万能薬の噂~あなたはこの薬を使えますか?~
ある晩夏の日、村外れで二人の子供が噂する。
「ねぇ知ってる?
病気で寝たきりだった女の子が、
治ったんだって!」
「へぇ〜、こんな医者もいない村でよく治ったな」
「なんでも、万能薬を使ったんだってよ!」
「万能薬? そんなもん本当にあるのか?」
「あるよ!」
「ふぅ〜ん、じゃあさ、
そいつの家に行って確かめてみない?」
「うん!いいよ」
二人の子供は走って行った。
※
「暑い…参ったな」
青々とした木々が茂る山の中、身の丈ほどもある草むらに囲まれた古道を、男は一人歩いている。剣士とも商人とも違う姿の男は、大きな革製のリュックを背負っていた。
「日があるうちに村に着いておきたいな」
汗だくのまま野宿を続けていた男は、早く水浴びをして宿屋のベッドで眠りたいと考えていた。
そんなとき、どこからか甘い匂いが漂ってくる。どろりと濃厚な花の蜜を煮詰めたような甘い匂い。どこかで嗅いだ記憶がある。それも悪い記憶。
男は胸騒ぎを感じ、匂いがする方向へ草をかき分けながら進んだ。
拓けた場所に出る。ここが一番匂いが強い。
辺りを見回すと女が一人歩いていた。白い布に包まれた、赤子ほどの何かを抱えている。
こんな場所に赤子連れで? …いや違う。どうやら、あの抱えている何かから匂いは漂ってきているようだ。
匂いの正体を思い出そうとしたとき、女と目が合った。女は慌てている様子で軽く会釈をし、足早にその場を去ろうとする。
そのとき、男は思い出した。
「ちょっと待て。あんた、それをどこで手に入れた?」
獲物を誘う甘い匂い。マンドラゴラの花の匂いだ。
「…この近くさ。盗んだりしてないよ。ちゃんと自分で… 飼い犬を使って引っこ抜いたのさ」
マンドラゴラは人型の根を張り、引き抜くと金切り声を上げる植物だ。その声を聞くと死ぬという。女の傍に犬がいないということは、犬を無惨に使ったのだろう。
「そんな厄介なもん、何に使う?」
「何って…こいつは、万病に効く薬になるんだろ? 病を患ってる私の子に食わしてやるんだよ」
マンドラゴラは石化を解く薬になると伝承されている。だが、本当の効能はどんな病も癒し、失った四肢さえも再生するという代物だ。ただ一つ、致命的な欠陥を残して。
「あぁ、確かに病を癒してくれる」
やっぱりそうじゃないか、と言いたげに女は息を吐く。
「だがな、それはそいつらの策略だ。マンドラゴラは死んだ動物の体に種を植え付けて子孫を増やす。だが、もう一つ、自分を食った相手に寄生して増える手段も持っている」
「……寄生?」
不穏な言葉に、女は眉間に皺を寄せた。
「あぁ。食ったやつはどんな病も癒え、健康な体を手に入れる。だがな、それは体を乗っ取るための下準備。数日もすれば、そいつは食った人間の脳に根を張りだす。そして、逆らうことのできない命令を宿主に出し、山へ誘導する。目的地に着くと、全身を根に覆われ苗床にされてしまう」
女は唾を呑む。
これが、万能薬として世に出ない致命的な欠陥だ。
「だから、そんなもん早く捨てちまえ。犬には悪いがな」
「……わかったよ」
「そのかわり、俺があんたの子を診てやるよ」
「あんたが? …何者だい?」
「俺は魔術師…いや、医者みたいなもんさ」
そう言って、男は古道へ戻って行く。
女は抱えているそれを名残惜しそうに見つめ、小石ほどの大きさにちぎり、残りを捨てた。
ベッドに幼い女の子が眠っている。その寝息はどこか雑音が混じり、呼吸器系に異常があると素人目にも分かるほどだ。
男は女の子に聴診器を当て肺音を確認し、次に喉の状態を確認する。最後に、人差し指の腹に針を刺し、ぷくっと溢れ出た緑色の血を確認する。そして診断を下した。
「王都で流行った病で間違いなさそうだ」
「娘は…治るのかい?」
「大丈夫。手持ちは無いが、特効薬が開発されている。娘さんは助かるよ」
「良かった…」
女は安堵の表情を浮かべた。
夫を亡くした女は、一人で娘を育ててきたという。もうこの子しか家族はいない。何がなんでも助けたかった。だが、この村に医者はいない。金もない。頼れる者もいない。だからこそ、噂でしか語られない、得体の知れない物に頼るしかなかった。そう女は語る。
眠っていた娘が重い瞼を開けた。
「…ママ? …お客さん?」
かぼそい声は錆び付いているようだった。
「お医者さんだよ。病気治るって! 元気になれるって!」
「…そうなの? また… 歌えるようになる?」
「えぇ!歌えるよ!」
「…嬉しい」
娘は控えめに笑い、再び眠りに入った。
活発で歌うことが好きだった娘は、病にかかったことで体の自由と歌声を失い、笑わなくなっていたという。
