59.戻ってきた指輪
みはるとの騒動からしばらくのことだった。結珠の家に、みはるから荷物が届いた。
「え!? 何!?」
店にやってきた配達員から小さい段ボール箱を受け取って、結珠は戦々恐々とする。もう積極的には関わらないという念書を交わしたのだから、みはるから荷物が送られてくるとは何事かと身構える。
ドキドキしながら、段ボール箱を開けると、黒い箱と手紙が一通入っていた。黒い箱は結珠も見覚えがある。
「これってもしかして……」
黒い箱を開けると、そこにはみはるが無断拝借した、ジュジュから預かったエメラルドの指輪が入っていた。
「指輪! 外れなかったんじゃ……」
そう言いながら、結珠は同封されていた手紙を開ける。そこには丸い字で書かれたみはるからのメッセージが入っていた。
『今までごめんなさい。指輪は返します』
たったこれだけだったが、結珠はこの手紙を見て、みはるは反省したのだなと気付いた。ジュジュも言っていたのだ。指輪は反省したら取れるかもしれないと。この手紙の謝罪と指輪が結珠の手元に戻ってきたということは、みはるが恐らく反省したのだろう。
「そっか……。みはる、変われるといいけど……」
自分自身を変えることはそう容易いことではない。特に自分の嫌な部分と向き合うのには、相当なエネルギーを要するはずだ。それでもみはるが反省して変わることを願ったのだったら、良かったのだろうと結珠も思う。
だからといって許せるかと言われれば、今までの蓄積された恨みにも似た感情があるので、そう簡単に許せるものではない。それに、今後会うこともほぼないだろう。
(……まぁ、頑張れ)
ちょっと上から目線かななどと思いながら、結珠は指輪をカウンターへと置いた。あとでちゃんとジュジュへ返そうと。
■□■
少し前に約束した、ディーターから貰った高いワインを楽しむ女子会は一度延期されたのだが、仕切り直しで、改めて飲む約束をした。それが今日である。
嫌な事は忘れてしまおうということで、今日のおつまみは色々と豪勢だ。
・レンズ豆とソーセージのトマト煮込み
・豚肉と芋のロースト
・野菜のコンソメゼリー寄せ
・アボカドとオリーブのクリスピーパイ
・生ハムとチーズとピクルスの盛り合わせ
・りんごとクレソンのサラダ
がっつり系もさっぱり系も取りそろえたラインナップだ。ジュジュは基本的に結珠が用意した日本の食べ物も興味津々で口にしてくれる。しかしやっぱり口に合うものと合わないものがそれなりにある。
ワーカード王国は豆料理が多いらしいし、肉も薄切り肉より厚切り肉やブロック肉の方が好きらしい。生野菜はあまり食べる習慣はなく、焼くか煮るかしてある野菜の方が主流らしいが、結珠が出した生野菜サラダは好んでいるようだ。
ちなみに魚はほぼ食べないらしい。詳しく聞けば、ワーカード王国は陸地で海岸沿いの国ではないらしく、せいぜい川魚を食べる領地がある程度とのこと。王都に運び込まれることはなく、ジュジュも遠征で地方へ行った際に、たまに食べるそうだ。
それを聞いて、結珠は肉と野菜を中心としたメニューにした。
「わぁ! 豪勢ね! 大変だったんじゃない?」
「そんなことないよ? こっちは味付けしてオーブン入れっぱなしだったし、こっちもただ煮てただけだし」
「ありがとう! じゃあ、貴重なワインを開けてしまいましょうか」
「ナールさんごめんね! 待てませんでした!」
最初はナールが戻ってくるまで待とうか、なんて話もあったのだが、結局二人で開けてしまうことにした。
ジュジュが腰のポーチから小さめのナイフを取り出して、器用にワインを開ける。結珠が初めてジュジュがナイフを使ってワインのコルク栓を抜いたときには驚いた。一応、ワインオープナーは用意していたのだが、ワーカード王国にはどうやらないらしく、ナイフで開けるのが一般的らしい。
コルクを割ることなくジュジュはワインの栓を開けた。そしてグラスにそれぞれ三分の一程度の量を注ぎ入れる。デキャンタージュの必要性はないとのことで、瓶から直接だ。
「それじゃあ、お疲れ様!」
「お疲れ様!」
目線の高さまでグラスを持ち上げて、乾杯! と微笑みあった。
一口ワインを飲んでみる。何やら複雑な味がする……気がする。少なくとも、ディーターから何本も貰ったお手頃価格のワインとは違う味がするのがわかるが、何だかよくわからない。
