血塗られた帰路と、真実の欠片
「さて……。とりあえず、今日のところはこの辺にしておいてやるか」
リナを虚空へと葬り去った後、龍哉さんは軽く伸びをしながら、まるで一日の仕事を終えたサラリーマンのような口調で言った。 地下室には、鉄錆と血、そして排泄物が混じり合った強烈な腐臭が充満している。
「えっ? もう終わりですか? まだ勝と百合が残ってますけど」
僕が返り血で汚れた鉄パイプを握りしめたまま尋ねると、龍哉さんはニヤリと底意地の悪い笑みを浮かべた。
「焦るなよ、洋一。楽しみは取っておくもんだ。それに……見てみろよ、あのツラ」
龍哉さんが顎でしゃくった先には、勝と百合がいた。 二人は互いに身を寄せ合うこともできず、ただ虚空を見つめてガタガタと震え続けている。目の前で仲間が3人も――それも、復活と破壊を繰り返された挙句、この世から消滅させられたのだ。その精神的ダメージは計り知れない。
「あ……あ……消える……次は……私……?」
「うぅ……うぅぅ……」
「今のこいつらにとって、一番の拷問は『放置』だ。暗闇の中で、死んだ仲間の幻影と、次は自分が消されるという恐怖に怯えながら一晩を過ごす。……そいつは、肉体を刻むよりも精神を削るぜ?」
「なるほど……。死へのカウントダウンを味わわせるってことですね」
僕は納得して頷いた。確かに、今の彼らは生きた心地がしないだろう。
「じゃあな、勝、百合。明日また来るから、せいぜい震えて待ってな」
「ひっ……!!」
僕が声をかけると、二人はビクンと体を跳ねさせ、床に頭を擦り付けて縮こまった。
「行こうぜ、洋一」
「はい、龍哉さん」
僕たちは重厚な鉄の扉を閉め、厳重に施錠した。閉ざされた扉の向こうから、押し殺したような嗚咽が微かに漏れ聞こえてくるのを背に、僕たちは廃工場の階段を上り、外の世界へと出た。
外の空気は冷たく、澄んでいた。 肺いっぱいに吸い込むと、鼻孔にこびりついていた血の臭いが少しだけ薄れた気がした。
「んじゃ、今日は解散だ。俺は少し野暮用があるからよ。気をつけて帰れよ?」
「はい。龍哉さんも。……本当に、ありがとうございました」
「礼には及ばねぇよ。……じゃあな」
龍哉さんは僕の頭をポンと乱暴に、しかし優しく撫でると、夜の闇へと消えていった。
一人残された僕は、とぼとぼと家路についた。 興奮が冷め、静寂が訪れると、急激な疲労感と、言葉にできない重圧がのしかかってくる。
(やったんだ……。金髪も、ハゲも、リナも……僕が殺した。消したんだ……)
手のひらを見つめる。そこには何も持っていないはずなのに、鉄パイプの冷たい感触と、肉を砕いた時の振動がこびりついて離れない。 後悔はない。あるはずがない。母さんを殺した奴らだ。当然の報いだ。 けれど、心が空っぽになったような、底知れない虚無感が僕を襲う。
「母さん……。僕、頑張ったよ……。あいつらに地獄を見せてやったよ……」
夜空に向かって呟いても、返事はない。星だけが冷たく瞬いている。
「……会いたいなぁ……」
誰にともなく漏れた本音。その時だった。
「……新堂さん?」
不意に、聞き覚えのある鈴のような声が聞こえた。 ハッとして顔を上げると、街灯の下、コンビニの袋を提げた少女が立っていた。
「か、刈谷……さん……?」
そこには、日常の象徴である彼女がいた。スタジャンを羽織り、不思議そうに首を傾げている。 僕の全身が粟立つ。見られてはいけない姿を見られたような気がして。 今の僕は、どう見えているんだろう。返り血は着替えてきたけれど、纏っている空気は血生臭い殺人鬼のそれではないだろうか。
「どうしたんですか? こんな夜遅くに。それに……なんか、顔色が……」
刈谷さんが心配そうに駆け寄ってくる。その純粋な瞳。穢れのない、真っ直ぐな視線。 それを見た瞬間、僕の中で張り詰めていた糸が、プツンと切れた。
「う……うぅ……っ」
「えっ!? し、新堂さん!?」
視界が急速に歪む。抑え込んでいた感情が、涙となって堰を切ったように溢れ出した。
「刈谷さん……! 刈谷さぁぁん……!!」
「ちょ、ちょっと! どうしたんですか!? 何かあったんですか!?」
僕は彼女の前に崩れ落ちるように膝をつき、子供のように泣きじゃくった。
(言いたい……。君に言いたいよ……)
『母さんの敵を討ったよ』 『君のお母さんを殺した奴らを、僕が裁いてきたよ』 『もう誰も僕たちを傷つけないよ』
喉元まで出かかった言葉を、必死に飲み込む。 言えるわけがない。僕が人を殺したなんて。拷問して、笑いながら殺戮を楽しんでいたなんて。 知られたら、軽蔑される。嫌われる。この温かい居場所を失ってしまう。
「うあぁぁぁぁぁ……!!」
言葉にならない慟哭。それは、復讐の達成感と、人としての道を外れた罪悪感、そして誰かに認めてほしいという強烈な渇望がないまぜになった叫びだった。
刈谷さんは、コンビニ袋を地面に放り出すと、しゃがみ込んで僕の体を優しく抱きしめた。
「……大丈夫。大丈夫ですよ、新堂さん」
「うっ……ぐすっ……ごめ……ごめん……」
「謝らないでください。何があったかは聞きません。辛かったんですね? 苦しかったんですね?」
