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暁光の再会、あるいは血塗られた愛の証明


 翌朝。  世界がまだ薄紫色の朝靄に包まれ、夜と朝の境界線が曖昧な刻限。  僕は肺が焼き切れるほどの勢いで、アスファルトを蹴り飛ばしていた。


 心臓が早鐘を打っているのは、全力疾走のせいだけじゃない。昨日、里緒菜ちゃんと交わした言葉、繋がった真実、そして確信した「ある人物」の正体が、僕の血液を沸騰させているからだ。  景色が後方へと飛び去っていく。信号待ちすらもどかしい。


 (なんで気づかなかったんだ……! あんなに近くにいたのに! あんなに温かかったのに!!)


 脳裏に浮かぶのは、廃工場での日々。  僕が復讐に手を染め、震えていた時、背中を叩いてくれた手。  魔法という人智を超えた力を使い、僕の願いを叶えてくれた強さ。  そして時折見せていた、あの切なげで、どこか懐かしい眼差し。


 目指す場所は一つ。  僕たちの復讐の拠点であり、全ての罪を共有する場所――廃工場の屋上だ。  あの日、彼と初めて出会い、契約を交わした場所。そして、きっと今日も彼はそこにいる。


 「はぁっ……はぁっ……! くそっ……! 早く……早く会いたいッ!!」


 錆びついた非常階段を、一段飛ばしで駆け上がる。鉄の冷たさが掌に伝わるが、僕の体温は上昇し続けている。  最上階へ。重い鉄扉を、体当たりするように蹴り開けた。


 バンッ!!


 屋上の冷たい風が、汗ばんだ頬を叩きつけた。  そこに、彼はいた。


 コンクリートの縁に腰掛け、昇り始めた朝日を背にして、紫煙をくゆらせている男。  見た目は僕と変わらない高校生の姿。けれど、その背中に纏っている空気は、あまりにも大きく、孤独で、そして……痛いほどに父親のそれだった。


 「……よぉ、洋一。随分と早い出勤だな。そんなに殺りたくてウズウズしてんのか?」


 彼は振り返りもせず、いつものように軽口を叩く。  その声を聞いた瞬間、僕の中で何かが弾けた。今まで「頼れる相棒」だと思っていたその声が、今は「守ってくれていた父親」の声として鼓膜を震わせる。


 僕は呼吸を整えることも忘れ、彼に歩み寄った。一歩、また一歩。  靴音が近づくにつれ、彼の肩が僅かに強張るのが分かった。彼は何かを感じ取っている。僕の変化を。僕の決意を。


 「……龍哉さん」


 「ん? どうした、改まって」


 「ううん……違う」


 僕は立ち止まり、溢れ出しそうになる涙を堪えて、その呼び名を口にした。  16年間、一度も呼べなかった名前。夢の中でしか呼べなかった名前。


 「……父さん」


 その一言が、朝の風に乗って溶けた。  世界が静止したようだった。


 龍哉さんの指から、吸いかけの煙草がポロリと落ちた。  灰が風に舞う。  彼はゆっくりと、まるで錆びついた機械のように首を回し、僕の方を見た。その瞳は驚愕に見開かれ、そしてすぐに、観念したような、どこか安堵したような穏やかな光に変わった。


 「……バレちまったか」


 「里緒菜ちゃんから……聞きました。昨日の夜」


 「そうか。あいつ、ヒントだけやるって言ってたのにな。……聡い息子と娘を持って、俺は鼻が高いよ」


 龍哉さんは苦笑いをして、屋上のフェンスに背中を預けた。  観念したように両手を上げるその姿は、魔法使いでも復讐鬼でもなく、ただの「バツの悪い父親」だった。


 僕は彼との距離を一気に詰め、その顔を真正面から見つめた。  16年間、ずっと不在だった父親。僕と母さんを置いて消えた男。  でも、今の僕には彼を責める気持ちなんて微塵もなかった。あるのは、巨大な感情の奔流だけだ。


 「どうして……どうして言ってくれなかったんですか! ずっとそばにいたのに! 僕が……僕がどんな気持ちで……!」


 「言えるかよ。……16年もほったらかしにして、帰ってきたと思ったら殺人鬼の片棒担いでるなんてよ。父親失格どころの話じゃねぇ」


 龍哉さんは自嘲気味に笑い、視線を逸らした。


 「俺はな、洋一。お前に合わせる顔がなかったんだ。美名を守れなかった。お前に寂しい思いをさせた。その罪滅ぼしに、せめてお前の復讐だけでも叶えてやりたかったんだ。……嫌われてもいい。利用されるだけでもいい。お前の役に立てるなら、それでいいと思ってた」


 「罪滅ぼし……?」


 僕は首を横に振った。強く、何度も。涙が飛び散るほどに。


 「違います! そんなの……そんなのただの言い訳だ! 父さんは……父さんは、僕を救ってくれたじゃないですか!」


 「え……? 救った……? 俺がか?」


 「そうです!」


 僕は一歩踏み出し、彼の両手を強引に握りしめた。冷え切った彼の手を、僕の熱で温めるように。  その手は、ゴツゴツとしていて、僕たちのために戦ってきた傷跡が刻まれていた。


 「僕、感謝してるんです。……父さんが、誰よりも怒ってくれたことに」


 「怒った……?」


 「はい。母さんが殺されたと知った時……父さんは、僕以上に怒り狂ってくれた。僕と一緒に、あの悪魔たちを絶対に許さないと言ってくれた。……復讐なんてやめろなんて言わずに、『やろう』って言ってくれた!」


