77.突き付けられた現実
ドレスを着て、ハイヒールを履いている状態での動きだと思っていたので、対応が遅れた。
ゲンクローシ公爵令嬢はあっという間にジュジュとの距離感を詰め、ネイルを見つけたときと同様にものすごい力でジュジュの手首を掴んだ。
当然ジュジュも抵抗する。いくら公爵令嬢といえど、このようなマナー違反を黙って受け入れるわけにはいかない。
「痛っ! は、離して!」
魔術が使えればどうにか抜け出すことも可能だが、さすがのジュジュも夜会に通常の魔法道具を持ち込むようなことはしていない。
そもそもこういった夜会の場合、事前に不審者等が侵入しないように、魔術師団で防犯の魔術を展開している。その上、会場内には警備の騎士もいるので、非番で夜会に参加している女性魔術師は魔法道具を身に着けていることがまれだ。
どうしても無骨なデザインの魔法道具は、ドレスともマッチしないからだ。
対して、男性魔術師はポケットなど、目立ちにくいどこかにそっと忍ばせていることが多いらしいということは聞いたことはあるが、ジュジュは普段からドレス姿のときは持っていない。
一応今回は、ネイルが魔法道具の条件を満たしている状態ではあるが、実際に使用できるかの検証を行っていないので、使うのを躊躇われる。
結果、ジュジュは思った以上の抵抗も出来ず、ただゲンクローシ公爵令嬢から逃れようともがくだけだった。
魔術師は有事に備えて簡単な体術も学んでいるので、やろうと思えば実力行使も出来る。しかし、相手が高位貴族なので、ジュジュの立場的にも力づくというわけにはいかない。
ゲンクローシ公爵令嬢はジュジュを逃がさないといわんばかりに、ジュジュを引っ張った。
「お前はどこまでわたくしの邪魔をすれば気が済むの!? 大体、子爵令嬢の分際でその姿は何!? わたくしより目立つ気なの!?」
「ちょ、ちょっと! 落ち着いてください!」
ものすごい形相でジュジュを睨んでいる。手首を掴む力も強いのか、ジュジュの顔が苦痛に歪んだ。
思わずマンフレッド夫妻が止めに入ったが、相手は公爵令嬢だ。男爵ではあまり強くは出られない。控えめな止め方だったため、ゲンクローシ公爵令嬢はそれを無視し、さらにジュジュへと詰め寄った。
「お前がわたくしとディーター様の仲を邪魔しているのね!?」
「やめてください! 師団長とゲンクローシ公爵令嬢とのことには、私は関係ありません! 今だってただ上司と部下としてお話しをしていただけです! 私以外にも師団長の部下は周囲におります!」
「だとしても、そうやっていつもと違う格好でディーター様を誘惑しているのでしょう!? お前程度、我が公爵家の力を使えば、どうすることも出来てよ!? 大人しく身を引きなさい!」
ゲンクローシ公爵令嬢の声が会場内に大きく響く。当然、周囲にもその内容が聞こえてくるので、騒めきだした。
「誘惑などしておりません! ドレスも……私はゲンクローシ公爵令嬢とは違って、毎回新調できるわけではありませんので、工夫しただけです! 言いがかりもいい加減にしてください!」
下位貴族だからといって、高位貴族に無抵抗でやられるわけにはいかない。自分に不名誉な言いがかりをつけられようとしているのだから、ジュジュもきっちりと反論する。
「お前に何がわかると言うの!? そうやってディーター様の隣で笑って、選ばれないわたくしを馬鹿にしていたのではなくて!?」
「……そんなこと、していません! 私と師団長は上司と部下です! それ以上でもそれ以下でもありません!」
「いい加減にしないか、ゲンクローシ公爵令嬢!」
さらにヒートアップしそうな状況に、ジュジュとゲンクローシ公爵令嬢の間にディーターが割って入った。
「彼女にあたるのはお門違いだ! 言いたいことがあるのならば俺に言えばいい。そもそも、そうやって他人へ責任転嫁する時点でおかしいということに気付くべきだ」
