56.木村家の謝罪
結珠がみはるが搬送された病院へたどり着いたときには、みはるの怪我の縫合は終わっていた。
搬送時はかなり興奮していたようだったが、今は落ち着いているらしい。
警察は結珠にも事情を聞きたいと言ってきたが、出かけていて不在だったので何もわからないと告げる。
ただ、みはるとの関係が親族であり、終わったはずの遺産相続の件でここのところ少々揉めていたと説明すれば、民事不介入と言われて、警察は引き上げていった。
実際、騒いだことによるご近所迷惑くらいなものだ。家にも店にも破損はないし、破壊されたのは植木鉢程度。おまけにみはるの怪我も自爆であるのは通報者から確認が取れている。
医師からは患者が興奮する恐れがあるので、会わない方が良いと言われ、結珠は病院の待合スペースでみはるの家族が到着するのを母と待っていた。
しばらくして、美奈子がやってきた。父親である叔父とみはるの兄は仕事でどうしても都合がつかなかったらしい。
美奈子は結珠たちと顔を合わせるなり、半泣きで頭を下げた。
「ごめんなさい! ごめんなさい! うちの子が本当にご迷惑を!」
「謝らなくていいわ。私たちはこれで帰るから、あとはそちらでどうにかしてくださいな」
母は、結珠に対してはそんな態度を見せていなかったが、やはり木村家の面々に怒っているらしい。
美奈子の言い訳は聞かず、ぴしゃりと跳ねのけた。
「ただね。みはるちゃんが結珠の家で騒ぎを起こしていたときに『結珠のくせに生意気よ! この家もアクセサリーも全部アタシのものなんだから! 明け渡しなさい!』って言っていたらしいの」
「……そんな、まさか!」
「嘘だと思うんなら、結珠の家のご近所の方が動画を撮ってくださっていたから、そのデータを送るわ。あなたが甘やかした結果ね。結珠はみはるちゃんの道具でも何でもないわ! 私が育てた大切な娘よ!」
「……それは、その……」
「あなたがみはるちゃんを大事に育てたように、私も結珠を大事に育てた。決して見下して良いわけじゃない。美奈子さんがみはるちゃんを大事にしたいのであれば、それは木村家の家庭内だけに留めなさい! うちと比べるべきじゃない! うちの子をあなたたち親子に蔑ろにされる覚えはないの!」
母は静かに怒鳴った。怒鳴られている美奈子の顔色は悪い。
いつも自分の娘であるみはると結珠を比べていたのは美奈子だった。
それがいつしか、みはるの歪みにも繋がった。遺産相続によって、その歪みが表面化して問題となってしまったのだ。
「何も被害がない以上、私たちからどうこうする気はないわ。でもね、いい加減にしないと完全に家庭崩壊するわよ」
「…………」
きつい現実を突きつけられて、美奈子は黙った。そんなときだった。どこからともなく騒がしい声が聞こえてくる。
「ちょっと! 離しなさいよ!」
「はーい! 木村さーん! ちょっと落ち着きましょうねー!」
「うるさい! 子ども扱いするな!」
怒鳴っているのはみはるらしい。それを宥める女性の声も聞こえてくる。恐らくは看護師だろう。しかし、がしゃんと大きな音がしたと思ったら、引き戸が開いて、中からみはるが出てきた。
まるで幽霊かのように髪を振り乱し目の焦点も合っていない。あれだけおしゃれには気を遣っていたはずのみはるの姿に、さすがの結珠もぎょっとする。
そしてそんな結珠を気にもせず、みはるは看護師の制止を振り切って、結珠へと詰め寄った。
「やっぱり! 結珠の声がしたと思ったのよ!」
「……みはる! あんた、何やってんの!? 怪我しているんでしょう!?」
「うるさいわね! 何なのよ! アタシがわざわざ店まで行ってやったのに、何したわけ!?」
そう言うと、みはるは結珠へと掴みかかってきた。慌てて避けるが、みはるに腕を取られた。
「痛い! 離して!」
「うるさい! アンタは黙ってアタシにあの家を譲ればいいのよ!」
「はぁ!? 譲るわけないでしょう!? おばあちゃんの家はもう私のよ! みはるのじゃないわ!」
「アタシのよ! あの家さえあればやり直せるのよ!」
「そんなわけないでしょ!? 現実見なさいよ! みはるのものになることはない!」
結珠がそう宣言すると、みはるの顔が歪み、結珠の腕を掴んでいるみはるの手の力が強まった。少し伸びた爪が二の腕に食い込みそうになる。
結珠はみはるから離れるために抵抗した。
「ちょ……! みはる、離して!」
「嫌よ! アンタが譲るって言うまで離さない」
ぐっとさらに爪が食い込む。みはるの手首を掴み、何とか外そうともがくが、力が強くて外れない。結珠の顔に苦痛の表情が浮かぶ。
