53.母の言い分
暗くてしんどい部分が続いていますが、ご容赦くださいませ。
結珠の家から程近い、小椋家へ移動してから三十分程度でみはる兄妹の母である美奈子が小椋家へと到着した。
結珠の母からの連絡を受けて、自宅から車をかっ飛ばしてきたようだった。
みはる兄も車でこの近辺へと来ていたらしいが、自分の車は近隣のコインパーキングに入れて、結珠の家へは母の車で来たようで、美奈子の車もみはる兄と同じコインパーキングへ入れられた。
車から小走りで小椋家へ来たらしい美奈子は玄関先で息を乱していた。
「み……みはるが来ているって」
「ええ。お兄さんも一緒ですよ」
美奈子を迎えた結珠が素っ気なく言うと、美奈子はへなへなと玄関先に座り込んだ。
「よかった……。昨日からみはるがいなくて、お兄ちゃんも探してくれてたの……」
「そうですか……。とりあえず上がってください。二人も奥にいますから」
「え……ええ……」
いつもと違い愛想のない結珠の態度に戸惑いつつも、美奈子は何とか立ち上がって家へと入った。
リビングの隣の和室で、みはるとその兄は隣り合わせで座っていた。母は机を挟んで二人の向かいに座っている。
「みはるちゃん! 良かった! 心配していたのよ!」
「…………」
ふてくされているのか、みはるは何も答えない。
兄も自分の母親が現れて、すっと目を細めた。
「母さん! あんたが甘やかした結果だからな」
「おにいちゃん……甘やかしただなんてそんな……」
「事実だろう? これ以上下手な真似はしないでくれって、俺はちゃんと言ったよな? 俺の結婚を完全にダメにして、俺を不幸にしたいのか?」
「そんな……不幸だなんて」
「そうだろう? みはる、仕事も辞めているらしいじゃないか!」
「え? そうなの!?」
みはるの知らない情報に、思わず結珠が口を挟んだ。いくら金融会社への借金は親が肩代わりしたとはいえ、仕事を辞めたら親への返済はどうするつもりなのだろうか。
「……結珠だって仕事辞めてるもの」
ようやく小さな声でみはるが口を開いたが、まさかの結珠へ飛び火である。
しかし兄が呆れたようにため息をついた。
「お前とは状況が全然違うだろう。結珠ちゃんはお店を経営するために個人事業主となって、勤め人を辞めただけだ。きちんと別の仕事をして自活しているだろう」
「うるさいわね! だったら何!?」
また揉めだした二人だったが、結珠の母がパンパンと手を柏手のように叩いた。
「はい、揉めない! 私があなたたちをここへ連れてきたのは、話し合いをしてもらうためよ。揉めるんだったら叩き出します」
にっこりと笑ったが、母の目の奥は笑っていない。その温度差に兄妹二人は黙った。
「結珠、美奈子さんの分のお茶淹れてきて」
「あ、はい……」
結珠も母には逆らえない。言われた通り、キッチンへ叔母の分のお茶を淹れに行った。
お茶を淹れて戻ると、美奈子は結珠の母の隣に座っていた。母主導で話し合いが始まる。
「さて、事の発端は、お義母さんの遺産相続からだけれど。すでに正式に手続き済。他の親族も相続のやり直しを望んでいない。だから、みはるちゃんの主張も単なる子供のわがままレベル。私も結珠も木村家の騒動に巻き込まれただけにしか過ぎないんだけれど。どういうつもりかしら?」
ひやりとするような声で結珠の母が三人へと問いかける。
まず最初に頭を下げたのはみはるの兄だった。
「伯母さん、結珠ちゃん。うちの騒動に巻き込んで本当に申し訳ない。伯母さんの言う通りだ」
「悪いってわかっているんならいいのよ。それで? 当の本人であるみはるちゃんに反省の色がないようだけど?」
「言って聞かせます」
「無理だったから、今日みたいなことが起きているんじゃないの?」
「……それは……そうです」
母の言うことは最もだ。みはるの兄は項垂れた。
「俺だって……どうしていいのかわからない。俺の結婚だってみはるのせいで破談になりそうで……それを必死に繋ぎとめようとしているのに……このままじゃ本当にダメになってしまう」
「そうねぇ……。美奈子さん。あなた、自分の息子が不幸になりそうだというのに、まだ娘を甘やかすの?」
「え? そんなつもりはないわ! でもお兄ちゃんはみはるよりもずっとしっかりしていて!」
「しっかりしているから何? 妹のせいで破談になりそうだっていうのに、兄はしっかりしているからどうにかなるとでも?」
