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デトフロ王国恋愛奇譚集

転生ヒロイン、ネペンティア・アイビーの命日 〜逆ハーに失敗して、断罪された性悪転生ヒロインは血濡れた地下牢の底でそれでも平和を夢みる〜

作者: 七味の海

注意:本作は残酷な暴力行為やグロテスクな造形描写が多く含まれます。

15歳未満の方や過激な描写が苦手な方は閲覧をお控えください。


 

『ネペンティア・ネリス・アイビー 19歳4ヶ月 

 アイビー男爵家当主アルテラとその妻の娘、三女

 (アイビー家相続権 及び 貴族籍抹消済)

 罪責1 麻薬を含む違法薬物の密売

 罪責2 殺人教唆

 罪責3 風説の流布


 判決 死刑 (下記用件の為、執行停止中)


 備考:異世界からの転生者の可能性あり。親族からの聴取に、齢13の際に高熱にかかり、それ以降人格が変容したとの記述あり。引き続き聴取の必要あり』






「死罪って何!?」


 日の光も届かない宮廷の地下深く。

 死刑となる罪を犯した罪人達を閉じ込める無機質な地下牢は、酷く湿気ていた。既に事切れた住人達のぶちまけた血と臓物が腐った匂いが地下牢全体に充満している。


「死ねよ、ボケ! なんで私なんだよ!」


 もはや時間すらわからない暗黒の中に閉じ込められた私は怒りのままに地下牢の扉を蹴った。


 もう何度目かも数えていない八つ当たりだったが、重たい石造りの扉は鈍い音を立てるだけでびくともせず、ただただ裸足の足が擦れて痛んだだけだった。

 それどころか揺らしたせいで、部屋の隅に打ち捨てられている前の住人の亡骸が崩れる。中から蛆が溢れて、濃密な腐敗臭が部屋中を駆け巡った。


 臭いに慣れきってしまった私でも、まだ感じる強い臭気。私は暴れたのを後悔して、逃げるように扉の前にへたり込んだ



 私は、どこで間違えたんだろう。


 他の転生者の存在に気がつけなかったことか?

 この世界の進み方がゲームのストーリーと微妙に異なっている違和感を見て見ぬふりしたことか?

 仲間になったヒーローが平民を殺してしまったのを無視したことだったか?



 いや、そんなことは大した問題ではなかった。


 一番のミスは、私の他に転生者がいたとしても私の味方だと思い込んでしまっていたことだった。



 私、ネペンティア・アイビーはデトフロ2という乙女ゲーの主人公だった。


 デトフロ2、『デットライクラブフロントラインII〜戦場の死神達と恋に堕ちたら〜』は、大人気乙女ゲームの次回作にして屈指のクソゲー。


 クソゲー要素は数知れず。

 前作の扱いが雑だの、ポリコレだの、そもそもストーリーが破綻しているだの色々あれど、その中で一番酷いのがエンディングだった。


 国の滅亡。

 デトフロ2のほとんどのルートでは最後に国が滅びる。火の中に沈む宮廷のシーンを見せつけられ、主人公やヒーローがナレーションで死亡する。頑張ったけど無駄だったねと言わんばかりの最後に、当時プレイしていた私は製作陣の人間性を疑ってしまった。


 それが私の転生したゲーム、デトフロ2。

 当然主人公たるネペンティアはほとんどのルートで死ぬ。




「お前が死ねよ。にわか野郎。エンディングすらいってないなんて。逆ハーエンド以外誰も助かる道はないのに。なんで、なんで邪魔したの…………」


 途中まではうまくいっていた。六人ほど攻略対象は籠絡できたし、逆ハールートに行くために必須となるアイテムも手に入れた。後は記憶通り、主要キャラクターを攻略していくだけ。

 もしかしたら他の転生者がいて、裏で自分に協力していてくれているのかもしれない。そう思ったほど、なんの障害もなく攻略は進んでいた。


 だが一番重要となる王太子のルート入りのタイミングになって全ては裏切られた。何者かの手で共謀した悪役令嬢達によって王太子は唆されて、私は麻薬取引という言われなき罪を着せられて捕まり、死罪になった。


「なんで、なんで私が罰せられなきゃいけないの」


 そう叫ぼうとした言葉は壮絶な悲鳴の音でかき消された。


「あ唖アア__」


 地下牢の静寂をつき破る誰かの悲鳴。

 男なのか女なのかすらわからないほどに、崩れ果てた泣き声が鳴り響く。絶叫と連動するようにぶち、ぶち、と肉を剥ぎ取るよう音も微かに聞こえた。


「諡キ蝠……上…繧後…」


 嵐のように鳴り響き、一瞬で消えた絶叫の残り香で地下牢が一層静かになる。

 それからしばらくまるで洗い物をしているような滴の波音だけがペチャペチャと小さく響いていた。


 またどこかで処刑が行われたのだろう。

 ここに入れられて数日も経っていないだろうに死の音は何度も聞こえた。



 次は誰の番?

 そろそろあなた?