そんな時だった。
「いい加減にしてください! ここをどこだと思っているんですか! 病院ですよ!」
看護師からの雷が飛んだ。気配もなくいきなりの怒鳴り声にみはるの力が一瞬緩んだので、結珠はみはるを突き飛ばした。みはるはバランスを崩して、廊下へと倒れ込む。
「悪いけど、みはるのわがままには付き合いきれないよ。みはるがしたことは犯罪だからね。被害届を出されても仕方がないことをしたっていい加減気付きなさいよ!」
結珠はきっぱりと宣言すると、みはるの顔は歪んだ。
「何で!? どうして!? アタシは何にも悪くないし!」
「もういい加減にしなよ。みはるのせいで、みんな困ってるんだよ?」
「アタシのせいじゃない! 結珠、アンタが悪いんじゃない!」
そう吠えたみはるの形相は、取れかかった化粧も相まって、とても見られたものではなかった。しかしみはるは怪我の影響もあってか、立ち上がれなくなっていた。すかさず看護師が何人かやってきて、みはるを両側から支えて、さっさとどこかへ運び込む。
そして、ただ呆然と結珠とみはるの言い争いを見ていた美奈子に、看護師が向き合った。
「木村みはるさんのご家族の方でしょうか? 先生から説明がありますので、診察室へお願い出来ますでしょうか?」
看護師たちは手慣れたものだ。先程の騒ぎなどなかったかのように振舞い、まだ呆然としている美奈子を診察室へと促した。
そして別の看護師が結珠へも心配を向けてくれる。
「腕、強く掴まれていたようですが、大丈夫ですか? 見てもいい?」
「あ、はい……」
看護師が袖をまくって、結珠の腕を見てくれる。
「みみず腫れだけかな? 傷にはなっていないようですね。念のため消毒されますか?」
「あ、いえ、大丈夫です。ありがとうございます」
看護師に礼を言って、結珠は袖を下した。母も心配そうに見守ってくれていた。
「本当に大丈夫?」
「うん。血でも出ていないみたいだし、大丈夫。ありがとう、お母さん」
「まったく! とんだ騒ぎね。帰りましょう」
母は結珠を促して、病院をあとにした。
まだそんなに遅い時間でもなかったので、母に頼んで近くのショッピングセンターへ寄ってもらう。
そこで菓子折りをいくつか買い、さらに母たち用の夕飯も迷惑をかけたからと結珠が購入した。母は別に気にしなくてもいいと言ってくれたが、結珠がどうしてもと言って譲らなかったため、母は素直に礼を言って受け入れてくれた。
ちなみに菓子折りは明日にご近所へお詫びを言いに回る用だ。
母も予定がないので一緒に回ってくれるとのことで、明日は十時に家へと来てくれることになった。
店は臨時休業にするしかないだろう。あるいは、午後から開けるのでも良いかもしれない。
家まで送ってもらい、結珠は買ってきた総菜で夕飯を済ませると、何もする気が起きなくて早々に休むことにした。
翌日、母とご近所にお詫びの挨拶で回ると、動画を撮っていたという人に、みはるが暴れている様子を実際に見せてもらえた。
ご近所さんは祖母が生きていた頃からの付き合いで、結珠が受け継いでからも、何かと結珠を気にかけてくれている。母とも顔見知りで、いつの間にかに連絡先を交換していたらしい。
みはるが騒ぎを起こしたときも結珠の一大事! と慌てて動画を撮ってくれたようだった。
興奮しているのか、手振れがひどい動画だったが、みはるが何をやっていたのかはちゃんと撮れていた。
確かにみはるが植木鉢で店の扉を殴りかかっていたが、店はびくともしていない。
まるで見えない膜が店を覆っているかのように、ガツガツと音だけが響いている。
そのうち、一番大きく振りかぶった拍子に、反動でみはるが尻もちをついて、手に持っていた植木鉢が道路へと落ち、割れた。その破片で腕に怪我を負ったところで、動画は止まっていた。
「すごいわよねぇ……。小椋のおばあちゃんが守ってくれたのかもしれないわね」
ご近所さんは母と同じことを言った。
これだけ不可思議な現象が起きれば、人々は心霊現象と思うのだろう。実際、祖母から受け継いだ家だ。そう言われても仕方がないかもしれない。
しかし結珠は乾いた笑いしか出なかった。
(いや、まさかね……。だってワーカード王国側にしか効かないって、おばあちゃんの日記に書いてあったのに……)
何がどうなっているのか、さっぱりである。
そして、その謎はあくまで推測であるものの、もしかして……といった回答が導かれた。
みはるが騒動を起こした数日後の日曜日。美奈子とみはるの兄が小椋家へとお詫びにやってきた。
