55.みはるの襲撃
みはるは夢を見た。
借金もなくなり、また豪遊出来るようになったのだ。
結珠の家から無断拝借したエメラルドの指輪が思った以上の価格で売れた。
両親へも借金は返済出来たし、それでも手元にかなりの金額が残った。
売る羽目になってしまったブランドバッグを買い直せるし、また旅行にも行ける。
うきうきとした気分になる。
しかし、また豪遊が過ぎ、借金となった。
両親は二度目となっては助けてくれない。兄も何とか結婚出来たが、みはるにこれ以上家庭を壊されてはたまらないと、結婚時に相手の姓を選択し、木村家とは疎遠になった。
両親には責められた。孫の顔を見ることも出来ないと小言を言われ、もう借金の肩代わりはしないと宣言された。
みはるの借金はそのうち質の悪いところに債権が買われ、転落の人生となる。
もう誰もみはるを助けてくれなかった。
「っ……! はっ!」
真っ暗闇になったところで、目が覚める。がばっと起き上がり、周囲を見渡す。見慣れた自分の部屋だった。
夢だったかと息を吐いたが、全身が汗でぐっしょりとなっていた。
途中までは良い夢だったのだ。しかし最後は転落人生である。
まるでこれからの自分の未来を示しているかのような夢だったが、みはるはそんなわけはないと首を振った。
「ありえない。アタシはこれからよ」
昨日、自分の母親に何も出来ない子だと言われたが、そんなことはない。
そもそもあの結珠が仕事を辞めたのに何とか生活しているのだ。自分が出来ないわけがない。
「そうよ、アタシだって出来るわ」
結珠に出来るのだから自分にだって出来る。自分も結珠と同じようにアクセサリーを作って売ればいい。
だからといって自分で道具や環境を整えるのは馬鹿らしい。結珠が持っているのだから、奪えばいいのだ。
「そうよ……結珠から貰えばいいんだわ」
あの子が自分より上なわけがない。自分が欲しいと言えば、差し出すのが当たり前なのだ。
指にはめた指輪のエメラルドが鈍く光っているが、みはるがそれに気付くことはない。彼女はただ目の前の欲望に囚われている。鈍い光はやがて消え、緑の石の中に黒いしみのような濁りが混じっている。そして、みはるの瞳もエメラルド同様濁っていた。
自分の変化にも気付かずにやりと笑ったみはるは、早速身支度を整えることにした。
■□■
何だか寒気を感じて、結珠はぷるっと震えた。
「ん? 何か変な感じがする……」
特に体調が悪いわけでもないが、何だか変な感じがした。第六感だろうか。
周囲を見渡したが、やはり何も起きてはいない。
そもそも今日は店は定休日で、都内の問屋街までアクセサリーパーツを買いに行こうと支度をしていたところだ。
普段使っている材料から、新しく必要になったものまで、色々買いたい。
通販でも良かったのだが、色々あって疲れているのもあり、気分転換もしたかった。買い物を終えたあとは話題のカフェにでも行って、スイーツでも楽しんでこようかと計画している。
体調不良で出かけられなくなるのは避けたい。
喉も痛くないし、咳も出ていない。鼻づまりもないので、やっぱり気のせいだったのだろうと支度をして出かけた。
欲しいものも買えて、おいしいランチやスイーツも堪能する。まだ時間があったので、服や靴を見るためにショップをひやかした。
その後、ターミナル駅で夕飯用の総菜を買って、さて帰ろうかなと電車に乗ろうとしたときだった。改札前でICカードを鞄から取り出そうとして、鞄に入れてあったスマホに着信が入っていることに気付く。
とりあえず改札内へと入場し、人の通りの妨げにならないよう壁際に寄ってから着信履歴を確認すると、母から電話が何度か入っていた。
一度どころか数回の着信履歴を不思議に思い、画面をタップして母へと折り返し電話をかける。
「お母さん? どうかした?」
『ちょっと、結珠! あんた今どこにいるの?』
「え? 買い出しに都内に出てたけど……。どうしたの?」
電話の向こうで母はやけに慌てている。
『家にはいないのね!?』
「うん。今から帰ろうと思って、電車乗るところだよ」
そう説明すると、母は大きなため息をついた。
『なら、良かったわ。あのね、落ち着いて聞いてちょうだい。みはるちゃんが結珠の家に押しかけて大騒ぎして怪我したの。警察と救急車が来て、騒ぎになったのよ』
「はぁ!? どういうこと!?」
『だからなるべく早く帰ってきて。乗る電車を教えてくれたら、駅まで迎えに行くから』
「え……あ、うん。わかった。えーっと……三十五分発の急行に乗るよ」
目の前にある電光掲示板を見て、乗る電車の発車時刻を告げる。
母は了解と告げて電話を切った。
(みはるが押しかけた? しかも怪我した? どういうこと? っていうか、念書の意味とは!?)
