78.ディーターからの完全なる拒絶
「だめっ!」
必死だった。こんな場所で火球を出せばどうなるかなんて、子供でもわかる。
人に当たれば、重傷。最悪は死に至る可能性もある。運よく人に当たらなくとも何か燃えやすいものに当たってしまえば、火事になる。
ジュジュは無意識に右手を伸ばした。どうにか被害なく収める方法をと願った瞬間、伸ばした右手の先が神々しく光る。
光ったのは、爪先の結珠が言っていたリングネイルに着けられた魔石。
ジュジュの願いに呼応して魔術発動の兆候が出ている。まさか本当に使える可能性があるとは思わず、ジュジュは目を見開いた。
これならばいけるかもしれないと、ジュジュは魔術を詠唱した。ジュジュの詠唱に応え、火球を消滅させる相対魔術は正しく発動した。
消えた火球を見て、ゲンクローシ公爵令嬢が叫ぶ。
「きゃあっ! 何で消えたの!? もう一度よ!」
まさか本当に自分の魔術を消滅させられるとは思っていなかったゲンクローシ公爵令嬢は、もう一度魔術を発動させるべく構えた。次の瞬間、焦っていたせいか、とてつもない大きさの火球が出た。会場内から悲鳴が上がる。
このままでは大惨事になりかねないと、我先に逃げようとする人たちで騒ぎが起き始める。
「だめっ! だめよ! やめてっ!!」
ジュジュの叫びにも似た声に、今度はネイルチップそのものが光った。右手の指に着けたチップが全部光る。何故と思ったが、そんなことを悠長に考えている暇はない。
一刻も早く対処しなければ! という思いの方が強かった。
とにかく魔術が使えるのであれば、それに越したことはない。ジュジュは、光ったチップを見て、何故かもう一度魔術が使えると確信した。
その確信に従い、ジュジュが魔術詠唱を行うと、ゲンクローシ公爵令嬢と火球を中心に大量の水が降り注ぐ。
もちろんジュジュが発動させた魔術だ。先程と同じ魔術ではさらにゲンクローシ公爵令嬢が魔術を使う可能性があるかもしれないと、咄嗟の判断だった。
ゲンクローシ公爵令嬢も自分が水を浴びるとは思ってもいなかったので、ショックで呆然としている。
もちろんその瞬間をディーターたちは見逃さなかった。すばやく公爵令嬢に駆け寄ると、魔法道具を握りしめている右手の手首をひねり上げた。
ディーターがぐっと力を入れると、痛みからか握りしめていた魔法道具がゲンクローシ公爵令嬢の手のひらから零れ、床へ音を立てて落ちた。
「いい加減にしろ! 王族も臨席されているこの会場を丸焼きにしたいのか!」
ディーターに怒鳴られ、ゲンクローシ公爵令嬢は顔を歪ませた。
「あ……わ……わたく……しは……」
ゲンクローシ公爵令嬢は周囲を見渡す。ディーターは非常に厳しい目で自分を睨んでいるし、父であるゲンクローシ公爵も信じられないといった顔で自分を見ていた。少し離れたところでは自分の母である公爵夫人が気を失った様子だったし、兄もそれを支えて慌てている。
王族たちも厳しい表情でこちらを見ているし、いつもならば常に自分の近くにいるはずであろう取り巻き連中も姿が見えない。ここでようやく自分の味方は誰もいないことを悟った。
「誰か! 連れていけ!」
しんっ……と静まり返った夜会会場にディーターの声が響く。その声に会場を警備していた騎士が慌ただしくやってきて令嬢の腕を掴んだ。
腕を後ろに取られ、あからさまに罪人扱いされたところで、ゲンクローシ公爵令嬢は我に返った。拘束を逃れるように身体をよじるが、濡れたドレスの重さもあって、上手く動くことは出来なかった。
「離しなさい! わたくしを誰だと思っているの!? 公爵令嬢よ!」
「公爵令嬢とて、罪を犯せば捕らえられる。貴女は、この期に及んで自分が悪いとは思っていないのだな」
ディーターが冷たい声でゲンクローシ公爵令嬢にぴたりと口を閉じた。ディーターの表情は先程よりもさらに厳しい。
「ディ……ターさま……わたくし、貴方様にふさわしくあるよう……魔術だって……今みたいに使えるように……練習を……」
「誰がそんなことを頼んだ?」
言い訳を始めたゲンクローシ公爵令嬢にディーターが突き放した。
「魔術師の伴侶に必要なことは、魔術を行使することではない。再三言っているように、私は貴女との婚姻は断っている。それなのにも関わらず、自己解釈で必要のない上に、自分自身で制御が取れない魔術を使用して、それで魔術師の伴侶になりたいだなど……笑わせてくれる」
冷たい表情でそう言い放ったディーターを、ゲンクローシ公爵令嬢は驚いた様子で見た。
「そんな……ディーターさま……」
「魔術師の伴侶に必要なものは、有事の際の統率力だ。魔術師が夫である場合、その夫に代わり、全ての采配を行える者。それが魔術師の伴侶に最も必要なもの。ただし、これは魔術師の伴侶に限らず、貴族家の夫人であれば、誰でもなくてはならない能力だ。貴女にはそれが著しく欠けている。甘やかされた結果だな」
「なんで……どうして……」
「これで最後だ。俺は貴女を望まない。そもそも夜会でこんな騒ぎを起こしたのだ。いくら公爵家の人間であったとしても罪を免れることはない。ゲンクローシ公爵も覚悟してほしい」
まだ呆然と娘を見ていた公爵だったが、ディーターに声をかけられ、はっと意識を戻した。
