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穢れた聖女への受難曲(パッション)【前編】


 地下室には、鼻を突くほどの濃厚な鉄の臭いが立ち込めていた。  それは、つい先ほどまで「古谷勝」という人間だったものが、肉片と血の海へと変貌し、父さんの異空間へと廃棄された残り香だ。


 床一面に広がる赤黒いシミ。  その中央で、顔面を我が子の残骸で汚されたまま気絶している百合。  かつて僕が愛し、心を許し、そして裏切られた女。


 僕の後ろには、二つの影がある。  父さん――十川龍哉と、妹の里緒菜。  二人は一言も発しない。腕を組み、冷徹な彫像のように、ただ静かに僕と百合を見つめている。  その沈黙は、どんな言葉よりも重く、百合への「死刑宣告」を雄弁に物語っていた。


 「……起きろよ、百合。お姫様の時間はおしまいだ」


 僕はミスリルソードの血糊を振るいながら、百合の髪を乱暴に鷲掴みにし、引きずり起こした。


 「あ……う……」


 百合の瞼が震える。  意識が戻ると同時に、顔面にへばりついた生臭い感触と、全身を走る激痛が彼女を襲う。


 「ひっ……!? いやぁぁぁ! 血……!? 何これ、何ぃぃぃ!?」


 彼女は自分の顔についた赤い肉片を必死に手で払いのけた。それが、自分が産み落とした胎児の成れの果てだという記憶がフラッシュバックし、彼女は激しくえずいた。


 「お……えぇっ……! あ、あか……ちゃん……」


 「おはよう、百合。……いい目覚めだね」


 僕が冷徹に見下ろすと、百合は涙目で周囲を見回した。焦点の定まらない目で、必死に誰かを探している。


 「か、勝……? 勝は……? どこ……? 助けて……勝ぉ……」


 「勝? ああ、あいつならもう『処理』したよ」


 僕は靴底で、床の大きな血だまりをコツコツと叩いた。


 「ここだよ。このシミの成分の一部になった」


 「え……?」


 「ミンチにして、父さんのゴミ箱に捨てたんだ。……跡形もなくね」


 「う、嘘……。勝が……死んだ……?」


 百合の顔から血の気が失せる。  頼みの綱だった男は、もうこの世にいない。  恐る恐る視線を上げると、そこには無言で見下ろす父さんと里緒菜の姿。  里緒菜の瞳は、燃えるような憎悪で百合を射抜いているが、口は固く閉ざされている。父さんは、無感情な処刑人のような目で立っている。  誰も助けてくれない。この空間の支配者は、僕だ。


 「さあ、百合。次はお前の番だ」


 「い、いや……! 洋一くん……! 許して……! 私、何もしてない! ただ見てただけなの! 動画撮っただけなの!」


 百合が僕の足にすがりつき、泣き叫ぶ。


 「『だけ』? ……人が生きたまま焼かれるのを、『ただ見てただけ』?」


 僕の中で、どす黒い怒りが爆発した。


 「それがどれだけ残酷なことか……その体で教えてやるよ!!」


 ドカァッ!!


 僕は百合の顔面を、迷いなく蹴り飛ばした。


 「ぶぎゃっ!!」


 百合が吹き飛ぶ。鼻骨が砕け、鼻血が噴き出す。  美しいと自負していたその顔が、醜く歪む。


 「痛い? ねぇ、痛い? でもまだ顔があるだけマシだろ!?」


 僕は倒れた百合に馬乗りになり、その右手を――かつてスマホを握り、母さんの死を撮影していたその手を掴み上げた。


 「この手か? この指で撮影ボタンを押したのか? 母さんが熱がって転げ回るのを、この指で拡大して撮ってたのか!?」


 「ち、ちが……それは勝が……!」


 「言い訳するな!!」


 ボキィッ!!


 「ぎゃあああああっ!!」


 僕は百合の人差し指を、躊躇なく逆方向にへし折った。


 「痛い? ねぇ、痛い? 母さんはもっと痛かったんだよ!! 全身が焼ける痛みなんて、指一本の比じゃないんだから!!」


 「痛いぃぃ! 指がぁぁ! 折れたぁぁぁ!!」


 「次は中指な。……全部折ってやる。二度と何も握れないように」


 ボキッ! グシャッ!