「それは……」
みはるをお姫様のように育てた美奈子。みはるの兄にとっては毒親になるのかもしれない。
しっかり者のお兄ちゃんならば、自分や妹を支えて当然という思考。美奈子も末っ子だからこその甘えなのだろうか。
「美奈子さん。私へ愚痴を言うくらいなら許容したけれど、これ以上はあなたも考えを改めないとダメよ。親はね、ときに子供が間違った方向へ行きそうになったら、きちんと正してあげないと」
「で、でも!」
「でもじゃない! 昔からみはるちゃんは結珠に突っかかっていたわね。実害も大きくなかったし、結珠も気にするようなタイプじゃなかったから流していたけれど、私もそれは間違いだったわ」
確かに結珠は母の言う通り、みはるの言動をあまり気にしていなかった。
会うのは年末年始くらいだったし、それも高校生を過ぎるくらいからはもっと回数は減った。
みはるは口だけだったし、生活を脅かされるわけでもなかったので、相手にするだけ無駄だと放っておいた。
初めてめんどくさいことになったのは、相続のときの再鑑定で、それも結局みはるは論破出来ず不発に終わった。
今回も結局、支離滅裂な主張で騒いだだけで、特に実害はない。
「これ以上、我が家に迷惑をかけるようだったら、私はとことん戦うわよ? それこそ我が家と戦うことで、お兄さんの結婚話が正式に破談になったとしても、恨むべきはうちではなく、みはるちゃんになるわ。それでも良いの?」
母の言葉に、美奈子と兄は固まる。
「こ、困る! 勘弁してください!」
「だったら、どうすべきかわかっているわよね?」
「は、はい!」
兄は慌てて返事をした。美奈子は泣きそうな顔になっている。美奈子は結珠の母の腕を掴んだ。
「で……でも! 兄さんに話をさせて! 私の頼みなら……」
「それは、自分の夫に頼みなさい! 確かに私の夫はあなたの兄だわ。でもそれぞれ家庭を持って、優先すべき別の家族がもういるの。あなたももう誰かに甘えるのはやめなさい!」
「そ……そんな……。だって結珠ちゃんは何でも出来て……しっかりしていて。それに比べてみはるは手のかかる子で……」
「どういう意味よ!」
美奈子の言葉に今まで黙っていたみはるが嚙みついた。
「だって! あなた、何も出来ないじゃない! 小さいときは身体も弱かったからすぐに熱を出してたし。大きくなっても何にも出来なくて! ようやく就職してこれでもう大丈夫かと思っていたのに、今度は借金なんて!」
「はぁ!? 信じられない! アタシをこういう風にしたのはママでしょ!? 何にも出来ないってひどい!」
今度は母娘喧嘩が始まる。
その様子を見て、結珠は納得がいった。全ては叔母のせいなのだろう。
みはるを甘やかしていると思っていたが、出来ない子とレッテルを貼ってみはるを育てたのは、他でもない彼女だ。
美奈子の夫である叔父はそんな妻をどう見ていたのかはわからない。だが、機能不全家族であることは明らかである。
けれどその家族の被害者になるつもりは結珠にない。
「静かに! とにかくこれ以上、うちに迷惑をかけないで頂戴。今日のことは親戚一同全員に知らせるから」
「そんなことしたらみはるが!」
「そのみはるちゃんが原因でしょう? 借金だって精算は出来ているんだから、あとのことは家庭内の範疇でしょう? もうこれ以上我が家を巻き込まないで」
母がきっぱりと宣言する。
「みはるちゃん? これ以上、結珠にも迷惑かけないで。お兄さんが破談になったら、一生恨まれるわよ? それに、力技で結珠の家を自分の物にしようとしたら、それは犯罪よ。私たちは親戚だけど家族じゃないの。だからあなたが非合法なことをしたら全て犯罪だわ」
「…………わかったわよ。もう何もしない」
「そう、ならよかったわ。さて、お帰りはあちらよ。美奈子さん、しばらくあなたとは接触したくないわ。私が良いって言うまで連絡しないでくださいね」
「……はい」
母、強し。
家に来てからというもの、完全に母のターンだった。
念のためと、母は印刷された紙を取り出してきた。何だとのぞき込めば、それは念書。
今後一切、小椋家に迷惑はかけない。招かれてもいないで小椋家と結珠の家へ押しかけた場合は、通報するといった内容で、どうやら母はみはるの押しかけを想定して予め作っておいたらしい。
三人に署名と拇印を押させて、家から追い出した。




