65.会いたくなかった人と再遭遇
結局、払う払わないの押し問答を繰り返したが、次回の結珠とジュジュの女子会の料理を全てジュジュが用意するということで、何とか落ち着いた。
今回、ジュジュに施したネイル材料費の原価だけで言えば、日本円で百円ちょっとくらい、ワーカード王国で銅貨一枚程度のものだ。それで銀貨を払うだのなんだのとなってしまっては、結珠が遠慮をするのも無理はないだろう。
おまけに結珠はアクセサリー作家であって、プロのネイリストではない。
アクセサリーをUVレジンでコーディングするので、扱い慣れている分、ネイルの表面がでこぼこになるようなことはないにしてもプロと比べたらその腕前は歴然だ。
結珠にとっては、あくまでお遊びで友達にネイルをしたという程度である。
「今度の女子会では、うんと美味しい料理を用意するわね!」
「それはありがたいけど……ホント無理しないでね」
「いいえ! こんな素敵に爪を仕上げてもらったのだから、張り切って用意するわ!」
という感じで意気込んでいるジュジュと、次回の女子会は二十日後に決まった。これは結珠から提案をして、ジュジュのスケジュールが空いていたため、決定した日程だ。
当然、ジュジュからは何故二十日後なのかという質問が出る。
「どうして二十日後なの?」
「そのネイル、大体二十日前後で取らないといけないから」
そのため、次回の女子会でオフをすると告げれば、ジュジュはがーん! という表情を見せた。
「二十日で取ってしまうの!? ずっとつけていたら駄目なの!?」
「駄目だよ。そもそも爪が伸びてくるでしょう? そうしたら爪の根本から浮いてくるの。だから大体二十日前後で取らないといけないんだ。でも専用の薬液がないと取れないから、二十日後にここでその作業をするの」
結珠の説明に、ジュジュはあからさまに落ち込んだ。
「ジュジュさん?」
「どうしても取らないと駄目? せっかくこんなに綺麗にしてもらったのに」
初めてのネイルアートだ。気に入ったとなればそういう気持ちになるのもわかる。
「ジュジュさん、取らないと爪が病気になったりすることもあるの。だから適切な期間で除去しないと駄目なんだ。でもその代わり、新しく別のネイルもすることが出来るし、そこはまた二十日後に相談しましょう?」
新しく別のネイルに出来ると聞いたジュジュの顔が途端に明るくなった。
「新しいネイル? 出来るの?」
「それはもちろん。でもいくらつけかえても長期間やるとどうしても爪に負担がかかるから、何回かやったら一度お休みした方が良いかな?」
「なるほど……。じゃあ次にネイルをやるときにもっと詳しく教えてくれないかしら? ぜひまたやってみたいの!」
「それはもちろんいいけど……。そんなに気に入った?」
「ええ! すごく素敵だわ! 私、魔術師でしょう? 他の令嬢たちとは違って、普段からドレスを着たり装飾品を付けているわけではないし。私が身に着けているものは魔法道具だから」
ジュジュの残念そうな声に、結珠は思い出した。そういえば、検証に付き合ってもらったお礼にジュジュのリクエストを聞いて、ジュジュのために魔法道具を作った。
そのときに魔術師は男性が多いため、魔法道具も無骨なデザインが多いのだと言っていた。女性からしてみたら、おしゃれもへったくれもないだろう。
「ジュジュさん、おしゃれするの好き?」
「もちろん好きよ! でも、仕事をする以上、そうも着飾っていられないでしょう? だからこういう風に仕事の邪魔にならない部分で綺麗に出来るのはすごく気分が良いの」
結珠の思った通りだ。やっぱりジュジュはおしゃれをしたいらしい。
「そっか……。じゃあ取ったときに新しいのやってみよう!」
「いいの!? ぜひお願いしたいわ!」
「まかせて! 次やるときまでにどんな色がいいとか、こういうデザインにしたいとか希望があったら考えておいてね! そんなに難しいのじゃなければ多分私でも出来ると思うから」
「ありがとう、ユズ! 考えてみるわ!」
感極まったのか、ジュジュが結珠に抱き着いた。何だか良い匂いがする。結珠もジュジュの背中に手をまわして、背を優しくぽんぽんと叩いた。
翌日。ジュジュは結珠に施術してもらった爪を眺めながら気分良く王宮へと出勤した。
しかし朝も早くから会いたくない顔に再び遭遇した。
先日の夜会であったゲンクローシ公爵令嬢と魔術師団の建物付近で会ってしまった。今回も夜会のときと同様に何人かの令嬢を引き連れていた。
「あら、ジュジュさんじゃないの?」
「え? あ……ゲンクローシ公爵令嬢。おはようございます」
何でまだこんな王宮で勤務するような人間しかいないような朝っぱらから公爵令嬢が王宮にいるのか。そう口にしたかったが、言えばめんどくさいことになることはわかりきっているので、すんでのところでジュジュは飲み込んだ。
一体こんなところで何をやっているのだろうかと思いつつも関わりたくもないので、通り過ぎようとしたときだった。
ゲンクローシ公爵令嬢に呼び止められる。ジュジュは仕方なく歩みを止めて、彼女を振り返った。
「何か御用でしょうか?」
「ねぇ、貴女。わたくしをディーター様のところへ案内してほしいのだけれど」
「師団長のところ……ですか?」
ゲンクローシ公爵令嬢からの突然の要求に、ジュジュは眉間に皺を寄せた。
魔術師団がある建物は、部外者が立ち入るためには許可が必要だ。独身であるディーター狙いの令嬢も多いため、仕事に全く関係のない女性が申請を行っても、許可されることは少ない。
