共鳴する傷跡と、血塗られた告白
放課後の帰り道、オレンジ色の夕日が差し込んでいた。 どこかの学校のチャイムが鳴り響き、そこの学校の生徒たちが「じゃあね」「また明日」と笑い合いながら帰路につく中、僕――新堂洋一は、隣を一緒に歩いてくれる彼女の横顔を、心配そうに覗き込んでいた。
「……刈谷さん?」
「あ……。ごめん、新堂さん。何だっけ?」
刈谷さん――里緒菜ちゃんは、ハッとしたように顔を上げた。 ここ数日、彼女の様子がおかしい。以前のような天真爛漫な明るさが影を潜め、ふとした瞬間に深く思い詰めるような、悲痛な表情を見せるようになっていた。
「ううん、何でもないよ。……今日、少し散歩でもしない? 噴水公園の方、風が気持ちいいかも」
僕は努めて明るく提案した。彼女を元気づけたい。その一心だった。 彼女は一瞬だけ躊躇うような素振りを見せたが、すぐに弱々しく微笑んで頷いた。
「……うん。行きたいな。新堂さんと、話したいことがあるの」
その言葉に含まれた重みに、僕の胸がザワリと音を立てた。
◇
夕暮れの噴水のある公園は、人影もまばらで静寂に包まれていた。 水しぶきの音が、ザザァ……ザザァ……と一定のリズムで響き、茜色の空と海が溶け合う境界線を曖昧にしている。 僕たちはベンチに並んで座り、しばらくの間、沈みゆく太陽を無言で見つめていた。
繋いだ手から伝わる彼女の体温だけが、僕を現実に繋ぎ止めている。 だが、その手は微かに震えていた。
「ねぇ、新堂さん」
沈黙を破ったのは、里緒菜ちゃんの方だった。彼女は噴水を見つめたまま、独り言のように呟いた。
「私ね……やっと分かったの。私のお母さんが、どうして死んじゃったのか」
「え……?」
心臓が跳ねた。彼女が実の母親を探していることは知っていた。まさか、見つかったのか?
「亡くなってたの。……火事だったって」
「ッ……!?」
息が止まりそうになった。 火事。亡くなった。 そのキーワードが、僕のトラウマを鋭利な刃物のように抉る。
「……そっか。それは……辛かったね……」
何とか絞り出した声は、ひどく掠れていた。 里緒菜ちゃんはゆっくりと僕の方を向き、その大きな瞳で僕を射抜いた。その瞳には、涙が溢れそうで、でも決してこぼれ落ちない強い意志が宿っていた。
「新堂さん。……前にお墓参りに行った時、言ってたよね? 新堂さんのお母さんも、火事で亡くなったって」
「……うん」
「それは……事故だったの?」
核心を突く質問。 彼女の声が震える。
「それとも……誰かに、火をつけられたの?」
「――――」
僕は言葉を失った。 なぜ、彼女がそこまで勘付いたのか。 彼女は自分の母親の死因が「放火」だと知ったのだろうか。そして、僕の母親の死とも重ね合わせているのだろうか。
嘘をつくことは簡単だ。「事故だったよ」と言えば、彼女を余計な闇に巻き込まずに済む。 でも、彼女の真っ直ぐな瞳を見ていたら、これ以上、大事な部分で嘘をつき続けることは、彼女への冒涜のように思えた。
「……事故じゃ、ない」
僕は膝の上で拳を握りしめ、視線を足元に落とした。
「殺されたんだ。……放火だった」
「やっぱり……」
里緒菜ちゃんが息を呑む気配がした。
「深夜だった。母さんは逃げ遅れて……。犯人は、面白半分で火をつけたんだ。母さんが炎の中で叫んでるのを、笑って見てたんだ……!」
話しているうちに、抑え込んでいた激情が溢れ出す。
「許せない……! 僕から全てを奪って、母さんをあんな残酷な方法で殺した奴らが、のうのうと生きてるなんて……絶対に許せないんだ!!」
僕は顔を上げ、涙で滲む視界で彼女を見た。 引かれるかもしれない。怖いと思われるかもしれない。 それでも、僕は止まらなかった。