彼女の体温が、凍りついた僕の心を溶かしていく。 その胸の温かさは、死んでしまった母さんの温もりによく似ていた。
「よしよし……。私がいますよ。ここにいますからね」
彼女は僕の背中を、赤ちゃんをあやすように一定のリズムでトントンと叩き続けた。 その優しさに甘え、僕は彼女の小さな肩に顔を埋め、声が枯れるまで泣き続けた。 血に染まった手を隠すように、彼女の背中に回して。
………。
……。
…。
一方その頃。 龍哉は、繁華街の雑居ビルにある一室を訪れていた。 看板には『カズ不動産』とだけ書かれているが、その実態は裏の情報屋も兼ねた何でも屋だ。
「よぉ、カズ。遅くにわりぃな」
ドアを開けると、奥のデスクで煙草をふかしていたカズが、驚いたように顔を上げた。
「龍哉か。……おい、なんだその顔は。ひでぇ顔色してんぞ」
「ああ? そうか?」
龍哉は近くのソファにドカッと腰を下ろした。 異世界で修羅場を潜り抜けてきた龍哉でさえ、今日という一日は精神的に堪えていた。自分の息子である洋一が、嬉々として人間を破壊し、殺戮を楽しむ姿。それを止めるどころか、手助けをしてしまった自分。 正しいことだと信じている。だが、父親として、息子にあんな修羅の道を歩ませてしまったことへの悔恨は消えない。
「……まあ、色々あってな。少し、ゴミ掃除をしてきた」
「ゴミ掃除、ねぇ……。お前の言うゴミってのが何を指すのか、想像もしたくねぇがな」
カズは苦笑しながら、一枚の封筒をデスクの上に置いた。
「それより、頼まれてた件だ。『間島美名』の……お前の嫁さんの調査報告書の続きだ」
龍哉の目が鋭くなる。
「なんか分かったか?」
「ああ。……龍哉、落ち着いて聞けよ?」
カズは煙草の火を灰皿に押し付けると、真剣な眼差しで龍哉を見据えた。
「美名さんが亡くなった火事の件だが、やっぱり放火の可能性が高い。警察は事故で処理したが、現場周辺での目撃情報が不自然に消されてる。……ま、これはお前が今『掃除』してる連中が犯人だってことで間違いねぇだろう」
「ああ、その通りだ。そいつらはもう、この世のどこにもいねぇけどな」
龍哉が低い声で呟く。カズは一瞬息を呑んだが、すぐに話を続けた。
「問題は、もう一つだ。美名さんが遺した子供についてだ」
「子供? 洋一のことだろ?」
「洋一くんだけじゃねぇんだ」
カズが封筒から一枚の書類を取り出し、龍哉の前に差し出した。そこには、戸籍の写しのようなデータが記されている。
「お前が行方不明になってから……美名さんは、一人で洋一くんを育てていたわけじゃねぇ。お前が消えた直後、彼女は妊娠していたことが発覚したんだ」
「……は?」
龍哉の思考が停止する。 16年前。異世界に飛ばされる直前、美名は言っていた。『もう一人、子供がお腹にできた』と。
「ま、まさか……!?」
「そうだ。美名さんは、お前の二人目の子供を産んでる。女の子だ」
「お、おんな……!? 娘か!? 俺に、娘がいるのか!?」
龍哉がソファから身を乗り出す。
「名前は『里緒菜』。……今は、とある事情で養子に出されて、苗字が変わってる」
「養子……? どこだ!? どこの誰に引き取られたんだ!?」
「『刈谷』という家だ。……今の名前は、刈谷里緒菜」
ドクン。 龍哉の心臓が、早鐘を打った。
「か、かりや……?」
脳裏に浮かぶのは、洋一のそばにいつもいる、あの明るい少女の顔。 洋一を慕い、支え、今日デートをしていたあの少女。 あの子が……刈谷さんが……。
「嘘だろ……? あの子が、俺の娘……? 洋一の、実の妹……?」
龍哉は頭を抱えた。 運命の悪戯にしては、あまりにも出来すぎている。 洋一と里緒菜。二人は何も知らずに惹かれ合い、支え合っている。そして、俺はその二人の近くにいながら、父親だと名乗ることもできず、ただ復讐の片棒を担いでいる。
「カズ……これ、確かな情報なんだな?」
「ああ。DNA鑑定なんてできねぇが、出生記録と養子縁組の日付、美名さんの記録……すべてが合致する」
龍哉は天井を仰いだ。 涙が滲んでくるのを必死に堪える。
「美名……。お前、一人で二人も……俺の帰りを待って、育ててくれたのか……」
彼女の強さ、そして彼女を無惨に殺された怒りが、再び胸の奥でどす黒く渦巻く。
「……ありがとな、カズ。この恩は一生忘れねぇ」
「いいってことよ。……で、どうするんだ? 本人たちに言うのか?」
「いや……」
龍哉は首を横に振った。
「今はまだ言えねぇ。洋一は今、復讐の修羅場にいる。里緒菜ちゃんも、美名さんを探してる最中だ。今、俺が父親だなんて名乗り出ても、混乱させるだけだ。それに……」
龍哉は拳を握りしめた。
「俺の手は汚れすぎた。あの子たちを抱きしめる資格なんて、今の俺にはねぇよ」
「……不器用な野郎だな」
「うるせぇ。……でもよ、必ず守る。洋一も、里緒菜も。俺の命に変えても、絶対に幸せにしてやるんだ」
龍哉の瞳に、決意の炎が宿る。 復讐を完遂し、すべての憂いを絶ったその時こそ、家族として向き合う時だ。
「待ってろよ、クソガキども。明日はもっと派手な地獄を見せてやるからな……」
父親としての愛と、復讐鬼としての殺意。相反する二つの感情を抱き、龍哉は夜の街を見下ろした。