「病にかかったのはいつ頃だ?」
男が涙を拭う女に尋ねた。
「一週間前だよ…」
「…まだ間に合うな。薬を手に入れて来る。それまでこれで耐えていてくれ」
男は魔法陣が書かれた護符を数枚渡す。
これは? と女は尋ねた。
「治癒魔術が込められている。完治はできんが、最悪の事態は防いでくれるだろう。すぐに帰って来る」
「…わかった、頼んだよ」
女と娘を残し男は旅立った。
数日後、娘の容態が急変した。夜更けのことだった。
激しい咳で肺は裂け、青々とした緑の血を吐きシーツを染めた。
「ママ… 苦しい…」
男から渡された護符が虚しく光り、治癒術をかける。
「こんなもん、ちっとも効かないじゃないか! 」
女は娘の背中を何時間もさすり続けた。やがて、掌の皮が剥がれ、痛みを伴い始める。だが、娘の容態は悪化していった。
「ママ…どこにいるの…!? 一人は怖いよ…!」
「どこって、あなたの隣に…!?」
緑の涙と、耳から流れる緑の体液を見て女は理解した。
見えていない。
聞こえていない。
背中をさすっているにも関わらず、こちらに気づいていない……感覚がないのだ。
「ママ……! ママはどこ!? 一人にしないで!」
母は言葉を返すことができず、愕然とする他なかった。
無意識にポケットに手を入れる。ボロきれに包まれた、小石ほどの欠片が指先にあたる。
「ママ…… ママ……」
娘の声は弱々しく響く。
そして、ゆっくりと顔を起こし、虚空を見つめて言った。
「ママ…… 歌いたい」
女は唇を噛み締めながら項垂れる。体中が震え、髪を掻きむしり、声にならない悲痛な叫びを上げる。もう、どうしようもない。「ママ…ママ…」という虚しい声と、女の啜り泣く声が部屋の中を満たした。
どれだけの時が経っただろう。娘の声だけが静かに響き渡るようになった。
母の震えは止まり、何かを覚悟したような優しい声で言った。
「大丈夫、大丈夫だよ…また、歌えるよ。
ママも一緒に……歌うからね」
そっと娘の口に欠片を入れ、そして自分もその欠片を飲み込んだ。
やがて、娘は落ち着きを取り戻し、部屋に静寂が訪れた。
誰もいない部屋に男は戻ってきた。窓は細く開き、家具には薄く埃が積もっている。
娘が寝ていたベッドに目を向ける。ベッドシーツは青々と茂る緑の血痕で模様が作られ、晩夏の風で靡いていた。
男は足元に破り捨てられた護符とマンドラゴラの欠片を見つけ、女と娘の死を悟る。「護符を使い続けていれば、死ぬことはなかった…」と男は悔いる。
「遅かった…」
手に持っている薬袋を、そっとベッドの上に置いて部屋を後にした。
二人の子供が男に駆け寄って来た。
「おじさん!この家の人ですか?」
「……いや…違うけど」
「ここに住んでる子、万能薬を使って元気になったって噂になってるけど、なにか知ってる?」
男はなにも言えずにいた。
その反応を見て、男の子は言う。
「やっぱり、そんな薬ないんだよ」
「そんなことないよ!だってその子、お母さんと手を繋いで歩いてたよ! 楽しそうに歌いながら、あっちに向かって歩いてたよ!」
女の子は山の方向に指を差す。そして続けて言った。
「でも、その子のお母さん、楽しそうに笑ってたけど、歌いながら…泣いてたんだよね…なんでかな?」
酷い喪失感に苛まれ、もっと早く帰って来れればと、後悔の念に押しつぶされる。なにも考えることができない。
「おじさん、万能薬ってあると思う?」
女の子が無邪気な笑顔で尋ねてくる。
「……さぁな」
青々とした木々が茂る山の中、男は一人歩いていた。すると、記憶に新しい甘い匂いが漂ってくる。男は、その正体を確かめようと匂いを辿る。
山頂に着いて辺りを見回すと、甘い匂いを放つ花を咲かせた大小二つの植物が、寄り添うように風で靡いていた。
葉が靡く音は、女の声のようだったという。その声は泣いているようで、後悔の念が垣間見え、次第に大きくなり、男に告げた
───「助けて」
お読みいただきありがとうございました。この作品は「夏のホラー2024」に参加させて頂いております。
題材がホラーということで、初めはお化けや怪物が出てくる物語を考えていました。ただ、この話のように、重大な決断を迫られたときに感じる感情もまた恐怖なんじゃないか、ホラーになり得るのではないかと思い、執筆いたしました(お化けが出てくるホラーがガチホラーなら、この話は微ホラーかな?笑)
また、初めて書いた小説になるので、拙い文章となっているかもしれません(私としては、いま出せる最大限を出しました)。今後も遅筆となりますが、読んで頂けると幸いです。腕を磨くぞ!!