暁光の覚醒、父の帰還、そして修羅の娘
「……私も、行くよ。洋一くん、パパ」
数日後、とある屋上に僕と龍哉さん……父親はいた。しばらくすると鉄扉が再び開き、朝の光を背負って現れたのは、待ち合わせをしていた里緒菜だった。 息を切らし、頬を紅潮させているが、その瞳はかつてないほど強く、揺るぎない光を宿していた。僕の後を追って、ここまで駆け上がってきたのだ。
「里緒菜……」 「里緒菜……お前、どうして」
僕と父さんが同時に声を上げる。里緒菜は僕たちの間に歩み寄り、それぞれの隣に立った。
「だって、家族でしょ? 私だけ安全な場所で待ってるなんて、できない。お母さんのこと……美名さんのこと、私だって愛してたんだから」
彼女の胸元で、太陽のネックレスが朝日に反射して鋭く輝く。それはまるで、彼女の決意の象徴のようだった。
3人が並んだ。 左に洋一、右に里緒菜。そして中央に龍哉。 離れ離れになっていた家族のピースが、16年の時を経て、復讐という血塗られた目的のために、今ここにカチリと嵌まったのだ。
龍哉は、両隣の子供たちを交互に見つめ、深く、満足げなため息をついた。
「……そうか。揃っちまったか」
彼はゆっくりと空を見上げた。真っ青に晴れ渡った空は、皮肉なほど美しかった。
「美名。……見てるか? 俺たちの自慢の息子と娘だ。あんなに小さかった命が、こんなに立派になりやがった」
龍哉の声が微かに震える。それは悲しみではなく、万感の思いが込められた震えだった。
「……よし」
龍哉は短く呟くと、何もない空間に手を突っ込んだ。 ブォンッという音と共に現れた《異空間収納》。彼がそこから取り出したのは、怪しげな紫色の液体が入った小瓶だった。
「父さん、それは?」
僕が尋ねると、龍哉はニヤリと笑った。その笑顔は、いつもの飄々としたものではなく、何かの終わりと始まりを告げるような、静かで重いものだった。
「これか? こいつは『呪い解きの霊薬』の出来損ないさ。……俺にかけてた『時間停止』と『年齢逆行』の魔法を、強制的に解除する劇薬だ」
「えっ……? 解除するって……」
里緒菜が息を呑む。龍哉は小瓶のコルク栓を親指で弾き飛ばした。
「俺がこの若造の姿でいたのはな、美名に再会した時、昔のままの俺でいたかったからだ。浦島太郎になりたくなかった。……17歳の美名に、オッサンになった俺を見せて、幻滅されたくなかったんだよ」
彼は懐かしむように遠くを見る。それは、彼なりの妻への愛であり、最後の甘えだったのかもしれない。
「だが、もういい。美名はもういねぇ。……それに」
龍哉は僕と里緒菜の肩に、それぞれの手を置いた。
「俺にはもう、守るべき新しい『現在』がある。お前たちがいる。……いつまでも過去の幻影にすがってちゃいけねぇよな」
彼は覚悟を決めたように言い放った。
「俺ももう、未練はねぇからよ。……いい加減、父親らしい姿に戻るとするぜ」
言うが早いか、龍哉は小瓶の液体を一気に煽った。
ゴキュッ……ゴキュッ……パリンッ!
空になった小瓶をコンクリートに叩きつけた瞬間、異変が起きた。
「ぐっ……! うおぉぉぉぉぉっ!!」
龍哉が苦悶の声を上げ、膝をつく。 彼の体から、バチバチと青白い魔法の火花が散り始めた。
「パパ!? 大丈夫!?」 「父さんッ!?」
僕たちが駆け寄ろうとするのを、龍哉は手で制した。
「来るなッ! ……くくっ、効くぜぇ、これ……!」
メキメキッ……バキキキッ……!
