禁断の螺旋、血の共鳴
夜の帳が完全に下りた臨海公園。 遠くで響く波の音だけが、世界に取り残されたような僕たち二人を包み込んでいた。 互いの罪と傷を晒し合い、それでも離れまいと抱き合った体温。それは、冷え切った僕たちの魂にとって唯一の救いだった。
僕は里緒菜ちゃんの華奢な肩を抱き寄せたまま、彼女の髪の香りを吸い込む。 愛おしい。ただひたすらに、愛おしい。 復讐という修羅の道を行く僕にとって、彼女は咲き誇る一輪の花であり、決して失いたくない光だった。
「ねぇ……洋一くん」
胸元に顔を埋めていた里緒菜ちゃんが、震える声で囁いた。
「ん? どうしたの?」
「私ね、ずっと不思議だったの。……初めて会った時から、洋一くんのこと、他人とは思えなかった。懐かしくて、温かくて……まるで、ずっと前から知っていたような、そんな気がしてたの」
彼女が顔を上げ、潤んだ瞳で僕を見つめる。 街灯の淡い光が、彼女の首元で揺れる『太陽のネックレス』と、僕の胸にある『月のネックレス』を照らし出す。
「僕もだよ。里緒菜ちゃんといると、心が落ち着くんだ。失くしていた半身を見つけたみたいな……そんな感覚」
「うん……。半身……そうだね」
里緒菜ちゃんは何かを確かめるように、僕の頬に手を添えた。
「洋一くん。……一つだけ、聞いてもいい?」
「何でも聞いて」
彼女は少しだけ躊躇い、意を決したように唇を開いた。
「洋一くんのお母さんの……お名前、教えてくれる?」
「え……?」
不意な質問に、僕は瞬きをした。
「どうして急に?」
「分からない。でも……聞かなきゃいけない気がするの。私たちの傷が似ている理由……それがそこにある気がして」
彼女の瞳は真剣そのものだった。拒む理由などない。僕は、最愛の母の名前を口にした。
「美名だよ。……新堂 美名」
その名前を紡いだ瞬間、里緒菜ちゃんの体がビクリと強張った。 瞳孔が開き、息を呑む音が聞こえる。
「……やっぱり。美名……さん……」
「里緒菜ちゃん?」
「ねぇ、洋一くん。お母さんの……旧姓は? 結婚する前の名前、知ってる?」
彼女の声が震えている。恐怖と、期待と、そして信じられないような運命の予感に怯えるように。
「旧姓? うん、知ってるよ。母さんが昔、アルバムを見せてくれた時に言ってた」
僕は記憶の糸を手繰り寄せる。
「『間島』だ。……間島 美名」
――ドクン。
その瞬間、世界から音が消えた。 波の音も、風の音も、遠くの車の走行音も。すべてが遮断され、目の前の彼女の鼓動だけが、僕の鼓動と重なって響いた。
「あ……ぁ……」
里緒菜ちゃんの目から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ちる。 彼女は口元を手で覆い、後ずさるように僕から少しだけ距離を取った。
「嘘……。そんな……まさか……」
「里緒菜ちゃん? どうしたの? 何が……」
「洋一くん……。私のお母さんの名前もね……『美名』っていうの」
「え……?」
「旧姓は……『間島』。……間島 美名なの」
頭をハンマーで殴られたような衝撃が走った。 思考が停止する。言葉が意味を成さない。
新堂美名。間島美名。 火事で亡くなった時期。 放火という死因。 そして、同じ名前。
「それって……」
僕の声が掠れる。
「僕たちの母親は……同じ人……?」
「……うん。きっと、そう」
里緒菜ちゃんが涙ながらに頷く。
「私のお母さんは……私を産んですぐに、事情があって私を養子に出したの。……私には、お兄ちゃんがいるって……カズさんが言ってた」
「お兄ちゃん……」
僕の中にあった違和感。初めて会った時の親近感。すべてが一本の線で繋がっていく。
僕は、彼女の兄だった。 彼女は、僕の妹だった。 血を分けた、実の兄妹。
「あ……あはは……」
乾いた笑いが漏れる。 なんてことだ。神様はどこまで僕たちに残酷な悪戯をすれば気が済むんだ。 僕が愛した女性は、僕の妹だったなんて。 抱きしめ、口づけを交わし、将来を誓い合った相手が、もっとも愛してはいけない「禁忌」の存在だったなんて。
「ごめん……。ごめんね、里緒菜ちゃん……。僕が……僕がお兄ちゃんだったなんて……」
僕は絶望に打ちひしがれ、彼女から離れようとした。 これ以上、触れてはいけない。兄が妹を女として愛するなんて、許されることじゃない。彼女を汚してしまう。
「待って!!」
里緒菜ちゃんが、離れようとした僕の手を、強い力で掴んだ。
「離れないで! 行かないで洋一くん!!」
「でも! 僕たちは兄妹なんだよ!? 血が繋がってるんだよ!? こんなの……おかしいよ!」
「おかしくないよ!!」
彼女は叫んだ。涙でぐしゃぐしゃになった顔で、僕を睨みつけるように見つめていた。
