の熱がゼラニウムを蘇らせる。
さらに熱を注ぎ込んで。
イリスが浅く呼吸を重ねるのに合わせて、ゼラニウムはますます開花に近付く。
やがて気高い香りとともに、ゼラニウムは小さなピンク色の花を咲かせた。
淡く、優しい気持ちになれる花だ。
「うん、綺麗ね」
イリスが茎から手を離す。レイリアはこれらを驚きの目で見つめていた。
「これがお嬢様の……!」
クリフォードも魔法が使えるが、彼の魔法は物質に作用する魔法ではない。
実際、イリスほど顕著に物質へ作用する魔法は珍しいらしい。
(その辺りも今後、ちゃんと知っておかないとね)
「……いいのか」
「もちろん。持っていって」
クリフォードは頷き、今後こそ立ち上がった。
彼はイリスの咲かせたゼラニウムの鉢を両手で恭しく持ち上げて、礼をする。
「俺のことを気遣っているのなら、その心配は無用だ。ここでの生活に何かあったら、俺が必ず何とかする」
「……ありがとう」
「さしあたり、また料理を作りに来る」
「ええっ!? そ、それは……」
「俺の料理は嫌か」
静かに言われ、イリスはもごもごと口ごもる。
そんなことはない。全然ない。
でも、それは負担なのではないだろうか。
断ることもできずにイリスはゴニョゴニョと言ってしまう。
「ずるい。私からはそんな……」
「嫌でないなら作りに来る。……では、またな」
クリフォードはイリスの反応を肯定と受け取り、ゼラニウムの鉢を持って屋敷から去っていった。
その背中を見送ったイリスが腕を組む。
「ううーん……。いいのかな?」
「いまやクリフォード様は大公様の次に屋敷を差配される御方です。そのクリフォード様のご決定ならば、気にしなくても良いかと」
「……そうかな?」
まぁ、大公家に通じるレイリアがそう言うなら。お世話されておこう。
さて、とイリスはテーブルに座って伸びをした。
望まぬ新生活の一日目だけど、くよくようだうだはしていられない。
頑張らなくちゃ……!
絶対に、ひとりで生きる力をつけてやる。
花を渡した理由は次回、説明いたします。
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