7.不穏な香り
四時間ほど揺られて着いた先の孤児院も教会の形をしていたが、外観も庭もそれなりに整えられていた。
「ルト、いないね……」
「……レミィ、中では何も口にしないで」
「わかった」
マントのフードを目深にかぶり直したミアを見て、もう何か起こっているのかも知れないとすみれは震えそうになる身体を抱き締めた。
「怖い? スミレは絶対に守るから、信じて」
「ありがとう。でも、ミアのこともちゃんと守ってね」
「まっかせて!」
バチンッと音がしそうなウィンクをしたミアを見て緊張が解れたすみれは、ゆったりとした足取りで教会の門をくぐったのだった。
「この度は訪問を受け入れてくださってありがとうございます」
「いえいえいえ、レミィ様のお噂はかねがね。我々孤児院を運営する者といたしましても、大変有り難く思っている次第でして……」
院長室に通されてお茶とお茶菓子が用意されたテーブルで、院長とすみれで向かい合って座るソファーのすぐ後ろにミアが立っていた。
院長は糸のように細い目に銀縁の眼鏡を付けた、一見ひょろりとした青年神父。暗い紺色の髪は肩で切り揃えられている。円柱型の帽子に耳が隠されていて何の獣人かはわからない。そう言えばシスターララも頭巾に包まれていて知らないなと気付いた。
噂のようなことをしているようには見えないが、"見掛けによらない"なんていくらでもある。
それにこの院長室にはおかしな点がいくつかあった。今掛けられている絵画より大きな日焼けがついた壁、何らかの意図を感じさせる極端に物の少ない部屋。それに──。
「さっそく子供達に会わせていただいてもよろしいですか?」
「もちろんですとも」
孤児院の敷地に入った当初から違和感はあった。子供の声が全然しないのだ。
院自体はどこも綺麗に掃除されていたが、ありがちな落書きも無く、綺麗過ぎて逆に怖い。
彼らはもう一人いる大人、副院長である女性の授業を受けているようだった。
庭先に丸太の椅子と黒板だけある青空教室。
小さな子から、そろそろ院を出ないといけなそうな年齢の子までジッと椅子に腰掛け、一心不乱に授業を聞く様は鬼気迫るものを感じさせた。
何より全員……いや、ほぼ全員、サイズの合っていない長袖を着ていた。長袖自体はおかしくない。今は初夏だが涼しい風が吹いているし、日焼けを防ぐ為着用する者もいる。サイズのあってなさも気にはなるが、お下がりを着回していると言われればそうかもしれない。
ただ、院長の後ろを付いて歩くすみれを見る目があまりにも濁っていた。
恐怖、落胆、諦念──。
子供が、こんな表情をするのを初めて見たすみれの胸中が哀しみで一杯になっていく。
「こんにちは! 私はレミィと言います。まずは皆に私が焼いたクッキーを食べてもらいたいな。はい、どうぞ」
授業を中断させて申し訳ないが、耐えられなかった。一人一人に手渡すと、皆一様に困った顔をする。
(こんなに顔色を伺うなんて……)
「院長先生、今食べてもらってもいいですよね?」
「……ええ、もちろんです。さ、皆、いただきなさい」
院長が笑顔で言うとやっと彼らはクッキーの包みに手をかけた。
カサカサと包装を解く音しかしない。
(異常よ……)
クッキーを渡す時にこっそり確認してみたが、だぼっとした服から見え隠れする腕は細く、所々赤黒く変色していた。
日常的に暴力を振るわれているのかも知れない。それを隠す為の長袖なのかと怒りが沸いた。
(許せない)
それでもクッキーを口にした時の子供達が、ほんのり笑顔を浮かべたのが嬉しかった。
「美味しい?」
「美味しいです、ありがとうございます」
ぺこりと頭を下げる子はシドやソラと変わらない。
そんな歳の子がこんなに大人しく、しかも笑わないなんて。
これ以上授業を邪魔してはいけないとその場を辞し、ある程度整えられた庭を進んでいると少し離れた所に小屋があるのに気付いた。
「あれは?」
「あちらは物置小屋ですね。庭木を切る道具や、掃除用具などを置いてあります」
それにしては少し物々しい感じがした。明かり取り用の窓もない。
近付こうとすれば、鎌や危険な物もあるのでとやんわり道を塞がれる。
(怪しい……)
「他はどこを見学されますか?」
「……キッチンや沐浴場を見せていただけますか」
(でも今は無理か……)
仕方なく、先導してくれるのに着いて行くと、清潔なよくある釜戸のあるキッチンに、しっかりとした木の湯船がある浴場があった。
ミファ達の孤児院にもやっとつけた湯船が、ここには既にある。清潔感がある子供達の理由が見えた気がするが、それだけでない嫌な予想が頭を過る。
(……それは無いと思いたい)
一通り見せてもらい、また最初に顔を合わせた院長室に戻ってきた。
「どうぞ、子供達が作った菓子です」
初めのお茶もお菓子も口にしなかったからか、また断りにくい物をすすめてきたな……とすみれはどうすればいいかとソファー横に立つミアに視線をやった。
(……? 寝そうになってる?)