 毎日毎日悲鳴を聞くたびに、そんなことを言われているような気がした。



 その時、ガチャガチャと音がして、重い扉が突然開いた。



「おはよう。ネペンティア・アイビー男爵令嬢って、うわ酷い匂い。ここではダメだね」



 突然開いた扉から漏れるランタンの強烈な明かりで目が焼ける。今までずっと暗闇にいたせいでほのかな光ですら眼が痛かった。


「連行しろ」


 視界がぼやけてほとんど何も見えないが、独房の中に何人もの衛兵達が入ってくるのがわかった。


 衛兵が乱暴に私の腕を掴む。私はそのまま牢から引きずり出された。

 彼らに囲まれて独房の外、地下牢の廊下を進む。


 まだ眼が潰れて、ぼんやりとしか見えないのだが、ずらりと並ぶ鉄格子の隙間から無数の腕がこちらに向かって伸びているのが見えた。


「おおおお」

「やっぱりいい女」

「乳でけー!」

「いい匂いだ!」

「もっと叫んでくれよ!」

「もったいねぇ、もったいねぇ。くれよ!」

「足だけでいい。な?いや、指でいい。死んだら指くれ」


 男囚達だろう。


 通りすがりの鉄格子の隙間から下卑た言葉が私に投げかけられる。細い鉄格子の隙間から全員がこちらへ手を伸ばしていた。


「騒がしいな」


 ふっと私を支えていた衛兵の一人が離れた。鉄の擦れる鋭い音がして剣が引き抜かれる。


「えっ!ちょっと、あッ」


 衛兵が鉄格子の隙間を縫うように、騒ぐ男囚の一人を刺した。おそらく致命傷。

 コヒュッと息が漏れる音が聞こえる。切り裂いた箇所から噴き出る血しぶきが飛び散り、囚人はまるで発情期のウサギのように牢の中で跳ね回った。


「全員黙れ! 殺すぞ」


 衛兵が声を荒げて男囚達を威嚇する。囚人達は一瞬、静まり返り、そして大声で笑い出した。


「やったぜ!」

「死んだ!」「しんだ!」

「やった。一人死んだぜ」

「取り分増えた!」

「あああ、いい匂い!はかどる!」

「俺は目玉が欲しい!綺麗や目玉にぶっかけたい!」

「あっ、勃った」


 衛兵は黙らせようと脅したはずなのに囚人達はより元気になって大声で叫んでいた。


「もう死ぬ罪人に何しても無駄です。行きますよ」


 衛兵の一人が、もう一度剣を抜いた仲間に向かっていうと彼は諦めたように剣をしまい、また私の側に戻った。


 一人死んで、むしろ騒がしくなった囚人達の大喝采を浴びながら私は奥の小部屋に移された。



 生ぬるい床の上の、裸足の足が滑りそうになるネトネトした液体を踏みつけながら、椅子に座らされる。

 衛兵達の手で私はそのまま椅子にしばりつけられ、手一つ動かないほどがんじがらめにされた。


 沢山いた衛兵達は出ていき、部屋には私とあと2人が残された。ゲームには登場しない仮面の男達。顔の正面にまるで豚の尻尾のような円筒状の突起のついた奇怪な仮面をつけた二人の男は、片方は私の前に腰掛け、片方は扉の前に立って記録を始めた。頭からかぶるように口以外すべてが覆っている仮面のせいで彼らがどんな人物か一切わからなかった。


「どうもネペンティア、私達が君を担当する悪魔の尻尾(チクシェルーブ)です」


 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)

 そんなキャラゲームでは出てこない。


「私は王子としか会話しないと伝えたはずです。もう喋りません」


 捕まった時から繰り返し続けた言葉を悪魔の尻尾(チクシェルーブ)にも投げかけると、彼は困ったように首を横に振った。



「あいにく王太子殿下は忙しいのです。私は代理、王太子殿下から尋問役を賜った拷問官にございます。君への私の言葉は殿下の言葉とご理解ください」


 拷問官、ゲームでは宮廷地下の地下室ダンジョンに出てくる敵キャラだ。壮年の男、声色から判断するに四十ほど。

 自らを拷問官名乗った男の顔でまんまるの尻尾が揺れる。


 私の罪は明白だ。わざわざ取り調べる必要もない。それなのに拷問官が出てきたということはやはり前世の記憶の件だろう。


「悪魔の尻尾ってその仮面? ダッサ」


「ふふ、本名ではありませんよ。それにネペンテス、ウツボカズラよりマシかと。花言葉は甘い罠、君にピッタリの名前だ」


「…..死ね」


「君のお母様は」


「うるさい」



 ぐわんッ


 突然、頭が揺れる感覚がして後ろから殴られた。

 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)の二人目の方は記録を中断して、私を石の棒で殴りつけていた。

 チカチカした視界にふらついて、私はそのまま椅子の上でうなだれた。


 言葉を喋ろうにも痛くて何も出てこない。


「君とはとても仲が良い親子だったそうですね。ネリス・アイビー。だが13になる時、急に意味のわからない言葉を口走し、人が変わった君を心から嫌ってもおりました。ネペンティアという名もそれが理由で改名させたのだそうで」


「うるさい……」


 拷問官はまるで私を嘲笑うように楽しそうに微笑んだ。


「ああ、私のネリスを、娘を返して、あんな優しい子がこんなことをしでかす訳がない。いまのあの子はネリスじゃない。ネペンティアに乗り移られてるだけなの……って言ってましたよ。愛されていますね君は」


 壮年の拷問官がふざけた裏声で母を真似る。


「うるさい! 黙れ!」


 母はいい人だった。

 浮気をして出ていった前世の母親と違って、優しくて暴力を振るうこともない。いい母だったのだ、少なくとも私が記憶を思い出すまでは。


「私がネリス・アイビーだ!」


「知っておりますよ。別人ではないのでしょう。珍しいですが前世の記憶を持つ人の前例はあります。思い出すだけで、他の誰かにとって変わる訳じゃない」


「たが、記憶が強すぎたな。前世の記憶が元の人格なんて吹き飛ばしたわけだ。少なくともあんたを唯一愛してくれていた母親には別人に見えた」


 若い声。

 もう一人の拷問官が私の後ろから補足するようにそう続けた。


「黙れ!お前らに何がわかる!」


「ええ、何も。なので教えてください。君のことを、デトフロ2のヒロイン、ネペンティア・アイビーを」



 今まで一度たりとも、この世界がゲームと同じであるということを話したことがなかったのに、拷問官の口からデトフロという言葉が出てきた。


 やっぱり知っていたか。


 裏切り者がいるのだろう。それにもかかわらず私にデトフロを聞くということは知らないことがあるということだ。


 滅亡から救う手立てを知らないのだろうが、当然、答える義務はなかった。


「絶対にお前らのような奴には喋らない! 死ね! 死んでしまえ! 滅んでしまえ!」


 言い終わった時、悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は、気が付けば私の小指を掴んでいた。

 私の指はグニッと変な方向に曲がってへし折れた。


「ッッ__」


「何か勘違いしてるようですから教えておきます。これは減刑の交渉ではない。ネペンティア、君は死罪。私は王太子殿下から君に対する全権を預かっています。どう殺してもいいんです。死に方だけは選ばせてあげるという話です」