「わたくしが悪いとでもおっしゃるのですか!?」
「ああ。貴女が原因で婚姻は難しいとお断りしているのに、何故他者へその責任を擦り付ける? 自分に何の罪もないとどうして言える? 少なくとも俺は貴女のような考え方の人間を受け入れることは出来ない。迷惑だ」
「……めいわく……そんな……」
ばっさりと切り捨てたディーターに、よほどショックだったのか、ゲンクローシ公爵令嬢が目を見開いた。そのまま公爵令嬢の身体から力が抜け、ジュジュの手首を掴んでいた手も離れる。彼女の身体はすとんと床に崩れ落ちた。
ここでようやく騒ぎを聞きつけたゲンクローシ公爵が、慌ててディーターたちの元へと駆け付けた。
「ディーター殿! これは……一体……」
駆けつけてみれば、ディーターと自身の娘や魔術師たちを遠巻きに囲むようにしている他の貴族。娘は呆然自失といった感じで床に座り込んでいる。
「公爵……申し訳ない。穏便に断りたかったのだが、ご令嬢が騒いでしまったためこちらもきつく言ってしまった。ご令嬢も取り乱されているようだから、今日はもうご帰宅された方が良いでしょう」
娘が執心しているディーターから「断り」という言葉が出た時点で、公爵も察した。あれだけ断られているにも関わらず、また絡んだのだろう。
瞬時に娘の左の二の腕を掴み、立ち上がらせようとした。
「も、申し訳ない! 謝罪はまた後日……」
「いや、必要はありません。今後、ご令嬢がこちらに構わなければ気にしません」
そうは言っても公爵としての体面もある。
このような国内の貴族がほぼ集まった夜会で起こした騒ぎで目撃者も多い。社交界ではあっという間に噂は広がるだろう。もう娘の居場所はなくなるかもしれない。
頭の中で様々な考えが過ぎる。
「繰り返しますが、我が侯爵家に対しての謝罪は必要ありません。しかし、魔術師団長として、ご令嬢が私の部下に乱暴をしたことは宰相閣下に対して後日抗議いたしますので、どうぞそのつもりで」
「え?」
どういうことかと周囲を見渡す。ディーターの背に庇われるように経っている女性の姿が見えた。赤くなった手首をさすっている。
「む……娘が、何か……?」
「ええ。私の部下に対して、無遠慮に手首を掴んだあげく、何の確証もなく罵倒したのです。彼女の名誉にもかかわることだ。魔術師団として厳重に抗議する」
ジュジュの立場からしたら、子爵家からでは公爵家へ抗議など行えない。だが、魔術師団としてならばディーターが関与することができるし、抗議することも可能だ。
幸い、ジュジュやマンフレッドも含めて、魔術師団所属の魔術師がこの場に多かったことも有利に働いた。
正面からディーターに見据えられた公爵は、宰相としての顔つきになった。
「宰相としても謝罪する。抗議についても承知した。もしも治療費など必要でしたら申し出てほしい」
「ええ。追って連絡しましょう」
男たちの間で話が付いたとき、父親に二の腕を掴まれたまま呆然としていたゲンクローシ公爵令嬢が急に顔を上げた。しかしその表情はうつろだった。
「なぜ……どうし……て……わたくしばかりこんなめにあうの……? どうして……おまえばかりが……ディーターさまに…………ゆるせない……」
ぶつぶつと何かを呟いていると、公爵が娘に聞き返そうとした瞬間だった。
ゲンクローシ公爵令嬢は父親の手を振り払い、ゆっくりと立ち上がった。そして彼女の足元を囲むように魔法陣が床へ展開される。
「お前なんて、いなくなってしまえばいいのよ!」
ゲンクローシ公爵令嬢の右手には、何かが握られていた。魔術の発動に合わせてゲンクローシ公爵令嬢の手の中が光る。魔石が光っているということは、手に握られているのは魔法道具だ。
「魔法道具!? なんでっ!?」
ジュジュやディーターが気付いたときには遅かった。ゲンクローシ公爵令嬢の手から火球がジュジュに向かって放たれた。