「兄妹だから何? 血が繋がってるから何? ……そんなの、どうでもいい!!」
「里緒菜……?」
「私が好きなのは、『お兄ちゃん』じゃない! 『新堂洋一』っていう一人の男性なの! 私の痛みを分かってくれて、優しく抱きしめてくれて、私のために色々してくれた……貴方が好きなの!!」
彼女は僕の胸に飛び込み、強く抱きついた。
「血が繋がってるなら、尚更嬉しいよ! だって、私たちは絶対に切れない絆で結ばれてるってことでしょ!? 他人よりも、誰よりも深く、私たちは一つなんでしょ!?」
その言葉に、僕は雷に打たれたように立ち尽くした。 倫理観も、常識も、タブーも。彼女の純粋で激しい愛の前では、紙切れのように吹き飛んでしまった。
そうだ。何を怖がっているんだ。 僕はもう、殺人を犯した修羅だ。地獄へ落ちる覚悟はできている。 だったら、妹を愛するという罪の一つくらい、今更なんだと言うんだ。
「……そうだね。僕たちは、誰よりも深い」
僕は震える腕で、彼女を――妹であり、恋人である彼女を、力いっぱい抱きしめ返した。
「愛してる。里緒菜。……兄としてじゃない。男として、お前を愛してる」
「うん……。私も。愛してるよ、洋一くん……」
僕たちは、禁断の果実をかじるように、深く、長く口づけを交わした。 血の味がするような、切なくも甘美な口づけ。 背徳感と幸福感が混ざり合い、魂が溶け合うような感覚。
ひとしきり抱き合った後、里緒菜ちゃんが僕の胸に顔を埋めたまま、ポツリと言った。
「……洋一くん。私ね、お母さんが同じって分かって……もう一つ、分かったことがあるの」
「もう一つ?」
「うん。……私たちのお父さんのこと」
心臓が再び早鐘を打つ。 父さん。僕には記憶にない、母さんを置いていった男。
「洋一くんは……気づいてる?」
「いや……全然。顔も見たことないし」
里緒菜ちゃんは、ふふっと小さく笑った。その笑顔は、どこか誇らしげで、そして少しだけ秘密めいていた。
「そっか。洋一くんはまだ、気づいてないんだね」
「知ってるの? 父さんのこと」
「うん。……会ったの。昨日」
「えっ!?」
「とっても強くて、大きくて……不器用だけど、すごく温かい人だった」
里緒菜ちゃんは、夜空を見上げながら、愛おしそうに語る。
「お父さんはね……ずっと遠い世界で戦ってたんだって。私たちを守るために、必死で帰ってきてくれたの」
「遠い世界……?」
何か、引っかかる。 遠い世界。戦い。帰ってきた。 そのキーワードが、僕の知っている「ある人物」の姿と重なりそうで、でもピントが合わない。
「名前は……まだ内緒にしておくね。パパが自分で言いたいかもしれないから」
「そんな……。教えてよ」
「ううん。でもね、ヒントだけあげる」
里緒菜ちゃんは僕の目を見つめ、確信に満ちた声で言った。
「その人はね……今、洋一くんのすぐそばにいる人だよ」
「え……?」
「洋一くんに『生きる術』を与えてくれて……洋一くんが間違った道に進まないように、でも洋一くんの想いを否定せずに、一番近くで見守ってくれている人」
「一番近くで……見守ってくれている……?」
僕の脳裏に、一人の男の顔が鮮烈に浮かび上がった。 廃工場で、僕の復讐を止めもせず、むしろ手を貸してくれた男。 不思議な力――魔法を使い、常識では考えられない現象を起こす男。 時に厳しく、時に優しく、まるで父親のように僕の頭を撫でてくれた男。 若すぎる容姿に似合わない、深い眼差しを持つ男。
「まさか……」
僕の口から、その名前が漏れそうになる。 龍哉さん? 龍哉さんが、僕たちの……父親?
「ふふ。……いつか、3人でご飯食べようね。パパと、私と、洋一くんと」
里緒菜ちゃんはそれ以上語らず、ただ幸せそうに微笑んだ。 その笑顔を見て、僕は確信した。
龍哉さんは、知っていたんだ。 僕が息子だと。里緒菜が娘だと。 そして、僕たちが惹かれ合っていることも、僕が復讐に狂っていることも……すべてを知った上で、何も言わずにそばにいてくれたんだ。
「……ああ。そうだな。必ず、3人で」
熱いものが込み上げてくる。 僕は一人じゃなかった。 愛する妹がいて、守ってくれる父親がいた。 壊れてしまった家族の形が、歪ではあるけれど、今ここにある。
「ありがとう、里緒菜。……僕、もう迷わないよ」
僕は彼女の手を強く握りしめた。 父さん(龍哉さん)がくれた力。 妹(里緒菜)がくれた愛。 それを糧に、僕は最後の決着をつける。 僕たちの家族を壊した元凶――勝と百合を、完膚なきまでに叩き潰すために。
「行こう。……夜明けは近いよ」
僕たちは手を繋ぎ、闇の向こうにある微かな光へと歩き出した。 背徳の愛と、血の絆を胸に刻んで。