 若い方の悪魔の尻尾(チクシェルーブ)も、後ろから私のもう一方の手の小指を掴んでいる。


「やめッ__ア」


 グニッと変な方向に曲がってへし折れた。

 声にならないうめき声が喉から漏れ出る。


「いい悲鳴です。この部屋は防音、とはいえ外まで聞こえてるでしょう。いいこと思いつきました。外の男囚達のところに生きたまま君をあげましょう。きっと心から愛してくれるでしょう」


そ…が(それが)司あ……や…..あと(司法のやること)?」


「やっぱり前世が強すぎますね。あれを見せてあげましょう」


 その言葉と共に、若い方の悪魔の尻尾が、部屋の灯りを強くした。


 床一面に広がるぬかるみは、かたまりかけの血だった。

 血でどす黒色に染まった床と、隅に転がる肉片。

 血溜まりに浮かぶピンク色の内臓の塊は、どう見ても生きてるとは思えないのにダラダラと血を流し続けていた。


 生々しく脈動するそれには、干からびた皮がついていて、よく見ればそれは人の体のような形をしていた。破れた横隔膜を震わせながら、吸えない息を必死に吸おうと全身をビクビクと痙攣させる。


 あまりにもむごい姿と立ち上る臓物臭に顔を背けようとすると悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は逃がさないというように、私の顔を掴んで臓物の方へ向けた。


「よく見てください。これはとある異世界からの転移者の末路です。反乱を起こした大罪人ですが、生きたまま苦しめるのは悪辣すぎるので死罪にしました………が、残念なことにどうやっても死なないんでここでオブジェクトとして飾らしてもらってます」


 もよおす吐き気を抑えきれず嘔吐しそうになったが、数日間の獄中生活のせいで私の中に吐き出すようなものは何も入ってなかった。


「また、呼びますね。安心してください協力してくれれば眠るように死ねますよ」


 その言葉と共に、衛兵達が部屋に戻ってくる。

 まるで亡者が生き血を求めるように私を見て手を伸ばす男囚達の間を通りぬけ、私はまた独房に戻された。



 指が痛い。

 だがそれ以上に心が痛くてしょうがない。


 母のことを思うと涙が止まらなかった。拷問官が話にあげるということは、母はきっとネリスへの減刑を訴えたのだろう。


 私はネリス・アイビーだ。

 私は栄 手織だ。


 男爵家の三女として生まれた、一般家庭の一人娘だった。何人かいた兄弟は先の大戦や、流行病で皆死んだ。

 父は家に興味がなく外に愛人がおり、鬱病だった。

 母はそれでも私を愛して、殴ってきて、10になる頃に浮気をして出ていった。


 13歳のある日、私は前世の記憶を思い出し、火事で焼け死んだた。


 介護と暴力で彩られた私の強烈な前世の記憶は、たった一人生き残った娘として母からの愛を受け、幸せに育った令嬢の私の人格を大きく歪めた。


「あなたは誰? ネリスはどこ?」


 母は私が前世を思い出したその日のうちに、半狂乱になって私を問い詰めた。

 ネリスは自分だと何度も言ったが、信用されることはなく、母は何度も何度もお祓いや、教会へ私を連れていった。


 ネペンティアを消すために。

 消せるはずもないネペンティアを見て、それでも母は泣きながら私を抱きしめた。


「お願い、ネリスを返して、お願い」


 母はネペンティアを憎みながらも、それでも暴力を振るうようなことはしなかった。食事をくれ、マナーを教え、私を人として扱ってくれた。優しい人だった。


 前世から親と呼べる存在のいなかった私にとっては母は私の唯一の親だった。今もネペンティアという悪魔に乗っ取られて死罪となったネリスを思っているであろう母のことを考えて私は泣きながらうずくまった。


 私はネペンティア・ネリス・アイビー。

 母から憎まれて、愛されている。


「クソババァがよ。本当に馬鹿。本当に馬鹿なお母様(クソババァ)