本来であれば、騒ぎを起こした張本人であるみはるも連れてくるべきだったのだろうが、いまだに反省の色がなく、みはるの父で美奈子の夫でもある叔父が、みはるが勝手に出ていかないように見張っているために残って、二人がお詫びにやってきたとのことだった。
結珠も呼び出されて両親と共に同席している。
「ご迷惑をおかけしました!」
そう言って、みはるの兄は菓子折りと少し厚みのある封筒を差し出した。
「お詫びです。納めてください」
「お菓子は頂こうかね。でも、こちらはお返しするよ」
父がそう言って、みはるの兄に封筒を返した。
「で、でも!」
「まぁ、騒ぎは起きたけれど、結珠にも何の被害もなかったし、今後みはるちゃんに迷惑かけられなければうちは大丈夫だから」
あとはどうにかしろと父が言えば、美奈子は泣きそうな顔になった。
「あのね、兄さん! みはるは良い子なのよ? ただちょっとわがままが過ぎただけで」
「美奈子、まだそんなことを言うのか?」
父は厳しい目で自分の妹である美奈子を見ていた。その視線に、美奈子の体は竦んだ。
「お前が甘やかした結果だ。いくら親戚でもこれ以上、人に迷惑をかけちゃいけない」
「親戚だなんて! 私と兄さんは家族じゃない!」
「……残念だけど、もう家族じゃないよ。お前も私も結婚して別に家庭を持った。その時点で昔とはもう関係も変わっている。お前が木村と名乗っているように、もう別の家なんだ。私は私の家族を守る義務がある。だからこそ、もういい加減、お前の娘が周囲に迷惑をかけていることを認めなさい。これ以上何かしでかすつもりならば、相続のときにお世話になった弁護士の土井先生へお願いしないといけない」
静かに父が言うと、美奈子は完全に泣き出した。
みはるの兄は申し訳ないと、もう一度頭を下げたが、封筒を今度は結珠に差し出した。
「結珠ちゃん、受け取ってくれないか? 多分全然見合わないことはわかっているんだけれど」
「え? あの……受け取る理由がないんですけど」
何故自分に封筒が差し出されたのかわからない結珠は受取を拒否したが、みはるの兄は首を振った。
「あの指輪、結珠ちゃんのじゃないのか?」
「あ……」
指輪と言われて気付いた。そういえば、ジュジュから預かった指輪が消えていた。
騒ぎもあってすっかり忘れていた。
「……もしかして、エメラルドの指輪のこと?」
「やっぱり結珠ちゃんのだったんだな。実はみはるが持ち出していたようなんだけど。あれ、商品か?」
「商品というか……預かりもので……」
「預かりもの!? お客さんのものってことか!?」
「お客さんというか、友達のもの? 傷有品で、あんまり商品価値がないらしくて……友達ももう使わないものだから、デザインの参考にちょっと預かっていたというか……」
さすがに対みはるの囮の指輪とも言えず、頭をフル回転して、言い訳を考える。
「結珠ちゃんの友達の!? ああ、どうしよう! 実はみはるがはめているんだけど、全然取れなくて。消防で切断してもらおうとしたんだけど、それも出来なくて。もう本当にぴくりとも動かないんだ」
「え……?」
まるで根でも生えたかのように指輪は回りもしないらしい。
見慣れない高級そうなエメラルドの指輪に木村家では騒ぎになり、みはるが結珠の家から勝手に持ち出したものだとわかったものの、抜けなくて返却出来ないと、みはるの兄は項垂れた。
「あ、えっと! 大丈夫! 友達には紛失したときに謝っておいたし、本当に商品価値がないらしくて、二万円か三万円くらいのものらしいから!」
「そうなのか? そうは見えなかったけど……」
「そう言われても、私も友達からそう言われてるし、なくしたって謝ったけど、気にしなくていいって友達にも言われてて……」
「本当に? いやでも、お友達のだったらそっちにもお詫びを!」
「いやいや、本当に大丈夫! 友達には改めて私から謝っておくから!」
みはるの兄とジュジュが会うことなどないからお詫びに来られても会わせることは出来ない。
「どちらにしても、こちらが気にするから受け取ってほしい! これで結珠ちゃんのお友達にもお詫びしておいてくれないか!」
何度も断ったが、結珠が受け取るまで諦めそうもないみはるの兄の様子に、両親が受け取ってあげなさいと口を挟んだため、結珠は仕方なく受け取ることにした。
そして改めて木村家と結珠の一家は、今後冠婚葬祭以外の付き合いはしないということで合意した。
なお、みはるは冠婚葬祭すら小椋家の行事には完全に出禁という形となり、親戚一同にも通達された。