「里緒菜ちゃん。……君は、僕のことを優しいって言ってくれたよね。でも、違うんだ」
「え……?」
「僕は、君が思ってるような綺麗な人間じゃない。……僕は今、復讐をしてる」
言ってしまった。 もう後戻りはできない。
「犯人たちを見つけて、捕まえて……母さんが味わった以上の苦しみを与えてる。警察になんて突き出さない。僕の手で、地獄へ落としてるんだ」
僕は自分の両手を彼女の前に差し出した。
「この手は汚れてる。昨夜だって、人を殴った。肉を砕いた。……僕は、殺人鬼なんだよ」
告白。 それは、愛する人を失うかもしれないという、賭けだった。 彼女は軽蔑するだろうか。「人殺し」と罵って離れていくだろうか。
重苦しい沈黙が流れる。 波の音だけが、ザザァ……と虚しく響く。
やがて、里緒菜ちゃんが口を開いた。
「……一緒だね」
「え?」
予想外の言葉に、僕は顔を上げた。 彼女は泣いていた。でも、それは恐怖の涙ではなく、深い共感と悲しみの涙だった。
「私の……やっと会えたお父さんも、そう言ってた」
「お父さん……?」
「うん。私のお父さんもね、お母さんを殺した犯人に復讐してるって。手が汚れてるから、私を抱きしめる資格がないって……泣いてた」
里緒菜ちゃんは、そっと僕の手を包み込んだ。 彼女の手のひらは温かく、僕の震えを止めてくれる。
「新堂さんも……同じだったんだね。一人で、ずっと苦しんでたんだね」
「里緒菜ちゃん……怖くないの? 僕が、人を傷つけてるんだよ?」
「怖いよ。人が傷つくのは怖いし、新堂さんが犯罪者になっちゃうのも怖い」
彼女は首を横に振った。
「でも……お母さんを奪われた悔しさは、私にも分かるから。大切な人を理不尽に殺された怒りは、私だって同じだから……!」
彼女の手が強くなる。
「新堂さんのお母さんと、私のお母さん。……同じ時期に、同じように火事で亡くなって……。私たち、似たもの同士だね」
彼女は悲しげに微笑んだ。 似たもの同士。 そう、僕たちは同じ傷を背負っている。だからこそ、魂の深い部分で惹かれ合っているのかもしれない。 だが、その「似ている」理由こそが、実は僕たちが血を分けた兄妹だからだという真実には、この時の僕も彼女も、まだ気づいていない。
「新堂さん。……お願いがあるの」
「何……?」
「一人にならないで。……復讐が終わっても、手が汚れても、私がその手を洗ってあげる。ずっとそばにいる」
「里緒菜……ッ!」
「だってお父さんも言ってたもん。『愛する人を守るためなら、修羅にでもなる』って。……新堂さんも、お母さんのこと、愛してたんだよね?」
彼女の言葉が、僕の心の防壁を粉々に砕いた。 肯定された。 僕の闇ごと、罪ごと、彼女は受け入れてくれたのだ。
「う……うぅ……っ!!」
僕は彼女の肩に額を押し付け、嗚咽を漏らした。
「ごめん……こんな僕でごめん……! でも、好きだ……! 里緒菜ちゃんが大好きだ……!」
「私もだよ、洋一くん。……大好き」
夕闇が迫る海辺で、僕たちは強く抱き合った。 お互いの体温だけが、冷たい世界で唯一の救いだった。
「もう……逃げないよ。最後までやり遂げる」
僕は彼女の髪を撫でながら、心に誓った。 残る勝と百合。この二人に引導を渡し、母さんの無念を晴らす。 そして全てが終わったら、一生をかけて里緒菜ちゃんを幸せにするんだ。
「ありがとう、里緒菜。……君のおかげで、僕は強くなれる」
「うん。私も、洋一くんがいるから頑張れるよ」
二人の影が一つに重なる。 その背後で、完全に日が沈み、夜が訪れた。
(待ってろ、勝、百合。)
僕は彼女を抱きしめながら、その瞳の奥に、冷徹な修羅の炎を燃え上がらせていた。