 折れた両指を抱えながら私は冷たい床の上でガタガタ鳴る奥歯を噛み締めた。

 パンパンに腫れて柘榴のように膿んだ指の付け根をさすると神経を撫でたような痛みが襲った。


 このまま放っておけば綺麗に治らず、後遺症になるだろう。


「そんなの死罪だから関係ないのか」


 手当一つしてもらえない今の現状が、私の未来を物語っていた。男達に美しいと褒められた指ももう私には要らないものなのだ。


「私が何したっていうんだよ。死にたくなかっただけなのに」


 前世で焼け死んだ記憶を思い出す。

 取り囲こむ熱と、息もできないほど暑い空気。火に包まれた扉を死ぬ気で掴んでも、扉は歪んで動かなかった。

 びくともしない扉を叩きながら、視界を覆い尽くす煙と、身体を舐めるように這う炎に焦がされて、私は死んだ。


 死は痛みでしかなかった。皮膚から全身を侵食する熱い痛みが体の芯に達するまで私は焼け続けた。


「別にいいだろう、たかが男を取られるくらい。たかが麻薬を売ったくらい。私は死ぬんだぞ! 死ねよ! お前が代わりに死ねよ!」



 姿形すら知らない裏切り者の転生者に怒りをぶつけるもただ虚しいだけだった。

 いくら蹴り付けてもびくともしない石の扉はあの日の火の扉に似ていた。

 このまままた死に包まれるのだろうか。


「お母様、助けて…………ネリスはここです。ずっとここにいます」


 縋り付くように扉にもたれかかるも、日も届かない地下牢の石造りの扉は冷たく私を拒絶した。

 泣きそうになりながら扉の前で目を閉じる。


 扉の向こうから声がした。


「ネペンティア。聞いてるか、ネペンティア•アイビー」


 囁くように私の名前を呼ぶ声は悪魔の尻尾(チクシェルーブ)の若い方だった。


「なん…………でしょう」


 答えた声は自分でもびっくりするほどの涙声だった。


「泣くているのか。まぁいい。一つ伝えておくことがある。悪魔の尻尾はああ言ったが王子は寛大だ。お前が誠意を持って情報を教えてくれれば減刑もありうる」


 彼は優しくそう告げた。


「だから変に意地を張らず知っていることは伝えた方がいい」


 それだけ言って立ち去っていった。


 ああ、もしかしたら助かるかもしれない。


 私は彼の言葉に一瞬だけ安心して、

 そして次の瞬間に恐怖に震えた。まるで氷水に全身を浸されたようなゾッとする寒気が襲う。


 言葉だけ見れば優しく甘いその言葉は、酷く残酷な事実を物語っていた。


 ああ、私は死ぬんだ。

 また死ぬんだ。


 あんな優しい台詞を拷問官が言うわけない。


 これは嘘。

 ただ私の口を割るための、嘘。


 ここは前世ではないのだ。法を捻じ曲げる権力が当たり前に存在する世界。

 拷問官はデトフロについて、なにをしてでも喋らせろと言われているに違いない。逆に言えばそこまでやった後の人間を外に出すはずがない。王家に拷問された囚人が同情でもされようものならそれだけで王威に傷がつく。

 王権を守ること、それはどんな法律より優先される。


 私は拷問されて死ぬ。


「なんで、私だけがこんな目に遭うの?」


 きっと私を陥れたにわか野郎からは大した情報が得られなかったのだろう。王子はもしかしたら国が滅ぶという話だけ聞かされたのかもしれない。


 だから拷問官なんてものを用意したのだ。


 だけどもう遅い。

 ネペンティアは逆ハールートを完全に外れていて、ここから行けるのは処刑されるルートだけ。デトフロをやりこんだ私にも、もう国が滅ぶことを修正することはできない。


「ザマァみろ。全員道連れにしてやる。私の邪魔をするからだ」


 焼ける痛みを思い出し、抗えない死に震えながら、私は泣き疲れて眠った。







 翌日、目が覚めても辺りは相変わらず真っ暗だった。時間はわからない。が、しばらくするとまた私は衛兵に連れられて奥の部屋に通された。


「おはよう。よく寝れたようだね。話す気にはなったかい?」


 昨日と変わらない変な仮面の二人組は、おそらくにこやかにそう挨拶した。


 今から始まるのは私の尋問。

 ここは死以外に逃げ場のない血と痛みの培養室。


 とても挨拶する気にはなれなかった。


「もしかして挨拶も忘れてしまったかい? まがいなりにも男爵令嬢とあろうものがそれではいけません。清く正しく美しく、誰に対しても常に紳士淑女たれ。貴族の義務(ノブレスオブリージュ)だよ」


 軽い調子で口ずさむ拷問官の言葉はなんだか癪に触った。


「バッカじゃないの? 清く正しく拷問します?」


 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は不機嫌そうにトントンと私の椅子を叩いた。


 振動で腫れた小指の根本が焼けたように痛む。思わず手を引っ込めようとして、椅子の角に指をひっかけて、よけいに腫れを抉った。擦れた傷口から滲む体液は膿んでいて緑色をしていた。


 まだ何もされていないのに、あまりの痛みに身が震える。

 ここから何をされるのだろうか。


「さぁ教えてください。ネペンティア。デトフロについて、この王国のために」


 拷問官の最後の問いかけ。

 これから起こることへの恐怖のあまり話してしまいそうになる。


 でもダメだ。私を生かしてくれるのは私の持つ知識だけ。

 これは生命線だ。そんな簡単に話してはダメ。


 私は必死に首を横に振った。


貴族の義務(ノブレスオブリージュ)とか、無私の心で世のために尽くせとか知らない。私はこの後どうせ始末されるのにそんなことになんの意味がない」


「では喋らないと」


「ええ」


 答えた瞬間、悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は私の右手の薬指を掴んだ。


「世のためでなく、君の為なら?」


 豚の尻尾がブラブラと揺れる。


 はじめは大きくブラブラブラブラ。

 揺れは時間を宣告するように小さくなっていく。


 徐々に、みしみしと締め付けられる薬指に恐怖を感じながら私は虚勢を張った。


「私は悪くない。お前らのような安全圏にいる成功者が、私をどうこうできると思うな」




 パキッと音がしてまた指が折れた。



「残念です。ネペンティア、悪事の正当化は犯罪者の一番ありふれた言い訳です」


 声も出ない私を無視して彼は続ける。


「ネペンティアアイビー、よく聞いてください。今から始める尋問の内容を説明します。前提として痛みというのは痛みを司る神経が圧迫されることで起こるものとご理解ください。そして人間で一番神経の密度が高い箇所は指先と性器。今からあなたの指を一本ずつ壊します。途中無くなった方がいいと思うかもしれませんが、安心してください。最後には無くしてあげますよ。どこからがいいですか?」