何が何だかさっぱりわからない。
一応この前の押しかけで、今後は関わらないと念書を交わしたはずだ。確かに念書には法的拘束力はないが、多少の抑止力にはなると思っていた。それがまさかこんな短期間で破られることになるとはあまりの行動力にびっくりである。
もちろん、結珠もみはるが簡単に諦めるとも思っていなかったが、それにしても早すぎるのではないだろうか。
おまけに暴れて怪我とは一体どういう状況なのだろうか?
家に結珠がいないことに逆上して、店の扉でも壊そうとしたのだろうか。であれば、家か店かのガラスが割られている可能性が高い。
(嘘でしょ……。修理……必要になる? っていうか、費用は自腹!? それとも叔母さんに請求していいわけ!? あーもう信じらんない!)
買い物に出ていい気分だったのが、全て台無しだ。
はやる気持ちを抑えて、結珠は帰りの電車に飛び乗った。
自宅最寄り駅には、母が車で迎えに来てくれていた。
荷物を後部座席へ置き、自分は助手席へと座る。シートベルトを着用すると、車はロータリーを抜けて家とは違う方向へと走り出した。
母が運転をしながら説明してくれる。
「多分、結珠が出かけた後なんだろうけど。みはるちゃんが結珠の家にやってきて、大声で叫んでたらしいの。出てこい的な?」
「あー。この前来たときもそんな感じだった……」
恐らく家も店も鍵がかかっていて入れなかったせいで声を上げるしかなかったのだろう。
この前と違うところは、結珠が完全に不在だったところだ。
あまりに大声だったので、近所の人たちが何事かと思い、母へ連絡をしたあとに、みはるの様子を伺っていたらしい。
母が話してくれた内容は、その近所の人たちの目撃情報だ。
「それで、結珠が出てこないことにしびれを切らしたらしくて、お店の入口付近に置いてあった鉢植えを大きく振りかぶって、店のガラスを割ろうとしたらしいの」
結珠の予想通りである。やっぱりみはるはガラスを割ろうとしたらしい。
ということは、ガラスの破片で怪我をしたのだろうか。
正直に言ってしまえば、自業自得なはずなのに、これもきっと結珠が悪いと言われることになるのだろうなとげんなりした。
そう内心考えていたが、母から聞かされた内容は結珠の予想をはるかに上回るものだった。
「それがね! ガラスが割れなかったんだって! 何かに守られるように弾かれて」
「弾かれた? え? どういうこと?」
「お母さんもご近所さんがスマホで撮影してた動画を見せてもらったんだけど、本当に何かに弾かれたように全然お店には傷ひとつ付いてなくて! 結局何度も打ち付けようとして、その反動でみはるちゃんが転んじゃってね。道路に尻もちついたところに、鉢植えが道に落ちて割れて。その破片が飛び散ったときに、みはるちゃんが怪我してまた大騒ぎ!」
そこでようやくご近所さんは動画撮影をやめて、警察を呼んだらしい。
出先から駆け付けた母と警察がほぼ同時に到着し、破片でかなりぱっくり腕を切ったみはるの血が止まらなかったため、救急車も出動することになったようだった。
みはるは現在、縫合のため病院に搬送されているらしい。
母もみはるが搬送された救急外来もやっている近隣の大学病院に向かうと言って、車を走らせている。どうやら警察がそちらにつめていて、家の持ち主である結珠にも事情を聞きたいと呼んでいるらしい。
「意味わかんない……。弾かれたって何?」
「結珠もあとでご近所さんに動画見せてもらうといいわよ! もしかしてお義母さんが守ってくれたのかもしれないね」
「おばあちゃんが……?」
祖母と言われて、一瞬思い当たる節があったが、あれはワーカード王国でしか効かないはずである。
新たなる謎に、結珠は首を傾げるばかりだった。