「うーん、私には違いはわかるけど、おいしさの判断はつかないかも……」
早々に結珠がそう告げると、ジュジュは笑った。
「そうねぇ……。私もたまにしかこういう高いワインは飲まないのだけれど、別に複雑に考える必要性はないと思うわ。晩餐会ではもちろんマナーが必要だからあれやこれや言われるけれど、今だったら私とユズが楽しめればいいのよ」
「そういうもの?」
「そういうものよ! さて、せっかくユズが用意してくれたのだから料理もいただきましょう!」
「あ、うん。食べて食べて!」
ジュジュは取り皿に豆の煮込みを取って、食べ始めた。
「あ、おいしい! 私が豆料理が好きって言ったのを覚えてくれていたのね! これ、サンジュナスと煮込んだもの? 私の好きな味だわ!」
「本当? よかったー! 実は初めて作ってみたんだよね。あんまり豆料理って作ったことなくて」
やっぱりトマトとサンジュナスという野菜は同じようなものらしい。ジュジュの好みに合ったのならば良かったと、やいのやいの言いながら、結珠とジュジュはワインや料理を楽しんだ。高級ワインに合わせるには少々庶民的な料理だったかもしれないが、赤ワインに合うレシピを検索して作ったので、二人は楽しく飲んで食べてと過ごした。
料理もほぼ二人で食べつくし、ワインも残り少々。いい感じに酔った状態になった頃、結珠は少し前に届いた荷物のことを思い出した。
「あ、そうだ。ジュジュさん、ちょっと待ってて」
「どうしたの?」
作業机の上に置いておいた黒い箱を取りに行き、ジュジュへと手渡した。
「あら? この箱」
「うん。ジュジュさんに借りてた指輪。実はこの前いとこから返却されて……」
「返却? 外れたの?」
「……みたいだよ。開けて中身確認してくれる?」
ジュジュは言われた通り、黒い箱を開けた。中には確かにジュジュが持ち込んだエメラルドの指輪が入っていた。
「私がユズに預けた指輪で間違いないわね。返却って、いとこがこの店へ来たの? 入れないんじゃなかった?」
「指輪は、荷物を配達してくれる人がいて、その人が届けてくれたんだ。いとこはここへ来てないよ。あと、短かったけど謝罪の手紙も入ってた」
「そう……。謝罪の手紙と外れた指輪……。じゃあ本当にユズのいとこは反省したのね」
「やっぱりそういうことなのかな?」
「確証はないけれど、そうだといいわね」
ジュジュがほんのりと赤く色づいた頬を上げた。結珠もつられて微笑む。
「そうだね……」
恨んではいるけれど、ずっと怒り続けていられるかと言えば、そうではない。怒りのエネルギーは本人が思った以上に消耗するのだ。
きっともうほとんど会うことはないだろう。もう結珠とみはるはそこまでこじれてしまったのだ。二人が小さい頃は仲が良かった時期もあっただけに少し寂しい気もするが、こればかりは仕方がない。結珠も許す気はない。
「よし、もうちょっと飲む!? それとも何かデザート食べる?」
「んー、デザートの方が良いかしら」
「わかった! 実はケーキと氷菓子と果物があります! 豪勢にいっちゃいましょう!」
「素敵ね! 酔い覚ましにお茶も欲しいわ!」
「まかせて!」
準備してくる! と、結珠は店から居住のキッチンへと入っていった。
店に残されたジュジュは、もう一度返却された指輪を眺めた。短く詠唱すると、指輪がほんのりと光る。そこには呪いの残滓はなく、単なる宝飾品となった指輪の反応があった。
「呪いが……解かれている?」
正式な鑑定魔術ではないが、予め呪いが付与されている道具とわかっていれば、呪いの大きさの反応を確かめることは鑑定魔術でなくとも判別が出来る。ジュジュはそれを使用して、呪いの力の反発を確認したのだが、それが一切感じられない。
ディーターは解呪出来ないと言っていたはずだ。一体何が起きたのだろうか。
結珠には呪いの指輪であることは告げていないし、指輪は配達人が届けたと言っていた。どうして解呪に至ったのか、まるでわからない。
(師団長に相談してみましょう)
ジュジュは指輪を箱に収めると、ポーチに入れた。
いずれにしてもディーターから借り受けた指輪だ。役目を終えて戻ってきた以上、彼に戻すのが正解だ。
(一体何が起きたのかしら?)
少し酔った頭で考えたが、何も思いつかなかった。