 返事することとすらできなかった。



「では左手の薬指から。君にはいりませんものね。では始めます」




 ブチッ




 体の内側から聞こえるそんな音と共に、

 私の意識は遠くなった。



 迫り来る血まみれの床。

 気を失って倒れ込んだそこは昨日見せてもらった転生者のオブジェクトから流れ出た血で生ぬるくぬかるんでいた。







 不思議な夢を見た。



 四肢を鎖に繋がれ、柱に吊るされた裸の中年の男と会話する夢。

 椅子に繋がれた私と柱に吊るされた男は、お互いを見あってそしてなんだか不思議な気分になって笑った。


 会ったこともない醜い男だったがどこか懐かしい感覚がした。まるで日本にいた頃のようなそんな気分。


 夢の中で男はこちらを見てニヤリと笑った。


「デトフロっていうんだなこの世界」


「誰? あなたも転生者?」


 男は少し笑って私の裾についた血溜まりを指差した。それは拷問室にあった肉塊の破片だった。


「宇藤だ。デトフロって戦争ゲームだろ? SRPGみたいな。おじさんも原作知ってればもう少し上手く立ち回れたかもな」


 はぁぁと大きくため息をついた男の姿は、よく電車で見かけた仕事帰りのオッサンのように見えた。


「えーと、栄です。ふふ、びっくりするかもしれないけどこれ乙女ゲームよ」

「ええ? 嘘だろ。そりゃ王子に勝てないわ。しくったなぁ」


 男は鎖に繋がれながらケラケラと笑った。彼が少しでも動くと鎖がけたたましい音を立てて擦れた。


「どうして繋がれてるの?」

「そりゃいっぱい悪いことしたからさ。盗み、犯し、たくさん殺した」

「うわ、最悪」

「こんなとこにいるんだ、あんたもだろ?」


 宇藤の言葉に私は首を横に振る。


「私は何にも…………いや、少しかな。麻薬売って平民見殺したくらい。乙女ゲーだから何人か寝取ったけど。それ私悪くなくない? アイツらの魅力が足りないだけじゃん?」


 そう答えると宇藤は微笑んで大きく頷いた。


「それはそれは。なかなかの悪ですねぇ。ただ、死刑はやりすぎだな」

「そうよね。初犯だし執行猶予ついていいくらいよ」

「はは、違いない」


 ケラケラと笑う中年男は大罪人にしてはあまりにも普通に見えた。


 私たちは昔の話をした、お互い来た時代が少しずれているようで彼の言うタレントのことは誰もわからなかったし、私が見ていた配信者の話をしても理解できないと首を振るだけだった。

 でも話は弾んだ。


「毎日毎日、上司が酷いやつでよ。毎日0時。残業残業残業、貢献貢献貢献本当にうるさかった。ペライチで終わらすとすげー怒るのよ。俺はモーレツ社員したくねぇっての」

「ひどー、ブラックじゃん」


 宇藤さんの昔の愚痴を聞きながら相槌を打つ。

 私は前世では働いたことはなかったが、学校の話をするとそれはそれで面白そうに笑ってくれた。



「ええ? 土曜休みなの? すげーな令和」

「平成の時点で休みなんだけど」

「お? 昭和の話するか?」

「夏にクーラーのいらない時代の話は分かりません」

「40度はおかしい。サイパンでもそうはならない」



 そんな談笑をしていると、ふと宇藤さんは上を見上げた。少し寂しそうに、それでいて無気力そうに彼は微笑んだ。


「ああ、そろそろ俺の力も切れるな。久しぶりに価値観が会う奴と話せて楽しかったよ、だが」


 彼はジャラジャラと鎖を鳴らしながら手を振る。

「どういたしまして」と答えようとした私はなぜか声を出すことができなかった。


「だが、栄さん、それはここに置いてけ。前世の常識なんてここで生きる上でなんの役にもたたない。俺は変えることはできなかった。あんたはまだ間に合う。栄、いやネペンティア・アイビー。全部置いていけ」



 まるでテレビ電源を落としたようにバチンと、宇藤さんの姿は消えた。



「おはよう。ネペンティア・アイビー」


 どうやらあまりの痛みに気を失っていたようだ。悪魔の尻尾達は私の指を切り開いた時の体勢のままこちらを覗き込んでいた。


 床に倒れ込んだ私の目の前には赤黒い血と肉片が転がっていた。先ほどの夢がどういう原理で見たものなのかはわからない。が、目の前のそれが宇藤さんであることは理解できた。


 置いてけ、か。

 飛び散りグズグズになって煮崩れしている肉塊の破片を拾い上げる。


 なんで私は逆ハーを目指したんだっけ。この世界の原作再現がどれほどのものかは分からなかったが、多分私の身一つなら逃げ出すことはできた気がしていた。


 それなのになぜ?


 男達にからちらほやされたかったから?

 特に好きだった王子やアークファルトに愛されたかったから?


 それもある。


 私だけじゃなくお母様も助け出すには、それしか道がなかったから。

 母も助けたかった。彼女にとって私がネペンティアでも、それでもネリスは母が大好きだから。


 逆ハーに失敗した私ではもう助けられない。

 母は死に、私も死に、この国は滅ぶのだ。

 それがゲームのエンディング、前世の記憶ではこれ以上私にできることはない。


 置いていけ。

 その言葉を思い出し、私は宇藤さんを床に置いた。



 そうだ。私が悪役令嬢達に逆ハーシナリオを壊されたようにこの世界のシナリオは絶対じゃない。


 私はもう手遅れでもまだ母まだ助けられる。


 達は黙ってしまった私を不思議そうに見ている。



 癪、本当に癪だけどこいつらがゲームのシナリオを壊すことに賭けるしかないのか。


 それにシナリオさえ壊れればもしかしたら私もまだ助かるかもしれない。


 生きよう。あがこう。

 私はネペンティア。男爵令嬢ネペンティア・ネリス・アイビーとして。



「いいわ。話してあげる」





 

 私は全てを話した。洗いざらい。

 デトフロのことも、自分自身の前世の記憶も全て。


 ここに置いていく。

 そんな気持ちで心の中を全てぶちまけた。



「話してくれてありがとう。次だが」


 悪魔の尻尾が指を軽く撫でる。が今度は折られることはなかった。


「もう満足? まだ指は六本あるわよ?」


 見せびらかす手を広げると、若い方の悪魔の尻尾が咎めるように私の手を掴んだ。


「あなたでもいいわ。なんでもしてあげるわ。私上手よ。どうせ拷問官なんてモテないでしょ?」


 私の指を撫でた腕を逆に掴んで仮面を覗き込む。豚の尻尾のような装飾の奥の金色の瞳が揺れた。


「暴力なんかよりもっと気持ちよくしてあげられるわ」


「いりませんよ。君は話さえすればいい」


 壮年の方の悪魔の尻尾が私と彼を引き剥がし、首を横に振った。


 追加で聞かれた質問にひとしきり答えた私は衛兵達に囲まれてまた独房に戻された。衛兵達が立ち去る中、たった一人、若い方の悪魔の尻尾(チクシェルーブ)だけが私と共に独房の中に残った。


