時を超えた魔法と、不器用な愛の証明
ー里緒菜 視点ー
深夜のファミリーレストラン。 外はまだ冷たい雨が降り続いていたが、店内の暖房と、目の前に置かれたホットココアの湯気が、私の冷え切った体を少しずつ溶かしてくれていた。
私は、向かいの席に座る男性――十川龍哉さんを、まじまじと見つめていた。 濡れた髪をタオルで乱暴に拭き、ブラックコーヒーを啜るその姿。私の肩にかけてくれた大きなレザージャケット。そして、私を「娘」と呼んだ、力強い声。 やっと落ち着きを取り戻した私は、改めて一つの大きな疑問にぶつかっていた。
「あの……パパ……?」
16年ぶりに呼ぶその響きに、まだ少し照れくささが混じる。
「ん? どうした、里緒菜。まだ寒いか? ドリアでも頼むか?」
龍哉さんは心配そうに眉を下げる。その仕草はとても父親らしいけれど、見た目はどう見ても……。
「ううん、大丈夫。……でも、聞きたいことがあるの」
私は意を決して切り出した。
「パパは……どうしてそんなに若いの? だって、16年前にいなくなったんでしょ? それなら、今は30代半ばのはずじゃ……。どう見ても、洋一くんと同じくらいの高校生にしか見えないよ?」
そう。それが一番の謎だった。 私の記憶にある父の写真はもっと大人びていたはずだし、計算が合わない。まさか、整形? それとも……。
龍哉さんはバツが悪そうに頭を掻き、深く息を吐いた。
「……やっぱり、そこ、気になるよな」
「うん。凄く気になる」
「信じてもらえねぇかもしれねぇが……真面目な話だ。笑わずに聞いてくれるか?」
龍哉さんの瞳が、真剣な光を帯びる。私はコクリと頷いた。
「俺はな、16年前……この世界じゃない場所に行ってたんだ」
「え……? この世界じゃ、ない場所?」
「ああ。いわゆる『異世界』ってやつだ。剣と魔法があって、モンスターがうようよいる、漫画みたいな世界だよ」
あまりに突拍子もない言葉に、私は目をぱちくりさせた。 異世界? パパが?
「俺はそこで16年間、魔王だの邪神だのと戦いながら、日本に帰る方法を必死に探してた。……生きるか死ぬかの毎日だったよ。でも、心の中にはいつも美名とお前がいた。だから耐えられた」
龍哉さんは遠い目をして、コーヒーカップの縁を指でなぞる。
「で、やっと帰れるってなった時……俺はあることに気づいて怖くなったんだ」
「怖くなった?」
「ああ。『時間のズレ』だ。異世界で16年経ったけど、もし日本に戻って、日本でも同じだけ時間が経ってたら……俺はオッサンになっちまう」
龍哉さんは苦笑いした。
「でも逆に、『浦島太郎』みたいに、異世界では何十年も経ったのに、日本では一瞬しか経ってない可能性もあったんだ」
「あ……なるほど……」
「もし、俺がボロボロの30過ぎのオッサンになって帰って、日本ではまだ俺がいなくなってから1分しか経ってなかったとしたら……17歳の美名は、俺を見てどう思う? 怖がるだろ? 嫌われるかもしれねぇ」
龍哉さんは真剣そのものだった。 愛する女性に、老けた姿を見せたくない。ただそれだけの理由。でも、それは彼にとって何よりも切実な問題だったのだ。
「だから俺は、帰還の魔法を使う時に、自分の体に細工をした。『老化停止』と『年齢逆行』の魔法をかけて、日本を出ていった時と同じ、17歳の肉体に戻したんだ」
「ええっ!? そ、そんなことできるの!?」
「ああ。俺、向こうじゃ結構強かったからな。……美名と再会した時、昔と同じ俺でいたかった。同じ制服を着て、同じ目線で笑い合いたかったんだよ」
龍哉さんの声が震える。
「でも……皮肉なもんだな。日本でもきっちり16年経ってやがった。美名はもういなくて……その代わり、俺と同じ歳くらいの娘(お前)と息子がいたなんてな」
切ない。あまりにも切ない理由。 お母さんのために、若さを保って帰ってきたパパ。でも、その魔法のせいで、今こうして私と兄妹のように見えてしまう。
「……話は分かったけど……ごめん、パパ」
私は正直な感想を伝えた。
「やっぱり、すぐには信じられないよ。異世界とか、魔法とか……。私をからかってるの?」
普通ならそうだ。頭がおかしくなったのかと思われる。 龍哉さんは「だろうな」と笑うと、周囲を見渡した。深夜の店内には、遠くの席に酔っ払ったサラリーマンがいるだけで、私たちの周りには誰もいない。
「百聞は一見に如かず、だ。……里緒菜、手を出してみろ」
「え? うん……」
私が両手を差し出すと、龍哉さんは何もない空間に右手を突き出した。
「《異空間収納》」
ブォンッ……。
