10.再びおばあちゃんの日記を読み込む
その日、結珠は土井との契約を決めたが、結果的に契約書へのサインは行わなかった。
というのも、契約内容を詰めていなかったので、契約書の用意が出来ていなかったのだ。
これから内容を精査し、改めて契約を行うこととなった。
また、契約を行う際に、祖母が契約をしていた税理士も同席してもらうように、土井の方で手配してくれるらしい。
ありがたいことである。
そして結珠には、課題が出来た。
それはもちろん、利益について正確に把握することである。
これから先、商品の売れる見込みがあるか。
向こうの通貨で支払われる売り上げ金を日本円にどう交換するか。
今は潤沢にある魔石を今後どうやって仕入れるか。その仕入れ価格はいくらになるのか。
やることは山積みだ。
そのためには、祖母の日記をまた読み込まなくてはいけない。
もう夢かななんて現実逃避している場合でもなければ、常識が違うの何のとは言っていられない。今の結珠は背水の陣だ。
土井の弁護士事務所から帰宅する電車の中で、うんうんとうなる。
ただ、結珠としては資料だけを読み込んで、知った気になるのではなく、やはり資料を読むのと実地を同時進行して、感覚をつかんでいくことこそが成功の秘訣ではないかと思っている。
これは今までの仕事での経験だ。
早急に一度店を開けなければだめだと思った。
開店初日は混乱もあって、あの美女が来ただけで店を閉めてしまった。
開ければ当然戸惑うことも多いだろうが、そこは新米店長ということで大目に見てもらって、不慣れでも店を開けて、自分の作品たちがどの程度売れるのか、把握しなければならない。
(よし、やろう!)
前向きな性格が結珠の取り柄だ。
結珠は気合を入れなおした。
そんなこんなで翌日。
結珠は決心の通り、店を開けることにした。
昨日も帰ってからコンビニおにぎりを片手に、祖母の日記を読めそうなところから読んだ。
その上で、さらにわかったことはいくつもある。
・こちら(日本)の世界のお客さんがいるときは、あちら(異世界)のお客さんは入ってこられない。また逆もしかり。
・価格については、自動的にあちらの適正価格に勝手に変換されるので、無理にいじる必要性はなし。
・店に脅威判定された人物は二度と入って来られない。
・魔石売りについては、そのうち来ると思うので、しばし待て。加工(カット等)を依頼して大丈夫。支払いはあちらの通貨です。(あちらも適正に商売しないと店に弾かれるので、詐欺の心配はしなくても大丈夫です)
そして、一番肝心のお金についてもちゃんと書かれていた。
・金貨等については、こちらではもちろん純金となるが、そのまま売りに出すとインゴットではないため、根掘り葉掘り聞かれて大変なことになるのでおすすめはしない。
・日本円への換金は、作業部屋の床下に入れてある黒い箱へ入れて、一時間置いておくと適正な日本円に変換されます。構造については深く考えてはだめです。これも魔法道具の一種なので、おばあちゃんも構造はあまりよくわからないです。一回使用する毎に、魔石の交換が必要となるので、なるべくまとめて作業する方が良いと思います。
床下? 黒い箱? と思って、作業部屋に確認へ行って確認をすると、作業机の右端の方に指が引っ掛かるくらいの小さなが穴があった。
そこへ指を入れて床を引っ張ると簡単に床板が外れ、中にノートパソコンくらいのサイズの黒い金属箱が入っていた。
真っ黒だが、何となく金庫のような作りで、鍵がかかっている。
恐らく日記についていた鍵のどれかで開くのだろうと判断して、小さ目の鍵を使ってみると箱は簡単に開いた。
中身は空っぽだったが、何か嵌めることが出来そうなくぼみがあった。
もしかしてここに魔石とやらを入れるのだろうか。
ガラス玉だと思っていた魔石の箱から、ちょうどよさそうなサイズの石を探してはめ込む。
石はまるで磁石でも付いているかのように箱にぴたっと収まった。
「ひえっ…くっついた!」
驚きながらも間違っていなかったことに安堵し、結珠は隠しておいた売り上げの金貨をとりあえず一枚だけ入れた。
まとめてやれとは日記に書いてあったが、とりあえず試しておきたい。
まずは失敗も考えて一枚だけにしてみる。
日記を読みながら、待つこと一時間。再び黒い箱を開けると、中には一万円札が十枚もぺろんと入っていた。
「ひええええー! ホントだ! 何か一万円札になってる! しかも十枚も!? っていうか、これ偽札じゃないよね?」
結珠の見た目では、本物か偽物かの判断はわからない。
でも箱に入れた金貨は消え、結珠にも馴染みのある日本円に変わっていた。
この調子で売り上げていけば、確かに莫大な財産が築けるかもしれない。
さすがに結珠も危機感が芽生える。
そもそも八千円で設定していた品が、その百倍の八十万円になったのだ。完全に色々とおかしい。
ただ、この金貨全てが純利益となるわけではない。今はまだ材料の魔石も在庫が多いが、これの仕入れ価格もまだよくわかっていないし、加工をお願いしたらその分料金もかさむはずだ。
店に来た美女も魔石は高価なものだと言っていたし、多分そういった材料費を引いていったら、手元に残るのはそう多くないだろう。
いや、多くないと思いたい! じゃないと結珠の心がもたない。
「マジで金の卵を産む家なのか……」
誰にどう説明したものか……。
いや、説明する必要もない。無理に誰かに説明してしまえば、きっとおかしなことになる。
そう考えて脳裏にうかんだのは、いとこの顔。
完全にだめだ。相続のときですらあんなにめんどくさいことになったのに、これがあの子に知られれば絶対に揉める。
(おばあちゃんってば、何てものを残したのよぉー!)