「何?」

「どうして急に話す気になった?」


 拷問官とは思えないような発言。

 彼はまだ見習いなのかもしれない。そんな疑問が頭に浮かぶ。

 とはいえ彼も拷問官だ。


 王子と直接会話できる立場の人間に媚を売る価値はある。

 私はネペンティア。使えるものはなんでも使う。


「痛みに屈したからではダメ? 王子にちゃんと伝えてね。ネペンティア・アイビーは素直で素敵な女の子ですって」


 悪戯っぽく微笑みかけると、彼は苦々しく顔を歪め、豚の尻尾がブルリと震えた。


「恨んでないのか?俺たちを、この国を」


「当然。恨んでるわよ」

「そうだろうな。だってあんたには他に道がなかった。自分が助かるには逆ハーレムとやらのルートしかなかった」

「そうよ。もう無理だけど」

「なんで普通に喋るんだよ!」


「私、痛いの嫌なの。自分でやっといて何言ってるの?」


 彼が折った小指を見せつけると悪魔の尻尾(チクシェルーブ)はさらに顔を歪めた。


 彼の言いたいことはわかる。

 急変しすぎで何かあったと勘ぐられているわけだ。

 だが宇藤さんをあんな風にしたこいつらに彼のことを話す気にはなれない。



「別にいいでしょ。性悪転生ヒロインが平和を祈ったって」


 私が助けたいのはお母様だけ、でも他の奴らもついでに助かるくらい好きにすればいい。

 恨んでるし、むかつくし、死ねばいいと思うけど、そんなどうでもいい奴らの生死なんてお母様の幸せと比べれば、ずっとずっと些細なことだ。


 そんな思いで発した言葉だったが彼には刺さったようだ。悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は自分の頭を抱えて、それから搾り出すように私に告げた。


「何か要求はあるか? 王子に伝える」


 この男は案外簡単に誘惑できる気がする。

 私は縋り付くように彼の腕に抱きついた。


「ねぇ。お願いがあるの」


 彼はひどく驚いて、石のように硬くなった。


「お願い。寂しいの。死ぬ前に一度だけ私を慰めて」


 彼の仮面を外そうと頭に手をかけた瞬間、ガチャンと扉が開いて衛兵がこちらを睨みつけた。


「食事だ。お前の協力に王子はお喜びだそうだ」


 衛兵が私と悪魔の尻尾(チクシェルーブ)を引き剥がし、私の前にパンを置いた。

 新鮮で柔らかいパン。久しぶりのまともな食事に私は飛びつきそうになったが、同時に手の痛みを思い出した。

 いくらまだ全部ちゃんとついているとはいえ半分以上折れているのだまともに物を持てるわけがない、


「ダメ、痛くて食べれない。食べさせて」


 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)に向かって目配せして、すり寄る。パンを持ち私に食べさせてくれようとした彼を見て、衛兵は怒ったように彼を牢の外に放り出し、そのまま扉を閉めた。


「本当、諦めなくてよかった。まだチャンスはありそう」


 宇藤さんに感謝して食事にかぶりついた。





 その後、何日、いやたぶん何十日も、私は毎日のように呼び出され、その度に聞かれた質問に素直に答えた…………

 実は何度か嘘をついたり隠し事をしようとしたりはしてみたが、壮年の方の悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は手強く、全て見破られて、交渉をする余地もなかった。



「素直に答えてくれて感心です。私も美しい女性を痛めつけたくありませんからね、」


「そう」


「ですが、そろそろお別れの日が近づいているようです。君の処刑の日が決まりました。明日です。私とはこれでお別れです」



 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)から告げられた言葉に心が暗くなる。従順に従うことで拷問はなくなり、与えられる食事は日に日に豪華になっていた。が、しかし減刑まではしてもらえないらしい。


 握手するように手を差し出してきた彼の手を握ると、彼に折られた薬指と小指がひどく傷んだ。


 結局手当はなかった。


 私が生かされてるのはデトフロ知識を聞き出すため。わかってはいたことだったが、もういらないから死ねと言われたようでショックだった。



 独房で一人ランチを食べる。この独房の中は綺麗に清掃され、もう臭くもない。日光は届かないのは相変わらずだが、明かりもあるし、時間を潰すための本もある。

 全て、悪魔の尻尾(チクシェルーブ)に言って王子に用意させたものだ。

 だが、もはや日課のようになった王子への要求もこれで最後だった。


 独房の外から、私の昼食を見守るように眺める悪魔の尻尾(チクシェルーブ)の姿もこれで見納め。


「ネペンティア・アイビー。おまえは協力してくれた。俺からも王子に減刑を申し出ておく。最期に何か伝えたいことはあるか?」


「えー? どうしよ。じぁ明日は美味しいものが食べたい。絶品料理用意して」


「おまえ…………明日は」


 独房の方へ身を乗り出した彼をそのまま引き摺り込んだ。


「ねぇ。私、本当に明日最期なの」


 彼の硬い体を撫でる。拷問官というより、まるで騎士のように鍛えたげられた筋肉の筋をなぞるように撫でると彼はまた困惑したように震えた。


 せっかく毎日のように誘っているのに、彼はただ黙って固まるだけで未だに一度も私に手を出そうとしなかった。


 扉の横に控えている衛兵ももうすっかり慣れたのか、チラリとこちらを見るだけで何もしてこない。


「思い出が欲しいの。最期は女として死なせて…………」


 仮面を外そうと手をかけると、彼はそれだけはやめろと言わんばかりに、必死に抑えた。


「ねぇ。私そんなに魅力ない?昨日は水浴びしたし綺麗だよ。お願い、私に生きてた意味をちょうだい」


 彼の逞しい腕を撫でると、悪魔の尻尾は頭を抱えて、それから私を引き離した。


「からかわないでくれ。そんなことしなくてもお前は魅力的だし、俺はお前の願いを聞く。なんでも言ってくれ」



「そう、それなら拷問室の悪趣味オブジェクトどっかやってよ。毎日毎日気分が悪かったの」


 あの日以降、宇藤さんと会話することはなかったが毎日毎日苦しそうでみていて辛かった。彼は大罪人、解放されることはなくともそれでもあんな拷問を受け続けていいわけはない。