空気が歪んだ。 目の前の空間に、真っ黒な『穴』がぽっかりと口を開けたのだ。 手品じゃない。トリックじゃない。空間そのものが切り取られたような、底知れない闇。
「ひっ……!?」
私は思わず息を呑む。 龍哉さんはその穴の中に腕を突っ込むと、ゴソゴソと何かを探り、一つの物体を取り出した。
「ほらよ。向こうの世界の土産だ」
私の手のひらに置かれたのは、拳ほどの大きさがある、透き通るような青い宝石だった。 いや、宝石じゃない。内部で光が脈動している。まるで生きているかのように、淡い光を放ち、触れるとほんのりと温かい。
「こ、これは……?」
「『海竜の心臓石』だ。深海に住むドラゴンの心臓の一部だよ。こいつを持ってるだけで、病気にならねぇし、精神も安定する。お守り代わりにやるよ」
「ド、ドラゴンの……心臓……!?」
地球上の物質じゃない。理科の授業でも、博物館でも見たことがない。 その石からは、言葉では説明できない不思議な力が溢れ出していた。見ているだけで心が落ち着き、涙が止まるような、神聖な輝き。
「まだ疑うか? なら、こっちはどうだ?」
龍哉さんは再び空間から、今度は一本の短剣を取り出した。 鞘から抜かれた刀身は、ミスリルのように銀色に輝き、店内の照明を反射して虹色の光を放っている。
「これは……」
「オリハルコン製のナイフだ。鉄なんて豆腐みたいに切れるぞ」
龍哉さんがナイフの腹で、テーブルに置いてあった紙ナプキンに軽く触れる。それだけで、ナプキンは音もなく真っ二つに裂けた。
「す、すごい……」
私は、青い石とナイフ、そして若すぎる父親の顔を交互に見つめた。 魔法。異世界。ドラゴン。 今まで小説やゲームの中だけの話だと思っていたことが、目の前にある。 そして何より、パパの瞳が真実を語っている。
「信じる……。信じるよ、パパ」
私は石を大事に握りしめた。
「パパは……すごかったんだね。一人で、そんな怖い世界で戦って……帰ってきてくれたんだね」
「すごくなんてねぇよ。……ただ、必死だっただけだ。美名に会いたくて、お前に会いたくてな」
龍哉さんは優しく微笑み、私の頭を撫でた。
「この魔法も、この力も、全部お前たちを守るために使う。もう二度と、理不尽な目に遭わせねぇ。神様が相手だろうが、運命が相手だろうが、俺が全部ぶっ飛ばしてやるからよ」
その言葉は、どんな魔法よりも力強く、私の心に響いた。 最強のパパ。異世界帰りの英雄。 そんな人が、私の父親だなんて。
「ありがとう、パパ。……私、パパの子供でよかった」
「おう。俺も、お前が俺の娘でよかった」
私たちは微笑み合った。 窓の外の雨はいつの間にか止み、雲の切れ間からは朝日が差し込み始めていた。 それは、私の新しい人生の幕開けを告げる光のようだった。
禁断の秘め事と、修羅の告白
ー龍哉 視点ー
ファミレスの窓から差し込む朝日は、残酷なほどに眩しかった。 俺、十川龍哉は、目の前で宝物のように青い石を握りしめる娘――里緒菜の無垢な笑顔を見つめながら、心の中で血の涙を流していた。
(美名……。俺たち、とんでもねぇ罰を受けてるのかもしれねぇな……)
俺は気づいてしまっていた。 里緒菜の胸元で輝いている、太陽を模したシルバーのネックレス。 それは、俺が協力している復讐のパートナーであり、俺の実の息子である「新堂洋一」がつけていた月のネックレスと、対になるデザインだということに。
カズからの報告書には、里緒菜の交際相手の情報も記されていた。 『新堂洋一』。 その文字を見た時、俺は目の前が真っ暗になった。
兄と妹。 血を分けた実の兄妹が、互いの正体を知らぬまま惹かれ合い、愛し合い、口づけを交わしている。 神話のような悲劇が、現実に起きているのだ。
(言わなきゃならねぇ……。お前が愛してる男は、お前の兄貴なんだって……)
喉元まで出かかった真実は、鋭い棘となって俺の喉を突き刺す。 だが、言えない。今、このタイミングでそれを告げることは、あまりにも危険すぎた。
今の洋一は、復讐という狂気と、里緒菜という愛の狭間で、ギリギリの精神バランスを保っている。もし今、里緒菜が妹だと知れば? 愛する女性が、手を出してはいけない禁忌の存在だったと知れば? 洋一の心は完全に崩壊し、二度と立ち直れなくなるかもしれない。復讐の鬼となり、自滅するまで止まらなくなるだろう。 そして里緒菜もまた、初めての恋と、やっと見つけた家族の狭間で引き裂かれ、深い傷を負うことになる。
(俺には……まだ言えねぇ。二人を地獄へ突き落とす勇気がねぇ……)
俺は卑怯だ。最強の力を持っていても、子供たちの心一つ守れない。 だからこそ、俺は別の決意を固めた。 せめて、俺自身が背負っている「罪」だけは、包み隠さずこの子に伝えようと。