そう心の中で叫んだ。
昨日の葛藤を思い出しながら、結珠はカウンターに座り店をオープンさせた。
何かしていないと落ち着かないが、何かしていてもそわそわしてしまって作業も進まない。
そうこうしているうちに、店の扉が開いた。
「あ! やってた! よかった!」
「……あ。この前の人」
扉の向こうから店に入ってきたのは、お客さん第一号の美女だった。
確か名前はジュジュだったはず。
「えっと……ジュジュさんでしたっけ?」
「あら! 覚えててくれたのね! そうよ、魔術師のジュジュよ」
結珠の問いかけに、ジュジュは結珠がいたカウンターへと近寄ってきて、にっこりと笑った。
「先日はありがとうございました。えっと……まだ何かありましたか?」
あれだけ高い買い物をしてくれた人だ。そう無下には出来ない。
さすがに今日も何かを買いに来たとは思えなかったので、売った品に何か不具合でもあったのかと思って恐る恐る尋ねる。
「そのことなんだけど! あなたが作ったネックレス! 本当に何なの!? ありえない!」
「え? あの……っ、どこか壊れてましたか?」
「壊れてなんてないわよ! すごい魔力で、何だか私の実力以上の魔術を使えたんで、本当に驚いたのよ!」
「は……はぁ……」
どうやら壊れてはいないらしい。
しかし魔術なんてものは漫画やアニメ、ゲームの世界の話である結珠にとっては、どれだけすごいと言われてもいまいちピンとこない。
結珠の戸惑いなどおかまいなしに、ジュジュは話を進めた。
「あまりにあなたの魔法道具がすごかったんで、ついうっかり周りに自慢しちゃったの。それでね、翌日に知り合いたちと一緒に、この店へ来てみたんだけどやってないじゃない? だからあなたに何かあったのかと思って」
「何かって?」
「だから、すごい魔法道具を作る魔女だから、もう早速誰かに攫われたとか……そういう心配を」
やっぱり結珠にはどれだけすごいと言われても自覚はないし、ジュジュの言う危険性もわからないけれど、攫われる危険性をジュジュは考えたようだった。
「あー。ご心配をおかけしました。えっと、あのオープンした初日はジュジュさんしか買い物客は来ていなかったし、そのあと店を閉めていたのも、まだ祖母の相続関係で処理しないといけないことが残ってて、ちょっと専門家に相談してたりしてて、お店の方まで手が回らなかったんです」
別に自分の身が危険で店を閉めていたわけではないと説明すると、ジュジュは安心したように息を吐いた。
「そう、それなら良かったわ。仲間内からは妖精のいたずらにでも合ったんじゃないかなんてからかわれてね。でも私はそんなこと信じられなかったから、毎日ここを訪ねてたのよ」
「え! 何かかえってすみません……。まだちょっと落ち着いていないんで、しばらくは毎日店を開けられないかもしれないんですが、一応出来る限りは営業していきますよ」
まだまだ色々と信じられないことは多いが、会社も辞めて店をオープンさせたのだから、結珠もそう簡単に店を辞めるつもりはない。
そうジュジュに告げると、ジュジュは笑った。
「じゃあ、仲間を連れてきても良いかしら?」
「もちろんです。宣伝しないといけないのはわかっているんですけど、私には出来ないので、ジュジュさんが広めてくれるんなら嬉しいです」
「宣伝が出来ない? 何でかしら?」
「あ……えっと……その……」
しまった、余計なことを言ってしまった。
そう思ったが、察しの良いジュジュは逃がしてくれそうもなかった。