しかし団員が案内する場合は別だ。その者が責任を持つということで、同行が許可される。
どうやら申請をしたが断られ、どうにか入る算段を考えていたところにジュジュが運悪く出勤してきてしまったらしい。
ため息をつきたくなったが、これまたぐっとこらえて答える。
「申し訳ありませんが、難しいです」
ジュジュはにべもなく断った。公爵令嬢はぴくりと口の端を動かした。表情が大きく変わらなかったのは、さすが高位貴族のご令嬢といったところだろう。ジュジュも彼女が自分の答えを面白く思っていないことくらいすぐにわかった。
「あら、難しいって……。わたくしが頼んでいるのに?」
たかが子爵令嬢が公爵令嬢の頼みを断るのかという含みを持たせたのだが、ジュジュはにっこりと笑った。
「そうおっしゃられましても……。無理なものは無理でございます」
「まぁ! ゲンクローシ公爵令嬢が頼んでいるのに? ジュジュさん、貴女酷いのではなくて?」
公爵令嬢の周囲もジュジュを非難する声を上げる。近くにいた警備の騎士が何だろうという感じでこちらを注目しているのがわかったが、ジュジュはさらに笑みを深めた。
「師団長に御用でしたら、正規の手続きを踏んで面会申請なさってください。必要性があれば、許可が下りるかと」
「まぁ! ディーター様にお会いする必要があるからこうしてわたくしが貴女にお願いしているのでしょう? それを面会申請だなんて……。時間がかかってしまいますわ」
「緊急であれば、すぐに面会できるかと思いますよ」
ああ言えばこう言う。まさしくゲンクローシ公爵令嬢からしてみたら、今の状況はそんな感じだろう。ジュジュはのらりくらりと躱している。
「師団長のご予定は決まっていますため、もし私がゲンクローシ公爵令嬢をご案内したとしても今すぐにお会いするのは難しいと思います」
「どういう意味かしら?」
「そのままの意味です。余程の緊急性がある任務依頼でしたら会うことも可能でしょうが、そうでない場合は師団長のご予定を確認し、空きがありましたら予定に組み込まれます。面会申請後、即時許可というのは、例えどなたであっても難しい状況です」
ジュジュの説明はもっともだ。師団長でなくとも役職付きであれば、大体が同じような条件だ。
会議に任務に訓練にと、予定はすぐに埋まっていく。その空きを見つけて必要な面会をこなしている。緊急性がない限り、例え面会許可が下りたとしても数日先の予定に組み込まれるというのは当たり前のことだ。
それをすっ飛ばして今すぐ会いたいなどという要求が通るはずもない。
しかしそれを説明しても令嬢たちは引き下がらなかった。
「まぁ! 公爵令嬢でも難しいとおっしゃるの?」
「ええ。例えば、近隣に魔物が出現し、緊急討伐が必要となった場合でもなければ、宰相閣下や騎士団長でも師団長への面会許可が下りたとして、申請の三日後というのは当たり前です」
宰相閣下とはゲンクローシ公爵のことだ。令嬢の父親ですら申請したところで、三日後と言われてしまえば、さすがの娘も黙った。
「で……でも、ジュジュさんは会えますわよね?」
「私は魔術師団所属の魔術師です。任務命令などでもちろんお会い致しますが、いずれにしても仕事です。それに今日お会いする予定はありません」
そうだ。今日、ディーターに会う予定はない。ディーターと連日会うときもあれば、互いの任務等で十日以上会わないことだってある。
「今日はお会いしない? でしたら明日は?」
「明日もお会いする予定はございません。そもそも師団長は昨日より遠征任務に出ておりますため、数日は王都内にいらっしゃいません。ですので、面会は無理だと申し上げています」
ジュジュが無理だと言った一番の理由はこれだ。ディーターは今任務中で不在である。
大体、魔術師団宛に緊急性がある面会であれば、許可申請をした時点でディーターは不在であると伝えられるし、別の対応可能な魔術師が呼ばれる。
それすらもなく面会が却下されたとなれれば、単純にディーター目当ての面会であることはわかりきっている。不在を伝えられていない時点で取るに足らない用事であるということなのだ。
ディーターの不在を伝えると、さすがにゲンクローシ公爵令嬢の眉が動いた。
「不在……? ジュジュさん、嘘おっしゃい!」
「嘘などついてどうするのでしょうか。お疑いになるのであれば、申請窓口でお尋ねくださいませ。師団長は不在なのかと。窓口もそう聞かれればきちんとお答え致します」
真っ直ぐに公爵令嬢を見据えて答える。ジュジュの視線に公爵令嬢が怯んだ。しかしすぐに、ふんっ! と鼻息が聞こえてきそうな感じで、威勢が戻る。
「……わかったわ。では改めます」
「ありがとうございます。では、私はこれで」
出勤前に時間をくってしまった。気分の悪くなる場所からは早々に退散したいとジュジュは足早にその場から離れようとした。けれどすぐにまた呼び止められる。
「ジュジュさん……? ちょっと貴女、それ何!?」
「え?」
あっという間だった。離れるためにゲンクローシ公爵令嬢の脇をすり抜けようとしていたため、彼女に一番近付いていた。その瞬間、手首を取られる。そして目の高さまで手を持ってこられた。
彼女が見つめる先は、ジュジュの手だ。視線は爪に固定されている。
「あ……」
ジュジュの爪は昨日、結珠に施術してもらったネイルが輝いていた。




