51.エメラルドの指輪
ジュジュとディーターが不穏な会話をした翌日。ジュジュが閉店時間頃に店へとやってきた。
「こんばんは、ユズ」
「ジュジュさん! この間、大丈夫だった?」
かなり酔っぱらっていたと信じている結珠が、ジュジュを心配している。
ジュジュはかなりお酒に強い。あのときも酔っぱらったふりをして結珠の反応を伺っていたのだが、疑ってもいないらしい。
「ごめんなさいね、ユズ。記憶はちゃんとあるんだけど、私色々と変な事を言ったわよね」
「ううん! 大丈夫! でもジュジュさんもああいう風に酔っぱらうんだね」
結珠はクスクスと笑った。
「ところで、ユズに渡したいものがあるの」
「渡したいもの? 何?」
ジュジュは腰に着けているポーチから、小箱を取り出した。ディーターから渡された呪いの指輪だ。
箱を開けて結珠に見せる。
「指輪? この石は……魔石?」
「いいえ。ただのエメラルドよ」
「エメラルド? ってことは、宝石? どうしたの?」
いきなり宝飾品の指輪を見せられて結珠も驚いた。
お詫びにしても高級品すぎるし、一体どういう意図だろうかと結珠は首を傾げた。
「これね、少し訳ありの指輪なの」
「訳あり? どういうこと?」
「まぁ……石は本物のエメラルドだけれど、傷とかで商品価値が著しく損なわれているの」
物は言いようだ。呪いさえなければ、確かに価値のあるエメラルドの指輪だ。解呪出来ないせいで、常に身に着けるのは厳しい。だからこそ普通の宝飾品として使えないため、ジュジュの説明もある意味間違っていない。
「なるほど? で? どうしてこれを?」
「この前の話、どうしても気になったの。もし、ユズのいとこという人がこの店へ押しかけて来たときに、この指輪を渡してしのげないかしらって思って」
「え? 指輪を渡す?」
結珠は意味がわからなかったのか、指輪とジュジュの顔を交互に見た。
「そう。一時しのぎにしかならないとは思うけれど、素人目で見ても商品価値がないものってわからないでしょう? ユズのいとこが騙されてとりあえず帰ってくれるとかないかしら」
結珠はジュジュが持っている指輪をまじまじと見た。
ジュジュの言う通り、結珠にはこの指輪に商品価値がないなんてまるでわからない。傷もどこにあるのか、専門の鑑定職がルーペで見ればわかるのだろうかと考える。
「え……でも……。商品価値がないって言ってもそれなりにするんでしょう?」
結珠はかなり迷っているらしい。値段を聞かれて、ジュジュは駄目押しをする。
「私も正確な値段は知らないけれど、恐らく商品価値があったら金貨三十枚はくだらないでしょうね」
「三十枚! ひえっ!」
あまりの高額に結珠が大声をあげた。
ジュジュは微笑む。
「それは商品価値があったらの話よ。実際はないから、多分本当の値段は銀貨二枚程度ね」
「え!? 銀貨二枚!?」
急に安くなった指輪にまたも結珠は声を上げる。
結珠の感覚でも指輪のエメラルドが本物からイミテーションに格下げされた。
もう一押しだ。ジュジュには、結珠の気持ちがグラグラしているように見える。
「気になるのであれば、この前師団長がユズに渡した高いワイン、一緒に味合わせてくれないかしら?」
「え? でも……あれは元々そのつもりだったし……」
「そうは言っても、ユズが師団長から頂いたものでしょう? タダで頂くのも気が引けるから、おすそ分けを頂く前払いのお礼のつもりで、この指輪を囮に使えばいいのよ」
そう言いながら、ジュジュは結珠の手に箱を置いた。
結珠は指輪が入った箱をじっと見つめ、やがてひとつ息を吐いた。受け取ることを決意したらしい。
「わかった。じゃあもしものときのために預かるってことでいい? いとこが店に来ないで解決したら返すから」
「それでいいわ。ユズに危険があるようだったら、躊躇わずにこの指輪をいとこに渡しなさい」
「ありがとう、ジュジュさん。でもそういうことがないように祈っていて」
「もちろん! いとこがこの店へ来ずに問題が解決するのであれば、それに越したことはないもの」
ジュジュはにっこりと笑った。
成功した。結珠に疑われることなく、指輪を渡すことが出来た。
肩入れしすぎだと注意されるかもしれないが、ジュジュはそれでいいと思っている。
色々と危なっかしい面があるが、とても素晴らしい魔女だ。
素直で明るく、様々な思惑が行き交う貴族社会に身を置く自分としては、彼女のような明るさがとても眩しい。
そしてどんなに苦手な相手でも、その相手が困っているのであればと、欲しているものを差し出せる謙虚さも持ち合わせている。
苦手意識を持ってしまったディーターが探していた魔法道具の設計図を、何の見返りもなく譲渡してくれた。
成り行きだったとはいえ、店の秘密も打ち明けてくれた。
それだけで十分にジュジュの庇護対象だ。
異世界の人間に、この呪いの指輪がどの程度効くのかわからない。そもそも軽い悪夢を見せるだけの指輪だ。
もしも効力があったとしても、異世界の人間相手に与える影響がどの程度になるかもわからない。
気休めにしかならないかもしれないが、あくまで保険である。
もちろん結珠が言ったように、何もないのが一番だ。使用せずにジュジュやディーターの手元に戻ってくるのが一番良い。
願わくば、結珠に困ることが起きないようにと思うばかりである。
ジュジュは指輪を置いてそのまま帰っていった。
もちろん結珠も夕飯に誘ったが、今日はこれから用があるのだという。
ジュジュを見送って、結珠はそのまま店を閉店にした。扉の看板をクローズにし、鍵をかける。
店内を軽く掃除しながら、カウンターに置いたエメラルドの指輪が入った箱を見つめた。
「もしかしたら金貨三十枚の指輪か……」
訳あり商品だから価値は銀貨二枚程度だなんてジュジュは言っていたけれど、本当に鵜呑みにして良いのだろうか。
三百万円相当の指輪が二万円だなんて、正直信じられない。ジュジュが言うような傷は素人目ではわからなかった。
魔石だと言われる方が結珠としては納得がいく。魔石はあちら側には価値があるが、こちら側ではガラスと同等だ。
でもそれでは恐らくみはるを騙せないだろうから、ジュジュの言う通りエメラルドなのだろう。
一番良いのは、ジュジュにも言った通り、みはるがこのままこの店には手を出さずに何事もなくごたごたが片付き、指輪を返すことだ。
「何もないといいんだけどなぁ……」
口に出したら本当になるなんて言葉があるけれど、こればっかりは無理かもしれないと、みはるの性格を考えて、結珠はため息をついた。




