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地獄の底で嗤う、三つの修羅

 地下室の重厚な鉄扉が、軋んだ悲鳴のような音を立てて開いた。  射し込んだのは、廊下の冷たい蛍光灯の光と、絶望の影だった。


 数日間の放置と飢餓、そして「共食いゲーム」という極限状態を経て、勝と百合はもはや人間の形を保っていなかった。  大小便と血の臭いが染み付いた床に這いつくばり、目は虚ろで、唇はカサカサにひび割れている。百合の耳は龍哉の魔法で再生していたが、勝に削ぎ落とされたという恐怖の記憶は、彼女の精神を粉々に破壊していた。


 「あ……あぁ……」


 光の中に、三つの人影が立つ。  中央に立つ男は、今まで見たこともない巨躯の男。  その左には、彼らを地獄へ突き落とした復讐者、新堂洋一。  そして右には、可憐な服を着ているが、その瞳に氷のような殺意を宿した少女、刈谷里緒菜。


 「お、おい……誰だ、そいつ……?」


 勝が震える指で、中央の男を指差す。  数日前までそこにいた「高校生の龍哉」ではない。身長190センチを超える筋肉の鎧を纏い、歴戦の傷跡と無精髭を蓄えた、圧倒的な威圧感を放つ「本物の男」がそこにいた。


 龍哉は無言のまま、ドスッ、ドスッという重い足音を響かせて部屋の中へと踏み入った。その一歩ごとに、空気が軋むような錯覚を覚える。


 「……久しぶりだな、クソガキども」


 腹の底に響くような、重低音の声。  勝と百合は本能的に察した。こいつはヤバイ。今まで自分たちが相手にしていた「高校生の龍哉」とは、次元が違う怪物だと。


 「ひっ……! な、何なんだよお前はぁぁ!!」


 勝が悲鳴を上げて後ずさる。  僕はその様子を冷ややかな目で見下ろし、静かに告げた。


 「紹介するよ、勝、百合。……こっちは僕の父さんだ」


 「は……? と、とうさん……?」


 「ああ。新堂龍哉……いや、十川龍哉だ。16年前にいなくなった、僕の本当の父親だよ」


 思考が追いつかない二人に、僕はさらに畳み掛ける。


 「そして、こっちは……僕の妹、里緒菜だ」


 「い、妹ぉ!? 嘘でしょ!?」


 百合が叫ぶ。彼女は里緒菜の顔を知っている。僕の彼女だと思っていたはずだ。


 里緒菜は一歩前に出ると、冷徹な視線で百合を見下ろした。その可憐な唇から紡がれたのは、呪詛のような言葉だった。


 「……嘘じゃないわ。私は、洋一くんの妹。そして……あなたたちが殺した、間島美名の娘よ」


 その言葉の意味を理解した瞬間、勝と百合の顔色が土気色を超え、死人のように白くなった。


 「ま、間島……美名……?」  「あの……火事の……?」


 「そうよ!! 思い出させてあげるわ!!」


 里緒菜が叫んだ。


 「あなたたちが面白半分で火をつけたアパート! そこで逃げ遅れて、熱くて苦しくて死んでいった女性! それが私のお母さんよ!!」


 「ひぃぃぃっ!!」


 「ごめんなさい……! 知らなかったの……! あんなことになるなんて……!」


 百合が床に頭を擦り付ける。だが、里緒菜は止まらない。


 「知らない? ふざけないで! 人が死んだのよ!? 私のお母さんが、たった一人で、炎の中で……!!」


 里緒菜の瞳から涙が溢れるが、彼女はそれを拭おうともしなかった。


 「あなたたちは笑ってたんでしょ!? 『よく燃えるな』って! 『ゴミみたいだ』って! ……その報いを受けに来たのよ!!」


 龍哉がゆっくりと口を開いた。


 「そういうことだ。……俺たちは、ただの復讐者じゃねぇ。お前らが壊した『家族』そのものだ」


 龍哉は巨大な掌で、勝の頭をバスケットボールのように鷲掴みにした。


 「ぎゃああっ! 頭が! 潰れるぅぅぅ!!」


 「俺の最愛の妻を……よくもやってくれたな。あぁ? 16年ぶりに会えると思って楽しみにしてたんだぞ? それを……黒焦げの骨にしやがって……!」


 ギリギリと力が込められる。勝の頭蓋骨がミシミシと音を立てる。


 「俺はな、魔法が使える。お前らを一瞬で灰にすることもできる。だが、そんな慈悲は与えねぇ」


 龍哉は勝の体を軽々と持ち上げると、コンクリートの壁に叩きつけた。


 ドゴォッ!!


 「がはっ……!!」


 「痛いか? 苦しいか? 美名はその何千倍も苦しかったんだぞ!!」


 龍哉は倒れた勝の右腕を踏みつけ、そのまま体重をかけた。


 バキボキッ!!