 涙が頬を伝い、止めどなく溢れる。  世間は言うだろう。復讐なんてやめろと。死んだ人は帰ってこないと。  でも、父さんは違った。誰よりも深く傷つき、誰よりも激しく怒ってくれた。


 「『美名の無念を晴らす』。そう言って、修羅になってくれた。僕のドス黒い憎悪を、否定せずに受け入れてくれた。……父さんのその激しい怒りが、僕にとっては『母さんへの愛』そのものだったんです!! 僕たちを愛してくれてる証明だったんです!!」


 母さんを愛していたからこそ、あんなに怒ってくれた。僕を愛していたからこそ、一緒に地獄へ落ちる覚悟をしてくれた。  その事実が、僕の孤独を埋めてくれたのだ。


 「それに……ありがとう。父さん」


 「な、何がだ……。俺は、何もしてやれてねぇ……」


 「ううん。してくれた。一番大事なものをくれた」


 僕は、一番伝えたかった言葉を、震える声で紡いだ。


 「僕を……産んでくれて、ありがとう」


 「ッ……!」


 「そして……里緒菜ちゃんを、この世に送り出してくれて、本当にありがとう」


 龍哉さんの瞳が大きく揺れ、涙の膜が張る。


 「僕たち兄妹は……数奇な運命で、傷だらけになっちゃったけど。お互いに惹かれ合って、許されない関係かもしれないけど……。それでも、僕は生きててよかったと思ってる。だって……里緒菜ちゃんに出会えたから」


 彼女が妹だと知っても、僕の愛は変わらない。むしろ、血の繋がりを知ったことで、その絆は永遠のものになった。  その運命をくれたのは、紛れもなく目の前の父さんだ。


 「父さんが母さんを愛してくれたから、僕がいる。里緒菜ちゃんがいる。……父さんが命懸けで異世界から帰ってきてくれたから、僕たちはこうしてまた家族になれたんだ」


 僕は膝をつき、父さんの腰に抱きついた。子供の頃にできなかった甘えを取り戻すように、力の限りしがみついた。


 「ありがとう……っ! 帰ってきてくれて、ありがとう……っ! 僕たちの父親でいてくれて、ありがとう……ッ!!」


 その瞬間、龍哉さんの喉から、獣のような嗚咽が漏れた。  今まで張り詰めていた糸が切れ、大きな手が、僕の背中を力強く抱きしめ返す。


 「うあぁぁぁぁっ……! 洋一ぃぃぃっ!!」


 父さんが泣いている。  最強の魔法使いが、冷酷な復讐の鬼が、ただの父親に戻って、子供のように泣いている。


 「ごめんな……! 辛かったな……! 一人にさせてごめんな……! よく生きててくれた……! 俺みたいな男を……父親と呼んでくれて……ありがとう……ッ!」


 「父さん……父さんっ……!」


 「愛してる……! お前も、里緒菜も、美名も……! 俺の命なんてどうでもいいくらい、愛してるんだ……!」


 朝日の下、僕たちは互いの体温を確かめ合うように、長く長く抱き合った。  冷たい風が吹く屋上で、僕たちの涙だけが熱かった。言葉はいらなかった。流れる涙と、伝わる鼓動が、空白の16年間を埋めていき、二つの魂を一つに繋ぎ直していく。


 やがて、龍哉さんが顔を上げ、濡れた瞳で僕を見つめた。  その目には、昨日までとは違う、確固たる決意の炎が宿っていた。迷いはもうない。あるのは、家族を守るという鋼の意志だけだ。


 「洋一。……俺たちは、家族だ」


 「はい」


 「だが、俺たちは罪人だ。人を殺し、道を踏み外した。里緒菜には……お前という兄を愛させてしまった」


 「分かっています。それでも、僕は彼女を愛し抜きます」


 「……そうか。いい根性だ」


 父さんはニヤリと笑い、涙を拭った。


 「それでも……行くか? 地獄の底まで。家族3人で」


 父さんは、屋上の隅――地下へと続く扉の方を見た。そこにはまだ、勝と百合という「清算すべき過去」が、そして「美名への最後の手向け」が残っている。


 僕は涙を拭い、父さんと同じ目をして頷いた。


 「行きます。……3人で幸せになるために。母さんに『終わったよ』って報告するために」


 「よし」


 父さんは立ち上がり、僕の肩をバシッと叩いた。その衝撃が、僕に勇気をくれる。


 「なら、仕上げといこうぜ。……俺たちの愛する家族を壊したクズどもに、最期の教育をしてやるんだ。新堂家の、いや、十川家の流儀でな」


 「はい、父さん!」


 昇りきった朝日が、僕たちの影を長く伸ばす。  それは二つの影ではなく、一つの巨大な怪物の影のように見えた。  父と子。そして兄と妹。  歪で、狂気じみていて、でも誰よりも深い愛で結ばれた「最強の家族」が、今ここに誕生したのだ。


 「さぁ、行こう。……里緒菜ちゃんも、心の中で待ってる」


 僕たちは並んで歩き出した。  その足取りに、もう迷いはなかった。  扉の向こうに待つのは、血塗られた復讐の終焉。そして、僕たちが「家族」として生き直すための、始まりの儀式だ。

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