 宇藤さんのことを悪魔の尻尾(チクシェルーブ)に伝えると彼は少し驚き、静かに頷いた。


「わかった。善処する。 他にはあるか。ネペンティア、他人のことじゃなくて、自分自身の望みは何か」


 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は拷問官とは思えないほどまっすぐ私の方を見る。きっと彼なら私の願いを叶えてくれるだろう。


 そんなふうに思えた。


「あー、それなら、うちのクソババァに伝えてよ。ネペンティアは死んだって。記憶を失ったネリスは別の国で幸せに暮らしていますって」


「俺にも、お前を逃すわけには…………」


「別に私を逃してなんて言ってない。こんなに協力しているのだから少しくらい嘘ついてくれてもいいじゃない。ね。お願い。なんでもしていいから」


「嘘、そういうことか、それなら任せてくれ。必ず伝える」


 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)にお礼のキスしようとしたら突き放された。


 拒絶されたことに、ムカついて仮面の豚の尻尾を掴むと、彼は何も見えなくなって慌てたようにモゴモゴとしていた。


「時間だ」


 衛兵がそういって悪魔の尻尾(チクシェルーブ)を引きずって去っていった。






 馬鹿な奴だ。


 私のような罪人に優しくする意味なんてないのに。

 今まで私に優しくしてくれた男は星の数のようにいたが、ほとんどが対価に肉体関係を要求してきた。自分から要求を口にしない男もいたが、ただ言わないだけで、心の底では皆同じ。私が自ら抱かれにいけば簡単に受け入れた。



 ここまで拒絶されたのは初めてだった。


 私に興味がないとかではない。間違いなく私に好意があり、誘惑できているだろうに、彼はよくわからない理性だけで拒絶してきた。



「別に誰も損しないのに。馬鹿な奴。清く正しく美しく、常に紳士淑女たれ、っていうの? 分からない」


 だが彼は母に伝えると約束してくれた。きっと守るだろう。

 だから抱かれようが抱かれなかろうが、別にどうでもいいのだが、なんとなく悔しい。


 本当に心残りばっかりだ。

 もっと生きたかったなぁ。


 誰もいなくなった牢屋を見ていると心が寂しくなった。


 もっと恋もしたかったし、行ってみたい街もあった。

 今読んでる本だって、まだ出てない続きがある。


 もしこの世界がデトフロじゃなかったら、もっと幸せに生きれたかな。ネペンティアじゃないネリスとして生きたらどうなっていたかを想像する。


 きっとデビューしてからしばらくは今とあんまり変わらず、男にチヤホヤされまくって、遊ぶだろう。デトフロで一番好きだった王子とかと遊びで付き合って、で、最終的には、中位騎士あたりの男爵家と釣り合う程度の家督で、顔のいい男を見つけるの……


 男遊びには苦い顔をする母も二、三人子供作ったら、きっとすごく孫を甘やかすようになるのだろうな。毎日のように、ご自慢の下手くそなマーマレードでも作って、みんなで笑いながらお茶でもするのだろう。


 もっと生きたかったなぁ。


 私は最後の晩、また泣きながら眠った。





 翌日。私の処刑の日がやってきた。


「ネペンティア・アイビー。最後の食事だ。王子からのご好意でおまえの好物を用意した」


 最後の食事として差し出されたのは甘塩っぱいマーマレードたっぷりのマドレーヌだった。

 幼い頃、母と一緒に作った不味い、本当に不味いマドレーヌ。


 貴族だから料理なんできない母は塩の分量を間違えてマドレーヌを作った。甘いお菓子と期待してマドレーヌを食べた私と母は一口食べて卒倒したのを覚えている。


 相変わらず塩たっぷりの手作りのクソ不味いマドレーヌ。

 一口食べた瞬間、母の作ったものだとわかり、涙が目に浮かんだ。


「なんで? なんでなの? 絶品料理っていったじゃん…………なんで? なんでこんなクソ不味いの用意するのよ…嘘つき」


 私はそれを貪った。ただでさえ塩っぱいのに、ポトリポトリと落ちる涙のせいでさらに塩辛かった。


「マッズい…………不味すぎ」



 最後の一口を食べるとふっと、目眩がして意識が遠くなった。

 寒くもないのに全身がこごえて、息が震える。


 そうか毒。処刑ってこういうことか。


 崩れ落ちる私を抱き止めた悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は優しい手つきで、私の瞼を閉じた。


「さようなら。ネペンティア・アイビー」


 優しい死だ。前世の時のような痛みもなく、まるで眠るように私の意識は死に落ちていく。



「約束…………ネリスは…………無事に生きてると」


 いまのきわにネペンティアが思ったのは呪いでも憎しみでもなく、純粋な平和への祈りと母への愛だった。






















 カラカラと揺れる振動で私は目を覚ました。

 そこは馬車の中だった。


 これが天国というものなのだろうかと一瞬考えたが、じんわりと痛む指々がこれが現実であると教えてくれる。


 上品な革づくりのシートの上に寝かされた私の向かいには、豚の尻尾の仮面をした若い男が座っていた。


 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)


 声を出そうにも唇が震えるだけで喋ることもできない。



「ああ、おはよう。やっと起きたか。何日寝てるつもりだ。もう着くぞ」


「つ…く…………どこ? 処刑…台?」



 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は大きく首を横に振って私の手を指さした。


 今まで放置されていた折られた指は明らかにしっかりと治療されており包帯が巻かれていた。

 身も清められていて血のシミ一つない。


「ネリス。そういえば、聞いたか? 社交界を出回った麻薬事件の犯人のネペンティア・アイビーは先日、処刑されたそうだ。晒し首にされてたけど、それはもうグッチャグチャで誰かわかんないくらいだったな。結構美人だったのにもったいない」