 「ぎゃああああああああっ!! 腕がぁぁぁ! 折れたぁぁぁ!!」


 「うるせぇ。まだ一本目だろ」


 龍哉の顔には、一切の慈悲がなかった。そこにあるのは、妻を奪われた男の、底なしの憤怒だけだ。


 一方、僕は百合の前にしゃがみ込んだ。


 「ねぇ、百合。……里緒菜ちゃん、怒ってるよ。当然だよね」


 「よ、洋一くん……助けて……私、妊婦なの……赤ちゃんがいるのよ……」


 百合はまたしても、膨らんだお腹を盾にする。この命さえあれば、殺されることはないと高を括っているのだ。


 だが、その浅はかな考えを、里緒菜が正面から叩き潰した。


 「赤ちゃん? ……だから何?」


 「え……?」


 里緒菜は百合の前に立ち、冷たく見下ろした。


 「私のお母さんにも、子供がいたのよ。私と、洋一くんがいたの。……お母さんは私たちを守るために必死だった。生きたかったはずよ。子供たちの成長を見たかったはずよ!!」


 里緒菜が百合の胸ぐらを掴み、力任せに揺さぶる。


 「なのに、あなたたちはそれを奪った!! 母親を殺しておいて、自分が母親になる資格なんてあると思ってるの!?」


 「ひっ……! ご、ごめんなさ……」


 パァンッ!!


 乾いた音が響いた。里緒菜が、百合の頬を思い切り平手打ちしたのだ。  百合の頬が赤く腫れ上がる。


 「痛い……? 心が痛い? 体が痛い? ……甘えないでよ!!」


 里緒菜は叫びながら、何度も百合を叩いた。平手で、拳で。彼女の小さな手が赤くなるまで。


 「返してよ! お母さんを返してよ! 私の時間を返して! パパとの時間を返してよぉぉぉッ!!」


 「うぅ……うあぁぁ……!」


 百合は抵抗すらできず、ただ泣いて謝ることしかできない。


 「洋一、里緒菜。……交代だ」


 龍哉が勝の左足を踏み砕きながら言った。


 「こいつらには、もっと『絶望』を教えてやらなきゃなんねぇ。……肉体の痛みだけじゃ足りねぇんだよ」


 龍哉は懐から、一枚の写真を取り出した。  それは、焼け跡から見つかった、端が焦げた家族写真のコピーだった。若き日の龍哉と、美名が幸せそうに笑っている。


 「見ろ。お前らが燃やしたのは、この笑顔だ」


 龍哉は写真を勝の目の前に突きつけた。


 「こいつはな、俺の生きる意味だったんだ。……それを奪った罪、どうやって償うつもりだ?」


 「か、金……! 金なら親が払う……! なんでもする……!」


 勝が必死に提案する。


 「金? ハッ、笑わせるな」


 龍哉は冷笑し、指をパチンと鳴らした。


 「《幻影魔法ファントム・ペイン》」


 瞬間、勝と百合の視界が歪んだ。


 「うわっ!? な、なんだこれ!? 火が……火がぁぁぁ!!」


 「熱い! 熱いぃぃぃ! 助けてぇぇぇ!!」


 二人が何もない空間で手足をバタつかせ、悲鳴を上げ始めた。  龍哉の魔法により、彼らは今、美名が味わった「焼死の苦しみ」を脳内で直接体験させられているのだ。皮膚が焼け爛れ、呼吸ができなくなる感覚を、死ぬことのないまま永遠に味わう地獄。


 「あがぁぁぁっ! ぎゃぁぁぁっ!!」


 「おかあさぁぁぁん! 熱いぃぃぃ!! ごめんなさぁぁぁい!!」


 のたうち回る二人を、僕たち3人は冷ややかな目で見下ろしていた。


 「……これでもまだ、足りないね」


 僕が呟くと、里緒菜が静かに頷いた。


 「うん。お母さんの苦しみは、こんなもんじゃなかったはずだもん」


 「安心しろ。今日は殺さねぇ」


 龍哉が腕を組み、仁王立ちで宣言する。


 「たっぷりと時間をかけて、お前らの魂に刻み込んでやる。……人の命を奪うってことが、どれだけ重いことなのかをな」


 「殺して……! もう殺してくれぇぇぇ!!」


 勝が涙と鼻水でぐちゃぐちゃになりながら懇願する。


 「殺す? バカ言え。死ぬのは『救済』だ。お前らにそんな慈悲は与えねぇよ」


 僕は勝の耳元で囁いた。


 「生きて味わえ。僕たちの家族の絆と、お前らの罪の深さを。……この地下室が、お前らの世界の全てだ」


 「い……いやだぁぁぁぁぁぁッ!!!!」


 絶叫が響き渡る。  父、息子、娘。  再会した最強の家族による、終わりのない断罪の宴は、まだ始まったばかりだった。  僕たちは、母さんの無念が晴れるその瞬間まで、決して彼らを許さない。


 「さあ、次は誰の番だ? 里緒菜、好きなところを壊していいぞ」


 「うん……パパ。私、あいつの指……全部折ってやりたい」


 「よし、やってやれ」


 地獄の蓋は、二度と開かないように、僕たちの手で固く閉ざされた。

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