 「あぎゃっ……! やめ……許し……!」


 一本、また一本。  僕は無表情で、機械的に百合の指を破壊していく。  後ろの二人は動かない。止めもしない。その沈黙が、僕の行為を「正義」だと肯定してくれている。


 右手の指が全てあらぬ方向へ曲がり、百合が白目を剥きかけた。


 「気絶するなよ。まだ始まったばかりだ」


 僕は百合の髪を掴み、無理やり顔を上げさせた。  鼻を砕かれ、前歯を折られ、血反吐を吐いている百合。  かつて僕が好きだった面影は、もうどこにもない。あるのは醜悪な罪人の顔だけだ。


 「ねぇ、百合。……僕たち、付き合ってた頃、よくキスしたよね?」


 「え……? よ、洋一くん……?」


 百合が期待の目を向ける。まだ僕に情が残っていると思っているのか。その浅ましさが、さらに僕を苛立たせる。


 「君の唇、柔らかくて好きだったよ。……でもさ」


 僕はミスリルソードの冷たい切っ先を、百合の震える唇に当てた。


 「その口で、勝とキスしてたんだろ? その口で、僕の悪口を言ってたんだろ? 『洋一なんてキモい』って、『死ねばいいのに』って……笑ってたんだろ?」


 「ち、ちが……う……わたしは……」


 「そして何より……その口で、母さんを嘲笑ったんだろ!!」


 僕は剣を握る手に力を込めた。


 「汚らわしいんだよ!! 削ぎ落としてやる!!」


 ザシュッ!!


 「んぐぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!!」


 僕は剣を横に薙いだ。  百合の上唇と下唇が、薄く、綺麗に削ぎ落とされた。  ミスリルソードの切れ味はあまりにも鋭く、痛みよりも先に熱さが走る。  剥き出しになった歯茎と歯列。唇を失った口元から、とめどなく鮮血が溢れ出し、彼女の顎を染めていく。


 「ああ、スッキリした。これで一生、キスなんてできないね。口紅も塗れないね」


 「あぁぁ……ぐち……びる……が……」


 百合が手で口元を覆うが、指の間から血が噴き出す。自分の唇が床に落ちているのを見て、彼女は発狂したように首を振った。


 「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!! かお……わたじの……かおぉぉぉ!!」


 「自分の顔が大事か? 母さんはな、顔が炭になるまで焼かれたんだよ!! 僕が対面した時、誰だか分からなかったんだよ!! 母さんの顔を返せよ!!」


 ドカッ! バキッ!!


 僕は剣の柄で、百合の顔面を何度も殴打した。  頬骨が砕け、眼窩が割れる。


 「返せ! 返せ! 返せぇぇぇ!!」


 血飛沫が舞う。僕の顔にも、服にも、百合の汚い血が付着する。  後ろの里緒菜が、涙を流しながら見つめている気配がする。父さんが、腕を組んだまま頷いている気配がする。  家族が見ている。僕の復讐を、僕の愛の証明を、見届けてくれている。


 「はぁ……はぁ……」


 百合はもう、ピクリとも動かなくなった。顔面はザクロのように割れ、呼吸も浅い。  死にそうだ。でも、まだ死なせない。


 僕は振り返り、父さんを見た。言葉はいらない。ただ視線を合わせるだけでいい。  父さんは無言のまま片手を上げ、指をパチンと鳴らした。


 「《ハイ・ヒール(上級回復)》」


 カッ!!


 強烈な光が百合を包み込む。  砕けた鼻が隆起し、削ぎ落とされた唇が再生し、折れた指が元通りに繋がる。  肉体だけが新品に戻る。痛みと恐怖の記憶だけを残して。


 「はっ……!? い、息が……! 治っ……た……?」


 百合が自分の顔を触る。唇がある。指が動く。  助かった。そう思った瞬間の彼女の安堵した顔。それが一番、僕をムカつかせた。


 「勘違いするなよ、百合」


 僕は彼女の髪を掴み、引き寄せた。


 「治したのは、許したからじゃない。……もっと壊すためだ」


 「ひっ……! や、やだ……もうやだぁぁぁ!!」


 「次は父さんの炎も借りない。僕の手だけで、お前に地獄を見せてやる」


 僕は彼女の耳元で、死神のように囁いた。


 「お前は女としての幸せを夢見てたんだろ? 結婚とか、ウェディングドレスとか」


 「な、なんで……」


 「残念だったな。お前の花婿(勝)はもうゴミ箱の中だ。……だから僕が、特別に送ってやるよ」


 僕はミスリルソードを高く掲げた。  銀色の刃が、冷酷に輝く。


 「これからお前に着せるのは、純白のドレスじゃない。……全身から噴き出す血で染め上げた、真っ赤な『死装束ドレス』だ」


 「いやぁぁぁぁぁぁッ!! 誰かぁぁぁ!! 助けてぇぇぇぇ!!」


 百合の絶叫が地下室に響く。  だが、里緒菜も父さんも、眉一つ動かさず、ただ静寂の中でその断罪を見守り続けていた。  その沈黙こそが、百合にとって最大の絶望だった。


 慈悲なき断罪の儀式は、いよいよクライマックス――後編へと続く。

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