「……里緒菜」
俺はカップを置き、居住まいを正した。 その真剣な声色に、里緒菜がキョトンと顔を上げる。
「なに? パパ」
「今から話すことは……さっきの魔法の話なんかより、ずっと重くて、汚くて、残酷な話だ。……俺を軽蔑するかもしれねぇ」
「え……?」
里緒菜の表情から笑顔が消え、不安が広がる。
「俺は今……人を殺している」
「――――ッ」
店内の空気が凍りついたようだった。 里緒菜の目が見開かれ、唇が震える。
「え……? 嘘……だよね? だって、パパは……」
「嘘じゃねぇ。俺の手は、もう真っ赤に染まってる。昨日も、一昨日も……俺はこの手で人間を甚振り、壊し、この世から消し去った」
俺はテーブルの上に自分の両手を置いた。里緒菜には見えない血が、べっとりとついているような気がした。
「ど、どうして……? パパは優しいのに……どうしてそんな酷いことを……?」
里緒菜の目から涙が溢れる。信じたくないという拒絶。 俺はその視線から逃げずに、告げた。
「そいつらが……美名を殺したからだ」
「……え?」
「お前のお母さんを……俺の最愛の妻を、笑いながら焼き殺した悪魔たちだからだ!!」
俺の拳が、ドンッ!とテーブルを叩いた。抑えきれない怒気が溢れ出し、コーヒーの水面が激しく波打つ。
「カズから聞いただろ? 火事だったって。……あれは事故じゃなかった。放火だ。人の心を持たねぇクズどもが、面白半分で美名の家に火を放ったんだ」
「そ、そんな……」
里緒菜が口元を手で覆う。
「美名は、熱かったはずだ。痛かったはずだ。逃げ惑って、助けを求めて……それでも、あいつらはその悲鳴をBGMにして笑ってやがった。……そんな奴らを、俺は許せなかった」
俺は歯を食いしばり、ギリギリと音を立てた。
「警察に突き出せば、少年法だなんだで守られて、数年でシャバに出てくる。そんなの、償いにもなりゃしねぇ。だから俺が裁く。俺が地獄へ叩き落とす。……美名の無念を晴らすためなら、俺は喜んで修羅にでも悪魔にでもなってやる」
俺は里緒菜を真っ直ぐに見つめた。
「これが、お前の父親の正体だ。英雄なんかじゃねぇ。ただの復讐に狂った殺人鬼だ。……怖かったら、逃げてもいい。もう会いたくないと言ってもいい」
沈黙が降りた。 重苦しい時間。俺は、里緒菜に拒絶されることを覚悟していた。当然だ。殺人鬼の父親なんて、誰だって願い下げだろう。
だが。 里緒菜は、震える手で俺の手をそっと握り返してきた。 その手は冷たかったけれど、確かな体温があった。
「……パパ」
「……なんだ」
「お母さん……痛かったんだね。苦しかったんだね……」
里緒菜は大粒の涙をポロポロと流しながら、俺の手をギュッと握りしめた。
「私だって……許せないよ。お母さんを奪った人たちのこと、絶対に許せない……!」
彼女の瞳に宿っていたのは、恐怖ではなく、俺と同じ「怒り」と「悲しみ」だった。
「パパがやってることは……悪いことかもしれない。人として、やっちゃいけないことかもしれない。でも……でも私、パパを軽蔑なんてできない」
「里緒菜……」
「だって、お母さんのために怒ってくれたんでしょ? 私の分まで、悔しがってくれたんでしょ? ……ありがとう。お母さんの敵を討ってくれて、ありがとう……ッ!」
里緒菜はテーブルに突っ伏し、声を殺して泣き崩れた。 俺は胸が張り裂けそうだった。 この子は優しい。優しすぎて、俺の罪まで肯定しようとしてくれている。
本当は言いたい。 その復讐を今まさに実行しているのは、お前の大好きな彼氏――洋一なんだと。 俺はその手助けをしているに過ぎないのだと。 だが、その真実だけは、まだ闇の中に隠しておかなければならない。
「……泣くな。お前の手は汚させねぇ。全部俺が背負って地獄へ行く」
俺は席を立ち、里緒菜の隣へ移動して、その小さな背中を抱きしめた。
「あと少しだ。あと少しで全部終わる。そしたら……今度こそ、普通の親子になろう。美名の墓参りに行って、3人で……いや、洋一も連れて、みんなで笑おう」
「うん……うん……っ!」
里緒菜は俺の胸で頷いた。 洋一の名前を出した時、彼女が少しだけ嬉しそうに反応したのが、俺には痛かった。
(ごめんな、洋一。ごめんな、里緒菜。……俺は、お前たちの愛を守ることも、壊すこともできねぇ駄目な父親だ)
窓の外、雨雲が去った空には、皮肉なほど美しい青空が広がっていた。。 勝と百合。残る二人の「悪魔」を始末し、全ての因縁を断ち切るために。 俺は娘の温もりを胸に刻み込み、再び修羅の仮面を被り直した。