あのミアが? まさか。何も口に入れていないのに。
じゃあ何か、魔法? それとも──。
くん、と鼻先に嗅ぎ慣れない香りを感じ取ったすみれの頭に、図書館で仕入れた知識が巡る。
「子供達が! それはいただかないとですね。これは、クッキーですか?」
「ええ、ええ、レミィ様のお店ではクッキーを販売なさっておられるのでしょう? 少しでも早くお役に立てるよう、近くの孤児院に作り方を教わりましてね、練習していたのです。ささ、是非味を確かめてやってください」
いきなり饒舌になった男に、すみれは不信感を募らせていく。
(掛かってやろうじゃないの、罠に!!)
手に取ったクッキーは確かに店で売っている物と遜色のない見た目をしていた。
(きっと……中に何か入っている、わよね)
極力飲み込まないよう、少しだけ齧り、残りは手の中に隠す。
「! 美味しいです。レシピだけでここまで……頑張ってくれたのですね」
「ええ! 何度も練習させましたから」
(なんだろう、院長が言うと、洒落にならない感じがする)
ずっと目を閉じてるような糸目を三日月の形にしたまま上機嫌に首肯するのを見て、嫌悪感が込み上げてくる。
「……あれ……」
そして……ほんの一欠片だったのに、頭がクラリとした。
睡眠薬だろうと当たりをつけ、ゆっくりと目を閉じる。前屈みに身体を折った時に、残りのクッキーをポケットのハンカチに突っ込んだ。
少しして、ミアが床に倒れ伏した音も聞こえる。
「……香がなかなか効かないから焦ったが、薬は効いたみたいだな」
(低い声。こっちが本性なんだ)
窓を開ける音の後、暫くして扉から誰かが入ってくる靴音が聞こえた。
「テレイズ、アインとツヴァイは」
「連れてきております」
「この女共を縛ってあそこへ入れておけ」
「「はい」」
テレイズと言うのは確か、さっき授業をしていた副院長のことだ。名前は資料で知っていた。
アインとツヴァイは、多分子供の中でも一番大きい男の子達だった、とすみれ思い返していた。正直外見では判断が付かないが、歳は十五にはなっているだろうと思えるくらいには。
子供達にはクッキーを配った時に簡単な自己紹介を受けていたので、名前と顔が一致する。
──それはもう、軍隊さながらに整列され判子を押したように、
「アインです。クッキー美味しかったです。ありがとうございます」
「ツヴァイです。クッキー美味しかったです。ありがとうございます」
「ドーラです。クッキー美味しかったです。ありがとうございます」
……と総勢十三人続いた時は、頬がひきつるのを我慢するのが大変だったのだ。
腕を後ろ手に縄に縛られ、足も拘束され肩に担がれる。慣れた手際に、胸がムカムカしてくるのをすみれは感じていた。決して胃が圧迫されているからではない。
「伯爵は?」
「今晩、見に来られると連絡がありました」
「ふ……伯爵なら、昨日の少年が気に入りそうだ」
バタンと扉が閉じられそれ以上は聞けなかったが、黒い噂は真実だったと確信した。
連れて行かれたのはさっき怪しいと思った小屋。
ミアも眠らされ、危機的状況だと言うのにすみれの頭は先程の院長の言葉で一杯だった。
(昨日の少年……ってまさか)
待ち合わせ時間に現れなかったルトのことではと思ったからだ。
今までの視察では一度も遅れたことはなく、なんなら先んじて訪問するまであった。今回もそうだったのではないか。そこで何かあって──。
"何か"なんて現状を考えればあまりにも明らかだった。
あんなに強いミアがこんなに簡単に昏睡する香なんて、書物で読んだもの以外考えられない。そしてそれを使われたら、ルトにたとえ武術の心得があったとしても同じように昏倒した筈だ。
(私は獣人じゃないから効かなかった)
ならばあの院長も、人間なのではないだろうか。