ね……てぃあ…(ネペンティア?)…どう…いうこと?」



「ネペンティアは死んだ。記憶を失い抜け殻になったネリスはただの平民として放逐された。王子の恩赦だ。このままおまえは隣国に置いていく。くれぐれも戻ってくるなよ


「うしなった?」

「失っておけということだ。約束通り母親には伝えておく。もう一度いう。二度と戻ってくるなよ。お前はただの平民の記憶のない女。母親にも会ってはいけない」


 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)が窓を開くとそこは王国とは全く違う光景が広がっていた。



 夕焼けに染まる、藍色の海。崖沿いに立ち並ぶ白い建物の様子は、まさに海の国と呼ばれる隣国の風景だった。


「ネリスは別の国で幸せに暮らしているだろ」



 馬車は白い街の街外れに止まった。

 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)にエスコートされるように馬車を降りる。


 久しぶりに見た沈みかけの太陽は今まで見たことがないほどに暖かく眩しかった。


「本当に何これ。こんなエンディング知らない」


「エンディング? 今日は転生ヒロイン、ネペンティア.・アイビーの命日。ネリス、あんたの人生はまだ始まったばかりだ」



 豚の尻尾が自慢げに揺れる。

 なんだか滑稽で私はふきだした。



「ふふ、そういうセリフはリアルでいうとキツいからやめたら?」



 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は何も言わずに優しく微笑み、私を置いて馬車に戻ろうとする。


 私は思わず、彼の腕を掴んでその胸に飛び込んだ。そして唇に口付けする。


「お礼。もっとしてあげたいけど怖い護衛さんもこっち見てるし辞めとくわ。じぁね」


 彼はもう一度微笑み、そのまま扉を閉めた。





 私を置いて、立ち去る馬車を見ながら、大きく深呼吸するとそこは静かな街の爽やかな香りに包まれていた。


 立ち去る馬車の裏につけられた家紋が、夕焼けに照らされて赤く輝く。王国の王太子の所持品を表す金色の眼をしたグリフォンが優雅に描かれている。



「せいぜい滅びないようにね。応援してるわ、王子。私デトフロで一番あなたが好きだったわよ」


 振り返ると藍色の海。

 知らない街、知らない国、デトフロなんて全く関係ない世界が私の前に広がっていた。














【ラストシーン後、別視点】


 白い街を出て、帰路についた悪魔の尻尾(チクシェルーブ)は馬車の中一人仮面を外す。金色の眼の若者は穏やかな表情でシートの端に腰かけた。

 並走する馬からピョンっと御者が馬車に乗り移り、笑いながら彼の正面に座った。


「完全にバレてましたね。王子」


「悪魔の尻尾の拷問を平然と耐える女は違うな。流石だ」


 キリッとした顔で答える王子の姿に周りに潜んでいた護衛達全員が噴き出した。


「…………【悲報】俺氏、王族近衛隊、お仕えしている王子があまりにもチョロすぎる件について」


「違う! 本当に違う! たぶらかされてないから!」


 悪魔の尻尾(チクシェルーブ)もとい王子は部下の言葉を必死に否定した。


「満更でもなさそうな緩み顔でしたね」

「毎日毎日あんな必死に耐えてるの見せられるこっちの身になってください」

「笑いを堪えるのに必死でした」

「私は堪えられませんでした」



「お前ら!なに観察してんだ!?」


「何って? えーと1日目、指を折った罪悪感で突き放せず、なぜか言われるがままにお口にアーンしようとする、2日目……」


「うるせい、お前だってわたくししかおりませんわよのくせに!」


 煽る近衛隊士の一人を指差して王子が煽り返すが彼はどうでも良さそうに首を横に振った。


「なんで? お前なんで全然効かないの?! 上司にバレてるんだよ?! なんなら近衛隊全員お前のマルバーテ嬢への告白文知ってるんだよ?」


 隊士は王子の言葉にムッと顔をしかめた。


「そんなことしなくてもお前は魅力的だし、俺はお前の願いを聞く。なんでも言ってくれ」


 彼は異様に似てる声真似で王子の告白文を口ずさんだ。


「あああああああ、サドベリー! 黙れ! お前は黙れ!」


「それにしてもよかったのですか? ネペンティアはまがいなりにもデトフロ2のヒロイン。機密レベルの知ってはいけない情報をたくさん知っている。定石なら全部吐いたら処理するべきだ。本当に記憶が飛んでるならまだしも、そのまま放逐するなんて」


 護衛隊士の一人がため息をつくと王子は悪戯っぽくニヤリと笑った


「俺は苦手なんだよああいう不運な奴。たまにはいいことあってもいいだろ」


「だからって無断で連れ出すなんて…………、絶対、アークファルト隊長も陛下も今頃キレ散らかしてますぜ」


「うるさいな。ほんっとに誑かされたわけじゃないから。高度に政治的な判断だから」


「王子………帰ったら王妃候補のお嬢様のお勉強会に一緒に参加したらどうです?」


「3歳児! それ3歳! サドベリー。お前はもう黙れ。俺はいいんだよ。優秀な部下達がなんとかしてくれる。お前ら、今回も頼むぜ」


 王子が馬車の天井やら後ろやらに隠れている護衛達に声を投げかけると彼らは一様に大変そうにため息をついた。


「【悲報】俺氏、王子の無茶振りにつき合わされて物理的に首が飛びそう。ネリスちゃんと一緒に亡命すればよかったかな……」


 馬車の中はゲラゲラと笑う男達の声で包まれた。


「いいじゃねぇか。ネリスのおかげで国を救う手掛かりが手に入ったんだからよ」



 恥ずかしさのあまり大声を上げた王子の言葉に隊士達は大きく頷いた。


「「アラライラル姫を見つけ出せ!」」


「そう、つまり五年前に消えた妹が王国を滅ぼす真犯人ってこと…………なんだよなぁ」


 王子はまた頭を抱えた。


【あとがき】

別視点まで読んでいただきありがとうございます。

評価よろしくお願いいたします。

本作は短編連作4作目です。よろしければ他作も読んでいただけると嬉しいです。

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