骨がきしむような、不気味な音が響き渡る。 僕たちは信じられない光景を目の当たりにした。
龍哉の体が、見る見るうちに変化していくのだ。 高校生の制服が張り裂けんばかりに筋肉が膨張し、肩幅が広がり、背が伸びていく。 滑らかだった頬には、歴戦の男を思わせる深いシワが刻まれ、顎には無精髭が急速に生え揃っていく。 短かった髪は少し伸び、ワイルドな長髪へと変わる。
それは、魔法が解け、16年分の時間が一気に彼の肉体に追いついた瞬間だった。
「ふぅーっ……。はぁーっ……」
変化が収まり、魔法の光が消えた時。 そこに立っていたのは、もう高校生の「龍哉」ではなかった。
身長190センチはあろうかという巨躯。丸太のように太い腕。胸板は厚く、岩のように頑強だ。 顔つきは精悍で、目尻のシワや頬の傷跡が、彼が異世界で潜り抜けてきた修羅場の数を物語っている。 かつての軽薄さは消え失せ、そこには圧倒的な威圧感と、山のような包容力を併せ持った、本物の「男」が立っていた。
「……どうだ? 久しぶりの本来の体は」
声までもが変わっていた。腹の底に響くような、重厚で渋い低音。
「あ……パパ……?」
里緒菜が呆然と呟く。その姿は、彼女が夢見ていた「理想の父親像」そのものだったかもしれない。
「おう。待たせたな、里緒菜。洋一」
龍哉――いや、十川龍哉(33歳)は、ニカッと笑った。その笑顔には、高校生の時とは比べ物にならないほどの、父親としての自信と愛情が満ち溢れていた。
「すげぇ……。これが、本当の父さん……」
僕は圧倒されていた。頼もしい。ただその一言に尽きる。この人が父親なら、どんな敵が来ても怖くない。そう心から思えた。
龍哉は、新しくなった自分の体を確かめるように腕を回すと、僕たちに向き直った。
「さて。役者は揃った。舞台も整った。……だがな、里緒菜」
彼の視線が、鋭く里緒菜を射抜く。
「お前はここで待ってろ。これから下でやることは、男の仕事だ。女子供が見るもんじゃねぇ」
父さんなりの配慮だった。地下で行われている拷問は、あまりにも凄惨だ。妹にそんなものを見せたくないという親心だろう。
だが、里緒菜は一歩も引かなかった。
「いやっ!」
彼女は叫んだ。その瞳には、今まで見たこともないような激しい炎が燃え上がっていた。
「私も行く! 絶対に一緒に行く!」
「里緒菜、わがままを言うな。お前には荷が重い」
「わがままなんかじゃない! ……私だって、美名さんの娘なんだよ!?」
里緒菜が胸のネックレスを握りしめる。
「お母さんは……私を産んでくれたお母さんは、あいつらに笑いながら殺されたんでしょ!? 熱くて、痛くて、苦しくて……そうやって死んでいったんでしょ!?」
彼女の目から涙が溢れるが、声は震えていない。
「許せない……! 絶対に許せない! 私が何もしないで、ただ守られてるだけなんて……そんなのお母さんに顔向けできない!!」
彼女は龍哉を睨みつけた。
「パパは言ったよね。『美名の無念を晴らす』って。洋一くんも言ったよね。『母さんのために怒ってくれた』って。……私だって同じだよ! 私の中にも、同じ血が流れてるんだよ!!」
彼女の魂の叫びが、屋上に響き渡る。
「私も……お母さんを殺した奴らに、復讐したい! この手で、あいつらに地獄を見せてやりたいの!! それが私の……娘としてのけじめだから!!」
彼女はもう、守られるだけの可憐な少女ではなかった。母の無念を背負い、修羅の道を行く覚悟を決めた、一人の戦士の顔をしていた。
龍哉はしばらくの間、黙って里緒菜を見つめていた。やがて、フッと息を吐き、満足げに笑った。
「……ハッ。そうかよ。やっぱり美名の娘だな。頑固なところまでそっくりだ」
彼は大きな手で、里緒菜の頭をガシガシと撫でた。
「いいだろう。連れてってやる。……その代わり、途中で目を背けるなよ? 最後まで見届けるのが、お前の役目だ」
「うん! 絶対に背けない!」
里緒菜が力強く頷く。
「洋一、いいな?」
父さんが僕を見る。僕は迷わず頷いた。
「もちろんです。……3人でやりましょう。僕たちの手で、終わらせましょう」
朝日が完全に昇りきり、世界を照らし出す。 屋上に立つ3つの影は、どれも強く、大きく、そして一つに重なり合っていた。
「よし。……行くぞ、野郎ども!! 十川家の本当の力、あいつらに骨の髄まで教えてやる!!」
父さんの咆哮が合図だった。 僕たちは踵を返し、地下室へと続く扉へと向かった。
もう迷いはない。恐れもない。 ここにあるのは、引き裂かれた家族の絆を取り戻すための、血よりも濃い決意だけだ。 最強の父と、修羅の兄、そして覚醒した妹。 僕たち家族の、最後の戦いが始まる。




