龍宮の贄姫 異聞
昔、はるか昔、嵐をおさめるために若い乙女を生贄として断崖絶壁から落とす風習があった。
龍宮の贄姫 異聞
ミサは断崖絶壁のきわに追いやられた。風雨は酷く、立っていることも辛い。
ミサは嵐を鎮める為の生け贄に選ばれた。秋には許嫁の与一と祝言をあげるというささやかな夢もあったというのに。
その村は忘れた頃にやってくる洪水の被害に遭っていた。洪水になると村をあげて土嚢を積み、家や田畑を守るのだが、それが限界になると、龍宮に贄姫を差し出すのが、風習となっていた。
南の沢のミサはその日、許嫁の与一とともに土嚢を積んでいたが川の勢いは止まらずいくつかの田畑は水にのまれていた。
そこに村長と共に十数人の男たちがミサを攫った。与一は抵抗したが、呆気なく殴られ縄で縛られ身動きができない。ミサも無理やり高台に引き摺り出された。
その高台はすぐ下を暴れ川となった濁流が渦を巻いている。泥だらけの着物はあろうことか大勢の男たちに剥ぎ取られ、官女の着物を着せられた。
そう、今回はミサが贄姫になったのだ。若い女が贄姫となって、滝壺に落とされ、龍に差し出される。この雨を止めてもらうために。男たちが鈴や太鼓のお囃子をけたたましく奏でる中、ミサは断崖絶壁のきわに追い詰められた。抵抗したが、結局押し出され滝壺に落とされた。
ミサの目に、お囃子を奏する男たち、御神酒を飲んで浮かれる男たち、その脇で酌をする目を伏せた女たちの姿が映った。
気がついたら滝壺の裏にいた。
「怖かったか?」
龍が口を開いた。
「怖がらなくていい」
龍は優しく言った。
「お前に報いて雨は止めるから」
ミサは震えた。
「寒いのか」
「違う、お前が雨を降らせたのか」
「いや、雨は勝手に降る。ただ、私には止める力があるだけだ」
ミサは怒りに震えていた。
「お前が雨を止めるから、女が落とされてから雨を止めるから、女を差し出さなければいけないと、村は思い込んだんだ。勝手に降るなら勝手に止むだろう。なぜお前は雨を止める」
「いや、それはお前たちが望んだからでは」
こんなことを言う贄は今までいなかったので、竜は戸惑った。
「お前が雨を止めたってことで、村は次に女を落とせば雨が止むと思い込む。何人もの女がそうやって落とされた。お前のせいだ」
「女たちを落としたのは私ではない」
「でも落とすように仕向けたのはお前だ」
龍は心底驚いた。祈りがあり、贄があったから人の願いを聞き入れてきた。
「私が雨を止めなければいいと言うのか。雨に田畑が呑まれるぞ」
「呑まれた田畑は掘り起こせばいい。女をモノのように落としている連中こそ落としてほしいくらいだ」
「それがお前の望みか?」
「ああ、もうこれから女をモノのように落とさないように、あの祠も屋代もなくなって仕舞えばいい」
「望むからには代償もいるんだぞ」
「私の命を差し出す。それこそ本望だ」
確かにこの女の言う通り、雨は必ず止む。ほっておいても止む。それを女を落として雨を止ませる男たちがいる。龍にとってそんなことはどうでもいいことだ。贄を受け取っても受け取らなくても、龍にとっては些細なことだ。
「お前の望みを叶えてやろう」
雨はさらにひどくなり、雷が高台に落ちた。すぐに雨が止むと思って浮かれていた男たちは屋代に逃げ込んだが、そこにも雷が落ちて激しく燃え上がった。高台には亀裂が入り、崖が崩れ、激流となっていた川の流れを堰き止めたのは龍の余興だったのかもしれない。雨はしばらく続いたが、崖が崩れてできた巨大な土嚢は下の村を守るかのように水を堰き止めた。
そこでできた巨大な湖は夏の乾季に下の村の田畑を潤す水源となった。そこに誰ともしれず、ミサのための小さな祠が作られたが、時とともに朽ち果て、ただ湖だけが残った。
誰かの犠牲の上に我が身の安寧を望むものは、我が身に災厄が降りてくるのでは。