娘の犯した罪を親として、また国の宰相として償わなくてはならないだろう。
連れていけというディーターの命令に、騎士がゲンクローシ公爵令嬢を会場から引きずり出した。ゲンクローシ公爵もそれに続いていく。
それを見送ったディーターは周囲に頭を下げた。
「王家主催の夜会でこのような騒ぎを起こしましたこと、王立魔術師団長としてお詫び申し上げます」
そう言って、ディーターはフロック・コートの内ポケットから魔法道具を取り出した。手に握り、魔術詠唱を行うと、騒ぎで水浸しだった会場が元通りになっていく。あっという間に何事もなかったかのような状態に戻った。
幸い、他に壊れたものもなかったようで、段々と会場内が落ち着きを取り戻していく。
その後、国王から来場者に向けての挨拶が行われ、夜会は予定通り続行されることとなった。
□■□
「大丈夫か? ジュジュ」
「はい。少々あざが出来ましたが、数日で治るかと」
騒ぎのあと、ジュジュはマンフレッド夫妻によって休憩室へと連れていかれた。そこで三人で休憩をしていると、簡単な事情説明を終えたディーターが合流した。
休憩室付きの侍女がお茶を淹れてくれたので、四人で口にする。
「すまなかった」
お茶を一口飲んだあと、突然ディーターがジュジュに向かって頭を下げた。
「え? 師団長? あの……別に謝って頂くことなど……」
「いや、そもそも俺がもっときちんとゲンクローシ公爵家に縁談を強く断っておかなかったことが原因の一端だ」
「でもなぁ……師団長もちゃんと断っていたじゃないか。あれはもう……ゲンクローシ公爵令嬢の思い込みの激しさも原因のひとつだろう?」
横からマンフレッドも口を挟む。
確かにそれも一理あるが、もっと面と向かってこれこれこういう理由で魔術師の伴侶に向いていないと説明すればよかったとディーターは思っている。
他の三人は、恐らく説明してもあの思い込みの強さでは難しいだろうなと思ったが、あえて口にはしなかった。
「それに……ご令嬢が魔術を発動した瞬間、俺は咄嗟に動けなかった。魔法道具を持っていたにもかかわらずだ」
「あー。それは俺もだな。まさか夜会で魔術師でもないご令嬢が魔術を使うだなんて思ってもいなかったから油断してた」
マンフレッドもディーターと同じく、魔法道具をコートのポケットに忍ばせてあったらしい。あまりに突然のことで出す暇もなかったとのこと。
「それにしてもジュジュ。どこに魔法道具を持っていたんだ?」
当然湧き上がる疑問だ。ジュジュのドレス姿では、魔法道具を隠し持っていて、すぐに取り出せる場所などないだろうと問えば、ジュジュは右手を差し出した。
「どうした? 何も持ってないが?」
ディーターがジュジュの手を見るが何もない。しかしジュジュは首を振る。
「爪です。ネイルと言います。爪の表面に魔石粉を塗って凝固してあり、このネイルリングという爪の部分にはめた小さな指輪に魔石が埋め込まれています。ユズの作った魔法道具です」
「あの魔女が作ったのか? 見せてもらっても?」
「はい、どうぞ」
結珠が作ったものだと言われ、当然ディーターは興味を示す。ジュジュの許可を貰い、ジュジュの手を取った。
魔法道具だという綺麗な色の爪と魔石の付いたネイルリングと呼ばれる指輪をじっと見つめる。
「確かに魔石の魔力は抜けているな。恐らくジュジュが魔術を使ったからだろうが……。それにしてもこれが魔法道具? 一体どういう作りなんだ?」
「えっと……爪は、ユズが言うにはネイルチップと呼ばれるもので、実際の爪の上に魔石粉を含んだ人工物を接着していて、ネイルリングという魔石をはめた指輪を上から付けています」
「ほう? この魔石、回数制限の魔法道具と同じくらいの大きさか? 確かに魔石と魔石粉を使っているが、あの魔法道具とは違って、パーツがないが?」
「ユズの説明ですと、このネイルチップというものが、低価格魔法道具のパーツに当たる部分だそうです。今回、予算の都合上魔石は一個しかありませんが、魔石粉は片手であのパーツと同量の魔石粉を使用していると聞いています」
「なるほど? だからといって二度も魔術が使えたのはどういう理屈だろうな?」
「それは……私にもわからないのですが、ただあのときは必死でしたし、でも何故かもう一度魔術が使えるという確信はありました」
ジュジュの説明に、ディーターは考え込む。どういう作りのなのか気になるらしい。
「そうか……。詳しい話は店主にも聞く必要性がありそうだが、それにしても何故、爪に着けようだなんて発想になったんだ?」
「それは……その、元々は単なる美容の一環でして……」
「美容の一環?」
どういうことだとさらに詳しく尋ねれば、ジュジュは結珠の世界のネイル技術のことと、先日の王宮内でのゲンクローシ公爵令嬢のやり取りから、結珠を守るために咄嗟についた嘘から、本当にしてしまおうと作った魔法道具であるということを説明した。
「その……実は、理論上は魔法道具としての定義を持ったものではあったのですが、あくまで嘘を誠にするために急ごしらえで定義だけ整えたもので……実際に魔術が発動出来るかは……これから実験する予定だったもので……」
「は?」
恐る恐る言いだしたジュジュにディーターが魔法道具から顔を上げた。




